第21話 占いの館・満月堂

 ガタッ……ズズズズ

 何かが引きずられるようなその音はすぐに止まった。

 ほどなくして奥から三人の人影が姿を現す。

 そのうち二人は背格好も良く似ていて、サラにとっては見かけないような揃いの服を着ていた。一人は銀髪のショートヘア、一人は黒髪のセミロング。そして仮面で顔を隠しているので、なんだか怪しげだ。残る一人は長い金の髪と金の瞳をもつ青年で、色が白く、背が高い。服装は白ずくめで、靴だけが茶色いショートブーツだった。眼を引いたのは額に赤で描かれた奇異な紋様と、手にした奇妙に曲がりくねった杖と、尖った耳……果たして人間なのだろうかとサラは首をかしげる。

「ばば様、仰せの者はこの者で間違いありませんか」

 仮面の銀色の方が、目の前の女性に聞く。

「あぁ、その通りじゃよ。放っておいたら我々人間世界にとってもその若者にとっても、面白くない騒動が起こったじゃろう」

 女性はくっきりと赤い唇を三日月の形に吊り上げ、くくと喉で笑った。

 とんがり耳の青年は、事態を愉しんでいるかのようなその女性の様子に表情を渋くする。

「うん、もう少しでこのおにーさん、袋叩きに……ってお姉ちゃん! 帰ってたの? てことはその子が……」

 仮面の黒髪の方が、アイリスに気付いて声を上げた。彼女の仕草は無駄に大きい。

「……あぁ、ただいま」

 対してアイリスの返答は小さく微笑んだにとどまる。

「う~ん、なかなかにナイスなタイミングだねっ、一気に新メンバー二人追加♪」

 言いながら彼女は仮面を外した。隣の少年はもう既に仮面を外したあとだった。

「新メンバー?」

 とんがり耳の青年が訝しそうに口にする。サラもきょとんとしてウィルや仮面だった二人──シリウスとセリシアだ──に視線を回し、最後にばばと呼ばれている女性を見つめた。

「をぉお、おにーさんもう人間式の発音覚え始めたねっ。飲み込みはやっ」

「これだけ聞いていればなんとなく解かる」

 相変わらず青年はむすっとしている。ここまで来る間中、結構な難度の罠をいくつも越えながら、ぺらぺらと少女は喋り続けてくれた。道に入る前の真剣な顔はなんだったのだろう。それも、どこそこの菓子がうまいとか、青年にはよく分からない世間話をだ。片割れの少年は煙たがるでもなくそれを適当に聞いていたが、青年の方は全くよく喋ると感心さえしたものである。

 その様子にますますグレンばばが、喉をくつくつと鳴らす。

 そして、少し姿勢を正して彼女は言った。


「──≪満月堂みつきどう≫へようこそ」


 その声は妙に耳に残った。余韻が消える前に彼女は話しを続ける。

「おぬしら二人には、我々≪望月衆もちづきしゅう≫の一員になってもらいたい」

 エルフの青年は不審そうに顔をしかめ、サラはなにがなんだか目まぐるしすぎて困惑した。

(もちづきしゅう……いったい何だろう。養成所はなんか普通じゃない感じで卒業しちゃったし、わたしみたいな子供になにができるのかなあ……)

 丸一日以上ぶっ続けとはいえ、通常一年かけられる試験をそれだけでクリアしてしまったなど、略式に行われただけのように思ってしまう。≪濃紫こいむらさき≫のランクも実感がない。

「エルフの青年よ、たとえその記憶を奪われていようとも、エルフというものが今のこの人間社会に独りきり放り込まれたら、どうなるかくらいは見当がつこう?」

 サラは希少種族の名を聞いて、思わず青年をまじまじと見つめた。

「……俺には何も分からない」

 青年はしかめていた顔に今度は怒気すらはらませた。何も知らないことが自分でも恥ずかしく、茶化されている気分になる。グレンばばはただ、笑う。

「そうか……。耳が長くとがっていればそれだけで人妖じんよう扱いされるのはもう分かったじゃろう。それを免れたとて、今のこの人間社会ではエルフの存在はとうに絶えたものとされて久しい。それが残っていたと分かってみよ。おぬしは捕らえられ、見世物扱いを受けるじゃろうて……」

