番外編 カフカの日常。
ウズメ様にお仕えして、随分と長い月日が流れました。数字にしてみれば、何百というものになるでしょう。そんな私とウズメ様にも、一番最初の出会いというものがある訳でして。
サラス様が元気に下界へ、ウズメ様も別の神様の元へ出かけて行き珍しく1柱になった今日の昼間、少しその事をお話ししてみようかと思います。
時は、数百年前。その日は私の仕事始めの日でした。
「カフカ、お前も大きくなったことだし、今日から仕事をしてみるか?」
「いいのですか!?やってみたいです!」
大きくなったとはいえ、思考はまだ子供。自分の家系がどんな仕事をしているのかも知らず、ただ私もとうとう『仕事』に関わる事が出来るようになったのだとワクワクしていました。
「それじゃあ、下界へ行ってこの人間に会って来なさい」
手渡される書類に写っていたのは、見知らぬおじいさんでした。
「会ってどうするんですか?」
「下界へ行ってみれば分かるさ。口で説明するよりもそれが早い」
よく事情も分からないまま、その人間の元へ行きました。
着いた場所は、とある老人ホーム。私は苦しそうな呼吸でベッドに横たわるそのおじいさんを見て、今から何をすればいいのかを本能的に知りました。
「この人間の命を、奪えばいいのだ」と。
私の生まれた家系は、代々続く由緒正しき死神の家系でした。死神の仕事は言わずともお分かり頂けると思いますが、人間の命を奪うものです。
とはいえ人間の命を奪うなど、そんな恐ろしい事は……と私が躊躇っていると、そのおじいさんがか細い声を洩らしました。
「……死神さんか……?」
目を見開いておじいさんを見ると、そのおじいさんはただ目を閉じて横になっていました。寝言かと思っていると。
「近くにいるんじゃろう?わしには、分かるんじゃ」
「……」
「早く、わしのこの命を貰って行っておくれ。……もう、苦しいんじゃ」
私は辺りを見回しました。周りには、家族や職員の姿はありませんでした。
「わしの事は、誰ももう気にしてくれん。わしに待っておるものは、『死』だけじゃ」
「……」
「早く、天国に連れて行ってはくれんかのぉ」
その一言がきっかけでした。私は震える手でおじいさんの心臓辺りに手をかざしました。途端に、おじいさんの近くにあった何かの機械が鳴り出しました。
「ハセガワさん!?ハセガワさん大丈夫ですか!?」
その機械が鳴り出した直後、男性の職員が駆け込んできました。
「すぐ、ご家族をお呼びしますね!」
ベッドから離れて行こうとした若々しい腕を、おじいさんが掴みました。
「……いい……」
「何を言っているんですか!看取ってもらわないとダメですよ!」
「……もう、迷惑は、かけたくない……」
途切れ途切れの声でそう言った後、おじいさんの腕から力が抜けました。私が『命』を取り出したからです。来る時に父に持たされた白い袋にそれを入れて、握りしめました。うるさかった機械が、ピーっという音を奏でました。
「ハセガワさん!?ハセガワさん!」
おじいさんはその目を、二度と開けませんでした。
「おかえり、カフカ」
「……」
私は黙って袋を差し出し、自室に帰ろうとしました。
「お疲れ様」
「……お父様は、こんな仕事をもう何年と続けていたのですか?」
「ああ。この家系に生まれた、運命だ。お前もこの家に生まれたならば、受け入れなければならない」
それから、私の仕事は始まりました。人間の命を奪う事に何の躊躇いもない父や母を見ながら、私は心のどこかで罪悪感を感じていました。仕事だと分かってはいても、どうしても気が進まないのです。
「カフカ、仕事だ」
「……次は誰ですか?」
そこには複数人写っていて、1人は30代くらいの男性、1人はおばあさん、もう1人はまだ若い高校生くらいの女の子でした。髪を短く切っていて、とても利発そうな女の子です。
「この人達はどんな人達なんですか」
「……行ってみれば、分かるさ」
「え?」
その人達がいる場所を教えられ、私は重い足を引きずってそこに向かいました。そこは病院でも何でもなく、普通の交差点でした。
「どうしてこんな場所に……」
状況が上手く掴めずキョロキョロと辺りを見回していると、私の背後で轟音が響き渡りました。轟音と共に、高く上がる悲鳴。そこで見た光景を私はきっと忘れないでしょう。
車の衝突事故が起こったのだと気付くのに時間がかかりました。ぶつかった車の一台がスピードを止められないように飛んでいきました。
向かった先に、女の子が。
気付けば私は、袋に3つの命を入れていました。一つは、片方の車を運転していた男性のもの。一つは、もう片方の車を運転していたおばあさん。……一つは、その衝突事故に巻き込まれた女の子。
「……」
自分の目の前で起こった、命が消える瞬間に私は涙が出そうでした。それでもこの命をお父様に届けなければならないと、ぎゅっと白い袋を握りしめた時。
「……どこに持って行くの?」
「え……」
振り向くと、死んだはずの女の子でした。
「それ、あたしのでしょう?お願い、返して。あたしまだ、死ねないの」
