番外編 魔の道
「相変わらず怖い顔」
「知ってるよ」
青川市の中心である市街地に建つ、県下最高レベルの進学校――青川高校が現在風間達が向かっている場所である。風間と涼香はこの高校の二年生で、風間は青川市の最南端、泗泉町から、涼香は青川市の南隣の緑山市から電車でこの高校に通っている。乗る電車は同じなのだが、何故か二人は同じ車両には乗らない。なので電車が青川駅に停まり、そこから学校へ向かう間に涼香は風間に接触する。
二人は当然出身中学も違う。最初に会ったのは去年の入学式の日である。クラスが発表され、教室で初めて顔を合わせる面々が互いに話をする中、風間は教室の後ろで一人、皆から避けられていることを感じながら怖い顔を強張らせていた。
風間の面相は、生まれつき恐ろしく凶悪であった。そのことは厭という程自覚していたし、初対面の人間が自分を自然と避けることも知っていた。また一から顔とは違うイメージを作り、クラスに溶け込まなくてはならない。勝負は最初の自己紹介か、などと考えていると、目の前で誰かが風間の顔をしげしげと眺めていた。
「うわ、恐ろしく怖い顔」
そう言ったのが涼香だった。
風間は完全に面食らい、涼香が話す自分の名前と出身中学を馬鹿のように黙って聞いていた。
だから風間の涼香に対する第一印象は決していいものではなかった。涼香は他のクラスメート達とも打ち解けていったが、何故か風間によく話しかけた。毎朝顔を見るとその顔が怖いと言い、それをきっかけに楽しそうに話す。
風間は最初、ただからかわれているだけだと思い無愛想に相槌を打つことしかしなかった。しかし涼香は相変わらず風間に構ってくる。風間は初めて涼香に声をかけられてから二箇月程経った頃、いい加減にしろと怖い顔をさらに怖くして言った。
「いやあ、何かさ、成明と話すと落ち着くのよ。顔が怖いからかな?」
涼香は困ったように笑ってそう言った。そう言われて風間は一気に気が抜けた。
「お前、ちょっとおかしいぞ」
「やっぱりそう? まあでも、蓼食う虫も何とやらってやつじゃない?」
それからは風間も涼香に声をかけられると自然に受け答えをするようになっていった。しかし朝会った時の第一声は必ず風間の顔が怖いというものなので、風間はその時少し不機嫌そうな顔をする。しかし内心はその決まったやり取りに安堵しているのだった。
現在の風間と涼香の関係は、互いによく話をする友人だ。時々周囲に付き合っているのではないかと疑われるが、風間はそれは違うと断言出来る。話をするだけで、それ以上は何もない。というより、話ですらくだらない世間話で、深く踏み込んだことはまるで話していない。
だから、風間は涼香に自分が特殊な人間であることを教えていない。風間は、この世ならざるモノ――幽霊だとか化け物だとかいうモノを見ることが出来る力を持っていた。そして風間は、自分が特別であり、他の人間とは違うと自負している。故に風間はその道を究めようと日々努力していた。自分にならば妖しいモノ共を従え自在に操ることも、魔の道を知り尽くすことも可能だと信じていた。
風間は最近、異界と複雑に混じり合うもののけの通り道を調べていた。心を無にし、目を閉じて誰もいない道を進む。すると何処からか、魔の通る道に足を踏み入れることが出来るようになった。今ではその道に自在に入ることも可能だ。しかしその道は人間の通る道ではない。方角も何もかもが無茶苦茶であり、何処に通じているのかわからない。そのため、上手く使えば人間の道ならば何時間もかかるところを五分も経たずに歩いていくことが出来る。風間は研究を重ね、学校から自分の家まで、徒歩で三分かからずに着ける道を発見した。
風間は土曜日、自宅から学校までもののけの通り道を使って向かった。休日でも教室は自習が出来るように解放されており、風間もまたそこで自習をしようと学校に来たのだ。
校門を抜けると、その校門の後ろに誰かがジャージ姿で座り込み、顔を埋めているのが見えた。
「涼香?」
その姿に見覚えがあった風間はそう声をかける。顔を上げて、こちらを見る。やはり涼香だ。だがその目には、涙が一杯に溜まっていた。
「どうしたんだよそんなところで。お前、確か今日は大会じゃ――」
涼香は陸上部に所属している。風間は涼香から、今日が大会であると聞いていた。
「急にお腹が痛くなって、立てなくなって、先生に休めって言われて、でも! 今はもう大丈夫なの! でも、もうみんな行っちゃって――」