 青年はくつくつと喉をならすばばの顔を黙って見つめる。

「そしておぬしはそれを良しとせぬ……強大な力を操るに長けたおぬしが暴れれば、どちらもただではすむまいよ。ならば、我々の飼い殺しになってはもらえんかと思うてな。我々は存在自体が極秘。おぬしの正体、なにがあろうと守り抜いてみせようぞ」

「ババア」

 青年は吐き捨てるようにそう呼んだ。飼い殺しなどと言われて嫌な気分にならない者はそうおるまい。だがあまりにも乱暴な呼称に、ウィル、アイリス、シリウス、セリシアの四人は表情を引きつらせ、サラは瞠目してしまう。青年にはそんな周りに構う様子は見られない。

「この俺を利用しようと言うのか」

 その科白せりふには剣呑な色が含まれていた。しかしグレンは少しも動じた様子を見せず、ククと笑いながら答える。

「あぁ、その通りじゃよ。今は猫の手でも何でも借りたい有様でのう。おぬしのように魔力の高い者は、喉から手が出るほどに欲しいのじゃ」

 初めから何の隠し立てもなくストレートに言ってくる女性に、青年は逆に言葉を飲み込んだ。

「わらわの記憶によればエルフ種族はかなりの魔力の持ち主であったからのう……」

 口元を紗を重ねた袖で覆いながら言うばばの様子に、セリシアが目を丸くする。

「……ばば様……? まるでエルフ族を昔に知っているようなお口ぶりでいらっしゃるのね?」

「くくく、さあのう?」

 グレンはやはり、ただ笑うのみである。

「……クソが……」

 あくまでもグレンは余裕綽々しゃくしゃくの姿勢を崩さない。エルフの青年は苛立ちを覚えたらしく、小さく毒づく。

「俺はこの忌々しい紋様のせいで記憶をごっそり持っていかれちまってるみたいだからな。それを補うためにも、集団の中にいるってのは、確かに悪くないことだろうさ」

 青年は苛立たしげに額の赤い紋様を小突きながらそう言った。グレンばばはやはり、笑う。満足そうに。

「くくく……物分かりが良いのう。ありがたいことじゃ。ただし身の安全は保証できぬ」

 ばばの目が、鋭く青年を射る。青年は一瞬怯むが、すぐに平静となる。

「あぁ、構わんさ。どうせどこへ行くあてもない。今の俺にはなにもない。だから俺はこれから先のことしか見ない」

 今は何もかも持っていない彼は、虚勢を張るかのように、剣呑な笑みを浮かべて言った。その姿にグレンばばは目を細める。そしてまた、笑う。

「くくく、頼もしい限りじゃのう……」

 グレンばばは満足そうに微笑み、そして青年からサラへと視線を移した。

「……さて、ジエライトとエリシエルの娘よ、名はなんと言う」

 おそらく答えずともこのかたは既に知っているのだろう。そう思いながらも素直に答える。

「……サラ、です。サラスティア=スノークロスといいます」

 ばばの全てを見抜くかのような瞳に見つめられ、サラは萎縮した。

「おぅおぅ、そのように気を張らずともよいよい」

 ばばは袖口を口元へ持って行き、ほほ、と上品に笑った。

「お前の両親がどのような事態に身を置いていたかは今は言えぬ」

 どういうことだかは分からない。が、ばば科白せりふには気遣いのようなものがうかがえた。

「……時が来たれば、お前の両親が選んだその道を、わらわが知る限りくらいは、聞かせてやろうぞ。それを知った時にお前がどうするかは、お前自身に任せる」

 慈しむように、労わるように、惜しむように、悲しむように。彼女はよく読めない表情で、サラに言った。

