【3-9】

「ほう、お前らが樋尻組の……うん、3人ともいい顔つきをしてる。声が随分と弱腰だったもんだから、俺はてっきりもっと軟弱な奴らが来ると思っていたよ」


則本邸にて、則本は機嫌良さそうにそう言った。

長屋の仲介を経て、岡部一行は遂に則本との接触に成功した。長屋も一緒に話を聞きたかったようだが、則本の言いつけによりそそくさと部屋を出て行ってしまった。

則本は思っていたよりもずっと若く見え、とても自分と十数年の年の差があるとは思えなかった。若作りでもしてるのだろうか。

ここは則本邸応接室。

1つのテーブルを挟み、岡部一行と則本が向き合う形で座っていた。

応接室内には、趣味の悪い絵画が所狭しと飾られている。単純にセンスが悪いと思った。


「はは……まあ、これでも若頭なもんで」


「うんうん。元気があってよろしい」


何がいいのかさっぱり分からなかった。


「この度は、こちらの要件も聞かずこうしてお会い下さり、本当にありがとうございます。……オラ、2人とも頭下げろ」


「ありがとうございまーっす!」


3人は深々と頭を下げた。そんな光景を、則本は終始満足そうに眺めていた。


「まあまあ、おじさんヤクザじゃないんだから。カタギのおじさんには、ヤクザに頭下げられるだけでも心臓に悪い」


則本はへらへらと笑った。

それにしても、先ほどと比べて随分物腰が柔らかくなった気がした。電話越しだったので顔は分からなかったが、さっきの敵意剥き出しの姿勢はどこへ行ったのだろう。


「いやあ、さっきは説教っぽいことを言っちゃってごめんねえ。おじさん、素性の分からん人間にはあんまし心を開かないんだわ。……で、いざこうして会ってみると、お前たちはとてもできた人間だと思ったよ。凄く話しやすい」


「はあ……」


「人から話しやすいと思われるのは、結構大変なことなんだぜ?とても単純なことだけど、人間関係を築いていく上でもっとも大切なことは、ずばり話しやすいかどうかに尽きるんだ。いくら功績をあげたって、素っ気ない態度ばっか取ってちゃあ広がる人脈も広がらない。むしろ閉じていく一方だ」


「あ、ありがとうございます。……それで、今回こちらへ伺った理由なのですが……」


「……臓器調達の件だろう?」


無駄話を断ち切るつもりで話の流れを変えた岡部だったが、向こうからいきなり本題に入られ、若干言葉に詰まった。


「は……な、なぜそのことを?」


「まあ、おじさんのところに来て仕事の話っつったら、臓器売買こっちの話しか無えやな」

則本は自分の腹を弄るジェスチャーを混じえそう言った。


「違うのかい?」


「いえ……その通りです。組長オヤジからの命令で、臓器売買のルートを持つあなたに接触し、なんとか臓器売買それを樋尻組のシノギにできないものか……と」


「ははあ……」


則本はソファに深く座り直すと、腕を組んで不敵に笑った。


「天上会は、今7代目の跡目争いで荒れています。柿本今朝夫の遺書により、最も多くの金を本部に上納した組が8代目のポストに就けるという状況の今、何が重要となるかは、ずばり所持するシノギに尽きます。そこで則本さんの力をお借りしたい。あなたの持つ臓器売買の元締めを、我が樋尻組に任せてはくれませんか」


「まったく虫のいい話だねえ。知り合いってだけで、俺の仕事全部持ってかれちまうたあ……それに、俺のやってるのは厳密には臓器の売買じゃない。臓器の調達だ。内臓を金に変えてるって点じゃあ大差ねえけどな」


「……」


一人称がおじさんから俺に変わった。これは本性の表れなのか。はたまた、自分の口調が真剣だったから、気を遣っておふざけをやめただけなのか。

……底が割れねえ。則本は、一体何を考えている?

