文月
「ウズメ様、今日はどんな願いがあるのですか?」
文月になり、サラスはまた成長した。拾われた時はまだ赤ん坊だったというのに、たったの3ヶ月で今では中学生くらいに成長している。
「そうですね……今日は一体、どの願い事が一番優先すべきでしょうか」
神様によって差があるが、ウズメの場合は願い事を一つ一つ吟味し、必要とあらば下界に下りてまで願いを叶える。神様の中には、叶える願い事をくじ引きで適当に決めたりする神もいるらしい。
サラスはウズメの隣で書物を漁っていると、ふと一つの願い事に目が止まった。
「ウズメ様」
「なんですか?」
「これ、見て下さい」
サラスが差し出したのは、書物の山に紛れ込んだ絵馬だった。
『お母さんに、手紙を届けてください』
たったそれだけが書かれている。
「手紙?でもこれってウズメ様が叶えられる願いじゃない、ですよね……」
ウズメは芸能の神だ。本来なら手紙を届けるなど、管轄外である。
「でも、なんだか少し気になりますね」
ウズメは絵馬を手にとって、考え込んでしまった。
そんな様子を見て、サラスの頭に一つの考えが浮かんだ。
「ウズメ様」
「なんですか」
「あの、この願い事……私に任せてもらえませんか?」
「え!?」
「私じゃダメでしょうか……」
ウズメの反応を見て、しゅん……としながら言ってみる。
「ダメ、ということはありませんが……あなた一人に任せて、大丈夫ですか?きちんと完遂出来ますか?」
「出来るかどうかは分からないけど……でも、私にぜひやらせて下さい!」
「……分かりました。くれぐれも、無茶はしないこと。良いですね?」
「はいっ!」
サラスはウズメの手から絵馬をひったくるように奪い、外へ走って出て行った。小さくなっていく背中を見て、ウズメは一人静かに呟いた。
「このまま順調に成長していくと、あの子は近い将来……」
ザァ……と、風が上界を駆け抜けていく。
一方、絵馬を持ったサラスは慣れたように下界へ下り、絵馬を持って社の中をウロウロと歩き回った。
「『お母さんに、手紙を届けてください』か……それって一体何の手紙なんだろう?」
そもそも、いつでも渡せる手紙をなぜ神に頼むのか、そこにも疑問を感じてしまう。
「うー、分かんない!」
本殿の入り口で横になり、空を見上げる。ふわふわした白い雲が、ゆったりと流れていく。
ウズメ様から願いを託してもらったのはいいものの、さっぱり分からない。
「やっぱり私にはまだ、仕事をするなんて難しいのかな……」
横向きになって、はぁ……とため息をついた時。
「……え?」
ガバッと起き上がり、ある物に恐る恐る手を伸ばした。
「あっ、あった!!」
それは、可愛らしいキャラクターがプリントされた手紙だった。宛先は「お母さん」になっている。
「中身を見るのは心苦しいけど……でも、ごめんなさい!」
手紙に頭を下げ、封を切った。出てきた便せんは文字が所々滲んでいて、少し読みづらい。
『お母さんへ
元気ですか。そっちは楽しいですか。もう、苦しくないですか。
こっちも、とても楽しく過ごしています。毎日お父さんとゲームしたり、お父さんが料理を作ってくれたり。お父さんは料理が好きだから、すごく美味しいよ。
それに比べたらお母さんの料理はいつも焦げてて、正直言うとあんまり美味しくなかったんだよね。だから全然寂しくないし、みんなもそんなに悲しんだりなんてしてないよ。だから安心して、そっちで楽しく過ごしてください。
ヒカルより』
「さ、寂しくないなら手紙送らなくてもいいのに……というより、やっぱりこの手紙は自分で送ればいいと思うんだけどなぁ」
この願い事は叶えなくてもよかったみたい、と便せんを元のように折ろうとした時。
「うん?なんかこの便せん、やけにパリパリしてる……」
よく見ると、余っているスペースに何度も何かを書いて消したような跡が残っている。
太陽の光に照らしてみると、書かれなかったその言葉が姿を現した。
『でもやっぱり寂しいの。お願いお母さん、戻って来て。生き返って。家族3人の生活に、戻りたい……』
サラスは目を見開いた。
「『生き返って』って……この子のお母さん、」
死んでるの?という言葉が掠れて、風に流されていく。
サラスは険しい顔をしてしばらく考えた後、上界へと急いで戻った。仕事場へ行き、いきなり帰ってきたサラスに驚いた顔をするウズメの前に座った。