「だからそれまで、わらわのもとに居てほしい」

 少女は、複雑な気持ちを抱えながらも、ゆっくりとうなずいた。

「さてエルフの青年よ、そしてジエライトとエリシエルの娘よ、お前たちにこうして出会えたのも何かの縁じゃ。これからよろしく頼むぞ。お前たちには、我らと共に働いてもらう……このトゥルフェニアのためにな」

 婆の赤い唇がまた、つい、と三日月の形に歪む。

「ちょっと待てババア」

「ちょっと待てはあなただよっ。なにそれババアって。さっきから……どこをどう見たらババアなんて言えるのよ」

 さっきから横柄な態度を取り続けるエルフの青年に対しセリシアが珍しく忠告する。だがグレンはただにんまりと笑いながら、とんがり耳の青年と青い少女の方を見ているだけだった。青年はセリシアに向けて一瞬嘲笑うような表情を見せた後、何食わぬ顔で科白せりふを続けた。

「このトゥルフェニアのために、とは何だ? お前たちは一体何なんだ」

「フ、それを知りもせずに我らに取り込まれるのを良しとしたお前をわらわはなかなか気に入ったよ。それをこれから話してやろうではないか……」

 グレンばばの赤い唇は相変わらずくっきりとして三日月の形を崩さない。もったいぶるように青年と青い少女の二人を順に見つめながら、さらに、にいい、と唇を歪めた。

 エルフの青年とサラはそこにただならぬ雰囲気を感じ取り、思わず背筋を伸ばす。

「我らは、表向き皇帝直属の極秘組織。帝国に仇なすもの全てを排除するための部隊。だが真には、トゥルフェニアそのものの守護者。それは何者の阻害も許さない。たとえ『皇帝であっても』裁くべきは裁く。影の調整者。名を≪望月衆もちづきしゅう≫という」

 厳か、と言うのが最もふさわしい様子で、グレンばばは言った。口元は笑みの形を保ったままだが、目の光が格段に強い。それは真剣そのものの射抜き。そんな婆の言葉の持つ意味を、青年と少女はよく噛んで飲み込み──しかし二人ともが危うく喉を詰まらせそうになる。

「ちょ──『たとえ皇帝であっても』、だと? なんて──」

「そう、なんて不誠実な直属組織であろうな。しかしこれこそが、わらわが初代トゥルフェニア皇帝・ユエリウ=カルラ=シアンから定められた使命。『この国の行く末を見守れ。そして平穏を揺るがす者は、たとえ我が子孫であっても必ず排除せよ』そしてわらわは……不死と停止のを受けた」

 それはとんでもなく壮絶な過去なのではないだろうか。

 サラと青年の二人が今から身を置こうという場所には、とてつもなく重いものが背負われている。

「……気に入らねぇ」

 言葉に詰まった様子であった青年が、ふと自分を取り戻したようにそう言った。

「気に入らねぇ、気に入らねぇ。とてつもなく気に入らねぇぞ、俺は」

 彼はそう言ってグレンばばを睨む。

「帝国の初代皇帝? そのなんとかって言うのがいったいどれくらい昔の人間なのかはどうでもいいが、あんたがババアに『視える』のも、なんか偉そうなのも何となく分かったような気がするぜ。だがなぁ、何かまだウラがありそうなんだよ。まぁだくとした以上もうジタバタしようとは思わねぇが、何か怪しいんだよ。まだ何か裏があるんだったら、今のうちに話しやがれよ。でないと、後で何か理不尽なものに遭遇したら、それが分かった時にはこれ以上もない苦痛を与えてやる。たとえあんたがただの残留思念の塊だったとしても、それくらい俺にはできる」

