第51話 赤い光

「なんだここは……」

 少し前のアレンと似たようなことをぼやいたのはラズだった。

 広間の中ほどまで進んだところ、突然あたりが真っ黒になった。真っ暗、ではない。壁と床というか……空と地面の区別がつかないほどの黒さの中、自分たちの姿ははっきり見える。妙な感覚だった。上方に大きな大きな満月が見える。

「ようこそ月下の宴へ。これで全員が揃ったのか?」

 ふいっと何もないところから国王が沸いた。

「陛下!」

 誰からともなく、ざわざわと名前や尊称を叫ぶ。

「くくく、まだそのような名前で私を呼ぶのか」

 彼は嗤った。

「あのじじいのようなモノではないぞ。こいつの魂は……旨かった」

 舌なめずり。動揺する者……憤怒ふんぬの表情を浮かべる者……愕然がくぜんとする者……。

「ただ相性が悪くてな。新月とこいつの月陰はどうやら別物だったらしい。計算外だった」

「そうだよ……この国の紫の月は死の月じゃない。幻惑の月、王たるべき者に課された、特別な枷なんだ」

「枷……?」

 セリシアの言葉にシールでさえ怪訝な顔をした。

 魔法の力というものは神の啓示により精霊に祝福されて受け取るものとされている。けしてマイナスなものではないはずだった。

「シアン一族にかけられた最初の王の呪いの一つだよ。考えてもみてよ、祝福の種類は血に反映されないものでしょ? なのに王様たちは一族郎党皆月の祝福を受けてるんだよ? 特に人為的な月なんだ。だから……シィみたいな銀色じゃないの」

 シリウスの名を口にしたとき、セリシアは俯いた。

「観測する者……人間種族にとっての月は主に白か銀か黄色。紫や赤なんかの特殊な月は偏屈なんだ」

「お前は知りすぎているようだな」

 皇帝だったモノがセリシアを目を細めて見つめた。

 す、とアイリスがその視線をさえぎるように前に出る。

「今は……アレが本当にもう陛下じゃないのかどうかだけ、分かればいい」

 背にしたセリシアにアイリスが言う。

「……少なくともビヅー卿はもう違うと思っていたみたい」

 セリシアは少し考えてそう答えた。シリウスが知った情報自体が旧外務卿から伝染したものであり、セリシアはそれを受け継いだだけに過ぎない。確信は持てなかった。

「そうか」

 ウィリアムは一度目を閉じると、意を決したように開き、言い放った。

「もう迷ってる時じゃありません。国を傾ける王は倒さなければならない。それが国民の権利です」

 どれだけ迷っただろう。他国民が見れば鼻で笑うだろう。もう、腹をくくるしかないのだ。

「ビヅー卿が酔っていたような……魔神信仰者の国との同盟など言語道断。これが世界政府からどう見られているか、それを考えるだけでも普通ならおかしいと気づくべきなのです。これから回復できるかさえわからない……そんなところまで、この国は堕ちている」

 ウィルは眉間にいっそう皺を寄せた。

「状況を整頓します。王城内部は既になにもかもが壊れていて……消えた人達は皆亡くなっているでしょう。そして変わった者たちを助けるすべはない。……お分かりですね?」

 そう繰り返すウィルは……自身でも、確認して言い聞かせているようだった。

「我々が今後掲げるべきはこちらにおわすルーナ様です。もう、ガルフォート様は『いらっしゃらない』んです……『あれ』は、偽物です」

 ウィルはガルフォートの成れの果てを指さした。ガルフォートだった存在は嗤った。

「そういちいち言い聞かせなければならないこの国の現状が、この手に堕ちやすかったのは言うまでもなかろうさ」

「ほざけ」

 もうウィルは皇帝だったモノに尊敬語など使わなかった。そう、もうあれは皇帝ではないのだから。

 くっくっと『皇帝』は笑う。

「さてさて……私は雑談など必要としていない。もっとよくよく上を見てもらおうか」

 その科白せりふに一同思わず上を見上げる。そして目を見張った。

 はるか上空、操り人形のようにでたらめに手足を囚われて、この場に先行していた三、四班を含むグループのメンバーたちがあちこちに散りばめられていた。

「……!!!!」

 全員が息を呑む。彼らは……生きているのか?

