惨劇の始まり

第35話 おぞましい光景

 一般市民や大臣たちには待機してもらい、傭兵たちとともに≪望月衆もちづきしゅう≫の面々は軍舎に乗り込んだ。

 ウィルが言ったようにそこは魔物で溢れかえっていた。

 十数年前の夜を思い起こすような光景に、当時を覚えている者たちが冷や汗をかく。何故、ここに魔物がいる? そのかわりに、軍人たちの影が無い。

 いったい何があったというのだろう。

 日ごろから魔物や魔族とやりあっている人間たちなのだ。これくらいは片付けていてもよさそうなものだ。

「ウィルさん、おかしいです!」

 シリウスがかまいたちを放ちながら叫ぶ。

「もし軍の人たちが『コレ』と戦って負けたというなら、ここは死体だらけのはずです。でも、無い」

「……ああ。食われた、にしても血痕がねぇ」

 身体強化魔法と武器強化魔法を積み込んで次々に魔物を屠りながら、ウィルは答える。

 手に余って逃げ出したのか?

 軍人たちは、どこへ行った?

「考え込むのは後で良い。今は街にこいつらを出さないことだ」

 アイリスが淡々と言いながら炎の渦を操る。

「速く片付けなきゃ、門が……!」

 セリが閃光で魔物を灼きながら焦りの声を上げる。

 正面玄関、裏口、それら出入り口の門はそう頑丈なものではない。それは守りが手薄というわけではなく、部外者が立ち入ろうものなら何であろうと潰せる証──のはずだった。

 もしここにあふれている魔物たちが外へ出ようとしていたなら大変なことになっていただろう。幸い軍舎内部で厩舎で馬を食ったり、そこらじゅうの壁を殴ったりして暴れているだけのようだった。

「……まるでここから沸いたみたいな奴らだな」

 シールが雷撃を放ちながら言う。

「沸いた……? ……そういえば、門などはすべて閉まったまま……でしたね」

 サラは嫌な顔をした。

 かれら≪望月衆もちづきしゅう≫は、乗り込むときには魔法など、各々の方法で壁を越えて入ってきている。魔物であふれかえっているという情報があるのだから、いたずらに通り道を作るわけにはいかなかった。

「地下を通り道にしたのかもしれない」

 シールが言うと、セリシアが口元に人差し指を置いて囁くような声で言う。

「あそこには魔物が出たことないのっ。多分なにかプロテクトがかかってる」

 シールは飄々と魔物を焼きながら言い募る。

「罠だらけなんだろ? 魔物が沸く罠があってもおかしくない」

「そんな罠きいたことないよ!」

「あの地下通路魔族が作ったとかならありえるんじゃねーの」

 にやーっと笑って言うシール。

「冗談言い合ってる場合じゃないです! なんかでかいのいました!」

 血相を変えて走ってきたのはヤトだった。

「どこだ!」

「中庭です!」

 聞いてウィルは六班の面々に告げる。

「ここは任せた! 中庭に行く!」

 七人は無言で頷いた。




 中庭に着いたウィルは呆然としていた。

 確かに『なんかでかいの』だった。

 軍舎の三階に届こうとでもいうような高さ。中庭──というより鍛錬場のひとつだろう──を占拠している黒い塊。

 あちこちから何か枝のようなものが飛び出していて、あちこちに巨大な気色悪い目がある。

 そしてその目からは黒い液体のようなモノが垂れていて……まるで泣いているかのようだ。

 どこに口があるのかは不明だが、むおおおお、ぐおおおお、とうめく様な音を多重に発している。

 だるだるのでろでろなその気味の悪い塊は、ゆらゆらと震えながら、伸びた枝で周りの人間を攻撃していた。

「なんだ……こりゃ……?」

 ウィルはやっとそれだけ言った。ここまで大きい魔物ならドラゴン並みのはずなのに、その攻撃はあまりにも弱い。

 勢い良く振り下ろされた枝を剣で切り払う。

 切り飛ばされたその先を見てウィルは眉をひそめた。

 人の腕の形をしている。それは宙を飛びながら灰になっていった。

「魔法使いを集めたら燃やし尽くせますかね……?」

 ラズが気味悪そうに言う。

「まぁ、やれることはやって」

 みよう、と言う前に何かが出てきたので声をとめて身構える。

 腕のようなものではないもの。それより大きなもの。

 それは───ひとの上半身に見えた。

『タスケ……テクレ……』

 口にみえる穴から、クリプトンガスでも吸い込んだような濁った低い声が漏れる。

「な、なんだ……これは……?」

 先ほどと同じようなことしか言えない。

『マゾク、マモノ、ツレテ……アラワレ……』

 まさか。

「にん、げん……なの……か……?」

 信じられない。

『ワレラハ、シンダトオモッタ、ガ』

 ううぅうう、とそれは苦しそうに身をよじった。

『クル……シイ……タス……ケ……』

 それに呼応するように巨大な目たちの涙も量を増す。

 われら───われら……?

「まさか、『コレ』は、ここにいた軍人たちなのか……?」

 これが、魔族の仕業というのだろうか。胸糞悪いの程度を超えている……!

「何か助けられるすべは……!」

 誰ともなく悲嘆の声があがる。

「……だめですね。生者の気配がしない……死んでなお苦しませるというのか……! なんてことを……」

 リーザが眉間に皺を寄せて口を覆う。

 これでは、軍隊長のヴァッツァー氏も無事ではないだろう。

「どうにかして、送ってあげましょう……」

 エリディアが沈痛な面持ちで言う。

「魔法使いを、集める」

 ウィルはそう言って柱を殴った。

 岩石を殴るのはもう何度目だろうか……。

 その屍の山は、居るだけの魔術士総出の青い炎で、無事送られたのだった。

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