「ウズメ様」
「は、はい」
「死人に会う事は出来ますか」
ウズメは数回、目を瞬かせた後に真面目な顔になって口を開いた。
「会おうと思えば会えますよ」
「……!それならば、今すぐ会いたい人がいるのです!」
「ですがそれは、神をもってしても難しい事です」
「なぜですか!?」
「すでに死んでしまった人間に会う……それは、この世の理を超える事だからです」
「ウズメ様でも、それが例えウズメ様であっても会う事は出来ないのですか……?」
「ええ。私にも出来ません」
そんな……と、サラスは握りしめている手紙を見た。
どうしてもこの手紙を届けたいのに。
「……ですが、たった一柱だけ、死を司る神がおられます」
「それはどなたですか!?」
「……日本の祖母神である、イザナミ様です」
「イザナミ、様……」
「ええ。きっと彼女ならば会わせてくださるでしょう」
「……それは本当ですね?イザナミ様にお会いする事が出来れば、きっと死んだ人間にも会わせてくださるのですね?」
「ええ、ですが……」
「私、少し出かけてきます!」
「あっ、待ちなさい!サラス!」
サラスはウズメの言葉を振り切って、仕事場を出た。
「カフカ、カフカ!どこにいるの!?」
「どうかなさったのですか?サラス様。そんなに慌てて……」
「お願い、イザナミ様の家へ案内して!」
イザナミという名を聞いて、カフカは顔色を変えた。
「……本気ですか?サラス様」
「そうよ、どうかお願い!絶対に行かなくてはならないの!どうか、どうかお願い。私を連れて行って、カフカ……」
サラスの懇願に、カフカはため息をついた。
「分かりました。今お車を用意します。それに乗って行きましょう」
「本当!?ありがとう、カフカ!」
「ですが、イザナミ様に会えるかどうかは分かりませんよ。あの方は……」
「いいの、それでも!とにかく行くだけでも行きたいの!」
「……分かりました。では、すぐに」
揺れる車の中で、サラスは手紙を胸にあてた。
「大丈夫。あなたの願いは私が責任をもって叶えてあげる。ついでに、手紙に書けなかった思いも私が伝えてあげる」
その時、車の揺れが止まった。
「着きましたよ、サラス様」
「ありがとう、カフカ。行ってくる」
「はい。……カフカはここで待っていますね」
「うん!」
サラスは門をくぐろうとした。が、
「これより先には、入る事は出来ません」
「っ……なぜですか!?」
どこからともなく現れた女性に止められてしまった。
「イザナミ様はどなたともお会いしません。お引き取りください」
「いいえ!帰りません!どうしてもお会いしなければならないんです!」
そう言って無理やり門をくぐった途端、沢山の女性達が現れた。
「お通しすることは出来ません、お帰り下さい!」
「いいえ、絶対……絶対にお会いします!」
押し問答をするサラスの目の端に、慌てて車から降りてくるカフカの姿が映った。ああ、連れ帰られてしまう……そう思った瞬間。
「何の騒ぎだ。騒々しい」
辺りに声が響きわたり、女性達の動きがぴたりと止まった。
サラスがふと目線を上げると、顔にしわが刻まれてはいるが、美しい女性が立っていた。
「イザナミ様。申し訳ありません。こちらの神様がイザナミ様にお会いしたいと言って……」
「イザナミ様!」
堪らず、サラスは叫んだ。
「イザナミ様、私はサラスと申します!イザナミ様にお願いしたい事があり、ここへ参ったのです!」
「……私は誰にも会わん」
そう一言だけ呟いて、イザナミは姿を消そうとする。
「お願いします!どうか話を聞いて下さい!ある人間の娘の願いを叶えてやりたいのです!その為には、イザナミ様のお力がどうしても必要なのです!どうか、そのお力をお貸し下さい!」
「……下がれ」
「えっ?」
「下がれと言っている」
やっぱり、ダメだった……そう思って地面に崩れ落ちそうになった時。
サラスに一つの影が被さった。
「……へ?」
「何をしている。お主は私に用があってここまで来たのであろう?話を聞いてやる」
周りには先ほどまでいた女性達はおらず、代わりにイザナミだけが立っていた。
イザナミはサラスに背を向けた。
「い、いいのですか!?」
「早くしろ」
イザナミの後を追って、サラスは中に入った。イザナミはとある部屋に入ると、腰を下ろした。