「……結界が……通用しない……逃げ……」

 上で囚われているアレンの声が切れ切れに弱々しく響いた。

「うるさいな」

 皇帝だったモノがパチンと指を鳴らした。

 ボグッ……

 嫌な音が響く。

「あぁあァ!」

 腕を変な方向に拗じられて彼は苦悶の叫びをあげた。

「やめなさい!」

 エリディアが『皇帝』に向かって叫ぶ。

 彼らがまだ生きているらしき現状を喜ぶべきか悲しむべきか分からない。

 いや、あの状態で喜べという方がおかしい。

『皇帝』の周りにふわふわっと『近衛兵』だったモノたちが現れる。

 ──そう、かつての同僚たちが。

 一様にこの場に相応しくないほほ笑みを浮かべて。

「……あいつらを離せ」

 ウィルが静かに言う。口調は静かだが目つきが恐ろしい。

「そう言われて安々と開放するとでも思うのかな?」

『皇帝』は低く嗤って、ゆっくりと大げさに右手を振り上げた。そしてそれを伏し目がちになりながら軽く振り下ろす。にやにやと、悪寒を呼ぶ笑みを貼り付けたまま。

 天井から三つ何かが落ちてきた。

 ──一般市民の首だった。無残にもぎ取られた痕からは血飛沫が上がり、地上へ降り注ぐ。

 その場は悲鳴と怒号でいっぱいになる。恐怖と憤怒ふんぬと悲嘆とが渦巻いた。

「く……そ……がぁああああああああ……!」

 力を振り絞るためにがなるような叫び声をあげ、アレンが皇帝に向けて人の頭ほどある炎の魔弾を飛ばす。

 だがそれは、『皇帝』の左拳が音もなく握りつぶした。煙すら残らない。

「死に急ぐか、愚かな」

 そう言って『皇帝』が人差し指をツイと引き下ろした。

 それだけで、アレンの首が落ちた──たったそれだけで。

「おのれええええええええ!!!!」

 ウィルは目を見開いて惨劇を見ていたが、烈火のごとく『皇帝』を睨みつけて叫ぶ。だが用心してか、襲い掛かりはしない。そんなウィルに対して『皇帝』はあくまで余裕を持って対峙する。

「ふっ……我々と一曲踊っていただけるかな?」

「ほざけ」

 ウィルは再びそう切り捨てる。……が。

「君たちに選択の権利はないんだよ」

 肩をすくめて『皇帝』が言い……その場に何やらよく分からない音が流れ始める。

 人々は困惑するだけだったが≪望月衆もちづきしゅう≫は警戒した。音──特に音楽は──命を殺める威力を持つことすらある。

「心配することはない、単なる『言祝ことほぎ』の歌だ。我らが神のための……お前たちにも脅威などないさ」

 ただし──と『皇帝』は続けた。

「一曲終わるまでに我々の誰かを倒せなければ上にいる誰かの首が千切れる。どうかな?」

 そう『皇帝』が言い終わる前に、ウィルは動いた。一直線に『皇帝』目掛けて剣を振るう。

 だがその神速の剣も『皇帝』には届かない。『近衛兵』に阻まれた。

「言っておくが──どうやらあのじじいは勘違いしていたようだが……『第十三巻四条・ユエ』は『私』だ」

 ……ネームド!?

