第53話 最後に現れたもの

 エリディアは大勢の死に動揺しながらも、いつどこからどんな攻撃を受けようと対応できるように気を張って構えていた。もちろんルーナの護衛に付いているのは彼女だけではない。皆一様に張り詰めた表情で、もうただ一人しかいない王族を囲んでいる。

「……皆に守られずとも己の身くらい守れるようになりたいものだ」

 少し俯いてルーナが言った。自分に割かれている人員がもし前に出られたら、どれだけあの命をかけて戦っている者達の助けになれることだろう。

「例えこの中の誰よりもルーナ様がお強くなられたとしても」

 そう、それこそ魔族より強くなったとしても。

「護衛というものは、護衛でありつづけるでしょう」

 エリディアの言葉に、ルーナは少し興ざめしたように言った。

「私は無駄が嫌いだ」


 ラズはギリ、と弦を引いた。それと同時に彼の周囲にいくつもの炎の矢が浮かぶ。

 狙うはまず、眷属。

 充分に引いたところで、一瞬で狙いを定めて矢を放つ。フラフラと気味の悪い動きで眷属は避けたが、ラズの矢は追尾してきた。予想外だったのかほとんどが命中する。身体のあちこちが焼け焦げ裂かれているというのに、そいつはへらへらと笑っていた。

