水無月
その日は、カフカの絶叫から始まった。
「ウズメ様ーっ!!ウズメ様!!」
「なんですか、騒々しい」
「サラス様は、サラス様はいますか!?」
「はい?」
「ウズメ様の仕事場に、サラス様はいませんか!?」
「いえ、いませんが……」
「あああ、どうしましょう……!」
「一体どうしたんですか、そんなに慌てて」
「サラス様がいないんです、ずっと探してるんですけど……!」
「えっ!?」
仕事をしていたウズメも慌てて辺りを探し始めた。しかし、家中を探してみてもサラスはいない。
「一体どこに……」
水無月に入るとサラスはつかまり立ちを始め、遂には歩くようになった。更には少しずつだが話すようにもなった。
「私、他の神様方にも聞いてみます!」
「ええ、お願いします」
走って家を出て行くカフカを見ながら、ウズメは頭を抱えた。
一方その頃、騒がれているなど夢にも思っていないサラスは、雲の中を歩いていた。
「ふわふわ〜」
足元の雲を踏みつけて、楽しそうだ。
「ウズメさまの、おやしろ行きたいな〜」
そんな事を言いながら歩き続けていると、徐々にサラスの周辺の雲が晴れ始めた。
「あっ!とりい!」
ぱたぱたと近づいて行くと、そこは下界にあるウズメの社だった。
「ウズメさまのおやしろだ〜!」
ウズメとカフカの心配をよそに、サラスは1人で下界に下りてきてしまっていた。
石段に座って見ていると、参拝客が現れた。ひっきりなしという訳ではないが、かなりの人が参拝に訪れているようだ。
「わぁ〜!ウズメさま、すごいなぁ」
境内を見回していると、1人の男の子がしゃがみこんでいるのに気付いた。
サラスはゆっくりと立ち上がり、その男の子に近付いた。
「どうしたの〜?」
「……え?」
サラスが声をかけると、男の子は顔をあげた。
「あなた、だあれ?」
「わたしはね、サラス!」
「サラス……ぼくはね、ユウト」
「ユウト!」
……本来なら人間には神の姿は見えないはずだが、この少年にはサラスの姿が見えるらしい。
「ユウト、なんで泣いてるの?」
「……お母さんと、はぐれちゃったんだ」
ユウトの目には再び、涙が溜まり始める。
「泣かないで〜」
よしよし、とユウトの頭を撫でると、堪えきれなくなったようにユウトの目から涙が零れた。
「だいじょぶだよ、だいじょぶ!サラスと一緒に、おかあさん探そー?」
「うんっ……」
ユウトはごしごしと目をこすると、照れたように笑った。
「ユウトは、どこがおうちなの?」
「……ぼく、この辺の子供じゃないんだ。おばあちゃんがこの辺に住んでるみたいなんだけど。今日はそのおばあちゃんに会う為に旅行で来たの」
「そっかあ」
「でも初めて来たからおばあちゃんの家も分かんないし、今いるこの神社がどこにあるのかも分かんないんだ……」
「うーん……じゃあ、ユウトのおかあさんてどんなひと?」
「優しくて、面白くて、髪の毛は肩くらいまであって……」
ユウトの口からは、お母さんの良いところや特徴などが留まることなく出てくる。
「ユウトはおかあさんのこと、すっごく好きなんだね!」
「うん、そう!ぼく、お母さんが世界で一番大好き!」
「サラスのおかあさんもね、すごい人なんだよ!」
「そうなの?」
「うんっ!サラスのおかあさんはね、このおやしろの人なの!」
「おやしろの人……?」
ユウトは境内を見回し、あぁ!と手を打つ。
「サラスのお母さんは、巫女さんなんだね!」
「みこさん……?ちがうよ、サラスのおかあさんはウズメさまだよ?」
サラスがそう返すと、「違う違う」とユウトはくすくすと笑った。
「巫女っていうのは人の名前じゃないんだ。あんな人のことをいうんだよ!」
ユウトが指さした先には、白と赤の服を着た女性が立っていて竹ぼうきを使って掃除をしている。
「巫女さんは神楽を舞ったり、お掃除したりして神様にお仕えする人なんだって、ぼくのお母さん言ってた!」
「そうなんだあ。でもね、やっぱりサラスのおかあさんはそういう人じゃないよ〜」
「うーん……じゃあどんな人なんだろう……」
「サラスのおかあさんはね、この神社の」
神様なの、と言おうとしてサラスは口をつぐんだ。遠くから二人の男女がやってきたからだ。
「ユウト!」
「お母さん、お父さん!」
「なにしてたんだ、心配したんだぞ?」
「ごめんなさい……」
暖かさが伝わってくるようなその3人の家族を遠巻きに見つめて、サラスは微笑んだ。
「でもね、この子がぼくと一緒にいてくれたんだ!」
ふいにユウトが、サラスの方を指差した。ユウトの両親は息子が指差した方を見て、首をかしげる。
「なに言ってるの、ユウト。夢でも見てたの?」
「え?」
「だって誰もいないじゃないか」
「なっ……お父さんとお母さんこそなに言ってるの?だってここに、」
「もう分かったから、早く行こう!おばあちゃんが待ってるわよ」
ユウトは両親に手を引かれ、何度も振り返りながらサラスから遠ざかっていく。そんなユウトに、サラスが叫んだ。
「ユウト!」
「……!」
ユウトがサラスを見つめた。
「ありがとう、とっても楽しかったよ!」
手を振ると、ユウトは笑って叫んだ。
「ぼくも!……また、またお話ししようね!」
そしてユウト達の姿は鳥居を抜けて消えていった。それを見送り、サラスは座り込んだ。
「……あーあ、楽しくなくなっちゃったなぁ」
ユウトの両親達の反応が本来のものであり、自分の姿が見えたユウトの方が変わっていたのだ……そう頭では分かっているものの、やはり寂しいものがある。
肩を落として座り込むサラスの背に、声をかける者があった。
「サラス」
振り返ると、ウズメとカフカが立っていた。
「ウズメさま……」
ふいに、泣きそうになった。
まるで、母親を探して泣いていたユウトのように。
「ウズメさま……っ!」
サラスはウズメに飛びついた。
「サラス、あの少年が不思議な人物だっただけなのですよ。本来はあの両親のように、私達神の姿は見えないもの。それでも、私達は彼ら人間の為に願いを叶えてやるのです。それが私達の仕事であり、使命。それは分かっていますね?」
「……はい」
「けれどもね、そんな神でも必ず報われる時は来るのですよ。……サラス、ご覧なさい」
「……?」
ウズメが示した方を見ると、帰ったはずのユウトとその両親がこちらへ戻ってくる所だった。そして賽銭箱にお金を入れ、手を合わせる。
「……ありがとう、サラス」
ユウトはそう呟くと、今度こそ3人仲良く手を繋いで去っていった。
「この瞬間の為に、私達神は長き毎日を飽きる事なく刻むのです。毎日小さな諍いを起こし、少し憎たらしくありつつも愛すべき人間の為に」
サラスはぎゅうっと、ウズメに抱きついた。
「さぁ、私達も帰りましょう。……サラスにも教えなければなりませんね」
「え?」
「下界へのちゃんとした下り方と、戻ってくる方法ですよ」
「教えてくれるんですか!?」
「ええ。立派な神となる、第一歩ですよ」
サラスは立派な神となる未来の自分への希望を持ちながら、その両の手を二人に引かれ帰っていった。
その後ろ姿は、人間であるユウト一家となんら変わらなかった。
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