「それにしても……そうか、まあ俺ももう歳だし、そろそろ俺の仕事を、別の誰かに任せちまってもいいのかも知れねえな……うん。いい潮だ」

則本は1人で納得したようにうんうんと頷いた。少しの間を置いたかと思うと、突然岡部一行に向き直り、言った。


「うん、いいだろう。俺もそう頑固じゃねえ。それにお前さんたちを気に入っている。仕事は、できれば気に入った奴に継いでもらいてえじゃねえか。これも何かの縁だ。何かのっつうか組長の縁なんだが……俺らの臓器売買の元締め、樋尻組にお願いすることにするよ」


またも呆気なく、則本はそう言うのだった。


「ほっ……本当ですか!?あ、ありがとうございます!」


「ありがとうございます!」


「うんうん。いやいいんだ。おじさんも長ったるい取引は好きじゃねえ。変な探り合い無しで、決めるもんはスパッと決めちまいてえからな」

則本はそう言うと再度へらへら笑った。


「ああそうだ。話が終わってからでなんだが、そういやあまだお茶も出してねえな。おい長屋!お客さんにお茶持って来い」

則本がそう叫ぶと、奥の部屋にいた長屋が飛んできた。


「はい、少々お待ちを」


「ええと則本さん。あまり気を遣わなくても……」


「いやいや、それじゃおじさんの気が収まらねえ。せめてお茶くらい、おじさんにご

馳走させてくれよ」


「は……はあ」


嫌な予感がした。


それは横の2人、山辺と江本も同感だったようで、ちらちらとこちらの様子を窺う。

取引が成立したのだから、もう目の前の男、則本を疑う必要など無い筈なのだ。だから、今から出されるお茶は安心して飲んでいい。

飲んでいいはずだ。

しかし、先日の極彩色からの気持ち悪い一言が脳裏に蘇る。


『殺されちまうっていう覚悟だよ』


……そう言えば、今の今まであまり考えていなかったが、ここは樹海のド真ん中だ。叫び声をあげて、果たして助けが来るのだろうか。

そもそも、則本の臓器調達が村ぐるみだった場合、叫び声を聞いて助けに来る人間など、いるのだろうか。

いるのだろうか。


「……」


取引は円滑に終わったのだ。

当初の予定通り、最高のエンディングではないか。組長オヤジの命令通り、臓器売買のシノギを手に入れ、則本との関係も良好。

これで、家に帰れる筈なのだ。



「則本さ〜ん。3人分のお茶をお持ちしましたあ」



そのとき、湯呑が3つ乗ったお盆を手に、長屋が笑顔で入ってきた。


「これはいいお茶っ葉使ってますからね〜。どこ産かは忘れましたが」


「……」


瞬く間に、長屋の手によって湯呑が3つ、それぞれの前に並べられた。


「ささっ、冷めないうちに飲んで」


「……ぐっ……」


「お、岡部さん……」


江本が不安気に言う。

しかし、目の前に則本が居座り、さらに凝視しているため、迂闊な動きはできない。

毒と分かっていながら、これを飲むしかないのだ。

……というか毒のわけがないだろう。

これは則本の気遣いなのだ。俺たちを陥れようとか、そういう考えは一切無い、ただ俺たちを労わってのお茶なのだ。


「……さあ、飲めよ。その茶、すげえ美味えぞ」


「……」


飲むしか道は無い。

なあに、毒など入っているわけはないのだ。そんなもの、俺たちの考えすぎだ。

極彩色の恐ろしげな語りに、飲まれてしまっているだけなのだ。


「……いただきます」


岡部ら3人はそう言うと、湯呑の中のお茶を一気に飲み干した。



「……馬鹿なガキ共だ」



則本がそう呟いた瞬間には、もう遅かった。

目の前のニヤけ面にパンチでもかましてやろうかと思ったが、生憎、岡部にそんな気力は残っていなかった。

目の前が暗くなる。

こうも即効性の睡眠薬なら、意外と飲む前に気付けたのではと後悔したが、もはや考えることすらままならなかった。

自分の無用心さを呪いつつ、岡部の意識はぷつりと途切れた。

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