第29話 善意の怪物
1
「お年玉と言えば」
川島長七はお年玉袋を笑顔で差し出し、何の気なしにといった様子で口を開く。
このお年玉袋は長七が伯父から渡されたものをそのまま流用したものだと川島麻子は知っている。要は父からもう一回お年玉をもらったことになる訳だが、気の持ちようだと笑顔を作る。
「不特定多数の人物に配るそれは、果たしてお年玉と呼べるのかなあ。ああでも事の起こりはクリスマスプレゼントだったね。サンタさんのキャラクターには合ってる訳だ。しかし名乗った名前が伊達直人っていうのは今の子供達にはさっぱりなんじゃないのかな。俺だって再放送すら見てないよ。麻子ちゃんはどう?」
「ええっと、ちょっと待って」
長七のこうした支離滅裂な言動はいつものことだ。それに加えて麻子は察しがいい方ではない。たっぷり一分以上時間を取って――待っている長七も長七だ――麻子はその意図を掴んだ。
「今流行りのタイガーマスク運動のこと?」
事の始まりは去年の暮れ。児童相談所に伊達直人を名乗る人物からランドセルが寄付されたことをきっかけに、全国の児童福祉施設に匿名の寄付が行われるようになった。年が明けてからはさらに過熱し、匿名の善意は毎日のようにニュースに取り上げられている。
「最近は伊達直人じゃ芸がないからって色々捻ってるみたいだけどね。日本は寄付の文化が薄いなんて言うけど余裕のある人はお金を吐き出さないと意味がないとも言うしね。つまり僕のような赤貧には縁のない話ってことじゃないかな」
「う、うん」
「だから半フリーターの身でもお年玉はきちんといただきに参上するし、でも半フリーターで年上という立場上学生の麻子ちゃんにはお年玉を渡さなくちゃならない」
「ご、ごめん。返そうか?」
「そんなことをしたら家の親にぶん殴られる。気にしないでいいよ。半フリーターだからバイトを増やせばどうとでもなる。金が欲しいなら働けという訳だ。という訳で、麻子ちゃんに顧客を紹介したい」
急に言われて、麻子は暫く何のことかわからなかった。
「やだなあ。タイガーマスクの話だよ」
ますます意味がわからなくなる。
「紹介料はそれだけもらえればいいから。じゃあ善は急げ。悪はもっと早いからね」
そう言って長七は麻子を引っ張って車に乗り込んだ。
「待ち合わせは赤森のファミレスでね。ちょっと時間かかるよ。CDはそっち。カセットはその上。気に入らなければラジオで」
「ちょっと待って」
「うん。待つよ。前方確認。右よし左よし。ゆっくり発進」
言いながら長七は本当に車を発進させた。
「あの! 私はどこに連れられていくの?」
「言ったじゃないか。赤森市のファミレスだよ。赤の他人同士が集ってもファミリーレストランなんだから、家族意識というのは素晴らしい」
「そこで何をするの?」
「食事はさせてくれるんじゃないかな。多分向こう持ちで。あ、でもドリンクバーって単品でも頼めるんだったっけ。じゃあドリンクバーかな。あれって元は取れないように出来てるらしいけど、そうは言ってもお得な感じがしちゃうよね。延々粘られたら回転率も悪くなるし、店側にしても諸刃の剣なのかな」
「その、向こうっていうのは誰?」
「
こういう時に限って必要なことも余計なことも喋らない。
「金田さんっていう人が何の用なの?」
「タイガーマスクに困ってるそうだよ」
「それで、私が必要なの?」
「紹介料目当てでね」
駄目だ。話にならない。
麻子は諦めて助手席に大きく身体を預けた。
ラジオからは朝からどぎつい下ネタが終始明るく流れていた。
2
そもそも、長七に事情を訊こうとする方が間違いだった。
ファミリーレストランで待っていた金田
長七から情報を引き出そうと骨を折ったのが馬鹿らしくなる程、金田の話は明確だった。
「家の主人が、寄付を始めて止まらないんです」
金田の夫――
そこまでは、まあよかった。日本中を包む善意の一員となり、金田は大いに満足したという。
ところが数日経つと、金田はまた十万円を使ってランドセルを買い、それを別の福祉施設に送った。それが数度続き、とうとう章子は我慢の限界を迎えた。
金田家は決して裕福な家ではない。そんな中で貴重な貯金から何度も十万円を引っ張りだすなど正気の沙汰ではなかった。
章子は何度も夫に寄付をやめるように言った。だが金田は全く聞く耳を持たない。
――いいことをするのはいいことだ。
その一点張りで、何を言おうと頑として譲ろうとしない。
「このままでは、我が家は破産してしまいます」
章子の口調は真剣そのものだった。
しかし――何故麻子に紹介したのか。
麻子は確かに怪しげな男から妖しげな仕事を斡旋してもらっている。だがそれは麻子の領分の中での事象に限られる。今回は麻子よりも、来る途中の車内で流れていたラジオの人生相談番組に依頼した方がいいのではないか。
「長七君」
「そうだね。メロンソーダにコーラとコーヒーを混ぜるのはよくない。責任上全部飲まないといけないのがつらいところだ」
この男に援助を求めるのは無駄だった。
