第25話 不一致団結

 その場の空気は未だみごとに二つに裂けていた。

 シアン市民たちに最初のような特別に尖った警戒はないものの、彼らにとって現在の近衛兵団というものは、"おかしくなっているらしい"、"彼らのせいで王が危険かもしれない"、という認識であるので、そう簡単には猜疑心を捨てられない。

 洞穴に集結したシアン市民一部有志たちは疑念と困惑の渦をありありと周囲に漂わせながら、近衛兵団員であるという、真摯な姿勢を崩さない(だとしても、そう易々と信用などできない)四人──エリィ・ヤト・アレン・リーザを油断なくみつめている。

 皆がこの緊張に疲労を感じ始めたときだった。足音と気配を隠そうともせず堂々と、大勢の気配が近づいてくるのを皆察知する。

 誰もが固唾を呑んで硬直している中、フードを目深にかぶりマントに身を包んだ五人の人物がたくさんの人影に守られながら、ランプの炎に照らされて進み入って来た。先にこの空間の中にいた集団は自然に場所を空けるように奥へとつめる。

 五人の人物たちは足を止めて落ち着くと、マントとフードを脱いでみせた。周りの人間たちが当然のようにその衣を丁寧に預かる。彼らの顔が顕わになると市民有志たちは息を呑んだ。いつも遠くで威厳たっぷりに政治を取り仕切っていた人物たちが、今、目と鼻の先に現れたのである。

「だ、大臣方……生きておいでで……!!」

「ほ、本当に本物なのか? 変装した偽者では……」

「だ、騙しか……!?」

 彼らのつぶやきは半ば悲鳴のようでさえあった。

「……善良なるシアン市民の諸君、此度こたび斯様かような難儀をこうむらせ、大変に申し訳なく思う」

 五人を代表するように、元財務大臣・ユアン=クラフナーがそう言って深々と頭を下げると、同時に他の四大臣ならびに近衛兵団の連中と思しき全員が(もちろんヤトら四人もだ)、公にならって市民たちに向かって頭を下げた。市民有志たちは未だ信用していいものか迷いつつも、さすがに慌てる。

「しかし君たちはおそらく情報不足のために少し事態を把握し切れていないようなのだ」

 市民たちは顔を見合わせた。突然そう言われたところで何が何だか分からない。どう反応していいのかすら掴めない。

「そして言葉で伝えたところですぐにそれを信じることは難しいだろう」

 クラフナー氏の語り口はどこまでも固かった。そして淡々としていた。……まるで何かを抑え込んでいるかのように。

「……皆の認識では、陛下がどこかに監禁でもされていて、王城が近衛に乗っ取られた、というようなものではないか?」

 その問いにはっきりと答えた者はいなかったが、市民たちの目の奥に視得る戸惑いが何よりもそれを肯定していた。

「しかし残念ながら事態はそれよりも深刻なのだ」

 氏はあくまでも無表情に、淡々と言葉を続けているのだが、それがかえって説得力のようなものをそのセリフに与えていた。

「もうこの者たちから聞いているかもしれないが」

 氏はそこで少し言葉を切った。その先を言うには大きな力を必要とするかのように。

「我々の暗殺をこの者たちに命じたのは、他ならぬガルフォート様ご自身らしい」

 先にヤトの口から聞いていたからだろうか。ここで市民たちは騒ぎ出したりはしなかった。むしろ、一言も口にすらせず、ただ受け入れがたい驚愕に耐えている様子で一様に顔を歪め、元大臣の目をじっと見つめている。ヤトから聞いて疑い九割、しかし更にこの元大臣などという立場の氏から聞かされてしまえばその疑いは一気に半減してしまう。場の空気が、その重さをどんどん増していった。

「…………らしい、と仰いましたが」

 その重さが混乱や狂気に変わる前に、ギャリカが落ち着いた声をあげた。

「大臣も、その目で陛下がお変わりになられたということをご確認なされた訳ではないのでしょう。何故、こいつらの言い分をそう簡単に信じることができるのですか」

 氏はひたり、と彼をみつめた。

「こやつらは、何が起こっているのかを探るために従順なふりをしていると言っていた。なら我々もそうしてもいいだろう」

 氏のそのセリフに、≪望月衆もちづきしゅう≫の面々の表情が凍りつくと同時に、彼に感嘆の目を向けた。

 クラフナー氏本人がそういう理由で≪望月衆もちづきしゅう≫に与しているのかどうかは分からない。だが、この科白せりふは民衆に劇的な効果をもたらした。

 今まで猜疑心の塊だった市民たちは、一様に不敵な顔をして≪望月衆もちづきしゅう≫の面々を見やる。

「真実を知りたければ陛下に何とかして接触するしかない。例えこやつら自身が策謀して、陛下を国民が倒すように仕向けようなどとしていたとしても、陛下を倒すためには最終的に陛下の下へ行かなければならないだろう? ……そこからどちらに味方するかは、自分で判断すれば良いだけだ。そうは思わないか? 善良なるシアン市民たちよ」

