第24話 無邪気な命名
アイルハウンド兄妹はいつの間にか揃いの服を着替え、私服になっていた。聞いてみると揃いの服は王室近衛兵団の制服らしい。顔を覆っていた覆面は、近衛の中の誰が≪
「ふふ、そんなちっさい頃からこの中に入ることになるなんて、あたしたち以来かもね」
セリシアはサラにそう言った。詳しいことを聞く暇はなかったが、セリシアは十の時に≪
無愛想な少年は、セリシアの兄でシリウスと言うらしく、歳は一つ違いだという。セリシアは十五だというから、つまりシリウスは十六なのだろう。この二人が、アイリスの言っていた、彼女の妹と弟らしい。ちなみに、アイリスはもうすぐ十八になるらしかった。
「んでこの全然偉そうじゃない貧相な無精ひげのおっさんが、ウィルさんね。さっきグレン婆の家で言ってたみたいに、あたしたちのリーダーよ。それから、そこの長髪のガリガリがラズさん。ラズベルト=リューグさん。これでも結構腕利きのアーチャーで、若いけど副リーダーなの」
ラズもいつの間にか一行に加わっていた。
ウィルとラズはセリシアの酷い紹介に多少頬を引きつらせていたが、一応サラと青年にはにっこりと笑顔を向けて、これからよろしく、と言った。サラは緊張気味に「よ、よろしくお願いします」などと呟いて返したが、エルフの青年の方はむすりとして二人を眺めるだけだった。
「けど……おにーさん、名前も思い出せないの? ちょっと呼びにくいなぁ……」
「悪かったな」
セリシアには悪気など全然全く欠片もないのだが、どうやら青年にはカチンとくるものがあったらしい。ますます機嫌悪そうにボソリと答えた。しかしセリシアは全然全く蟻の爪先程も気に掛けず、更に口を開く。
「記憶がない、ねぇ……記憶を封印されちゃったとか何とか言ってたよねっ? う~ん……じゃぁ、シールにしよう」
ぽんっ、と手さえ打って少女はそう言った。青年はずっこける。本当に本気でつまづいていた。
「…………っはぁ!?」
「うん、決まり。呼びやすくていいでしょ。これからよろしくね、シール」
にっこりと、少女は笑って呼びかけた。青年は眉間に皺さえ寄せて困惑していたが、数秒でどうでもよくなり、「勝手にしろ」とそっぽを向いた。
「二人とも、今のこの国の状況、それほど分かってないだろうから、一通り説明するよ」
一段落、とばかりにラズが口を開いた。
「報告による反乱軍の潜伏場所まではまだ少々時間がかかる。聞きながら、けれど罠に注意してついて来てくれ」
二人はしっかりと頷いた。
「ことの起こりは三ヶ月程前になる。それまでは性格も温厚で、善政を敷いておられたこの国の皇帝陛下が突然皇族の会食会をお開きになったかと思えば、その場で皇族全員を皆殺しにした」
そう言ったラズの表情は限りなく冷たいものに変わっていた。サラは思わずこくりと生唾を飲みこむ。
「手を下したのは近衛兵団だけど、間違いなく命令を下したのは陛下だった。あの瞬間から、≪
「……ちょっと待て。何故≪
そこでシールが不満そうにそう訊いた。ラズの表情が冷たいものから穏やかなものに戻る。さきほどの冷たさは、思い出したくない過去と、認めたくない現実を語らなければならないことへの、ある種の覚悟の表れだったのだろう。
「我々には月の魅了に対するプロテクトがかかっている。これは、ばば様の能力だ。お前たち二人も、≪
「……おい……あのババアそんなことができるなら何故この国の輩全員にそれをかけない……?」
「そこまでばば様の力は及ばない。……対して皇帝の力は国全土に広がるほどの強大なもの……しかしこの国の皇族はおかしいほどに善人の塊ばかりだった。そのような方々が一国を治めていけたのは……そのカリスマから発生する魅了のおかげなんだろう。それがなければ、良からぬ輩が出れば、あっさりと国を取られていたかもしれない」
「…………あんた今何か酷いこと言ってないか……?」
「それがこの国なんだ。僕はここ出身ではないので、内部に入り込んでみればその異質さがすごくよくわかる。でも、この国がこうあれたのは、とても素晴らしいことだと思ってた。統治者が純粋でいられる国なんて、夢物語に等しいはずが、実際に存在している。僕は……本当に素晴らしいことだと、思ってたよ……」
そう語るラズの表情はとても悔しそうだった。
「陛下があんなになってしまうなんて、本当に今でも信じられない。一体何があってこのようになられたのか……っと、まぁ、そんなことは話していても分からないことに変わりはないので、話を進める」
「そこが一番重要なんじゃないのかよ……?」
「重要だろうな。心変わりの理由が一体何なのか。もしかしたら、その原因とやらが解決すれば元の陛下に戻って下さるのではないかと、そんな望みを持っていないこともない……。だから様子見を続けて、我々も陛下に洗脳されたフリをし続けているのわけだけど……何があったのかと問い詰める重臣たちを追放し、更に我々に彼らの暗殺命令を……もうどうすればいいのやら……」
話しながら凹んでゆくラズに、たまらずウィルが助け舟を出す。
