第45話 かたられるもの

「案外早かったな。結構減ったか?」

 ビヅー卿はまったく人の違う口調で言う。

「……置いてきただけだ」

 ミンファは静かに彼を睨んだ。

「お前ほんとに外務卿なのか? 真実を知りたければ着いて来いと言った筈だろう。話せ」

 ラズが矢を番え狙いを定めてから言う。

「私は私だと言っただろう? あえて言うなら、魔族が私を食ったらしいのだが、意識共有できていてね、今では仲良くやっている」

 手でくるくると例の細長い木箱を弄びながら、彼は呑気そうに言った。

「ふざけるな!」

 ラズは言うなり炎の矢を雨のように浴びせるが、ビヅー卿は何食わぬ顔で腕を一振りし、全て叩き落とした。

 炎は飛散し、矢は折れて地に落ちる。

「食った? なら卿は死んでいるはずだ!」

「どうやらこういう仕組みらしい」

 ビヅー卿は肩をすくめる。

「魔族は知識を増やすことで成長する。だから生物の魂を食うのが一番だな。記憶というのは知識の塊だ」

 てくてくと彼は妙な椅子の周囲を歩きながら説明し始めた。

「だから、『私』は私の魂を食った。けれど、食った魂に負けた。理由は分からない」

 鼻歌でも歌いだしそうに、彼は楽しそうだった。木箱を撫でてさえいる。

「だから私は私のままでいられている」

「嘘だ」

 ラズはビヅー卿を睨む。

「本当だとも」

 ビヅー卿は耳まで避けた口でにっこりと笑った。

「ただ私はある意味負けたのかもしれない。この世界の構造を知った後のこの、達成感だか優越感だかいうものに」

「世界の、構造……」

 アイリスが反芻はんすうする。

 シールが思い出せない───エルフ族が隠しているというこの世界の事情とは、一体なんなのだろう。

「人間の神話には、三千年ほど前に神魔戦争があって、その後に始祖の百聖人によって世界が作られたとされている物が多い」

 ビヅー卿がぺらぺらと喋っている間、皇妃はただにやにやと笑ってそこに居るだけだった。

「真実は異なる。人間種族が世界を作るなど笑止千万。三千年以上前、既に世界は存在した。だが何かの間違いで生まれた怠惰で傲慢な人間種族のせいで、このは壊れかけたのだ」

 本当なのかどうか、それは根拠を探そうにも難しい物だった。

「だから我らが神は、人間を滅ぼそうとした。そして汚染された地表を何年もかけて焼き払ったのだ」

 知識をひけらかす楽しみに興じているように、彼は言い続ける。

「だがこの星を滅ぼしたいと思っていた悪魔が、人間の一部を救ってしまったのだよ。精霊の力まで与えてね」

 そこで初めて彼は忌々しそうにした。

「……でたらめを」

 ミンファが吐き捨てる。

「嘘は教えない。それが我々のセオリーだ。ゴミのような人間に、嘘などつく価値も無い」

 あははは、と、彼は笑う。

「人間たちは自ら真実を隠してきた。神に滅ぼされそうになった事実など認めきれなかったのだろう」

 ビヅー卿は嘲笑う。

「だから私は神の僕となった今にこそ生き甲斐を感じる。人間種族など皆滅んでしまえ。この、人間種族の愚かさを誰もに伝えたい気持ちが分かるか?」

「分かってたまるかよ」

 ミンファがそう言って真空の衝撃波を放つが、ビヅー卿はあっさり避け、後ろの植物に衝突する。だが傷ひとつ付かない。

「そんなだから人は神に見放されるのだよ」

 ひっひっひ、と卿は笑う。

「十年前、神が少しだけ覚醒した折、魔族・魔物が呼応し、世界中で決起した。だが、全て鎮圧された」

 アイリスはぴくりと反応する。自分たちが、孤児となった理由。

「想いに任せてただ破壊しようとしているだけではいけないのさ。だから私は計画的に人間を滅ぼそうと思った」

 何が言いたいのか予測がつき始めた。

 彼は再び木箱の蓋を開ける。そこにはやはり、紫色の宝石。

「この素晴らしき知識を陛下にお伝えすれば、きっと国を傾けてくださると」

「……てめぇ……」

 レイリックは恐ろしい形相で巨大な氷の槍を頭上に出現させ、思い切り腕を振り切ってそれを卿に向けて投擲するが、フォンとワープでもするかのように避けられた。

「話は最後まで聞きたまえよ?」

 ビヅー卿はにやーっと笑った。

「うるせえ、お前がカミサマだって言ってるのは魔王のことじゃねえか!」

 レイリックは糾弾するように叫ぶ。

 様々な国の、様々な宗教の、色々な神話が世界中にあるが、三千年前の神魔戦争で神も悪魔も眠りに着き、なお悪魔は人を滅ぼそうと暗躍している、というようなものが多い。違う国の神話にも関わらずそういうものが多いということは、信憑性が高いとも言える。