 鋭い決意を込めた瞳で、氏はその場にいる面々に視線をめぐらせる。

 緊張したのか幾人かの喉がごくりと音を立てた。

「まずは陛下のところまで行かなければ、か。信じられないなら、実際に見に行くべき、と」

「……そういうことだ」

 氏は一瞬目を伏せたが、再び毅然と前を向くと言葉を続けた。

「だがな、ここまでして陛下を回りくどく廃そうとする理由がこやつらにあるとは思えないのだよ。ルーナ様をお救いし後継に据えるべく、というのにも何のメリットも考えられないしな。ルーナ様を手篭めにして国をのっとろうと考えている他国でも後ろにいるなら分からないが、そんな他国の手などが国の中枢を守る組織に伸びて来れるほど、この国は安易な体制はしていなかった」

 ……最後が過去形であるのに、皆一様に暗い顔をする。

「ルーナ様が生きておいでという情報すら事実か定かではないのですよ? 我々に陛下を討たせた後に態度を変えて皇帝の座を乗っ取るのか、国自体を滅ぼしたいのかもしれない」

 今だ疑念を捨てきれない市民がいるのは当たり前で、大臣達はそれに丁寧に答えた。

「だから、回りくどいと言っている。こやつらは我々よりよほど陛下の身近を守る立場にある者たちだ。恐れ多くも陛下をその手にかけようというなら、すぐにできてしまったであろうよ」

「お姿を拝謁できていないのは、こいつらが既に陛下を手にかけた後だからではないかとはお思いになりませんか」

 猜疑心が先にたってしまうのか、下手したら揚げ足とりにしかならないと分かっていても、皆口々に問いかけるのを止めることができなかった。クラフナー氏は薄々それを感じ取りながらも、丁寧に答えていく。

「既に陛下がお隠れになっているのなら我々にこうして王城の中枢まで行こうと呼びかけはしないのではないかな。このまま陛下がご存命であるとみせかけて腐れた政治を続ければ良いのだから。我々元大臣たちを暗殺に見せかけて生かしておく理由も分からなくなる。あの場で殺してしまっていた方がどう考えても良かったはずだ」

 まぁ、何にしろ、とクラフナー氏は言う。

「全ては陛下にお会いしてからだ。今は何を言い合ったところでそれは推測にしかならぬ」

 市民たちの目に少し光が差した。そうだ、という呟きがざわざわと広がっていく。

「まずは、陛下のご様子をしかとこの目で確かめようぞ」

 大声をあげるべきではないと皆分かってはいたが、一斉に鬨の声でもあげたい気分になっていた。ぐ、とこらえて皆うなずくだけにとどめる。

「疑いが晴れないのなら、こやつらは利用してやるのだと思え。おかしな動きを見せるようならそこで皆で潰せば良いだけだ」

 氏はにやりとして《望月衆》の面々を見やった。

 …………この方は……!

 ウィルは内心冷や汗を流しつつも苦笑をこらえることができなかった。

 そして頃合いだと感じ、氏の横に立つ。

「皆様、胡散臭さを取り払えなくて申し訳ない。私が近衛側のリーダーだとでも思って下さい。近衛兵士団第四部隊副隊長、ウィリアム=ウィルドと申します」

「……色々と頑張ってる、って、大臣方をここに連れて来る護衛でもしてたのか? あの人」

 ヤトの隣でカイがぽそりと聞いてきた。ウィルはグレンばばの所に寄る様子だったのを知ってはいたが、ヤトは声は小さく、しかし動作では大きく頷いた。

「あぁ、そうだよ」

 そうしておいた方が絶対に良さそうだったからだ。

「近衛全四部隊隊員のうち大部分が噂通りにおかしくなってしまっている様子です。その中から正気そうな……というか事態を把握できずに呆然としてた奴らを集めたのが、今ここにいる我々です」