「何の用だ」
「実は、ある人間の娘がウズメ様の元へ絵馬を送ってきたのです。……」
サラスは今まで起こった事、自分が娘の願いを叶えてやりたい事を話した。
「……なるほど。それでお主は、その娘の願いを叶えてやりたいのだな」
「そうです。ですのでイザナミ様、どうかその娘の母親を呼び出してはくださいませんか?」
「……お主はなぜ、この娘に固執する」
「へ?」
「神ならば、たった一人の人間の願いだけを叶えてやろうとするのは不公平のはずだ。お主はそうは思わないか?」
「……不公平だと、思います」
「ならばなぜこの娘の為にここまでお主が頑張るのだ?答えを私に聞かせろ」
サラスはイザナミの目を見て、ドキリとした。それはどこか、答えを教えて欲しいと懇願するような目だった。
「私は……私はまだ、正式な神様ではないのです」
「……どういう事だ?」
「私は母に捨てられ、そしてウズメ様に拾われました。今はウズメ様の元で、一つ一つ仕事を覚えている途中なのです。そのせいか、本物の『愛情』というものを知りません」
「ウズメからも、愛情は感じないのか?」
「いいえ。ウズメ様からも沢山の愛情を注いで頂いております。でも私は、産みの親が注ぐ愛情というものも知りたいのです」
「産みの親と育ての親では、愛情が違うと?」
「私はそう考えています。ですが同時に、母親から子供に注がれる愛情は、神でも人間でも大差ないと思ってもいるのです。母から子供だけではありません。恋人から恋人、友人から友人……愛情の形は、沢山あると思います」
「……つまりお主は、人間の願いを叶える事を通して、『愛情』というものが何かを知りたいのだな」
「はい」
サラスの答えに、イザナミは腕を組んだ。
「私も、一つ質問をさせて頂いても良いでしょうか?」
「なんだ」
「イザナミ様はなぜ、私の話を聞いて下さる事にしたのですか?」
それは、とイザナミは少し言うのを躊躇った。
「……私もな、もう何百年も昔に、たった一人の人間の願いを叶えてやろうとした事があったのだ」
そう言うイザナミの笑顔はとても儚く、美しく、そして悲しかった。
「……さて、それではやってみるか。その母親とやらを呼び出してみるぞ。ただし、一つ先に言っておくぞ」
「はい、なんでしょう」
「私が呼び出せるのは、成仏していない人間だけだ。もしその母親が成仏しているのなら、私には呼び出せないぞ」
「……大丈夫です。きっとその母親は、まだ成仏していませんから」
イザナミは頷いて立ち上がり、部屋の真ん中で合掌して何かをぶつぶつと呟き始めた。すると徐々に、部屋中から光が溢れ始めた。そしてその光はイザナミの前に集まり始めた。その光達は、少しずつ人間の形を作っていく。
気付いた時には、一人の女性が立っていた。
「……サラス」
「はっ、はい!?」
「ここからはお主の出番だ。終わったら、私を呼びなさい」
「はい」
静かにイザナミは部屋を出て行った。部屋には、サラスと女性だけが残された。女性は自分に何が起こったのか分かっていないようで、キョロキョロと辺りを見回している。
「あ、あの」
「きゃっ!」
背後から声をかけると、女性はビクリとして振り返った。
怯える女性にサラスは頬をかいた。
「えと、私……サラスといいます。あなたは?」
「ヨ、ヨシコです……ここはどこですか?私は一体、どうなって……」
その質問には答えられないなと思いつつ、口を開く。
「まずは、突然お呼び立てして申し訳ありません。少し、伝えたい事があったのです」
言いながら手紙を差し出す。
「あなたの娘さんからお手紙です」
ヨシコは震える手でそれを受け取り、便せんを取り出した。
「……っ」
彼女は何度も何度もそれを読み、彼女の頬を涙が伝った。
「良かった……あの子は、元気でやってるんですね……」
「でもあなたの目に見えるものは、全て強がりなんです。彼女の本当の気持ちは別にあります」
「えっ?」
「それ、光に透かしてみてください」
彼女は言われた通りにすると、大きく目を見開いた。
「こ、これ……」
「きっとそれが、彼女の本心なんだと思うんです。お母さんに成仏して欲しいけど、きっとお母さんは心配して成仏してくれない。だから強がってはみたものの、やっぱり消せない思いがあったのでしょうね」