「物は言い様というものだ」

 ビヅー卿は呆れたように微笑む。

「人を滅ぼそうとしているから悪、と、思い込んでいるだけなのだよ」

「人にとって害をなす物だから人は悪魔とか魔王とか呼んでいるのですよ。当然のことです。正体が何であれ害でしかないのですから」

 ラズは弦を引き絞り目を細める。狙うは──『月の石』とおぼしき宝石。

「その邪神をあるじと定めそれにつき従うなら──あなたは他のどんな邪教徒よりもたちが悪い!」

 その科白せりふを詠唱の力へと転化し、彼は多量の炎の矢を石めがけて集中砲火した。

「おっと」

 ビヅー卿は箱を簡単に手放した。燃え落ちる箱とともに石も落下し、澄んだ音を立てて砕け散る。

「はっはっはっは!」

 ビヅー卿は狂ったように爆笑した。

「残念ながらもうこの石はカラでね。何か狙ったことがあったならすまない」

 魔族は笑いを堪えるようにして言った。

「……チッ」

 ラズが舌打ちをして矢を射るが、ビヅー卿は避けることもしなかった。雨のように降り注いだ矢は卿の身体をすり抜けただけのように見えた。

「はははっ、この世界をともに分かり合えない人間は本当にくだらない」

 バカにした様子で魔族は笑う。

「しかし魔王を神だと言うなら何故自ら『魔族』と名乗った」

 アイリスが重箱の隅をつつくような質問をする。

「『魔』という言葉には元来『不思議な力』という意味があるのだよ。どこかでねじ曲がって悪いもののイメージがついてしまっているようだがね。愚かな君たちに教えてあげるとするなら、まず我々は正式には自分たちのことを魔導士と呼んでいる。まあ、そのあたりをお前たちに説明するのも面倒だし、神族と言ってもお前たちが怖がらないから、面白くないじゃないか」