 本当は近衛にばらばらに潜伏していた望月衆メンツだけが正気のままでいられている様子なのだが、表向きの情報はそういうことにしておく。

「実は我々もあの会食の日以来陛下のお姿はあまり見かけていないのです。ただ暗殺の命を下される時だけ、特殊任務責任者の私をお呼びになる……」

 実際は呼ばれるという訳ではないのだがこれも、表向きの情報だ。

「その時に何か変わった様子などは見つけられないのか?」

「いつも通りだから余計に困惑しているのです……申し渡される内容だけが、尋常ではないだけで」

 頭目である彼は五日に一度、午前十時に王城の特殊部屋で皇帝に謁見することが義務付けられている。それは連絡先などを明瞭にしないためだ。

 何もない時は、何もない、下がれ、と言われるだけで、それが日常であり単なる形式的行事と化していたものなのだが、三ヶ月前からそれだけではなくなってしまっていた。

「それ以外で陛下に会うことはできないのか? ……会いに行こうとすることは、我々よりもはる」

「……いましたよ、強引に陛下に会いに行こうとした人たちは」

 ギャリカの言葉をさえぎって、ラズが口を開いた。しかしその表情は苦渋に満ちている。

「様子を見ていたほうが良いというのを振り切って、陛下に会わせろと言って皇族居住区に強引に特攻しようとしたであろう人たちは」

 ラズは思い出してでもいるのか、眉間に深い皺を寄せ目を伏せて俯く。

「……戻っては来なかった。使用人の人たちが、止めるのも聞かずに走っていって、そのまま……よく分からない光に焼かれて蒸発していった」

 止められなかった……聞いてもらえなかった、という声が、悲痛な呟きになって消えていく。市民たちは思わず口をつぐんだ。

 ウィルがもういい、と言ってラズの頭にぽんと手をのせた。

「何をどうして良いのかなんていうのは、実は私たちも全く分かっていない。けれど少ない情報をかき集めると、すべては陛下ご自身の意思にしか見えないのです。様子見と言いつつ見てはいてもその実態がまったくつかめていない。だから、全ては陛下にお会いしてから、と言うのは我々も同じなのですよ」

「…………近づくと消されるようなモノに、皆で向かっていこうってのか……?」

 誰かが抗議の色を含んだ声をあげた。

「アレがどういうものなのかは僕には分かりません。けれど、ここにいる皆は全員、目的は変わらないはずだ。陛下ご本人にお会いして、その真意をお伺いすること。……皆で別々に動いてただ消されていくよりも、情報と戦力のために結託して動いた方が良いと思うのです」

 全員が静まり返る。

「あなた方だけなら軍隊に出てこられればほとんどなす術を持たないでしょう。大臣方だけなら人手が足りません。我々だけなら外に情報が伝わらない現状、ただのクーデターにしか見えなくなってしまう。そして、人数というものは多いに越したことはない。……違いますか?」

 ウィルのセリフに市民達はむう、と唸る。

「けれど、真相にたどり着けたら、その後の行動は本当に皆様が自身で決めてください。……我々は、現状が本当にあのお方のご意思そのものなら、我々は誰に呪われようと構わない。我々はこの国全てのために陛下を討ち、ルーナ様にご即位して頂く。それを止めたいならそれも自由なのです」

 彼らの目的は、何も知らない市民がただ特攻して何も知らないうちにただ殺されてしまうのを防ぐことだ。この国の現状への不満がいつかこうして爆発することは予想できていた。それをただ『殺さないように鎮圧する』のではなく、彼らの意思を尊重し、彼らにも真実へ近づこうとする機会を持ってもらった方が良い。……たとえそれにどれほどの危険が伴っていようと。

 繰り返しになるが、ただ≪望月衆もちづきしゅう≫だけで国王暗殺などしてしまえば、後でどれだけ国王は狂っていましたと言おうと国民からの不信感は拭えないだろう。だから、そこは利用させてもらうのだ。真実の共有者として。

「……どうしてはなからお前らはその情報を民間に流さなかったんだ」

「確実ではないからです。所詮は断片のかき集めからの推測にすぎません。もしかしたらウィルさんに命令を持ってくるときの陛下だって実は偽者なのかもしれないんです。けれどいまだに何も掴めていない。滅多なことは、流せないじゃないですか……。今は本当にただ、我々も陛下にお会いして真実を確かめたいと、そう願うことくらいしかできない」