 その顔に、ラズはなんとも言えない気持ちを抱える。

 名前こそよく覚えていないが、地方視察に赴かれる陛下の警護を、何年か前にともにしたことのある奴だった。

 そう。『だった』なのだ。こいつはもう、あの時のあの気さくな青年ではない。

「ナアニカナァ、チャアント命ヲ狙ワナイト、私ハ全ク何モ感ジナイカラオモシロクナイゾ」

「痛みでも欲しいのか? マゾヒストが」

 ラズはかつての同僚の皮を被った化け物に、不快感を強く感じながら吐き捨てるように言い放つ。

「ナニヲ言ッテイル。コノ身体ガ苦シメバ、コイツヲ知ッテイル奴ヲ苦シメラレル。ソレガ欲シイノサ」

 ククク、とご丁寧に説明して小さく笑う眷属に、ラズは眉間の皺を深くした。

 そこに突如として雷球が雨あられと降り注いでくる。さすがに眷属はひっくり返った。

「何をぼさっとしているんだにーちゃんよ。もしかして生前のそいつを知ってる奴自身だったりしたのか?」

 無表情にそう話しかけながらシールが近づいてくる。

 年齢が見た目で判断できない上に常に高慢ちきなエルフに『にーちゃん』呼ばわりされるのは何だか変な感じがした。

「あんたができないなら俺がやるから、もうちょっとこいつらについててやってくれないか」

 エルフの少年が目で指し示す先には、未だ目を覚まさないアイリスと、それに付き添っているセリシアとサラの姿があった。

「こいつらはどう見ても冷静さに欠けてる。何かに睨まれたら一溜まりもないだろう」

「分かった。ありがとな」

 上っ面は高慢ちきだが言動からして絶対根はお人好しだ。ラズは少し温かい気持ちになってシールに礼を言ったが、彼はケッと返しただけだった。

 しかし気が明るくなった直後にすぐに奈落の底に落とされることになる。

 まずは眷属を追い払わなければ『皇帝』に届かないと思って眷属の方を狙ったのだが、そんなことをしている場合ではなかったのだ。

 何せ──『皇妃』を倒したのはアイリスなのだから──。

 ほぼ同時に三人が吹き飛ばされた。風圧か何かでラズの頬に一筋の赤が走る。

「どんなタイミングだよっ、ぼーっとするな、誰も死なせるなっ」

 シールが珍しく焦りを示す。

 ラズも焦って吹き飛ばされた三人の元へ走る。

 近くにいた自分の頬に切り傷ができるほどの力で吹き飛ばされたのだ、最悪大怪我では済まない。

「アイリ?! セリ! サラ!?」

 彼女たちの名前を呼ぶと、アイリス以外はゆっくりと身を起こした。

「いたたたた……背中打ったあ……」

 呑気な声を上げたのはセリシアだった。

「すみません、防ぐだけで精一杯でした」

 サラが顔を引きつらせながら謝罪する。どうやら凶刃から何らかの手段で身を守ったらしい。勢いこそ相殺できなかったようだが、なんとも頼もしい子供だ。

「お姉ちゃん」

 意識のないアイリスには着地時点で何が起こったか分からない。セリとラズはほぼ同時に彼女の方に駆け寄る。

 眷族を即始末したらしいシールがサラの側に跳躍してきた。常人のジャンプできる距離ではないが当然補助魔法を使っているのだろう。

 よろよろと足下が覚束ないサラを支えてやる。

「まったく、よくやるガキだよお前は」

「まったくだ」

 シールの声音とは全く異なるトーンでぼそりと呟かれた声には温度がない。

「邪魔者には早めに退場してもらいたいね」

『皇帝』はサラのいる方向に右手を掲げる。

 さっとシールが間に立った。

「なぁ、水精王の加護を持つ娘。お前は水に愛されてきただろうが、世の中そういう水ばかりではない」

「何が言いたい……」

 シールは何が放たれようと防いでみせると、『皇帝』を注視していたが、異変は背後で起きた。

 ピシャッピピッ……

 水撒きをしているような音がする。

 見ればちょうどシールの頭一つ分上に、巨大な水球ができていた。

 不規則にうねり、時には水をまき散らすそれの中には──サラがいた。

「サラ……!?」

 水中ではいくら青色を持つ者でも呼吸はできない。

 シールがばしゃばしゃと水球に手を突っ込んでサラを引き出そうとするが押し戻される上に届く位置ではない。

「サラ! 空気を身に纏うんだ! 飛行とか、なんでもいい、何か息ができるように……!」

 風系統の術式を使えば自然空気が絡んでくれる。

 だがサラは首を振るばかりだ。……水に遮断されるように、魔法の力が何も使えない。

 懸命に鼻と口を押えて堪えようとしているがそんなもの長くなれば窒息を招くだけだ。

「……くそがッ……!」

 忌々し気に『皇帝』を睨むが、魔族はただ歪んだ笑いを顔に張り付けているばかりだった。

 シールの方が風を纏って水球に突撃しようとしたが、水に触れたところから風が無力化され、ただの空気となって散っていくのが分かった。なんだこの水は。舌打ちして着地する。

 げほっ、とサラが咳き込むように大量の空気の塊を吐き出した。

「サラ!」

 代わりに水を相当量飲んでしまったのだろう。シールはまた水球の中に腕を伸ばし懸命にサラの腕を掴もうと足掻く。その間少女はしばらくじたばたと藻掻いていたが……。

 打開策を思いつけないまま、だらりとサラの四肢から力が抜けた。

「くそがああああああああ!」

 何か叫び声をあげずにはいられず、シールはそのまま『皇帝』に殴りかかった。

 その声でアイリスの介抱をしていた二人はようやく振り返った。

 サラは水球の中でぐったりしているし、シールは殴りかかろうとしているしで、思わず悲鳴を上げる。

「やめ!」

 その時だった。

 目が灼かれたかと思うほどの光が辺りに満たされる。

 ぱしゃ、と小さな音が聞こえたような気がした。

『そうだ。こっちへおいで』

 限りなく白に近い水色の空間の中で、聞き覚えのある落ち着いた声がこだまする。

「陛……下?」

 誰がそう言ったのかはわからないが、皆その声が『彼』のものであることを確信していた。

『随分迷惑をかけてしまった。詫びなど何をしても足りないだろう。もし百の巡りに還れるのなら、この次こそはトゥルフェニアのために尽くそう』

「何を綺麗ごとを言っている。お前は既に私だ。人の巡りには戻れない。黙示録に還るだけだ」

『どうかな?』

 光で何も見えない中、一瞬だけ……真剣な眼差しの皇帝が、引きつった笑いを顔に張り付けた『皇帝』を羽交い絞めにしていて、そこに小さな水色の発光体──人間の子供のように見えた──が抱き着くイメージが脳裏に届き……。

 何かが、弾けた。

 人々はいよいよ眩しさに耐えられなくなる。果たして自分は目を開けているのか閉じているのか、いやきちんと立っているかも怪しい……誰もが感覚を失い焦る。

 いち早く通常の感覚を取り戻したのはシールであったらしい。

 彼は何よりもまずサラを探した。水球のあった場所にはいない。何故か最後に皇帝がいたらしき場所に倒れていた。少しも動かない少女をゆっくり仰向けにさせると、魔法で身体の状態を確かめる。

 死んではいないことに安堵するが、一刻の猶予もなかった。

 少し首の後ろを持ち上げて気道を確保すると、魔法で胸部に衝撃を与える。

 たちまち少女は大量の水を吐き出した。

 げほげほと苦しそうに咳をし始める。

 苦しいだろうがこれでもう大丈夫だろう。

 安堵と疲労からか、少女を膝に抱いたまま、彼はその場にへたり込んだ。

 しばらくそのままぼうっとしていたが、ふと気が付いてみると、『元近衛』たちの姿もない。そして天井に吊るされていた無残な遺体は地上に転がされている。

「おわった……か……?」

 ぽつりとシールは呟いた。

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