第16話 無自覚な不安
「手紙ちょうだいよね、絶対だからね……」
アゼルは不満気な顔(泣きそうなのを誤魔化している)で、やっとそれだけ言った。
「うん、うん……!」
サラはぎゅ、とアゼルの手を握る。
「まさか、あたしらより先に卒業していっちゃうなんて、思いもしなかったわ……」
黒い巻き毛の先輩──マリアが眩しそうにサラを見ながら、微笑んでいる。
そしてやっぱり≪
「……きをつけて、な」
大槍を得物とする先輩──ギルバートがらしくなく、重々しく言った。サラも真面目な顔をして頷く。
サラは、自分の行先がどこなのか、ごまかしたりはぐらかしたりはしたくなかった。だからみんな、知っている。
「……またいつか」
碧の瞳の先輩──ジェイドは口数が少ないが、こうして何か含みを持たせて言葉を選ぶことがある。その
所長や教官、友人や先輩たちにも見送られ、少し歩くと宿で馬が待っていた。馬はアイリスの個人所有だという。与えられたものだなどと言っていたが、やはりさすがは近衛兵団の一員というだけはあるのだなと、サラは思った。その馬も、一緒に
『もう三日経つが、何かあったか?』
隊独自の独立した≪ネットワーク≫から、『声』がアイリスの脳内に届いた。情報を閲覧するだけでなく、こういった念話のようなことも可能だった。
『タイミングが良いですね。今
『……は?』
通信相手のウィルの声からは、とても信じられないことを聞いたという雰囲気がありありと伝わってくる。
『クリスタルは≪
『……お、おう……』
エリスとジオが実戦投入も可能だろうなどと言っていたのは、こういうことだったのだろうか? あの二人のことだから入学前から色々教えこんでいそうなことは想像に難くない。
ウィルの知るところではないが、そのうえにサラの座学知識と戦闘センスは並外れたものがある。両親や教授たちの元、至極真面目に生きてきたようだ。
『……生きてるうちに抜かれると思わなかったってのに……』
『……そういえば全然そうは見えませんが、今までの≪
『前半余計だろ』
『貴方のことですからこの子を隊に置いたとして、動かさない気かも知れませんが』
養父のツッコミは放置して、アイリスは本気で思ったことを言う。
『むしろこの子に頼らなければいけない状況にあるかもしれません』
『……』
ウィルはその事態に押し黙った。だが彼がアイリスに連絡を入れたのは、思ったより時間がかかったせいばかりではない。早々に伝えなければならないことがあった。
『アイリス……王立孤児院から子供たちと世話係たちの姿が消えた』
アイリスは目を見開いた。
『何があったのですか』
『分からん……何の痕跡も掴めねえ。すまん……』
アイリスは焦燥のこもったため息をついた。
そこで≪ネットワーク≫での会話は終わる。≪
「何かあったんですか?」
突然硬直したアイリスに、おずおずとサラが尋ねてくる。
「ああ、一大事だ。≪ネットワーク≫で養父どのが伝えくれたんだが……少し説明しづらい。まずは……
言われてサラは頷いた。
「トゥルフェニアの王族は国の神話で、月の神の化身だとされている。まぁそういうものだから、宗教国家といえる国なのかもしれない。だから教会に祀られているのは代々の皇帝で、その運営をしているのも王族だ。そして、我々の国の宗教に限ったことじゃなく、教会というものは行き場をなくした者の身を預かることがあるだろう? そのなかで一番規模が大きいのが、代々の皇妃が運営している王立孤児院だ。……そこからすべての人間が消えたらしい」
無表情に淡々と述べられたがそれはとんでもないことなのではないだろうか……。
「消えた……?」
どういうことなのだろう?
「消えたと言う以外伝えられなかったということは、殺されたあとがあるわけでも、争ったあとがあるわけでもない、わけのわからない事態が起きているということだろうな」
「そんな……」
「……それならそれを助けだすのが、我々の仕事だ」
相変わらず口調は淡々としているが、アイリスの赤い瞳には、怒りのようなものが宿っていた。
しかしそれ以降、アイリスは機嫌を崩した様子はなかった。彼女は冷たそうな印象とは裏腹に、喉が渇かないかとか腹は空かないかとか尻は痛くなっていないかとかたまに聞いてきて、結構な心配性な上に世話好きだと言うことが判明したからである。どことなく暖かかった。聞くところによると弟と妹が一人ずついるという。世話好きそうな性分はそのためであろう。着いたら会える、と言われ、何となく興味を惹かれた。
「しかし……あまり落ち込まないのだな」
ふとアイリスが言った。
「何がです?」
聞き返しながらも、そう聞かれる心当たりは二つほどあった。
一つは、突然両親が消息不明で、もしかしたら死んでいる可能性もあると聞かされたこと。
もう一つは、突然友人たちと離別しなければならなくなったこと。
「親は嫌いだったのか」
そっちかぁ、と思う。
「……いえ、むしろ……憧れていたというか……好きでしたよ。ただ、傍若無人のバカップルというか、子離れができない親というか……けれど、こういう準備をしていたということは、わたしを置いて早くに逝く覚悟があったってことですよね……? わたしは……」
別にどうでもいいと思われていたんでしょうか……?
何を言っているんだろう。そういう方向に思考は傾いていたのだろうか? そこまで悲観はしていなかったつもりだった。だから、最後の言葉を飲み込む。本当に、何を言っているのだろう……?
「むしろそう思っているような親なら、はじめからこのような準備などしないだろう。自分たちがいなくなることを想定して動かなければならないなど、そうとうな事態だ。きっと、何か避けられないことに足を踏み入れてしまっていたのだろうさ」
淡々と、けれどどこか柔らかさをもって紡がれる
「す、すみません……別に気にしないでくださいね。わたし自身本当は気にしてないんです」
慌てたようにサラは言い、何となく顔をそらして外を見た。何かを悟られないように上を見上げると、真昼の空にぷっかりと白い月が浮かんでいた。
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