 会話が堂々巡りになっている。けれど同じことを繰り返すことでくらいしか、彼らに自分たちの意思を信じてもらおうとする術がない。≪望月衆もちづきしゅう≫が持つ情報も、現状ただこれだけなのだから。

「……どうでしょうか。あまり悪い話ではないと思うのですが……。これでもなお、あなた方はあなた方だけで動きますか? 我々はそれでも構わない」

 民衆は沈黙を続ける。ただおそらく彼らはギャリカの言葉を待っている。

 ギャリカは瞑目めいもくしてじっと考えている様子だった。

 その場にいる全員が、そんな彼をじっと見つめている。

 しばらくして、ゆっくりと彼はまぶたを持ち上げた。

 剣呑な瞳でウィルの方を見る。

「……まぁ、もっともさな」

 あまり納得はいっていない様子だったが、仕方なさそうに彼は言う。

「俺達は、お前らを壁として使うぞ。責任持てよ。全員を陛下の下へ連れて行け。そのつもりでいろ」

 彼は、射るように≪望月衆もちづきしゅう≫の面々を睨みまわした。

 ウィルはほっとしたように笑った。

「……百も承知です」

「お前らだけで行かせるのも信用ならないしな。見張りたいなら一緒に来いってことだろう? ……乗ってやろうじゃないかよ、気に食わないけどな」

 吐き捨てるように彼はそう言った。ウィルは苦笑する。

「俺たち市民は仕事全休でここを拠点にしつつ、陛下を出せというデモを頻繁に行っていくつもりだ。お前らはお前らで城を見張れ。そして俺たちを守れ。……それでいいのか?」

「はい。……お互い、この国の未来のために」

 ウィルはギャリカのところまで歩いていき、右手を差し出した。

「……あぁ。国民の明日のために」

 不承不承と言った雰囲気は拭われなかったが、ギャリカも右手でそれを握り返した。

 その場の空気が少しずつ、軽くなっていく。

「まぁ、今日はもうこれで解散だ。時間も遅いしな。……また明日だ」

 ポイッという感じで握手をやめると、彼はその場から去っていく。それを合図に徐々に人々は帰っていく。

「……大臣方、今日からは市内でお休み下さい。郊外におられるご家族の身の安全は我々が責任を持って守りますのでご安心を」

 ウィルの言葉に、元大臣たちはそれぞれうなずいた。


 大臣達を郊外の隠れ家ではなく、シアン市内の隠れ家に送り届けた後。

 地下通路を歩きながらセリシアが思い出したようにウィルを呼んだ。

「あ、ウィルさん」

「なんだ」

「シールを迎えに行った時に見た軍隊の人たち、洗脳されてないっぽかった。あぁいう人たちもいるみたいだから、何とか彼らにも協力してもらえないかな」

「ふむ……」

 ウィルは意外そうに目を見張った。

「だが今日実際には、民衆を止めようという動きを見せたからな……もう既に全員洗脳されている可能性もあるし、いちいちそういう連中を探し出すのは面倒じゃないか」

「シィがいるから簡単だよきっとーーー」

 ぱたぱたと手を振りながらきゃらきゃらと言う妹に、兄は呆れたようにため息をついた。

「思いっきり人任せですね」

「しょうがないじゃん、できるのシィだけなんだし!」

 けれど彼女はあくまで明るく悪びれもせずに言い張る。

「まぁ別に良いのですが」

 やれやれといった風に肩をすくめるシリウス。

「それにあのおじさん中心に呼びかけてもらえればなんとかなりそうだしー。説得するのも今日みたいにややこしいことにはならないと思うー」

「……おじさん?」

「多分隊長って言われてたけど分隊とかじゃなくて全体の隊長だと思うよー。未確認不審生物の確認と処理、とかあんま平隊員にはとんでこない任務だろうし、何か貫禄あったし、偉そうだったし……」

 こう、胸のとこにいっぱい勲章とかついてたしー、などとぶつぶつ言っている。

 そして『未確認不審生物』扱いされたシールは彼女に冷たい目線を向ける。

「ヴァッツァー殿っぽいな。ふむ……シリウス、正気な者探しは任せて良いか」

「分かりました」

 シリウスはしっかりと頷いた。

「あたしも補助でついていくー」

「……足はひっぱらないでくださいね」

 緊張感のなさそうなセリにシリウスはそっけなく釘を刺す。

「えー、ひーどーいー」

 セリは思い切り口を尖らせた。

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