葉月

「頼む……!どうか無事に、産まれてきてくれ……!」


葉月のとある日。下界のある病院では、一人の男性が必死に祈っていた。


「サラス、こちらへ来なさい」

「はいっ、なんでしょう?」


葉月に入るとサラスはもう既に、美しく凛とした女性に育っていた。


「今日から、私の仕事の半分をサラスに任せます」


手渡されたのは大量の書類。普通の人間だったら見ただけで卒倒してしまいそうな量だが、サラスはキラキラとした瞳で書類を見つめた。


「いいんですか!?やっと……やっとこの日が……!」

「それと、私の部屋の隣にある部屋をサラスの書斎としなさい」

「しょ、書斎まで!ありがとうございます!」


サラスは喜んで走っていく。その姿を眺めながら、カフカがウズメに声をかけた。


「サラス様はいくら神といえども、恐ろしいほどの成長スピードと、願いを叶えようとする強い思いを持っていらっしゃいますね。……サラス様を拾われてからまだ4ヶ月。この早さで仕事と書斎を与えたのは、将来を見込んでの事ですか?」

「……サラスはきっと、素晴らしい神になります。あの子には経験が必要でしょう。そう考えた上での行動ですよ」

「カフカー!手伝ってー!!」

「はいはい、只今!」


サラスに大声で呼ばれて飛んでいくカフカを微笑ましく思いながら、ウズメはふと寂しく感じる。

この子が正式な神となるのは、きっとそう遠くない未来だ。神となった時、果たして彼女はどんな決断を下すのか。

ウズメは窓の外を眺めて、ふっと息を吐いた。


「ふー……だいぶ綺麗になった!ありがとう、カフカ!」

「いいえ。また何かありましたら、お申し付けくださいね」


そう言い残して、カフカは部屋を出て行った。


「さて……仕事をしますか!」


少しカッコつけて、椅子に座り1枚の書類に目を通す。……が。


「すぐに下界へ行かなくては!」


サラスは立ち上がり、せっかく綺麗に整理整頓した書類の山を崩しながら、切羽詰まったように走り出した。その拍子にサラスが見ていた書類も机の上に舞い落ちた。そこには。


『病気の赤ちゃんを、無事に産ませてください』




数時間後、サラスはとある病院の前にいた。

この願いを届けてきた人が誰なのか、それはウズメに調べてもらってきたが……。


「赤ちゃん、いつ産まれるのかも分からないのに慌てて出てきちゃった……」


そう、なにも出産予定日が今日とは限らないのだ。もしかしたら明日かも知れないし、もしかしたら1週間後かも知れない。もしかしたら


「1ヶ月後かも知れない……」


前もってちゃんと産まれるようにすればいいのだが、今のサラスにはその事に考えが至っていないようだ。


「うーん、毎日ここで待つしかないかなぁ……」


ブツブツ言いながら、足をぶらぶらさせていると。

遠くからけたたましいサイレンの音が響いてきた。しかも、段々と近づいているようだ。


「なっ、何!?」


身構えていると、救急車が病院に入ってきた。外で待っていた医者達が慌ただしく動き出す。


「……えっ!?」


救急車から降ろされたのは、大きなお腹を抱えた妊婦だった。傍らでは、スーツ姿の男性が妊婦の手を握りしめている。

もしかして、という思いがサラスの胸に広がる。サラスは走り出した。

妊婦が手術室に運び込まれると、男性は力なくイスに座った。


「なんでこんなに早く……頼む、ミホ。どうか、どうか……」


そのまま男性は頭を抱え込んだ。人間からは姿の見えないサラスは、男性の隣に静かに座った。顔を上げると「手術中」の赤いランプが目に入った。


「……こればかりは、私にもどうにも出来ない。私は、病の神様じゃないから……」


俯いていると、ものの30分程で医者が出てきた。男性が立ち上がる。


「先生!ミホは、赤ちゃんは……」

「……その事ですが、大切なお話があります。病室を用意しましたので、奥様とそちらで話を」


大切な話、という言葉を聞いて男性の顔から血の気が引いていく。

病室に着いた時、妊婦はベッドに横たわっていた。その体からは無数のチューブが伸びている。


「ミホ!!」


男性が駆け寄ると、ミホは重そうに瞼を開けた。


「ソウヤさん……ごめんなさい、私……」

「何謝ってんだよ!大丈夫か!?苦しくないか!?」


ソウヤがあたふたとしていると、医者と看護師が入って来た。


「クニヅカさん」

「先生!ミホと赤ちゃんは大丈夫ですよね!?ちゃんと産まれてくれますよね!?」


医者は苦しそうな顔をして、そして言った。


「現時点では、なんとも言えません」

「そ、それはどういう……」

「こちらへ運び込まれた時点で、ミホさんには『前期破水』というものが起こっていました。前期破水というのは、陣痛が始まる前に破水が起こってしまう事を言います。ミホさんは現在、妊娠20週。このままでは、赤ちゃんは死産になってしまいます」

