第40話 どうしてどうしてどうして
西側の一団は、小さな部屋に敵首魁が集まっているというのはあまり想像できなかったものの、用心するにこしたことはないため、一部屋一部屋──鍵がかかっていてもけ破った──しらみつぶしに調べていった。
一階には、おかしなところは何も無かった。
……というよりは、普通過ぎた。つまり、今の今まで人が生活していたようなあとのある部屋ばかり。
あの皇帝は、彼らを、自分たちが狩ったと言ったのだ。
アレンは知らず拳を握り締めていた。
なんとか、ならなかったのだろうか。
「クソッタレ」
同じことでも思ったのだろう。ギャリカがぼそりとつぶやいていた。
ほとんどの者が、彼はウィルたちの行く方へ行くと思っていた。
しかし彼は、こういうところは役割分担が一番だろうと言い、近衛兵士(望月衆)たちのリーダーが広間方向に行くなら違う方向へ、大臣達のリーダーも違う方向へ行くべきだと主張した。
どこが正解か分からないからである。
というわけでこちらにはギャリカがいる。
ヤトやアレンは、彼のことを少し頼もしく思うのだった。
「静かだな」
東側の階段を上がりながらアイリスがぽつりと言う。仮面が喋った、と少し注目を浴びる。
こちらにはなにもないのかもしれない。
だが階段を昇りきった時、先頭に居た者たちは一瞬何なのか分からず立ち止まってそれを見詰めた。進めない後ろの者たちが怪訝な顔をする。
「どうしたんだ」
そう聞かれても、前の方に居る者たちはどう答えていいのか分からない様子だった。
……三階へ到達するそのエリアの中心には、皇妃が居た。
たくさんの魔物を従えて。
それらが襲ってきたので応戦しながらも、混乱、混乱、混乱。
そして───その顔だけ皇妃なモノは───笑った。
あはははは、と、くはははは、と。
楽しそうに、愉しそうに……。
その狂ったような哄笑が聞えてきたため、後ろの方に居る者たちも、ただならぬ事態を察知する。
『人間なんて、人間なんて』
それは言う。
『争い合え、闘い逢え、滅び合え、醜い、見難い、看難い、憎しみ和え、にくしみあえ』
そしてまたあははははと笑いながら、奥の謁見の間の方へススススーっと滑っていった。
扉が勝手に開いて、勝手に閉まる。
その奥に消えていったモノがいったい何なのかを考えることができず──考えたくなくて、戦えるものたちはただがむしゃらに魔物を斬り捨てる。
非戦闘員たちはただ呆然とそれを見ていた。
そんな中───。
「……満たすは要、要は機関、機関は制御、その放射は力!」
サラは即興で詠唱し剣先に集中した水分の塊を高圧放射する。きちんと人間には当たらないように注意して。
放射された直線上に居たおびただしい数の魔物が灰になり、虹色の
呪文詠唱というものは各個人特有のもので、自ら構築した思念の式である。サラは今まで魔法というものの扱い方は嫌というほど座学してきたものの、突然使えるようになった強大な力にまだ慣れきってはいないようだった。先日シールに誇示したように、詠唱なしで魔法を使うこともできるようだったが、そういった形態ではまだ殺傷力が足りない。そのため必然、複雑なものや高威力のものは制御するのに長い詠唱を必要とするのだろう。
その多少長めな詠唱の結果編み出された強魔法は、威力の割りにまったく魔力の消耗を感じない。どこまで底なしなのだろうか、少女に与えられた、過大な精霊の加護は……。
今後自分なりの呪文構成をまとめないとな、と思いながら剣を鋭く振るう。
サラは恐らく周りよりかなり冷静だった。
人間が『あんな風に』なるというのに驚きはしたが、サラは皇帝や皇妃がどんな人間だったかを知らない。そのため最初からあれらを敵としか見ていない。悲嘆にくれる人々の気持ちなど、哀れに思いはすれど、他人事でしかなかった。
「……ウソだ、嘘だ、うそだ、うそだ……!」
誰からともなく民衆がぶつぶつとつぶやき始める。立ちすくみ震えて、恐慌状態に陥っている者もいる。
ある程度広い階段だが、ひとまとまりになっていると集中攻撃される可能性を考えて、シリウスは民衆に呼び掛けた。
いざとなれば、月の力の浸食で落ち着かせる。
「あんなモノ、偽者かもしれません! 皆さん落ち着」
シリウスのその言葉は、途中で途切れた。
少年のみぞおちの辺りから、なにかが勢いよく生えた。彼の口からは赤いものが溢れる。
「本物なんだよ」
わけの分からない皇妃、駆ける青色、ざわめく民衆、口をきいた銀髪の仮面、そして───その銀髪の少年の後ろには、大臣の一人──ビヅー卿、のようなものが居た。