「やめて……」
「ねぇどうして!?どうしてあたしが死ぬの!?返して、返してよ!」
女の子は泣き叫びました。
「あたしまだ、死にたくない……」
「やめて、お願いやめて!」
耳を塞ぎました。私の仕事って一体何なんだろう、と袋を投げ捨てようとしました。でもそれは叶いませんでした。
「カフカ」
痛いほど握りしめた手をそっと掴まれました。
「お父様……」
「すまない、こんな仕事をさせて。怖かっただろう」
袋を手から奪われて、私は地面にへたり込みました。
幻覚だったのでしょうか。女の子の姿はどこにも見当たりませんでした。
「帰ろう、カフカ。帰ろう」
そう言った父の目を見て、私はハッとしました。
全てを諦めたような目でした。「自分にはもう何もできないのだ」と分かっている目でした。
「お父様……」
「うん?」
「私、もう帰りたい……」
子供の頃のように、父に手を引かれて帰りました。
それからしばらくは私に仕事は回ってきませんでした。前のように本を読んだり、ぼうっと外を眺めたりして過ごしていました。随分回復した頃に、父が部屋にやって来ました。
「カフカ、話がある」
「なんですか?」
「一つ、仕事を頼まれてくれないか」
「仕事、ですか……」
前の仕事の記憶が蘇りました。泣き叫んだあの女の子の記憶が。
「お前の今後を決める仕事だ。この仕事を通して、これからをお前自身が決めればいい」
「私が?」
差し出された書類には、赤ちゃんが写っていました。
「こんな、まだ子供……」
言いかけて口を噤みました。父の真っ直ぐな眼差しに、「出来ない」と言えませんでした。
向かった白い病院で、その日は一つの小さな命が消えていきました。
「ごめん、ごめんねノゾム……」
保育器に入っていた赤ちゃんは、最期だからとそこから出され、念願の母の腕に抱かれました。
「ほら、見てあなた。目元があなたにそっくり」
「本当だ。こんな小さい手で……」
まだ若い父と母の顔は涙でぐちゃぐちゃでした。手に持った袋が、ずしんと重く感じられました。
「ごめんなさい、ノゾム。健康な体に産んであげられなくて、ごめんね……」
母のひび割れた声が耳にこびりついて離れませんでした。
上界に戻る途中で、私はとうとう蹲りました。
「もう、もう嫌だ……」
涙が溢れて止まりません。
「こんな小さな子供の命まで、私には奪えない……」
きちんと分かっていました。人間の寿命は定められたもので、私達にはどうすることも出来ないのだと。ただ、無くなった命を回収しなければならない仕事なのだと。それを知っているからこそ、父もやるせない気持ちを抱えているのだと。
考え込んでいた私に、その方が話しかけてきたのです。
「それならば、私の所に来ませんか」
ハッとして見上げると、そこに立っていたのがウズメ様だったのです。
「え……」
「あなたがもう死神の仕事をしたくないのなら、私に仕えて下さい。神の仕事を捨てるという大罪を犯す覚悟があるのなら」
「……」
「それが出来ないなら、簡単に『出来ない』なんて言ってはいけません」
止める間もなく、ウズメ様は身を翻しました。そのままスタスタと歩き去って行きました。いつの間にか涙は止まり、気付けば私は父と向かい合って座っていました。
「お父様、私はもう……」
「辞めてもいいぞ」
「え?」
「死神の仕事を、やめてもいい」
暖かい笑顔が向けられていました。
「俺は嫌でも、この仕事に就くしか方法が無かった。だから今まで、吐きそうな思いをしてきた。そんな思いは、娘のお前にはさせたくない」
「お父様……」
「カフカ、後悔しない道を選べ。辛い道を生きるな」
「……お父様、私……」
数日後、私はウズメ様の前で頭を下げていました。
「あなたに仕えさせて下さい」
「……覚悟、してきたのですね」
「はい」
「やっぱり仕事に戻りたいと思っても、もう出来ませんよ」
「はい」
私は、死神の仕事から逃げる事を決めました。
父の願う娘になろう、それが親孝行になるのならと考えました。
「……ウズメ様」
「なんですか」
「父に頼まれたのではないですか?」
「なんの事でしょう」
「私を拾ってくれるよう父にお願いされていたから、あの時私に声をかけたのではないですか?」
「……いいえ」
ウズメ様が浮かべた笑顔は、父のそれと似ていました。
「ただの私の気まぐれですよ」
この神に、私の一生を捧げよう。
その笑顔に私はその時、そう誓いました。
その時から私の日々は、カラフルに彩られるようになりました。ただひたすらにウズメ様を支え、家の仕事をこなし……そして、大いなる可能性を秘めた幼き神に出会ったのです。
「ただいまー!」
おや、サラス様が帰ってきたようです。そろそろウズメ様も帰ってくる頃でしょう。
「カフカ、今日のご飯はなぁに?」
「あなたの好きな物をいくらでも作りましょう」
「本当!?」
拝啓 お父様。
カフカは今、とても幸せな日々を送っています。
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