「助かる方法は!?無事に産まれてきてくれる方法はないんですか!?」

「……医学的な定義では、胎児が子宮外での生活能力を獲得し、早産しても生存可能なのは妊娠22週以降とされています」

「先生……」


ミホが苦しそうに聞く。


「もし、もし22週に入るまでに産まれてしまったら……?」

「……残念ながら、今現在で22週以前の生存は確認されていません」


静かな、重い空気が周りに漂う。


「……先生」


ミホが医者に手を伸ばした。


「赤ちゃんは……22週までもてば、助かりますか……?」

「赤ちゃんは在胎週数--つまり、お母さんのお腹の中にいる時間が長い程、生存確率が高くなっていきます。22〜23週だと、30%。そして、体重500グラム未満の胎児は生存率50%と言われています。ですが未熟児として産まれてしまった赤ちゃんには、障がいが残る可能性が高いです」

「……」

「産む、と決断される場合は、ミホさんにはベッドの上で安静にしていてもらいます。トイレや、食事……その全てをベッドの上で済ませてもらい、動く事は許されません」

「……」

「ここから先はお二人で決断してください。赤ちゃんを産むのか、それとも」

「私、産みます」


弱々しい声で、ミホが迷いなく答えた。


「ミホ……」

「先生私、産みたいです。ベッドの上から動けなくても、未熟児で産まれたとしても」

「……」

「たとえその子が、障がいを抱えて産まれてきたとしても」

「だけど、ミホ。お前……」

「ソウヤさん、ごめんなさい。それでも私……どうしても産んであげたいの。もし障がいを抱えてしまったら、その子の人生が苦しくなって、私たちも大変かもしれないけど、それでも産みたいの」

