長月
「ウズメ様」
「なんですか?」
「ここ最近、芸能の事以外の願い事が多い気がするのは私だけでしょうか?」
長月のある日。サラスは書類の山と向かい合いながらウズメにそう聞いた。
「いいえ、気のせいではありませんよ」
そう答えたのはカフカだ。サラスとウズメの前にお茶を置いて、自分もお菓子に手を伸ばす。
「きっとサラス様が、芸能の事以外でも願いを叶えるようになったからですよ。下界では評判になっているようですよ。ウズメ様の神社は、どんな願いでも叶うらしいと。……そういえば、さっきまた新しい願い事が届いていたような」
言って、カフカは駆けていく。ちらりとウズメを見ると、ウズメは困ったように笑った。
「確かに、評判にはなっているようですね。参拝客も増えていますし……でもその分、芸能の願いも増えているので構いませんが」
「ご迷惑おかけして、すみません……」
「いいんですよ、あなたは自分の思うように願いを叶えなさい」
ウズメがそう言い終わった時に、カフカがまた書類の山を抱えてやってきた。
「新しい願い事です。こちら半分は、サラス様のものですね」
手渡された量に唖然とする。いや、仕事をするのは好きなのだが、さすがにこの量は……。
「さぁ、今日も頑張りましょう」
ウズメは早くも仕事に手をつけると、テキパキと片付けている。サラスも重い書類を書斎に運ぶと、1つ1つ目を通していった。1つの願いを見ると、また別の願いを。そしてまた別の……という作業を繰り返していると、サラスの手が止まった。
「この願い……」
内容はただ、趣味の琴がもっと上手くなりたい、というそれだけだ。だが、サラスが手を止めたのには別に理由があった。
「この願い、力がある」
他の願い事とは違い、その願いには不思議な力があった。はっきりとは言えないが、サラスの目を惹く力が。触れた瞬間に、儚さを思わせる力が。
「……少し様子を見てみようか」
サラスは立ち上がり、下界へ出かけた。
ウズメに調べてもらわなくても、サラスはこの願いを書いた人間の元へ行く事が出来た。それは、この願いに込められた思いがサラスを導くかのようだった。
そしてふいに、サラスの耳を柔らかな音色が撫でた。
「なんだろう、この音色……」
その音色が聞こえてきた方を見ると、大きな家があった。覗き込むと、家の窓は大きく開け放たれていて、中では1人の老女が琴を弾いていた。その音色に息を吐くと、その音が唐突に止んだ。
「……あなたは誰かしら?」
「!」
「そこの綺麗なお姉さん。そんな所で見ていないで、一緒に琴を楽しみましょう」
サラスはびくりとした。老女は手を止めて、確かにサラスの方を見ている。
「わ、私?」
「そう。あなた以外に誰がいるの?丁度良かったわ。誰かと一緒に琴を楽しみたかったの」
ふふっと笑うその人は、なぜかサラスの事が見えているらしい。
「私が、見えるんですか?」
「当たり前じゃない!さ、中へお入り」
促されるまま、中へと入った。
「私の名前はシズエ。あなたは?」
「私は、サラスです」
老女はニコニコとしながら、お茶を出してくれる。その笑顔を見ながら、1つの疑問が浮かんだ。
「あの……おいくつですか?」
「私?私はね、今年で90歳になるの」
「えっ!?本当ですか!?」
「そうよ。見えないでしょう?」
照れたように笑うその顔や、立ち居振る舞いは、本当に90歳には見えない。
「若さを保つ秘訣はね、多分これよ」
トントンと、手元の琴を軽く叩く。
「60歳になってから始めたのよ。とっても楽しいの!あなたもどう?」
「いえ、私は……」
シズエにはサラスの姿が見えているようだが、きっと姿が見えても下界の物は触れないだろう。そう思って拒否するが、
「そんなに遠慮しなくたっていいのよ!さ、一緒にやってみましょう」
サラスの心配をよそに、シズエはサラスの手をとって、琴に乗せた。
「さ、触れてる!?」
「何を驚いているの?さぁ、私が教えてあげるから、ゆっくりやってみましょうね」
サラスが来た事というよりも、誰か人が自分の所を訪ねてきてくれた事がよほど嬉しかったのか、シズエは熱心に琴を教えた。サラスもいつしか夢中になって琴を弾いていた。
そして気付いた時には、窓から夕日が差し込んでいた。
「あら、もうこんな時間!サラスちゃん、まだ時間大丈夫かしら?」
「はい、もう少し遅くても大丈夫です」
「なら良かった。でも今日はずっと琴を弾いていたものね。休憩しましょう。お茶を淹れなおしてくるわ」
シズエはすっと立ち上がって、奥へと入っていった。残されたサラスは琴に優しく触れた後、シズエを手伝おうと立ち上がり、そして……あるものを見てしまった。
