睦月

その年は、グラスが奏でる賑やかな音から始まった。


「あけましておめでとうございまーす!!」

「おめでとう」

「おめでとうございます!」


元旦。サラス達は晴れて新しい一年の朝を迎えていた。


「ささ、こちらをどうぞ」

「それはなんですか?」


カフカが重そうに抱えてきたのは、重箱だった。


「そういえば、サラスは初めてですか。『おせち料理』」

「おせち?」

「まぁ、中を見て下さい!」


カフカが蓋を開けると、中には綺麗に料理が詰まっていた。


「うわぁ!」

「カフカ、今年も上手に出来ていますね」

「ふふ、ありがとうございます」

「毎年あなたのおせち料理を見て初めて、新年を迎えたという実感が湧きます」

「ありがたきお言葉です」

「これ、全部食べていいんですか!?」

「もちろん。でも、まだですよ」

「へ?」

「これを飲んでからにして下さい」


ウズメの言葉と同時にカフカが運んできたのは、小さな赤い杯に入った透明な液体だった。


「これは?」

「『御神酒』ですよ」

「おみき?」

「ええ。日本の祖父神であるイザナギ様が作られたお酒です。毎年、元旦の朝に私達神の所に届けられるのです。イザナギ様が作られたものですから、私達神の間では神聖なものとして崇められています」

「そうなんですか!」

「ええ。下界の人々の場合は家にある神棚などにお酒をお供えして、それを御神酒として飲むのが一般的のようですね」

「へぇ〜!」

「さ、サラスも飲んで下さい」

「あ、はい!それでは頂きます」


ゴクリと飲むと、サラスは一瞬顔をしかめた。

……あんまり、美味しくない。

だがそれを口に出す事は出来ないので、一気に杯を仰いだ。


「うわ……」


喉が焼けるような熱さに襲われ、顔や体もぶわっと熱をもつ。

ウズメを見ると、なぜかウズメは驚いた顔をしていた。


「な、なんですか?」

「よく全て飲めましたね」

「えっ?」

「お酒ですし、サラスは初めてですから飲めないかと……実際、最初は飲めない神が多いです」

「ええっ!それ、早く言って下さいよー!」


イザナギ様が作られたお酒なのだからと、必死に飲み込んだのに。

サラスは少し赤くなった喉を軽く撫でる。


「カフカ、サラスに水を」


ウズメが頼むと同時に水が目の前に出てきた。どうやら、カフカもサラスに水を飲ませようと思ったらしい。


「ふー……」


一気に水を飲むと、サラスは深く息を吐いた。

ウズメとカフカも御神酒を済ませると、「食べましょう」とウズメが声をかけた。やっと食べられる……!と、箸をのばした瞬間。


「あけおめ〜!」


明るい声が聞こえ、サラスはピタリと動きを止めた。


「シタテルヒメ様っ!」


見ると、シタテルヒメがニヤニヤと笑っていた。


「美味しそうなもの食べてんじゃん!アタシも欲しいな〜」

「そろそろ来るだろうと思ってた」

「でっしょ〜?ご期待に応えて、今年もやって来ましたシタテルヒメです!」


シタテルヒメがサラスの隣に腰を下ろすと、カフカが皿と箸を出す。


「カフカさん、久しぶりっ」

「お久しぶりです、シタテルヒメ様。お元気でしたか?」

「もちろん!今年も元気にいきますよ〜!」

「それはなによりです」


シタテルヒメが加わった事によって、場の雰囲気が一気に華やかなものになる。

「それでは」とウズメが声をかけた。


「いただきます」

「いただきまーす!」

「ん〜っ!美味しい!!」


パクパクと無心に食べていると、ウズメが笑いながら言った。


「サラス、あなたが何気なく食べているそのおせちにも意味があるのですよ」

「えっ?」

「料理一つ一つに、願いが込められているのです」


ウズメはサラスの前に黒豆を、シタテルヒメの前に数の子を置くと、丁寧に説明を始めた。


「例えば、黒豆には『元気に働けますように』という願いが。数の子には、『子宝と子孫繁栄』を祈る意味が込められています。あともう一つ、田作りには『五穀豊穣』の願いです。見て下さい、小さな魚なのに尾頭付でしょう?……この3品を合わせて、『祝い肴三種』と呼ぶんです」

「へぇ〜っ!」

「じゃあ、今度はアタシが教えてあげる。この紅白かまぼこはね、赤はめでたさと慶び、白は神聖さを表してんの。栗きんとんは豊かさと勝負運を願って。昆布巻は健康長寿を祈ってんの。昆布巻と似たやつで言うと、海老も長生きの象徴だね」

「そうなんですか!」


そこへ、カフカが煮物を運んできた。


「この煮物にも意味があるんですよ。里芋は、子宝を祈願して。レンコンには穴が開いているので『先を見通せるように』という意味が。くわいは出世を願ってます。こっちのごぼうには、細く長く幸せにっていう意味が込められているんですよ」