「あの、金田さん。長七君とはどういう……」
「ええ。川島さんはこちらのお店で働いていらっしゃったので……よくモーニングを食べにくるので、ついつい無駄話を」
「え、長七君ここでバイトしてるの?」
「いや。昨日辞めた。あ、店長どうも。今日はお客さんなのでお気になさらず」
昨日辞めた店に客として訪れるのはどうなのだ――それに長七のことだから、馘にされた可能性も大いにある。現に長七が愛想よく挨拶をしている店長が、明らかに白い目でこちらを見ている。
「それで昨日このことをお話したら、そういうことに強い人がいるというので」
「長七君、私は――」
「ええ、麻子ちゃんはお悩み相談なんでもござれ。しかもそれをたちどころに解決してしまうすんごい人なんですよ」
「待ってって!」
このままでは勝手に麻子がトラブルシューターにされてしまう。
だが、あの呼称は自称しないと決めている。何とか章子に理解してもらおうと頭を捻るが、それは長七によって台無しにされた。
「早い話、麻子ちゃんは霊能者です」
「はい?」
章子が驚愕の声を上げる。
ああ、やられてしまった。「霊能者」だけは自称しないと決めているのに。「霊能者」と言われて信用する人間の方が少ない。それに麻子はそんな大層なものでもないし、自ら霊能者を名乗っていく詐術師とは違うのだと一線を引く意味もある。
しかし麻子に仕事を斡旋している三条などは依頼人に平気で麻子のことを霊能者だと紹介しているし、その方が話が通じやすいのも事実だ。第三者からの紹介でなら、その呼称を使われるのも仕方がない――麻子のそんな諦めを長七が知っているのかは甚だ疑問だが、とにかく今は話が麻子の方向に動き出したことを感謝するべきだろう。
「霊能――怪しいことはお断りですよ」
章子はまだ冷静だ。ここで飛び付いてこられたら麻子の方が困ってしまう。
「今回は俺の紹介ですから、お金は取りませんよ。麻子ちゃんも慈善でやっている訳じゃないので、俺が麻子ちゃんから紹介料をいただくのは当然ですが」
論理が滅茶苦茶だ。
「まあ、気休めでもこういうアプローチを試してみるのはいいんじゃないですか。俺が詐欺師なら旦那さんに悪霊が憑いてやたらめったら寄付を繰り返して家を傾かせてるんだと言いますが、麻子ちゃんは清廉潔白です。お祓いだと思って旦那さんに顔見せだけでもどうでしょう」
「はあ……」
章子は困惑の表情を浮かべている。麻子からすると、先程までの疑念よりも困惑の方がはるかにやりやすい。長七は恐らく考えなしに口から出まかせを並べているだけだろうが、上手く土台を作ってくれている。
というより、麻子もいつの間にか長七の話に乗っている。
3
よく来るというだけあって、章子の家はファミリーレストランから徒歩で五分程だった。長七の車は駐車場に置いてきたが、長七は店長に許可は取っておいたから――と嘘か本当かわからないことを言っていた。少なくとも麻子が見ている間には長七は店長と話していない。
赤森市は麻子の住む青川市より発展していない。大都市である大太良市から離れているため、ベッドタウンとしては使いにくい。青川市は元々戦前から工業が盛んで、高度成長以降は大太良市のベッドタウンとしても頭角を現したため、その差は思ったよりも大きい。
とは言え町並みは麻子の住む泗泉町とそうは変わらない。ファミリーレストランのある国道沿いにはチェーン店が立ち並び、一本路地に入れば寂れた住宅街。
「ここです」
章子が案内したのは二階建てのなんというか簡素な家だった。建てられたのは割と最近らしく、来る途中で何度も目にした住宅と類似した壁と屋根と玄関をしていた。
「お邪魔します」
麻子と長七が玄関で靴を脱いでいると、先に家に上がった章子の悲鳴が聞こえた。
長七と顔を見合わせ、急いで声のした方に向かう。
「うわあ……」
入ったのはリビングだった。そこにはところ狭しとランドセルの箱が並んでいた。
「あなた! あなた! これはどういうこと!」
章子が絶叫するように夫を呼ぶ。今日は日曜日なので、恐らく家にいるのだろう。
「なんだ騒々しい」
中年太りと呼ぶのが相応しい、親しみを感じさせない仏頂面の男が階段を下りてリビングに現れた。
「なんだその二人は」
「こ、こんにちは」
「やあどうも」
「こちらはあなたのことで相談に乗ってもらっている川島さんです」
それを聞くと金田はあっという間に顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「ふざけたことをするな! 俺がやっているのは真っ当な寄付だ! いいことをすることはいいことだと言っているだろう!」
「だって! あなた今まで一体いくら使ったんですか! 貯金をすっからかんにしてまで寄付をして、私達の生活はどうなるんです!」
「犬も食わないですね」
自分のせいでこんな事態になっているというのに、長七は全く気に病む様子がない。
「それで麻子ちゃん、何か見えたかい?」
「いや……特には……空気は悪いけど」
