第3話 授業か修行か殺し合い

 そこにあるのは濃厚な、黒。

 目を開けても閉じても、同じ色しか見えない。

 そんな中、サラはじっと佇んでいた。

 どんな動きにも移れるように重心を落としたまま、ただ周りに警戒している。

 一人、二人、三人……四人……五人。

 少女が気配を辿れたのはそれだけ。

 ガッ!

 右後ろから繰り出されたなにかの攻撃を、相手の勢いを利用して弾いた上で、そこにいるだろう方向へ右手で殴る。相手の脇に入ったような手ごたえをおぼえながら、残り四つの気配のどれもから距離をとるために動きだす。

(……あー……)

 ふと、部屋の中からすべての気配が消失した。

 立ち止まり、辺りの気配を探る。何が起きても、焦ってはいけない──。

 がしっ

 ふいに両側から腕と肩を押さえつけられた。反射的に前又は後ろからの攻撃が予測され、対処を考えるより先に体が動く。両側の相手の腕をしっかりと握り、首を丸め脚をたたみながら、ぶらさがる。その瞬間頭の上を何かがかすめていった。やはり前方からの突きである。両サイドの二人はサラの反応に多少体勢を崩したが、子供の体重にバランスを崩すほどヤワではない。ただ、反射的に体勢を維持したそれは結果的にサラに有利に働いてしまう。

 二人の腕を支点にして少女はグン、と反動をつけて前方の相手の顎を思い切り蹴り上げた。そのまま掴んだ腕を必要以上に下へ引きながら、反動を使って後方へ宙返りする。そんなことをされてさすがに少しふらついた二人の背中を、着地するが早いか、次々に蹴り飛ばした。

 ──あと、ひとり。

 今のサラにはまだ相手の気配を感じ取ることができないので、あくまで受身に回らざるを得ない。が、もう相手側が本当に残り一人なら、さっきのような連携を組んだ攻撃を仕掛けられることはない。気配もなく急所を狙われれば、少女に対応のすべはない。

 だからと言ってあきらめはしない。警戒を怠らず、下手に動くことはせずに、自分なりにひとの気配を追おうとしてみる。

「……甘いなぁ」

 聞きなれた声が後方、想定外に密着して聞こえる。瞬間、サラはひどい衝撃を受けて前方に吹き飛んだ。少女は全身を流星群か何かが突き抜けて行ったような幻想のなか、意識を手放した。



 数時間後、保健管理棟の病室にて。

「いやー悪いわね~。きみを相手にするとつい手加減するのを忘れてしまうみたい」

 サルヴィア=ロックは呑気そうに言った。

 だがこの女性が本当に手加減していなかったなら、自分はここにいないだろうことを少女は確信している。

「……こちらは危うく死ぬところだったようですが……」

 治療明細を受け取ったサラは冷や汗をかいた。

 目の前にいるこの一見どこにでも居そうな平々凡々としたいでたちの中年女性は、三年ほど前まで凄腕の冒険者として名を馳せていた。それが足に傷を負ってうまく動かなくなってしまったために、現役を降り、今はその実力を買われてこの養成学校の教師という座に納まっている。

 ロック教授とか呼ぶと何故かダサいと言って怒るので、生徒たちはファーストネームの後に教授だの先生だのと付けて呼ぶという、普通ではないことを強いられていた。そんな我侭のようなことを通すお茶目な中年女性ではあるが、その実力や教え方の腕、何より人柄から、彼女を毛嫌いする生徒はほとんどいない。

「あら、反省してない訳じゃないのよ? 今度こそきみがまだ十一歳なんだってことをちゃんと心に刻み込んだわ……本当に悪かったわね……」

「いえいえ、まぁ、何とか生きてますし」

 今度は本気で謝罪してきたサルヴィアに、サラは逆に困って、気にしないで下さいと両掌をひらひらと振ってみせた。そんなサラの動作を見てサルヴィアは多少表情を和ませる。

 遮光部屋で行われていたのは、半分試験のような実習だった。光の射さない、つまり目を頼ることの出来ない状況の中で、どれだけ対人対処できるか、それを試すのが目的だった。一回でも『攻撃』を受けてしまえばアウト、部屋の中にいた数人全員に一撃決められれば合格。相手役はサラに一撃入れられた場合気配を消して部屋の隅に留まる、というルール。サラは三人まで脱落させたところで、サルヴィアの熾烈しれつな攻撃を受け、数メートル先の壁に激突して気絶してしまったのである。

 授業は中断となりサラは保健管理棟に運び込まれた。意識不明だったサラの知るところではないが、保険医はサルヴィアを責める意味を込めたのかただ通常通りなのか、どう治療しているか言いながら回復術を施していった。発言内容には恐ろしいものもあり、サルヴィアは青くなりながら黙って聞いた。

 たった数時間後にこうして、のほほんと会話することができているのは、保険医の腕がよかったためでしかない。

 と言っても、危険度の高い実習を行うしかない分野など数多ある。養成所の保健管理棟にとって重傷・重症患者が運ばれてくるのは日常茶飯事であり、嫌でも腕が良くなるしかない。むしろ経験を積んだ職人たちほどあまり事故を起こさない。都合のいい実習場所と言ってしまえば恐ろしいが、医療ギルドが密接に関わっている機関でもある。

「サラ! だいじょ……」

 軽い足音とともに聞きなれた声が近づいてきて、部屋にいた二人は意識せず視線をそちらへ向けた。

「あっ、サルヴィア教授、こんにちは!」

 足音と声の主は、室内に教授の姿を認めると一瞬驚いたような顔をしてから元気よく挨拶をした。どうやら教授がいるとは思っていなかったらしい。

「こんにちは、アゼル=クローヴィア」

 にこにことサルヴィアが応えると、アゼルという少女もにっこりと笑った。そして少女はすすすっと病室内を進み、サラに、はい、と言ってシュークリームを渡す。

「お見舞い!」

「え、これ、学食でいつもすぐなくなっちゃう幻のやつじゃ……」

 サラが目を丸くしていると、アゼルはふふんと胸を張った。

「人生で一番頑張ったかも!」

「ちょ、ちょっと~……」

 自分のお見舞いに死力を尽くされるなど驚きしかない。

 胸を張るアゼルに手渡された魅惑のお菓子に、サラは目を輝かせる。

「あ、ありがとう……実はすごく嬉しい」

 サラは甘いものに目がない。なかなか手に入らない伝説のシュークリームは、いつか食べれたらいいのになあリストの中の一品だった。

 フフフ、とサルヴィアが笑う。

「仲が良くてよろしい」

「同い年で入学年も同じで寮の部屋も同じで志す道も同じですから」

 サラは嬉しそうに答えた。

 アゼルもウィンクで応えた。



 頻繁にサルヴィアに殺されそうになる訳にはいかないという危惧からか否か。

 サラはこれから一月半ほどで、消えた気配を追うばかりでなく、自身の気配を消すことができるようにもなった。

 最近訓練され始めたというわけではないにしろ、この早さは多くの人間を驚かせたという。

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