「私がほんの少し齧った程度でつけあがったようだったが、露払いにもならなかったな」

 露払いにもならなかった……こちらは二人も失ったというのに……!? さらに十数名の人質すら取られていて……。

「……バカな……ネームドを作り出せるのは魔王本人のみだろう……!」

 アイリスが『皇帝』を睨め付ける。

「あの『月の石』に入っていたのは魔王の小指の鉤爪でね。単なる『黙示録』ではなく、『私』本体だったというわけだ」

 くははは、と楽しそうに『皇帝』が笑う。

「良いぞ良いぞ、どんどん君たちの恐怖が蓄積されていく。少しずつ絶望を飲ませて少しずつ喰ってやろうじゃないか」

 そして『皇帝』は両手を天に掲げた。

「ほら、一曲終わりだ!」

「な……短すぎる!」

 ウィルが悲鳴に近い声を張り上げ、天井を見上げる。

 今度は首が五つ、落ちた……。

「ヤトおおおおおおお!!!!」

 カイたちの絶叫。

「ギャリカさん!? ギャリカさん!!!」

 嘘だ、と、いくつもの悲鳴があがる。

「……ア、アレンさ……ん……」

 ラズがはじめに落ちた首によろよろと駆け寄る。首はただ恐怖を湛えて時を止めていた。

 十近くも自分より年上なのにそんなものを振りかざすこともなく、気のいい同僚であってくれた先輩。

 腹の底から何かがこみ上げる。

 復讐にとらわれるなと、アイリに言ったばかりなのに。

『皇帝』の哄笑がこだました。

「さあ、我が愛しの妻よ、君もこの場に恐怖を添えるのに力を貸してくれるよね?」

 すると天を覆う暗闇からザザザと蔦が大量に延び落ちてきた。それは『皇帝』の隣で蟠わだかまり……ぐるん、と中央に皇妃の頭を露出させる。

 そう、彼女もまた既に皇妃ではないのだろう……。

「さて次はどの曲にするかな?」

『皇帝』が愉しそうに呟く。

「……チィッ……ウィル! 『そいつ』はヒーラーだ! まず『そいつ』を何とかしないと連中は無敵同然だぞ!」

 ミンファが叫んだ。ざわざわと『皇妃』の蔦が広がりゆく。

 その様を見てウィルは一旦後退した。

「『あれ』自体に攻撃能力はないようでした」

 レイリックが多少青ざめた顔で言う。

 ジリ、とウィルは『皇妃』を見つめる。ヒーラーは優先的に狙うものだ。だが……。

 各地から孤児を集め、育ててきたのは『彼女』だ。今はおぞましい格好をしているがその顔だけがそのままにそこにある。

 果たして孤児たちは、自分たちを育ててくれた『母』でもある『彼女』を、討てるのか──。

「考えるな」

 動揺を見せる年少者たちに、ミンファが怜悧な声で言った。

「『あれ』はもう皇妃様じゃない」

「分かってるさ……!」

 ロノは頭を振りながら言う。しかし、多分分かっていない。

 それでも彼はその身を低く構えると一気に『皇妃』との距離を詰める。

 だがそう簡単に近づかせてくれるわけもない。六人いるかつての同僚が総掛かりで守りに入った。

 チィッと思わず舌打ちをする。

「全員で来い! こっちは数で押す!」

 ウィルが叫ぶと、はっとしたように戦闘職の皆が動いた。

 魔族の眷属が『皇妃』を合わせて7人。そして名付きの魔族本体。これを相手にどれだけ太刀打ちできるのだろう。

「……さっきと同じことをすれば」

 言ってサラはスッと剣を構える。

「アホ」

 ごん。

「いッ……」

 今度シールの杖が襲ったのはサラの頭だった。思ったより痛い……!

「さっきみたいな荒業を繰り返せば剣どころかお前まで壊れるぞ。あんなこと何度もやるもんじゃない」

 だが、だとするなら?

 もうシリウスは居ない。先ほどの戦闘がこちらのほぼ全力だと言っていいのかもしれないのだ。

 あれだけのことをやってやっと倒した相手が単なる眷属。

 では本体を相手にするのなら……?

「じゃあどうしろって……言うんですかっ!」

 珍しくサラが感情的な声をあげる。それは初めて見た歳相応の困惑っぷりだった。

「……さぁな」

 シールは目をそらして笑った。ただし口元だけだ。その目は……絶望すら浮かべているように見えた。 だから、サラは彼を責めない。そして少女は声を張る。

「分からないならやれることは全部やってみるべきです! どうせ、ここで負ければ皆死んでしまう!」

「どうだかな」

 そんなサラにシールは平坦な声で応えた。

「あそこに並んでる奴らみたいに……眷属にされて人間の敵として生かされる可能性だってある」

 思い至らなかったそのおぞましい可能性にサラはぞっとした。

「まあ、うだうだ言ってないで加勢だな。とっとと元近衛だかなんだかを叩かないと上の誰かが死ぬんだろう」

 シールは杖を構えてそう言った。

 サラも引きつった顔のまま得物を構える。

 二人は図らずもほぼ同時に長い詠唱に入った。先ほどのような瞬間超火力が危険だというなら、せめて一撃が重いものを。考えは一緒だったらしい。

 サラの構えた無色透明な剣が徐々に光り始め、シールの杖の先端には放電光が収束し始める。

 前線では剣戟けんげきが、後衛からは魔法射撃が、雨あられと『元近衛』……眷属たちを襲う。

 あるいは避け、あるいはそのままぶつかり、彼らは平気な顔に嫌な笑みを浮かべて応酬してくる。

(クソッ……やはり『皇妃』が回復しているのか……!?)

 そう苛立ったのはウィルだけではなかった。

 後衛の方が『皇妃』を狙おうとしても眷属たちに叩き落とされる。

(どうにも、ならないっていうのか……!)

「さて、また曲が終わったぞ?」

 邪悪な笑みを浮かべる『皇帝』。

「やめろ!!」

 ウィルの叫び虚しく、首が九つ落ちてくる。これで……天井に吊るされていた者たちの首がすべて落ちた。

「っぁぁああぁああああああああ!!!」

 激昂したウィルが『元近衛』の腕を斬り飛ばすが、どこからか草が絡みついてきて一瞬にして元のように腕を再生してしまう。飛んで行った方の腕は灰になって消えていった。

(きりがねぇ……!)

 渾身こんしんを込めて攻撃の手を撃ちながらもほとんどの者が苦汁くじゅうを噛みしめていた時。

 後ろのほうから、赤い塊が静かに歩いてきた。

 ラズはその姿に気付いてはっとする。赤い光を身にまとう『彼女』は、アイリスだった。

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