麻子の言ったのは現在の険悪なムードのことではなく、この家全体を覆う厭な感じの方だ。
未だ言い争う夫婦を後目に、麻子は頭を捻る。
「っていうか、これって私の領分じゃない気がするんだけど」
暫くして、麻子ははっきりとそう言った。
「空気が悪いのは見えるんだろう?」
「それは――誰だってわかるようなことじゃない」
「麻子ちゃんは直截的に解決するタイプっていうのは知ってるけど、そういうお祓いみたいなのは」
「やりません。っていうか出来ません」
「大切なのは麻子ちゃんの文脈で考えることだよ。俺が俺の文脈で考えると――」
長七は口角泡を飛ばし合う二人の間に割って入り、あからさまに挑発するようにまあまあと宥めた。
「実は俺はフリーターのかたわらしょぼいフリーライターのようなことをやっていまして。そこで
金田が拳を振るい、長七はそれをするりとかわした。
「なんだこいつは! 俺の善意を馬鹿にする気か! ぶん殴ってやる! こっちに来い!」
「やめてください!」
金田が憤怒の形相を浮かべ拳を振り上げるのを、章子が泣きながら止めている。
長七は我関せずとでも言うような表情を浮かべて麻子の隣まで来ると、肩を竦めて見せた。
「こうなる」
「こうなる――じゃないでしょ! どうするのこれ!」
ただでさえぶち切れていた金田は今や怒髪天を突く勢いだ。火に油を注いだどころの騒ぎではない。
「そこで麻子ちゃんの出番という訳だよ。俺が出張ってもろくなことにならないというのがよくわかっただろう?」
「そういうことは行動に移す前に言って!」
大きく溜め息を吐いてから、麻子は金田の前に歩み出る。
「あの、金田さん。まずは落ち着いてください」
「何をっ」
「彼の無礼は謝ります。すみません。そこで、少し提案が」
麻子がいつ殴られるかわからない恐怖に怯まず、至極落ち着いて語ったのが効いたらしく、金田はひとまず話を聞く気にはなった。
「寄付をするのなら、寄付を集めてはどうでしょう」
「はあ?」
長七が好き勝手にやっていた間に考えておいた案を話していく。
「つまり、福祉施設に送る品物を揃えるためのお金を、寄付で集めるんです」
「胴元になれということだね」
黙っていろときつく睨む。
「一人の善意より、大勢の善意です。その方が幸せになる人は多いと思います」
「スタンドプレーはやってる方は気持ちがいいかもしれませんが、チームからは当然白い目で見られます。今流行っているのは言わばスタンドプレーの礼賛ですね。目立つので世間は称賛しますが、それならこれまで地道に寄付を続けてきた大勢の善意は無視するのかということです」
今回だけは長七の言葉に感謝した。長七に言われて金田はすっかり小さくなっている。
「では、私達はこれで」
麻子は一礼すると、長七を連れて玄関に向かった。
「本当にありがとうございます。主人も反省すると思います。あの、お礼はいか程……」
「最初に言ったじゃないですか。お金は取りません。ただ、麻子ちゃんは本来なら高額な依頼料を請求するタイプです。今回は俺の紹介で無料になりましたが、ご利用は計画的に」
玄関でそれだけ話すと、麻子と長七は家を出た。
「――はい」
麻子はポケットに入っていたお年玉袋を長七に手渡した。父から長七にお年玉として、長七から麻子にお年玉として、麻子から長七に紹介料として――随分忙しい使われ方をするお年玉袋だ。
「どうも。それで麻子ちゃん、今回の出来栄えは?」
「うん。まず、一人で大きな善意をまるっと抱え込むからこんなことになるんじゃないかと思って」
一箇所に大きな物を溜め込めば、空気は淀んでいく。
麻子が提案したのは、それを分割して方々にばら撒くということだった。寄付ではなく、善意を分割する。一人で抱えるには大きすぎる善意でも、ばらして大勢に持ってもらえば、一人当たりの負担は少なくなる。
「寄付を集めることを勧めておきながら、実際は
長七は他人の名前をろくに覚えないので適当な名前で呼ぶ。そういえば最初に聞いた時はきちんと「金田さん」と言っていたが、あれは偶然かそれとも――
「でも、長七君の説得でその必要もなくなったんじゃないかな。あれは相当効いたみたいだから」
「説得なんて呼ぶのはやめた方がいいよ。あれはあの場をひっちゃかめっちゃかにするための暴論だからね。寄付にスタンドプレーもクソもないよ。善意は善意。いいも悪いも含めてね」
などと話している内に、先程のファミリーレストランの駐車場に着いていた。
「おっと、もうお昼だね。臨時収入もあったことだし、食べていく? 割り勘で」
「やめとく。それより早く家に帰りたい。無理矢理連れて来られたこっちの身にもなってよね」
「じゃあ帰ろう。ついでにお昼もごちそうになれそうだね。冷や飯食いでも現代では電子レンジがあるから万事解決だ」
そう言って車に乗り込み、エンジンをかける。
置いていかれては大変だと麻子は慌てて助手席に乗り込んだ。
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