 何も持っていない彼は、何もないが故の弱さを隠すように、あくまでも意地を張る。だが虚勢は虚勢で威力を発揮したようで、ウィルは青年のセリフに目を見張った。ばばは実体があるようでない、不滅の呪いを受けた霊体なのだった。それが故の千里眼、それが故の不老不死、それが故の超越。ここにはいないはずの存在。

「くくく、そう警戒してくれるな。これ以上の裏はない。ただただ、わらわはこの帝国を護るための組織を作り、その一員たちを護るだけ、それだけのゴーストじゃ。自ら何かをすることは許されておらぬ。自分ではなにも出来ぬ、ただの老いぼれじゃよ……ククク」

 自虐的な科白せりふを零しながらも、彼女は余裕の笑みを崩さなかった。そう、彼女にとってそんなことはまさにどうでもいいことなのだった。

「……ババア……この女はお前が千里眼を持っていると言っていた。ならば俺のこの失った記憶についても何か知っているんじゃないのか」

 青年は尊大な態度で詰問を続ける。

「ほほ、さぁのう。知っていたとして、それが何になるというのだ。わらわはおぬしに嘘を言うかもしれぬ。おぬし自身が思い出さぬ限り過去などというものは意味がないじゃろう。わらわはエルフの掟に衝突などしたくはない」

「……では何かエルフの掟などというものが関係して俺は記憶をなくしたというのか」

「おや、口が過ぎたようだの。ほほ、まあ何にせよ、これ以上わらわからお前に答えてやれることはない」

 婆はそう言って、にやりと笑った。青年は舌打ちする。このババア、絶対に何かを──いや、全部知っていやがる。

「ともかく、お前たち二人にはこれから、我々の仲間になってもらう」

「……お言葉ながら……ばば様、この娘はまだただの子供ではありませんか」

 即反論したのはアイリスだった。サラの強さは目の当たりにしているが、いざとなるとやはりどことなく納得がいかない。しかしグレンはますます目を細めて微笑むだけであった。

「あぁ、確かに子供かも知れぬ。しかし、ジエライトとエリシエルの言葉を、わらわは信じておるよ。『いつ何が起こっても自分の命を守ることのできるくらいには、育ててみせますよ』とな」

 サラは──両親の愛情と自分勝手さとに、感謝と恨み言を同時に抱えて絶句した。

「ほほ……二人には期待しておるよ。ただ、今日はもう休め。強行軍で疲れておろう。休養も、組織の義務じゃ」

 婆は相変わらず笑みを浮かべてそう言ったが、そこへウィルが異を唱える。

「いえ、今日はまだやるべきことが残っています。我々はただの近衛兵の皮を被って、民衆と協力関係を築かねばなりません。そのために、一度≪望月衆もちづきしゅう≫全員で、反乱軍の元へ向かいます。この二人を仲間とするなら──状況の把握のためにも二人にも来てもらいたいと思います。休養は夜にでもゆっくり取ってもらいますよ。他の皆は、もう既に反乱軍の潜伏場所に集まり始めています。──さぁ、お前ら、さっさと行こうぜ。これからが山場だ。二人には、詳しいことなら後で話してやるから、今は黙ってついて来てくれ」

 ウィルは有無を言わせない力強さを持ってそう言った。婆は「容赦ないのう」などと言って笑っている。兄妹はにぃと笑い、少女は少し緊張ぎみに、青年はむすりとしてそれに答える。

 今の≪望月衆もちづきしゅう≫に、ゆっくりしている暇など──ない。

「……しかし、あんたは何だ?」

 エルフの青年がウィルに聞いた。

「俺はウィリアム=ウィルド。これからお前の上司になる人間さ。上司と言ってもまぁそんなに堅いことなんざ考えんでいい。まぁ、その辺の色々も後だ。今はその耳隠して黙ってついて来な」

「解ったよ」

 青年は相変わらずむすりとして応えた。

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