「……」

「だって私、たった一人のお母さんだから。理由なんて、それだけで十分よ」


揺るぎのない、真っ直ぐな瞳だった。


「……分かった。先生、お願いします」


ソウヤが深々と頭を下げると、先生は頷いた。


「私達も全力でサポートします。……目標は、最低でも妊娠24週です。24週までいけば、赤ちゃんは80%の確率で助かります。あと、4週です」


医者が出て行くと同時に、サラスも病室を出た。そのまま、とぼとぼと上界を目指す。


「……ラス」

「……」

「サラス?」

「……え?」


ハッと顔をあげると、心配そうな顔をしたウズメと目があった。


「どうかしたのですか?帰ってからずっと、暗い顔をしていますよ」

「ウズメ様……」

「また、下界で何かあったのですか?」

「あの、ウズメ様……子供を産むって、どんな感じなんでしょう」

「……さぁ、どうなのでしょうね。私達神の世界には八百万の神々がいます。もちろん、神を産んだ神も存在しますよ」

「八百万の神々……」

「ええ。その神の種類は多岐に渡ります。私のように芸能の神もいれば、山や海の神、台所の神まで様々です」


サラスの頭に、閃くものがあった。


「ウズメ様!」

「はい、なんですか?」

「安産の神はいらっしゃいますか!?」

「ええ。いますよ」


ウズメは遠くを見つめた。


「シタテルヒメという、私の昔からの悪友が」

「あ、悪友ですか?」

「そう。私とシタテルヒメは幼い頃からの親友なのですよ。……シタテルヒメに頼りますか?」

「きっと今の状況では、シタテルヒメ様にしか頼れないと思うのです。お願いします」


ウズメに頭を下げたその数時間後、サラスはある家の前に立っていた。

……今回は周りに侍女もいないようだし、大丈夫そうだ。

サラスは玄関まで行き、戸を叩いた。


「あの、すみません!」


何度か戸を叩いてみるが、出てくる気配が全くない。


「あの!すみません!!」


そう叫び続け、もう何度目か分からなくなった頃。「……はぁい」と小さな声がして、戸が開いた。

中から出てきたのは、髪をクルクルに巻いて、バッチリ化粧をした女性だった。


「あの、私はサラスという者ですが……」

「サラス?」


女性は「サラス」という名前に疑問符を浮かべ、考え込んだ。そして数秒後。


「あ!思い出した!ウズメのとこの子供でしょ?」

「うーん……まぁ、はい」


正確に言えば子供ではないのだが……と思いながら返事をする。


「まぁとりあえず、中入んなよ!他の神様だったら絶対お断りだけど、ウズメの子だから入れたげる!」


どうやら、この神様はウズメを心底信頼しているらしい。

中に入ると、そこには。


「わぁ……なんだかすごく、個性的なお部屋ですね……」

「でしょ!?アタシのセンス、分かってくれる!?」

「ま、まぁ……あはは……」


中は、ぐちゃぐちゃだった。


「さ、座って座って!今お茶出すから」

「あ、いえそんな!大丈夫です!」

「いーから、遠慮しないでよ」


キッチンもぐちゃぐちゃだが、大丈夫だろうか……

ソワソワしていると、紅茶を出された。


「アタシこの紅茶、大好きなんだよね!前に願い叶えてあげた子が供えてくれたんだけど……それがさ、超美味いの!もうアタシの好みにどストライク!みたいな?」

「そ、そうなんですか」


恐る恐る口をつけてみると、甘い味と香りが口いっぱいに広がった。


「……美味しい……」

「でしょ!?初めて飲んだ時、あの子の願い叶えてあげて良かったー!って心底思った」


外見はギャルだけど、中身は飾り気のないサバサバとした性格で、サラスは好感を持った。


「で?」

「はい?」

「何の用事で来たの?」

「あ、そうだった」


まったりし過ぎて、当初の目的を忘れていた。


「あの、実はですね……お願いがありまして」

「なぁに?安産の願いだったら、叶えられないよ」

「え!?」


内容を話す前に、向こうから断られてしまった。


「んー……ちょっと色々あってさ。最近は安産の願いが来ても、あんま叶えてないんだよね」

「そんな……」

「あ、やっぱ安産の頼み事だったんだ。ごめんね?最近はちょっと無理なんだ」

「でも、どうしても叶えたい願いが私の所に届いて……その為には、シタテルヒメ様のお力が必要なんです」

「ごめん、無理だよ」

「どうしてもダメですか?」

「うん」

「本当に、どうしても?」

「うん。ごめん」


シタテルヒメはさっきまでの明るい様子が嘘のように、ただ「ごめん」と繰り返すだけだった。


「無理な理由は、聞けないんですか」

「それも出来ない。……そんな恥晒し、他の神の前で出来ないよ」

「恥晒し……?」

「これで、アタシじゃダメな事が分かったでしょ?さ、今日はもう帰って。またいつでも来てね?お茶するだけなら大歓迎だから」


そう言われて、サラスは半ば強引に家を追い出された。とぼとぼと、家に戻る。


「ウズメ様……」

「シタテルヒメの所へは行ってきたのですか?」

「はい。でも……」

「でも?」

「シタテルヒメ様、安産の願いは叶えられないって仰って」


そう言うと、ウズメは悲しそうに目を伏せた。


「やっぱり、そうなのですか……」

「シタテルヒメ様には、一体何があったのですか?安産の願いを叶えるのがシタテルヒメ様の仕事なのに。仕事をしないなんて……」

「サラス。神になれば、様々な場面に立ち会います。神が万能だと思ったら、大間違いです。神も、全ての人間の願いを叶えられるわけではない」

「……」

「そう。全ての人間を救えるわけではないのです……」

「……教えて下さい、ウズメ様。シタテルヒメ様には、一体何があったのですか?」


ウズメはしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「シタテルヒメは安産の神ですから、もちろん安産の願いが彼女の元へ舞い込みます。『その日』も、彼女の元に1つの願いが舞い込んだのです。内容は、子供が無事に産まれてきて欲しいというもの。シタテルヒメは、その願いを叶えようとしました」

「……」

「そして、その通りに子供は産まれましたが……死んでしまったのです」

「え?」

「その子供は心臓に病を抱えていたようで、産まれてから数時間は頑張ったのですが、育つ事は無かったのです」

「……」

「シタテルヒメは安産の神。無事に産まれるようには出来ても、子供の病までは治せない。それなのにあの子は、子供が死んだのは自分の責任だと感じて……それ以来、安産の願いは叶えないようになってしまったのです」

