第44話 謁見の間

 謁見の間に広がっていたのはだった。

 そこに誰の物かもわからない複数のくすくす笑いがこだましている。

 その普段あり得ない事態に面しても、もう≪望月衆かれら≫は動揺などしない。

 アイリスは二、三、深呼吸した。

 気配を探る。

 ──たくさんありすぎた。

 自分でも良くもまああれだけの魔物をすりぬけてここまできたものだと思うが、この部屋の中も魔物だらけのようだった。

「アイリス、落ち着いてるか」

 いつの間にかすぐ後ろにいたラズの声に、アイリスは振り返る。

 赤く燃える瞳に、彼は少しだけ息を呑んだ。

「……死人はいつ出るか分からない、その覚悟はあったはずなんだがな」

 アイリスは自嘲した。

「シィが先に逝くとは、思わなかった……」

 まさか魔族戦だとも思っていなかった。

「なぁ、訳が分からないんだよ。人が魔族になる? そんなことがあるのか?」

 普段何を考えているのかつかめない彼女の声には、今はあきらかに暗いものが含まれていた。混乱、不安、憎悪、激怒……そういった感情が彼女の中で渦巻いている。

 誰もが混乱しきっている。そう、部隊長でさえも。

「……分からないさ。この先進んだところで魔族が本当のことを吐くとも限らない」

 ラズの表情は暗い。彼もマイナスの感情を抱えている。その感情を持て余し、言っても詮無いことが口をつく。

「疑心暗鬼になっても仕方無いが、グレン婆も本当のことを言えるとは限らない」

 もう、この状況では何を信じて良いのか全く分からない。

 王すら諌める国の守護者、≪望月衆もちづきしゅう≫。

 いつか王を討つことになるかもしれないなどという不敬な可能性に関しては、覚悟することはそこまで難しくは無い。しかし、実際に直面すれば──別のところでどこか覚悟が足りていなかったのかもしれない。