 かっはっは、と魔族はさもおかしそうに笑った。

「神族だと言って喜ばせられるならそれでも良かったんだがな、感情の振れ幅が小さすぎて面白くない」

「面白いかどうかは問題なの……?」

 面白くないを二度も言ったビヅー卿の言葉にイロリが小さくこぼすと、魔族というのはとても耳がいいらしい。答えが返ってくる。

「我々にとっては感情の高ぶった魂の方が旨いものでね」

 にやにやしながら言う魔族に、全員がおぞましさを覚えた。

「お前達にはぜひ、喜ぶか怒るか悲しむかどうにかしながら私に食われてほしいんだが……どうやら怒らせたり悲しませたりする方が楽そうでね。ふふふ」

 おやつを楽しみにする子供のような目。だがその思っているところは卑劣だった。

「仲間を少しずつ殺していけば、単純に怒ったり悲しんだりしてくれるだろう?」

 真実を餌に、王城の奥まで入り込ませて、その間に少しずつ殺していく。

「あぁぁああああああ!!!」

 怒りに任せた叫びを詠唱にし、イロリがビヅー卿に向かって劫火を放つ。

「おやおや、自ら餌になるのかな?」

 劫火は卿ではなく向こうにあった植物に着弾する。移動のそぶりすら見せずに彼女の目の前にいた魔族が、彼女の首に吸血鬼のように食らいつく。

「イロリ!!」

 彼女は食いつかれても悲鳴を上げることなく、果敢に相手に炎をぶつけようと構えた。

 他の全員も躍起になって魔族に攻撃するが、魔族はまったく意に介する様子が無く──噛み付き、咀嚼し、あとは、ぽとりと首が落ちる。

 その頭を拾い、卿はあーんと巨大な口を開け、そこにぽーんと放り込んだ。

 もぐもぐと口を動かす魔族を四人は呆然と見つめ──

「クソッ」

 ミンファがまず走った。魔法が効いた様子が無い。自分は最初に何と言った? 物理攻撃も選択肢に入れろ、と自分で言っただろう。

 身体強化魔法を盛り込み、手甲と脚絆も強化する。一瞬で踏み込み、ビヅー卿を殴り飛ばす。

 それは面白いように弧を描いて吹き飛んでいった。

 殴った本人が驚く。

「痛いじゃないか、まだは終わっていないんだ」

 ゆっくりと卿は起き上がった。しかし科白せりふとは裏腹にダメージを負った様子は無い。

「ああ、良い知識だ。炎系をうまく勉強している」

 舌なめずりしながら愉しそうに言う魔族に──全員が憤怒ふんぬをぶつけるように襲い掛かった。

 アイリスは短槍を、レイリックは短杖を、ラズベルトは矢を、ミンファは拳と脚を強化して。

「おや? 弱点だとでも思ったのかな?」

 怒涛の攻撃の中彼は余裕そうで……周囲の植物が動いた。

 四人は弾き飛ばされる。

 そして、植物が卿を包んだ。

「まだ大丈夫でございますよ? クリス様」

 もぞもぞと動く植物のなかから声がする。

「まったく、本当に過保護であらせられる」

 あはははは、と、それは笑った。

 そして、人の身では傷をつけることができなかった植物を突き破って卿は出てきた。

 体が植物と融合し、いよいよ人とは思えぬ姿になったビヅー卿に、一同絶句する。

「まさか」

 ミンファが黙ったままの皇妃に目をやると、彼女はやわらかく微笑んで見つめ返してきた。彼はむしろこちらにぞっとした。

 先ほどから木々やビヅー卿に何の攻撃も効いていないように見えたのは──皇妃がずっと瞬間回復し続けていたからではないだろうか。

 そしてほとんど植物の塊にしか見えない彼女と、植物まみれになった部屋──どう考えても、ここは彼女のテリトリーだ。

 危険すぎる、外に出なくては。

「安心なさい。王妃様には攻撃能力が無い」

「信じられるものか……!」

 ミンファは心を読んだように言う魔族を睨んだ。

「うーん、まああのお方に殺傷能力があったらお前たちがこの部屋に入った時点で絞め殺しているよ」

「……」

 言われてみればそうなのだが、だからと言って信用できるものではない。たとえ魔族が人間ごときに嘘などつかないなどと豪語していたとしてもだ。

「退く。後ろは任せて早く行け」

 ミンファの言葉に三人は頷き踵を返す。

「うーん、つまらないなぁ」

 ビヅー卿は意外にも追ってくる様子が無かったが──。

 扉のあたりでザリ、と駆けて来たのを急停止させるような擦れた音がする。

 六班の四人──セリシア以外の全員、だった。

「お前たち……!」

 レイリックが焦ったような声を上げる。こちらはまさに逃げ出そうとしているのだ。そんなところに駆けつけて来られてもまずいだけだった。

「入ってくるな、この部屋から離れろ!」

 ラズが叫ぶ。

 瞬間、サラが後ろに向けて剣を構えた。

 キィイン

 澄んだ音が響いた。

「ほう、ふいをついて現出したというのにそれに反応するか」

「陛下……」

 レイリックが嫌な表情で突然現れた国王を見つめた。振り下ろされた王家の剣をサラが受け止めて鎬を削っている。

 コロンが焦った表情で後ろを振り返る。敵に後ろを取られた……後ろに残してきた者たちは無事なのか。

「まずは自分たちの心配をしたらどうかな?」

 やはり移動はまったく視得なかったが、ビヅー卿が国王の傍にいた。

「ふ。我はもうここでどうこうする気はないぞ」

 国王はにやーっと嗤う。

「宴を用意した。大広間に来るがいい」

 言ってすぐに姿を消す。

「ふむ。私も行きますかね。皇妃様も連れて行きましょう」

 ビヅー卿がまた不可視の移動をして王妃の居場所まで跳んで行く。

「我らが陛下がわざわざご用意下さったのだ。大広間で会おうじゃないか」

 耳障りな哄笑を残し、ビヅー卿と皇妃の姿がかききえる。それとともに謁見の間はまるで何事もなかったかのように元の様子を取り戻した。

 人外たちの気配が消えたのを察知し、ミンファはため息をついた。

「……後ろの確認だ」

 彼は疲れたようにそう言った。

 結果的に言えば後ろに残してきた者たちは皆無事だった。皇帝が狙ったのはこの小さな子供だけだったのだろう。そのことに不安と安心を同時に覚えた周りの者は、複雑な顔をした。

 サラは目を付けられるほどに強いということ、そして、それでもまだ小さいのだから、つけ狙われては無事でいられる気がしない。

 そして≪望月衆もちづきしゅう≫の面々はもうひとつの心配事に目を向ける。セリシアは相変わらずサラの物理結界に守られてぼんやりと宙を見つめていた……。

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