「全然知らなかった……おせち料理って、みんなの幸せを願ってる食べ物なんですね」

「そーだよー」


シタテルヒメは鼻歌交じりにそう言いながら料理をお腹に詰めていく。あっという間に重箱は空になり、サラスは丁寧に手を合わせた。


「美味しかったです!」

「サラス様、もう一つありますよ」

「へ?」

「これ、どうぞ」


サラスの前に置かれたのは、お吸い物に餅が入ったような料理だった。


「これは?」

「お雑煮という料理です。毎年は出さないんですが、下界ではこれも食べるのが一般的なようなので、作ってみました」

「あっ、美味しい!」


温かく優しい味が広がり、ふわっとした気分になる。


「下界では、地方や家によって味付けや調理法が違うようですよ」

「えっ!?そうなの!?」

「私も初めて知りました」


お雑煮の話はウズメもシタテルヒメも初めて聞いたようで、身を乗り出している。


「ええ。ウズメ様は様々な神社に祀られていますが、その中の例で言うと長崎県の場合は丸餅で、すまし汁なのが特徴らしいですよ。ですが、家によって違いますので型にはまらないのが一番大きな特徴ですね」

「そうなのですか」

「そして今日出したお雑煮は神在月に出雲へお邪魔した事もあるので、島根県のものを出してみました」


その言葉と共にもうほとんど食べてしまったお雑煮を見る。


「島根のお雑煮もお吸い物仕立てですが、欠かせないのが『十六島(うっぷるい)』という岩海苔です。下界では、これをたっぷりかけて食べるそうですよ」

「そうなんだ〜!全然知らなかった!」

「あ、そういえば……」


『出雲』といわれて触発される記憶があった。

あの鬼ごっこの時に出会った、見目麗しい男神。


「私、鬼ごっこの時にオオクニヌシ様にお会いしたんですよね」

「へー、どこで?」

「鬼ごっこに参加されてて、転んだ所を私が捕まえたんです。男神なのに、とっても綺麗な神様でした!さすが縁結びの神ですね!」


サラスがそう言うと、チラリとウズメがシタテルヒメに目をやった。

そんな事には目もくれず、シタテルヒメはお雑煮を食べている。


「シタテルヒメ様がどうかしたんですか?ウズメ様」

「いえ、何も」

「ふぅ、美味しかった!」


シタテルヒメはお椀を置いて手を合わせる。

その時に、首を傾げているのに気付いたシタテルヒメが吹き出した。


「なに、そんなに気になるの?」

「それは……まぁ……」

「オオクニヌシって、アタシの親父だよ」

「……え、」


サラスは目を見開いた。


「えええええええ!?」

「あーもう、煩いなぁ」


シタテルヒメは耳に指を入れると、心底煩そうに顔をしかめた。


「ご、ごめんなさい」

「いいよいいよ。そうだよ、オオクニヌシはアタシの親父。おとーさん」

「今日は初めて知る事が多すぎて……頭がパンクしそうです……」

「パンクしないで下さい。今日は元旦ですから、いつもより多くの願いが届きますよ」

「あ、そうだった」


言いながら、オオクニヌシの顔を改めて思い浮かべる。

確かに、とてつもなく顔の整った神様だとは思ったが……まさかシタテルヒメの父親だったとは。

シタテルヒメの顔をじっくり見ると、確かにどことなくオオクニヌシに似ている。メイクで隠されているとはいえ、肌は透き通るように綺麗だし、目鼻立ちもくっきりとしている。