「でも、神は万能ではないとウズメ様も仰ったではありませんか。全ての人を救うことは出来ないと」

「……あの子は、その万能の神になろうとしたのです。舞い込んだ願いは全て叶える。それを彼女はモットーにしていた。サラス、あなたなら共感できる部分があるのではありませんか?」

「……」


サラスは何も言えなかった。シタテルヒメの思いは自分と似ている。「舞い込んだ願いは全て叶える」……それは、サラスの理想の形だ。


「これが彼女に起こった全てです。……きっともうあの子は、これからずっと願いを叶える事はないのです。私にはもう、そんな光景しか見えない」


ウズメは顔を覆った。


「あの子を助けてあげたいのに……あの子は、自分がどれだけ周りの神や人間に愛されているのか知らないのです」

「愛……」

「そう。シタテルヒメは周りの者に愛をもって接するからこそ、愛があの子に返っているのに。あの子はそれを知らない。だから一柱で責任を感じて、願いを叶えなくなってしまうのです」

「……ウズメ様」


ウズメの顔を覗き込むと、ウズメはとても苦しそうにしていた。


「私、シタテルヒメ様には必ず願いを叶えてもらいます。絶対に、シタテルヒメ様には元に戻ってもらう」

「……」

「これから毎日、シタテルヒメ様の所へ通います。シタテルヒメ様がお力をお貸しくださるまで」


サラスは拳をぎゅっと握りしめた。

翌日。サラスは下界に寄り道した後、シタテルヒメの家へ向かった。


「……またサラス?どうしたの、願いなら聞けないって言ったじゃない」

「そうじゃありませんよ」


サラスは手に持っていた袋を上にあげた。


「お茶しませんか?私自慢の付き人が、美味しいお菓子を作ってくれたのです。……お茶なら大歓迎だって、シタテルヒメ様も、仰ってましたよね?」

「……そうだね」


シタテルヒメは戸を大きく開き、サラスに中に入るよう促した。

時間は、ゆっくりゆっくりと進んでいく。その間、サラスは下界とシタテルヒメの家との往復を欠かさなかった。


「ねぇ、サラス」

「なんですか?」

「毎日毎日、願いを叶えるわけじゃない神の所に通ってさ、大変じゃない?」

「大変じゃないですよ。だって私には、シタテルヒメ様が私の願いを叶えて下さるのが目に見えてますから」

「……ふーん。幸せな想像ね」

「想像じゃありませんよ」

「は?」

「定められた運命です」


サラスがそう微笑むと、シタテルヒメは首を傾げた。

そんな日々が、23週まで続いた時だった。

その日、いつものように病室にいたサラスは、ミホの些細な変化に気が付いた。


「……ミホ?」


その日はどうしても外せない仕事があるとかで、ソウヤが珍しく病室にいなかった。

ミホはナースコールを押すと、お腹に手を当てて少しずつ苦しみ始めた。すぐに医者と看護師が飛んできた。


「ミホさん!どうしましたか!?」

「多分……多分、陣痛です……」


ミホがそう言うと、医者達の顔がサァッと青ざめた。


「……先生、どうですか?」


お腹の様子を見てもらったミホが、弱々しく聞く。


「……陣痛が始まり、赤ちゃんの心音が落ちています。このまま出産になると、障がいを抱えた赤ちゃんが産まれてくる可能性が高いです。もし産むのなら帝王切開という形になりますが、次回からの妊娠は非常にリスクの高いものになります。……それでも、産みますか」