ビヅー卿はシリウスのみぞおちから生えているものを、一気に横に薙ぎ払った。
とんでもない量の赤が飛び散る。
もう、訳が分からないどころでは済まされなかった。
「うわあああああああ!」
誰かが叫んで尻餅をついた。
目を覆って悲鳴を上げる者、顔を背ける者、ぽかんとそれを眺めている者。
場は完全に混迷を極めている。
「……いやああああああああああああああああ!!!!!!」
瞠目していたセリシアが血相を変えて、うつ伏せに倒れた彼に駆け寄る。
ビヅー卿は怯えた目で見つめてくる人々の様子をにやにやと眺めながら、民衆も魔物の群れもものともせずに、階段を軽やかに上って行く。
その右手は人の造形をしていなかった。先のとがった硬質な何かで……赤く、濡れている。
サラはシリウスをよく知らない。
いつも皮肉や余計な一言を挟んでくる、へそ曲がりだなあ、なんて思っていた。
そして。
彼は──アイリスの弟だ。
突然強引にこの国へ連れてこられたとはいえ──道中ずっと気遣って接してくれたあの、アイリスの、弟なのだ。
そしてそのアイリスは──目を見開いて倒れた彼を見つめ──やがてかくんと膝をついた。
「……ッ!」
ラズが無防備になってしまった彼女のカバーに入る。思わず名を呼びそうになってこらえた。
何事か叱咤しようとしたが言葉が見つからず、舌打ちして襲い来る魔物にただ魔法の矢を浴びせかける。
「シィ……シリウ……ス……お兄ちゃん……」
倒れて真っ赤な液体の中に沈んでいる兄に、真っ青なセリシアが弱弱しく呼びかける。自分の手足が赤く染まることには構いもせず、兄の胴体にそっと手を当てる。
ごはっ、と彼は真っ赤な塊を吐き出した。無意識に肺を膨らませようとするが、できない。裂かれたのだから、仕方がない。
まだ意識があることにすら彼は謎を憶える。ぼやけた視界には、黒髪と金の目と仮面。
ああ、と彼は妹の頬に手を伸ばした。
『何をしているんですか。あなたまで、引きずられますよ』
それは月の力を使った、思念の声。セリシアにだけ伝えるので精一杯だ。実声は、もう出せない。
金色の光に包まれた二人。サラはただ彼らを魔物から守ることしかできない。
『致命傷は治せない。これは絶対の理です』
セリシアは答えない。
ただただ全力で回復する。
そうやってたとえ強引に傷を治せても、魂の拡散は止められないと──サラは座学で知っている。
いや、そんなこと、誰でも──知っている。
事実シリウスの体から、虹色の
「あはははは、月の力、か。お前が解き方に辿り着かなくて良かった」
ビヅー卿が笑う。
「卿、何を言って……」
クラフナー卿が呆然と問いかける。
一つの棘となった腕──シリウスの血が生々しく纏わり付いている──を、れろ、と舐めながらビヅー卿は答えた。──答えになどなっていなかったが。
「あはははは、あはははははは! 楽しいよ、我々の思ったとおりだ。順調すぎて笑えて仕方がない」
「──貴様は、誰だ」
クラフナー卿はビヅー卿を睨んだ。長年のよしみである。奇っ怪な腕を除いても、ビズー卿が彼本来の人格とは違うと、クラフナー卿は判断した。
「私は魔族。月の石から生まれた者」
そう言ってビヅー卿だったモノ──魔族は、ス、と細長い木箱を取り出し一礼する。
──それは、暗殺命令が出て郊外に逃げてもらう時、ただ一つ手に持たせてくれと言ってきたあの重い箱だった。
魔族が蓋を開けると、中央に紫色をした大粒の宝石が固定されているのが見えた。
「魔導士たちの黙示録、第十三巻四条」
ミリリィ、っと口が耳元まで裂ける。
「最も死に物狂いで、最も変わり者で、最も───死が好きな者さ!」
両腕を広げてそれはあーっはっはっは、と笑う。耳障りだった。
さしものクラフナー卿も動揺を隠せない。
「魔族……?!」
≪
「貴様、ビヅー卿をどこへやった!」
クラフナー卿がやっとのことで叫ぶ。
「どこへ?」
魔族は不思議そうに首を傾げ──本当に直角以上にぐるりと回ってしまった──困ったような顔をした。耳まで裂けた口だけが三日月のように笑っている。
「私は私だが?」
魔族は当たり前のことを何故聞くのかとでもいう様子だった。
「ただ少し前に行商から買ったこの石のおかげで、私はたくさんの知識を得ることができたんだよ、素晴らしいと思わないか、なぁ、ユアン?」
「……」
魔族に名を呼ばれてクラフナー卿は押し黙った。
「そんな素晴らしい知識を、国王様に差し上げないわけがないだろう」
ぐるんと首を元に戻して魔族は言った。
「……貴様……!」
何となく、皆が察した。国王の豹変はその『月の石』とやらのせいだろうと。ビヅー卿が元から魔族なのか、石のせいなのかは、判らない。