「俺たちの存在意義はトゥルフェニアそのものの平和維持だからな。王が腐れりゃそれを排除しなけりゃならん……それが俺たちの役目だ。王一人のために国民全てが犠牲になる訳にはいかないんだよ。……誰も、『平穏を揺るがす者は、たとえ王であっても必ず排除せよ』ってのが現実になるとは思っていなかった。王のもとで、王のために、この国を守っていくのが、俺たちだと思ってた。だが……現実は現実だ。狂った王は排除するしかない」
「代わりはいくらでもいる──ってか。頂点に立つ者ってのも哀れなもんだな」
おちょくるような青年の口調に、ウィルは憤るわけでもなく、困惑するわけでもなく、ただ淡々と返す。
「────あぁ。所詮王者なんてもんは、そんなものさ。有能な王者はそれ唯一の者で名も残ろうが、そうでなくとも務まる上に、無能であれば排除されるだけ。所詮、地位など形だけのもんなのさ。人間性なんてのは、内輪だけにしか通用しねぇ。──普通はな。だが元の陛下は……その人間性で統治してたんだよ。ここは、そういう国だった」
「……ぁあ? んな小難しく語られてもどうでもいいが……。まぁ、要は今の王がトチ狂ったからぶち倒さなきゃならん、ってことか」
自分で茶化しておいて青年は理解を放棄したようだった。
「そのような言い方ではあまりに短絡的だろう」
ぼそりとアイリスが言う。
「そのまんまだろうがよ? ……まぁ、あんたたちが王サマ大好きだったってことは分かったよ。その王サマが変わっちまって、もう倒す以外どうしようもねぇ、って?」
「……端的に言ってしまえばそんな感じだろうな……。だが、だからと言って俺たちだけで倒してしまえば民衆が納得しねぇ。だから俺たちは国民が立ち上がるのを待っていた」
「……はぁ? 面倒くせぇなぁ……」
青年は疲れたようにぼやいた。
「王の変貌を国民は信じていない──と言うより、知らない。皇帝夫妻は、あの会食の日以来、国民の前に姿を現していない。だから、僕たちだけが動けば単なるクーデターに見えるだろう。後づけのように説明しても信じてもらえるか分からない。だから、民衆が立つのを待っていたんだ。彼らと結託して、共に今の王を倒し、新しい王を立てる。そうでなければ、国民はついて来ない」
ラズはまた淡々と語る。
「それで今、反乱を起こそうとした国民たちの所へ、≪
「んぁ? 殺したんじゃないのか? あんたらが? 暗殺しろって言われたんだろ? いいなりのフリしてるんじゃなかったのか?」
「殺すわけがないだろう! 殺されたフリをして、田舎に隠れてもらっていたんだ!」
憤慨するラズ。シールは少しも気にせずにまた、面倒くせぇことをする、とぼやく。
「……まぁとにかく、お前ら二人は今回は黙って立ってるだけでいい。事情は大体今言ったようなところだ。わからんことがあればまた後で聞け」
余計なことは喋るなよ、とも取れることを言ったウィルに、シールとサラは、それぞれ「あぁ分かったよ」「分かりました」と答える。
「……そろそろだな。あの先の枯れ井戸を上って地上に出た後、しばらく歩くが、くれぐれも周りの目には注意しろ。気配くらい消せるだろう? 物陰に隠れながら進むぞ」
ウィルの示す先には光苔の絶えた細い分かれ道が伸びており、その奥にかすかに光の筋が射しているのが見えた。
サラはただ、気配を消したり読んだりができるようになっていて良かったと思った。
それから七人は、暗くて細く、足場も悪い道を、ほぼ無言で進んだ。
「……む。もうすっかり暗くなってるな……。急ぐぞ」
枯れ井戸から射していた光は月光だった。瓦礫や落ち葉で埋まりかけている井戸の底から空を見上げながらウィルが言う。
井戸の壁は崩れかかっていたが、それが故に足場が多く、意外にに安定しており、体を鍛え上げてきた(シールにそういった記憶はないが)七人にとって這い登るのは造作もないことだった。
地上に出ると、そこは、鬱蒼とした木々に囲まれていた。崩れかけた古い小屋が傍にあり、この井戸はそれに備え付けられていたもののようだった。頭上には、無数の星々と白銀色の細い月が輝いている。もうすっかり夜だった。
「あ」
唐突にセリシアが足を止めた。
「どうした?」
ウィルが声をかける。
「サラの髪目立つからかくしちゃお」
「あ、あぁ……そうだな」
シールには耳を隠せと言っておきながら、サラの目立つ精霊色にまで注意が至らなかったことを多少悔いながらウィルは周りに声をかけた。
「なんか帽子とか持ってるやついねえか?」
「はーいはーい♪」
どこから出したのかセリシアが茶色いキャスケット帽を差し出してくる。
「なんでこんなもん持ってんだよ」
彼女はいつも頭で大きな赤いリボンを結んでいる。キャスケットなど被っているところをみたことはない。
「聞きたい?」
ニヤッとした顔で言われてウィルは遠慮した。どうせつまらないことだろう。
「じゃー、これしばらく被っといてくれ」
ウィル経由でセリシアの帽子を貸してもらい、サラは頷いて深く被った。
それからは本当に誰も一言も発せず、気配を消し黙々とウィルとラズの後に続いた。
しばらくして、数十人の同じく気配を消している集団と、それらに護られている五人の気配とが更に合流するのを感知したが、誰も何も言わずにそのまま進み続けた。
ほどなくして、岩壁にぽっかりと口をあけた暗闇の中に、集団は飲み込まれて行った。
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