「あの子……いつもそんな事考えて……」
ヨシコはそれから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あの子、小学校高学年から、少し反抗期になって。でもその頃に私の病気が見つかって」
「何の病気だったんですか?」
「ガンだったんです、末期の」
ヨシコは俯く。
「身体がずっと痛くて、料理も上手く作れなくなってしまって。……ヒカルに最後に言われた言葉が、『お母さんなんていなくなっちゃえ』だったの。きっと世話を焼きすぎたのね。怒らせちゃった。そうしたら本当にそのまま死んでしまって……ヒカルには、何もしてあげられなかったの」
それを聞いたサラスの頭には、ヒカルが母に向けた手紙をひとりぼっちで書いている様子が浮かんだ。
「ヨシコさん、手紙の文字が所々滲んでいるのが分かりますか」
「ええ……それがどうかしたの?」
「多分それ、ヒカルちゃんの涙です」
「えっ……」
「暗くて寂しいひとりぼっちの部屋で、お母さんに最後に言った言葉を後悔しながら書いたものでしょう。彼女の瞳から流れた涙は、手紙に落ちた」
ヨシコの手が、滲んでいる所をなぞった。
「私……」
ヨシコが次に言い出す言葉が、今のサラスには手に取るように分かった。
「私、死にたくなかった……!」
ヨシコがそう叫んだ瞬間、ピシッと部屋の壁に亀裂が走った。
「もっと生きて、夫と子供と3人で、笑顔の絶えない家族でいるはずだった……!なんで私だったの!?どうして私がガンになんて!」
ヨシコが叫び、怒りを露わにする度に部屋が軋む。
「ヒカルは私がいないと生きていけないのに!私だってそうだったのに!こんなんじゃ成仏なんて出来ない!あの子の元に、戻らなくちゃ……!」
地面に座り込んだヨシコは、力なくサラスの足を掴んだ。
「お願い……私を、生き返らせて……」
サラスは静かにヨシコを抱きしめた。その瞬間、家の軋みがピタリと止んだ。
「今は辛く、悲しく、寂しいとしても……いつかはそれを乗り越える時がやって来ます。その時に、死者が側にいてはいけません。どうしても悲しみから抜け出せなくなってしまう」
「……」
「愛する者がずっと悲しみの渦中にいるのは、あなたも悲しいでしょう?」
「……」
「死者を生き返らせる事は出来ません。その代わりに、人間は思い出を心に残すんです」
「……」
「ヒカルちゃんだって、今は強がりだとしても……いつかはそれが本当になる日がやって来るんです。悲しみと思い出を一緒に心に抱えて、前を向くんです。人生たった80年しかない時間を、悲しみで一杯の人生にしてはいけません」
「そう、ね……」
ヨシコを離して顔を見ると、ヨシコの顔は泣き笑いのようだった。
「ありがとう。あなたのお陰で、目が覚めた気がする。私、自分に甘えすぎてた」
そう言ったと同時に、ヨシコの身体がキラキラと輝き始めた。
「あなたの名前、もう一度教えてくれないかしら?」
「サラス、です」
「そう……ありがとう、サラス」
ヨシコは頭を下げた。
「娘の手紙を、届けてくれて」
もう一度顔をあげて今度は綺麗な、晴れ晴れとした笑顔を向けると、ヨシコの身体は光となって弾けて消えた。
そのままぼうっと座り込んでいると、静かに襖が開いた。
「サラスよ」
「イザナミ様……ごめんなさい、終わったら呼べと言われていたのに……」
「構わん。話が終わったら元のように戻してやろうと思っていたが、その必要はなかったな」
「え?」
「成仏したという事だ」
それを聞いて、自然とサラスの顔に笑顔が溢れた。
「良かった……これでヨシコさんもヒカルちゃんも、苦しまなくて済む……」
「お主が言ったように、残された者はしばらくの間、悲しみに暮れるだろう。だがそれもしばらくの事。人間はいつかは前を向けるように出来ている。……良かったな、自分の力で願いを叶える事が出来て」
サラスはイザナミに向き直り、頭を下げた。
「イザナミ様、本当にありがとうございました」
「お主は……」
顔を上げると、薄く微笑んでいるイザナミと目があった。
「お主はきっと、良い神になれる。私にはそんな予感がするのだ」
イザナミの顔が、涙で滲んだ。
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