「これは……」
仏壇だった。白黒で、まだ若い男性の遺影が置いてある。
「彼の名前はね、ユキトシ」
背後からかけられた声に振り向くと、シズエはお茶を置いて、遺影をじっと見つめていた。
「私の婚約者なの」
「婚約者……」
悪い事を聞いてしまった、と俯くとシズエはサラスの頭を撫でた。
「ユキトシさんはね、『神風特攻隊』という世界に生きた人だったのよ」
「神風特攻隊?」
「そう。飛行機ごと敵に体当たりするのよ。人間は乗り込んだまま。どれだけ苦しかったのか、怖かったのか……今となってはもう分からないけれど」
シズエは仏壇の前に座ると、手を合わせた。
「人間が乗り込んだままなんて、そんな……だって、命を失う事が一番怖いのに。家族だって、いたはずなのに」
「私もユキトシさんがいなくなってからは、全てを憎みながら、恨みながら生きていたの。ユキトシさんを返してって、どれだけ泣いたことか」
「私はそんなの許せないです。そんな事しなくたって、もっと他に方法はいっぱいあったはずで……!」
サラスが泣きそうになりながら訴えると、シズエは仏壇の引き出しを開けて、中から古い手紙を取り出した。
「それは?」
「ユキトシさんが遺した遺書よ。私が世界を憎んで生きていたのを見計らったかのように、届いたの」
シズエがそっと手渡してくれた遺書を、サラスは開いた。
『お父さん、お母さん。とうとうこの日がやって来ました。2人に育ててもらったにも関わらず、私は今まで何の御礼も出来なかった。だからこそ、敵の空母で大きな花を咲かせる事が、私に出来る唯一の恩返しだと思っています。だからどうか、笑顔で私を見送って下さい』
今から自分は死ぬのだという恐怖は感じさせず、ただ両親へ向けた感謝が滔々と述べられていた。そしてサラスはある文章を読むと、あぁと顔を覆った。
『だがただ一つ、我儘を叶えてもらえるとするならば、ある人にこれだけは言いたい。
この世に置いていく、私の大事な人であったシズエに。
あなたと仲の良かった男は、国の為に命を散らし、もうこの世にはいない。多少悲しくなる事があろうとも、それは一時の気の迷いであり、あなたの本心ではない。だから過去に囚われる事なく、全てを忘れ、あなたは新たな自分として生きてゆくのだ。
あなたには最初から、婚約者などいなかった。だからこれは、今から命を燃やすある男の独り言として聞いてもらいたい。
どうか幸福に。自分と気の合う男を見つけ、家庭を築き、その人生を全うするのだ。それが、あなたの生きる意味だ』
「彼の我儘、叶えてあげられなかったの」
シズエがぽつりと言った。
「忘れようとしたって、ユキトシさんの事は忘れられなかった。お見合いもしたのよ?でもね、お見合いの相手と話していても、ユキトシさんの顔がちらつくの。彼にプロポーズされた時はいつ死んだっていいと思うくらいに嬉しかったのに。婚約者なんていなかったって言われて、簡単に忘れられる訳がないでしょう?」
辛い事を話しているのに、シズエの顔は柔らかな微笑みから変わらない。
「私の気持ちは、永遠に変わらないわ。彼の分まで生きるの。この人生を全うするのよ。……最初こそ世界を憎んでいたけれど、彼の気持ちを知ってから、あんなに格好良く生きた人はいないって思うようになったの。誰に何と言われようとも変わらない。私の婚約者は、誰よりも格好良い人なのよ。あんな格好良い人に釣り合う為には、私もいい女でいなくちゃならないの」
だから琴にも全力を注ぐのよ、と琴を撫でるシズエを見て、サラスは笑った。
「あら、またお茶か冷めてしまったわ。ごめんなさいね」
「いいえそんな、お気遣いなく」
座ってお茶を啜ると、シズエは眩しそうに目を細めた。
「本当にごめんなさいね」
「何がですか?」
「あなた、私の願いを叶えに来てくれたのね」
びくり、とサラスは体を震わせた。
「琴がもっと上手くなりたい、なんていう願いだったけれど、本当は多分別の願いをしたかったのね」
「別の願い?」
「きっと話し相手が欲しかったのよ。今までずっと隠してきたけれど、ユキトシさんの事を誰かに話したかったの。だから、ごめんなさいね。こんなおばあちゃんのつまらない話を聞いてもらって。でも、とっても楽しかったわ!だから、またいつでも来てね。私の所に。……私の願い、叶えてくれてありがとう」
そう言うシズエは、まるで大切な恋人を想う少女のようだった。
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