「ふふふ、もう分かっているだろうがお前らがコソコソしていたことは全部陛下に筒抜けだ。異形だらけのお出迎えはお気に召したかな?」
あくまでおどけた様子の魔族に、民衆は胸中をざわつかせた。
「さて、皇妃様は奥におわす。倒したければ参れ。あはははははは!」
ビヅー卿はぽーんぽーんと、ありえないほど軽快なステップ二、三歩だけで謁見の間の扉まで行き、それを押し開けた。
開け放たれたそこから、さらに魔物がなだれてくる。
『……やめなさい、セリシア』
兄の声が聞こえる。
「やだ……! 嫌だよ、お兄ちゃん……やだ……」
彼は笑った。流れる赤は止まらない。
『お兄ちゃんなんて、いつ以来ですか』
そんな兄妹をよそに、民衆は肩を落としていた。
「倒し、たければ……」
皆口々に絶望を吐き出す。
『……解ったことがあります』
金色の光はだんだんとその強さを増していく。
「セリさん……! それ以上は……!」
死者蘇生などできない。無理にやろうとすれば、術者の命さえ危なくなる。
『貫かれた腕から伝わってきた
「喋らないで、お兄ちゃん、喋らないで……」
『もとには戻りません。そして『月の石』は伝染するものなのですね……だけど、魔族になったことで、陛下の紫の力は、変質したんです』
だから、と、止められるのも聞かず、シリウスは続ける。
『だから、人々にはもう皇帝の魅了なんて、かかっていないんですよ。あるのは十三巻がもともと持っていたたぶらかしの力だけだ』
変質した皇妃の
『そして、彼らの中には……もとの人格が魔族化した者と、魔族に摂り込まれた者がいるようです』
「しーぃいいいるううううう、何とかしてよおおおおお!」
セリシアが絶叫する。魔物を次々に塵に変えていたシールは、目を背けた。ただサラには「くッ」と言ったのが聞こえた気がした。
この場にいる誰よりも魔法のことを知っていて、だからこそのセリシアの叫びと、だからこそのどうにもできないシール。
ぼやけていく意識の中、シリウスは流れ込んできた知識を眺める。
ああ、世界とはこういうものだったのですか。
どうして、エルフはそれを隠そうとするのでしょうね。
『紫は死。月は狂宴。……この国の王は、月陰の王』
ぼんやりと彼は呟く。
『だからこそのグレン婆と≪望月衆≫……傾かないよう、厳重に……』
それはもうただのうわごとだった。
「うわぁぁぁあ、ううう、うあぁああ」
何も言葉になどならず、セリシアは声を上げて泣くだけ。ただただ、回復、回復、回復。
『やめなさいと、言っているでしょう?』
セリシアにだけ聞える声に覇気が戻る。そして、笑っているようだった。
『まったく、いつも言うことを聞かないんですから、セリシア』
そう言って、兄は──兄は。
ざぁぁああ・・・
だんだんと、だんだんと、銀色の塵になっていく。
「やめて! 何してるの、やめて、やめてええええ!!!!」
致命傷を負った兄をがくがくと揺さぶる。何をしてくれるんですか、とシリウスは、笑って。
──消えた。
カラン、と仮面が乾いた音を立てて床に転がる。薄青のピアスが、割れて不透明に濁った。
赤黒く濡れた制服だけが腕の中に残り、セリシアは呆然とした。
「お兄……ちゃん……?」
アイリスが爆発するように走り出した。
瞳の赤が尾を引く。魔力で輝くほどに──怒りを超えた何かに動かされて。
「アイ……! ……ぐっ」
やはり語りかける言葉が見当たらない。
ラズはただ呻いて彼女を追った。
サラは動かないセリシアの周りに物理結界を張る。
いくら誰が速かろうとこの大量の魔物から完全に守ることのできる自信がなかった。
シールがサラとセリシアの援護に加わる。
ロノとコロン──六班の他の二人──は、恐ろしい形相で周りの魔物を屠って行く。
『組織に属してから命を捧げる覚悟はできている』
ロノはウィルにそう言った。
けれど──『仲間』が失われるのは、初めてだった。
胸中は嵐のようにざわめき、涙すら、流す余裕が無い。
コロンは迷った。
果たして自分に、『残されるもの』に対する覚悟はできているのだろうかと。
ロノは、どうなのだろうか。
混乱する子供たちの傍ら──大人たちは冷静に動いた。
魔物の群れをすり抜け、アイリスを追う。
「皆さんは下がって、こちらに来ないで下さい」
非戦闘員達に叫ぶ。
『こちら第二班。──シリウス=アイルハウンドの死亡を確認』
二班の班長、ミンファは、淡々と≪ネットワーク≫で報告した。
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