「産みます……先生、この子を助けて下さい……」


ミホはここでも、迷いがなかった。


「もしこの子しか産めないとしても、この命を見捨てるなんて、私には出来ません……私は、産みます……」

「それで、いいんですね」

「はい。……あの、先生」

「なんですか?」

「ソウヤさんには、連絡しないで下さい……。心配、かけたくないんです」

「……分かりました。今からすぐに、手術になります。……クニヅカさんを手術室へ!」


ミホが手術室へと運ばれて行くのを見て、サラスは走り出した。シタテルヒメの家へと。


「シタテルヒメ様!シタテルヒメ様!」


ドンドンと、戸を叩く。


「おられないのですか!?シタテルヒメ様!」


初めて来た時と同じように何度も叫び、戸を叩き続けるが、シタテルヒメは一向に現れる様子がない。むしろ、初回とは違って中に人がいる気配がない。


「一体、どこに……!」


しかし、シタテルヒメはすぐに見つかった。

彼女は家の裏で、ぼうっと空を見上げている。


「シタテルヒメ様!」


声を張り上げると、シタテルヒメはハッとしたように振り返った。どうやら、家に来た事に気付かなかったらしい。


「サラス。今日も来たの?だから、私は願いは……」

「シタテルヒメ様!大変なんです!ミホが、ミホが……」


サラスは今まであった事を話した。


「だから今、大変な状況なんです!」

「……でも、その人間の子供は、障がいを持って産まれてくるんでしょう?無事に産まれてくるかも分からない」

「だからここにこうして、お願いに来ているんです!シタテルヒメ様、どうかお力をお貸し下さい!」

「……無理。ずっと、無理って言ってるじゃん」

「障がいを抱えていたっていいんです!」

「……」

「どんな子供だって、母親が望めば産まれてくる意義があるんです!障がいを持っているからって、病気を抱えているからって、愛する人との子供の誕生を喜ばない母親はいません!」

「……でも」

「たとえ病気を抱えていたとしても、それを神のせいにするのは大間違いです。頑張っても、どうしても手のひらから溢れ落ちる命があるのなら、そこでやめてしまうのではなく、その何倍もの数の命を救うべきだと私は思うのです」

「……」

「それでも、シタテルヒメ様は救って下さらないのですか?」

「……」


シタテルヒメは、俯いたまま答えない。痺れを切らしたサラスは、怒ってシタテルヒメに背を向けた。


「……もういいです!シタテルヒメ様がやらないなら、私がやります!私だって神の端くれ。私が祈るだけでも、結果は変わると信じてますから!」


そう言い残すと、サラスは下界へと急いで下りた。手術室の前へ行くと、いつかと同じように「手術中」の赤いランプが目に眩しかった。サラスは座り込み、手を組んだ。


「お願い。私みたいな神でも、救いたい人間がいるのです。だからどうか……彼女と、彼女の子供の命を救って下さい……」


サラスは何時間も何時間も祈り続けた。

そして、その瞬間がやってきた。手術室から微かに、赤ちゃんの泣き声が聞こえる。

弱々しくも、そこには命を大きく咲かせる決意をした思いがあった。



それから数時間後、ピクリと動いたミホの手に、サラスは自分の手を重ねた。ゆっくりとミホの目が開く。サラスの手を重ねていたミホの手が上がり、虚空を彷徨った。


「……赤ちゃんは……」


その瞬間、凄まじい音を立てて病室のドアが開いた。


「ミホ!」

「……ソウ、ヤさん……」

「なんで、すぐに連絡してくれなかったんだ!仕事なんか、どうでもよかったのに……!」

「心配をかけたくなかったそうですよ」

「先生……」

「赤ちゃんは未熟児で現在は保育器の中にいますが、心音や呼吸も安定しています。未だ予断は許されない状況で、しばらくは保育器の中でしょうが、このまま順調に成長すれば大丈夫です」

「良かった……」


ソウヤが地面に崩れ落ちる。ベッドにかかったその手を、ミホが握りしめた。


「ソウヤさん……私、お母さんになったんです」


その頬に涙が伝い、ミホは微笑んだ。


「ソウヤさんも、お父さんになったんですよ」

「ミホ……」


ソウヤは自分の額とミホの額を合わせた。


「ミホ、ありがとう……」


サラスはその様子をしっかりと目に焼き付けると、病室を出た。

向かった先は、シタテルヒメの家だった。シタテルヒメは数時間前に会った時と同じ場所で座り込んでいた。


「シタテルヒメ様」

「……また来たの」

「……ありがとうございます」


頭を下げると、なんの事?と聞かれた。


「子供、産まれました。願いを叶えてくれたんですよね?」

「……」

「両親はとっても嬉しそうでした。ありがとうって、泣いてました」

「……」

「だから、願いを叶えてくれてありがとうございました」


シタテルヒメは立ち上がると、伸びをした。


「私、そんな大層な事してない。神として当然の事をしただけ。……響いたよ、アンタの言葉。ありがとね」


サラスに向けた笑顔は、晴れやかだった。

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