大会が開かれる場所は近くに駅がなく、一旦学校に集合してからバスで向かう。そのバスはもう出たようだった。
風間は涼香が部活にかける思いを知っていた。絶対に練習は休まず、最後の最後まで練習を続ける。部活動に所属していない風間からすれば、信じられないような情熱を涼香は走ることに注いでいた。その思いをぶつけるべき大会に、こんな形で出場を断念しなければならないなど、あんまりだ。
「今はもう大丈夫なんだな?」
「うん――」
涙を拭きながら涼香が漏らす。風間はその手を取り、立ち上がらせた。
「じゃあ、俺が連れてってやるよ」
「何言ってんの、今からじゃ絶対に間に合わない」
「いや、裏道を通る。絶対に間に合わせてみせる。俺の手を握って、離れるな」
風間は涼香の手を掴み、校門を抜けて道路に出た。そこから離れ、人気のない路地に入る。心を無にし、迷わずに踏み出すと、景色が一変した。アスファルトで覆われていた地面は背の低い草が茂り、周囲からは民家や人工物が消えている。
「何? どうなってるの?」
怯えた声で涼香が訊く。風間はそれに答えずに足を進めた。
大会会場までの道を風間は知らなかった。それでも一心にそこに行きたいと願えば、きっと道は開けるはずだと信じていた。
遮二無二歩き続け、何度も人間と魔の道を行き来して一時間程経っただろうか。一向に行き着くことは出来ず、二人は無言で立ち止まった。
「おやおや、何でまた人間がこんな場所に?」
前方からそう声がし、風間がそれまで下を向けた顔を上げると、僧服を着た髭だらけの男がこちらに向かってきていた。目は中央に一つしかなく、これが化け物だと如実に物語っている。
「青川緑地への道を知らないか!」
「そんな土地は聞いたこともないわ。おや? どうやら人間はお前一人か」
握っていた涼香の手は、いつの間にか死人のように冷たくなっていた。今までは気付かなかったが、男の言葉で厭な予感が全身を駆け巡った風間は、振り返って涼香の顔を見た。
涼香は必死に口を動かしているようだった。しかしそこからは一切の言葉が出ない。
「恐怖、不安、焦燥、そんな感情に囚われている人間がこの道を通ればどうなるか、そんなこともわからないのか、小僧」
呆れ返った男の言葉に、風間は打ちのめされた。
ここは魔の道。魔の空間。長い間こんな場所に不安定な心を持った人間がいれば、当然魔に引かれる。
涼香はもう、人間ではない。
「人間が図に乗って我々の領域に手を出せばこうなる。よく覚えておけ小僧」
男が風間の手を取って歩き出す。風間には逆らう力も残されていなかった。
気付くと道はアスファルトに変わっている。
「今日のところはお前の間抜けさに免じて道から出してやる」
風間は未だに握った手の先にいる、涼香の顔を見た。涼香は無表情で、風間の手を自分の手から離そうとしている。
「涼香――」
風間が名前を呼ぶと、首を激しく横に振る。ただ自由になっている右手で左手を掴む風間の手の指を離そうともがいている。
「離してやれ。こいつはもうお前達の世界にはいられない」
風間は唇を噛み締めながら、ゆっくりと手を離した。涼香は解放されるとすぐに顔を背け、走り去った。
それから風間は変わった。魔の道の探究はきっぱりとやめ、あちら側と関わることもなくなった。こちら側の人間はこちら側にいるべきで、あちら側に関わるべきではないと自分を戒めた。
そして、外を歩いていると風間は時々冷たい視線を感じるようになった。その視線の方を見ると、みすぼらしい格好をした涼香が立っている。それは風間が大学を卒業し、家業である寺を継いだ後も続いた。
ある日風間が寺から遠くの家まで行こうかと門を出た時、目の前に涼香が高校生の姿のまま立っていた。
涼香は風間の手を取り、何も言わずに歩き出した。そのままもののけの通り道に入り、淀みなく歩を進め、気付くと目的の家の前の道に出ていた。
その後、風間が何処からか離れた場所に行きたいと思うと涼香が現れるようになった。涼香は異界を通り風間を目的地まで導く。
だが――風間は思う。これはきっと善意ではない。風間を魔の道に引きずり込もうと考え、その道を通らせているのだ。自分を人間でなくした風間への、涼香の復讐だ。
――それでいい。
その復讐を、風間は受け入れよう。そして涼香を見る度、風間は自分に課した戒めを思い出すのだ。
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