「全然気付かなかったでしょ」

「はい」

「アタシも、一年に一回会うか会わないかだしね!」

「でも、娘がいるような年齢には見えませんでした……」

「そりゃそうだ、あんなプレイボーイ!うちの親父が何柱と結婚したと思ってるの?」

「何柱って……普通、一柱じゃないんですか?」

「ブブー!」


彼女は両手で大きくバツを作る。


「正解は、六柱でしたー」

「六柱!?」

「そ。行く先行く先で女に手を出しちゃうからさー。最終的に、迎えたお嫁さんの数は六柱。みんなと等しく愛し合った結果、出来た子供の総数は181柱」

「181!?」


数が規格外過ぎて、そろそろついていけなくなりそうだ。


「で、アタシもそんな大家族の一柱ってワケ。分かった?」

「は、ははは……」

「父親の血を継いだのか、アタシも安産だけじゃなくて縁結び関係でも崇められてるしね。その点は感謝してる」

「そうなんですか……」


あの時、きちんと挨拶をしておけば良かったと後悔する。


「ちなみに親父はアンタの事、前から知ってたよ」

「どういうことですか?」

「アタシと仲良いからって、アンタの事調べてたみたい」

「調べてた!?」

「調べるっていっても、他の神様から噂聞いたりするだけだけどね。性格悪いやつじゃないのかとか。まぁ、結果は良かったみたいだけど」


と、サラスにウインクしてみせる。


「すっごい遊んでるけど、一応子供の事は心配してるんだよね、あの人」

「いいお父さんですね」


穏やかな顔をしていたシタテルヒメにそう言うと、「何言ってんの!」と立ち上がった。


「だからって色んな女に手を出すのはダメ!女の敵って言われる!」

「相変わらずシタテルヒメは素直じゃないね」


ウズメが呆れた顔をして立ち上がった。


「さぁ、仕事しますよ。今日は忙しくなります」

「はい!」

「じゃあアタシも帰ろっかなー」

「結局、おせち料理を食べに来ただけだね」

「いいでしょ別にー。こういう機会でもないと、ウズメと会う事ってなかなか無いんだから。じゃあね!」


シタテルヒメはひらひらと手を振ると、帰って行った。


「ウズメ様、サラス様。今の時点で届いた願いを部屋に運んでおきました。頑張って下さいね」

「ありがとう。相変わらず仕事が早いですね」

「いいえ、とんでもない」


自らの仕事に向かうウズメの後を追い、サラスも仕事に向かった。


「……さすが、新年……」


いつも大量の数だが、それよりも更に多い。机だけでは足りず、下にも積んである。


「よし、やりますか!」


気合いを入れて頭にハチマキを巻くと、一番上の書類を手に取った。






「うーん……これは分からないなぁ……」


シタテルヒメは、大量の書類と向かい合って唸っていた。その内容は全て『志望校に合格したい』というもの。


「……部屋で唸ってても仕方ない!」


勢いよく立ち上がると、ドアに向かった。


「わぁっ!」


開けた瞬間、目の前に立っていた人物に驚く。


「サラス様、新しく届いた願い事です!」


手に持った書類は多すぎて、カフカの顔が見えない程だ。


「あ、ごめんカフカ!」

「なんですか?」

「ちょっと今から、下界に行ってくる!」

「はい!?」

「やっぱり、書類と睨み合っても仕方ないと思って。行ってくるね!」

「ちょ、ちょっとサラス様ー!」


サラスは元気に外へ駆けて行った。

そして、着いたのはいつもと様変わりしたウズメの社。


「なんか……多すぎない?」


ズラッと人が並び、先頭が見えない。


「うーん、心苦しいけど……ごめんなさい!」


言うと、サラスは人の間をすり抜けて一番前に歩いて行った。

そこには、無心に祈る2人の女性が立っていた。


『どうか、志望校に合格できますように……!』


そんな言葉がサラスの頭に届く。


「この子も、大学に合格したいんだね」


そのまま静かに見つめていると、やがて気が済んだのか2人は去って行った。次にやって来たのは若い2人の男女。

その2人が願った事も似たようなものだった。


「受験って、そんなに大変なものなのかぁ……」


下界の受験というシステムがよく分かっていないサラスはこてんと首をかしげる。


「サラス」


背後からかけられた声に驚いて振り向くと、そこには朝分かれたばかりのシタテルヒメが立っていた。


「なにしてんの?」

「私の所に、志望校に合格したいっていう願いが沢山届いていて……私、受験ってどういうものだかイマイチよく分かっていないので、そんなに大変なのかなぁって思って見に来たんです」

「そっか。忘れてたけど、アンタって産まれてからまだ一年も経ってないのか」


シタテルヒメが不思議そうにサラスを見る。


「成長早いねぇ。でも、神様の成長ってそんなもんか。……受験ってさ、ようはその人の人生がかかってんの」

「人生が?」

「そ。成功すれば輝かしい未来が待ってるけど、失敗すればもう一回やり直し」

「やり直せるんですか?」

「やり直せるよ。でも、そんな簡単な事じゃないの。やり直せる子もいれば、そうじゃない子もいる。みんながみんな同じ条件じゃないんだよ」

「そうなんですか……」

「……もしかしてとは思うけど、全員を合格させようとか思ってる?」

「いいえ、まさか」


サラスはふるふると頭を振った。


「受験って、神様が叶えるものじゃありませんから」

「どうしてそう思うの?」

「必死に努力して合格する人がいるのに、神様が力を貸す事によってそこまで努力してない人が合格するのは間違ってます。人生を変える場面で、神様が力を貸すのはおかしいです」

「ふーん……」

「だからって、見捨てている訳ではないですよ。応援はします。ただ、合格には力を貸さないだけです。信じられるのは自分の力だけ。神頼みはいけません」


そう言うと、シタテルヒメはあはははっと笑ってサラスの頭に手を乗せた。


「アンタならそう答えると思った!」

「そうですか?」


シタテルヒメの手の感触に目を細めてから、サラスは参拝客に背を向けた。


「帰りましょう、シタテルヒメ様」

「そうだね」

「……そういえばシタテルヒメ様、仕事は?」

「えー?全部片付けて来たよー」

「え!?全部ですか!?」

「当たり前じゃん!アタシの仕事の早さ、ナメんなよ」

「舐めてません」

「で、暇になったからさ」


シタテルヒメが顔の横に瓶を持ち上げてみせた。


「みんなで飲もうよ!」

「……多分、うちに来ても飲めるのはシタテルヒメ様だけですよ」

「えー!」

「だって忙しいですもん」

「じゃあアタシも手伝うからさー」

「シタテルヒメ様は管轄外ですよ」


そんな会話をしながら歩いていく2人の間には、日本酒の茶色い瓶が揺れていた。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る