 王がおかしくなったら討つ、ということは王の周りにもおかしい何かが居てもおかしくはない。だが……人間の魔族化なんて、誰が想像できただろう。

 大量の課題が、目の前に並んでいる。

「……ただな、今の僕たちには、『王たちは変わった、元には戻らない』この情報だけで充分かもしれない」

「……ルーナ様という、『代わり』が居るのは確かだな」

 アイリスが暗い目をして答える。

「僕たちはこの国を正さなければいけない。……復讐心で走るなよ?」

 アイリスは苦笑いした。どうせ倒さなければならないなら何が違うと言うのだろう。

「弟の仇くらい許してくれないか」

「……僕にも分からないんだがな。多分、それで走ったまま皇妃のところまで行くなら、後悔するのはお前だ」

 アイリスは嫌な表情をする。

「何が言いたい」

「皇妃はたびたび孤児院に足を運んでは、孤児達と遊んでいた。……お前たちにとって、母さんみたいなものじゃないのか」

 アイリスの表情がますます暗くなる。

「だったら何だと言うんだ。人間に戻れないのなら……」

 そう、いっそもう、死んだ方がましなのかもしれない。

 あんな科白せりふ、皇妃の本心だとは思えない。

 あんな姿、皇妃が望んでそうなったとは思えない。

「……それが分かっているなら、いい」

 ラズはそう無表情に言って、矢を番える。

「僕みたいな余所者にとってはな、王族殺しなんてそう覚悟がいることじゃない」

 だけど、と彼は言う。

「お前たちにとっての『親』を倒す理由を、きちんと腹に据えておけ」

 ラズの出身国はアインザティアという、はるか遠くの小国だった。

「倒す、か」

 アイリスは天井を見上げた。蔦で覆われた、緑の天井を。

「……私は結局、『母』を守れないのだな」

 ラズは目の奥が貫かれたような感覚に襲われる。けれど今度は言葉を捕まえた。

「生かすことだけが守ることじゃない」

 アイリスは寄る辺なき迷い子のような目で彼を見る。

「……人格を尊重するために与えられる死は、今この時は──救いだと僕は判断する」

 アイリスは眉間に皺を寄せた。

「……行くぞ」

 そこに別の声がする。いつからいたのかはわからない。

 二班の大人たち三人が、二人の前に立った。

「まずは皇妃のところまで辿り着けるかどうかだ」

 謁見の間はそこまで広くは無い。それが森林になっている。足場も視界も最悪だった。

「気配が多すぎて動きづらい、慎重に……」

 二班班長は、ミンファという筋肉質な男だ。彼が≪望月衆もちづきしゅう≫のなかで唯一、ウィルの年上である人間。その彼が言い終えるより先に魔物が数匹飛び出してきた。

 慌てず騒がず五人は応じる。

 アイリスは短槍を緩やかな動作で、しかし鋭く突き、薙ぐ。

 熊のようなその魔物は、両腕両足を次々に貫かれ、裂かれて、飛び掛かった勢いのまま、身をかわしたアイリスの後ろで無様に地に落ちる。

 ぐうぅ、と呻くそれの脳天にアイリスの短槍が振り下ろされた。ギャアという悲鳴が聞こえたのは一瞬だった。

 魔物の急所は、生物のそれとそう変わらない。

 この場の五人の腕にかかれば数匹程度瞬殺だった。

「ここで受身になっていても仕方が無い。進むぞ」

「ミンファさん、魔族の数が分からない以上慎重に行った方が良いと考えます」

 二班隊員が班長に進言する。

「イロリ、お前は相変わらず気配読むの下手糞だな」

 ミンファは笑う。笑いながら襲ってきた魔物を蹴り潰す。

「このめちゃくちゃな気配の中見分けるのはまぁ、大変か」

 イロリはまたばかにして、と少しむくれながら魔物を消し炭に変える。

「魔族みたいなめちゃくちゃな気配はこの中では二体だな。だから王妃とビヅー卿だけだと考える」

「気配がみえないやつもいるじゃないですか、奴ら精神体だし……ううん、やっぱり物理的な肉体のある人間が魔族になる仕組みが分からない」

 もう一人の二班隊員、レイリックがこめかみにこぶしを当てて顔をしかめながら、魔物を氷付けにして爆散させる。

 混乱を口にする部下に、班長は苦笑いして言う。

「魔族は無駄にプライドもってやがるから、人間相手に気配隠したりしねえんだよ」

「人間程度に逃げ隠れする必要は無い、と」

「あとはまぁ……高次元とかいうよくわからん接頭がありはするが、精神体が何かを恐れて気配を隠す、なんて、自分を否定しかねないんだろうよ」

 淡々と語るミンファの声を聞きいて、ラズが嫌悪の表情をしながら雷の矢を放つ。

「……人間を嘲っているなら……どこに体を乗っ取る必要があるんだ」

 レイリックのつぶやきは誰もが感じた疑問。

「分からんことは今、考えるな」

 ミンファが言ったことは、はからずも他所でウィルが口にしたセリフと似ていた。

 悶々とした思いのまま室内にできた森林を進む。初めのうちは一同、火や雷は火災を恐れて抑えるべきだと無意識に思っていたのだが、この木々には何かが当たったところで何も変わらないのを悟っておののいた。氷弾が当たったところで凍り付きもせず、試しに剣を振り下ろしてみても弾かれるばかり。その事態に背筋を凍らせながらも、彼らは属性をためらうことを捨た。ただの森林ではないことは、解り切っているではないか。

「……まぁ、あとは本当に、気配がめちゃくちゃだから慣れりゃ分かる。生物には発し得ないものだ」

 元々はかなり歳若い頃から魔族狩りとして旅をしていたらしいミンファは、魔族遭遇に慣れているのかもしれなかった。

「まぁ、分かり易く玉座付近にいらっしゃるようだから? 行ってやろうじゃねえか」

 彼は不敵に笑った。

「それと、現状不確定要素がある。魔族は精神体だから物理攻撃がきかねえ……だが、あれらが本当に王妃やビヅー卿の体を乗っ取っているとするなら、元が人間なら……物理も効く可能性がある。一応手数として考えとけ」

「……了解」

 全員が頷いて、前進を始めた。

 アイリスは大抵、相手の動きを封じてから止めをさす。

 魔物相手だとそれでことたりるからだ。

 彼女は魔族と戦ったことなどなかった。見たこともなかった。いや──十年前のあの日、あの時、いたのかもしれないが、よく覚えていない。

「魔族には、急所がないんですか」

 アイリスは無表情に問う。それは養成所や部隊の先輩達から聞いたことだった。

「あえて言うなら各種属性が多少の弱点になるくらいで、これといった急所はない。もとが物理空間とかけはなれた存在だ。『どこか』なんていう部位は一切影響しない。……存在自体を完膚なきまでに潰さないと消滅しない。……そうだな、奴らが迎える最後は死じゃなくて消滅だ」

「消滅させるには……?」

 ミンファの答えにかなりの不安を覚えるが、アイリスは相変わらず無表情だった。

「弱点属性を見極めて極大魔法や伝説級の魔法武器で集中攻撃……まあ、ちっとこの建物が吹き飛ぶかもしれん」

「……グレン婆は『第十三巻四条の群れ』と言っていたそうですし、少なくともあのエントランスには……『陛下』を含めて八……いや、ビヅー卿が、いましたね……九体ほど居ましたから、城がなくなるかもしれませんね」

 アイリスはやはり無表情だが、口調には自暴自棄な色があった。

 ミンファは、城と一緒に自分たちが無くならないか心配したらどうだとふと思ったが、既にもういなくなってしまったメンバーがいる手前、口にはしなかった。

 そうお喋りをしているうちに玉座があった場所に着く。空間湾曲などはされていないらしく、もとの部屋の通りの大きさのようだった。

 単なる豪華な椅子があった場所には、樹木が絡まりあって巨大化した妙な椅子があり、そこに皇妃が居た──異形すぎて、座っているのかどうかも全くわからない。

 椅子の根元にはビヅー卿が居る。普段ただの優しげなおじさんという雰囲気だったというのに、今はにやにやと嫌な笑みを浮かべていた。

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