【3-10】
目が覚めると、そこには闇があった。体がやけに痛く、どうやら自分は床に寝転がっているのだと気付いた。
記憶が曖昧だ。則本に睡眠薬を飲まされ意識が途絶え……その後どうなったのかが思い出せない。というか、あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
手足に力を入れてみると、どうやら自由に動かせたので、幸い拘束具は付けられていないようである。
「う……臭え……なんじゃこりゃ」
管理が行き届いていないのか、この場所は妙に埃っぽい。思いっきり埃を吸ってしまった岡部は、思わずごほごほと噎せ返した。
「岡部さん?よ、よかったあ、岡部さんも同じ場所にいたんですね」
隣から声が聞こえた。どうやら山辺と江本も同じ場所にいたらしい。
「江本、山ちゃん……ここはどこだ?則本の野郎はどうした」
「それが……俺たちもついさっき目を覚ましたばかりなのですが、ここは牢屋です。鉄格子がついているのを確認したので間違いありません」
そう山辺は言った。ようやく状況が飲み込めてきたという風で、口調は多少落ち着いている。
「……俺たちは監禁されているのか」
「恐らく」
「参ったな……どうしたもんか……江本、お前時計持ってるか?」
「ああ、ここにあります」
江本の時計を見たところ、時刻は午前6時を回っていた。
則本と話していたのが午前11時頃だったので、およそ19時間以上眠り続けていたことになる。
「日の光が見えねえな……もしかして、ここは地下か?」
「どうでしょうか。単に暗幕か何かで仕切られているという可能性もありますが……」
「お前ら、携帯はどうした。持ってるか?」
江本と山辺は今気付いたというように、自身のポケットを弄り始めた。どうやら不安は的中したようで、3人の携帯はすべて没収されていた。
護身用として持参したナイフも同様だった。
「マジかよ……弱ったな。これじゃあ助けも呼べねえぞ。それに万が一脱出できても、俺らのバンは奴らに押収されちまってるかも知れん」
「あ、それなら大丈夫ですよ。ちゃんとキーをかけて来ましたので」
自信満々に江本は言った。
「……そのキーはどこにあんだよ」
「あっ……」
バンのキーは案の定回収されていたようで、岡部は深い溜息を吐いた。当の江本は頭を掻きながら不甲斐ないといった様子で苦笑いしている。
ようやく目も慣れてきたところで、なるほど、ここは本当に牢屋であることに気付いた。視力が回復したら、それに伴って嗅覚も敏感になってきた。
「ん……おいお前ら。何か臭くねえか」
「ああ、確かにこの牢屋、埃っぽいっすもんね」
「違う違う。埃じゃなくてさ。なんかこう……何かが腐ったような匂いっつうか……」
岡部は辺りをきょろきょろと見回した。
「うわあっ!お、岡部さん、あれ……」
山辺の指差した先、そこには十数体に及ぶであろう人間の死体が山積みにされていた。死体が山積みになっている時点で既に異質なのだが、中でも群を抜いていたのはそれらの有り様だった。
全ての死体が原型を留めていない。辛うじて欠損部位が無い死体も、よく見ると中身はスカスカだった。
「こいつは……臓器摘出後の成れの果てか」
見た感じ頭部を残している死体の割合は高かった。単純に使い勝手が悪いのだろうか。確かにそう言う知識には疎いが、脳味噌の移植など聞いたことがない。
それでも眼球は取られていた。後頭部から頭蓋骨のみ抜き出されたものもあった。
「本当に……金目の臓器は全部取っちまってるって感じですね。どうせ殺すなら無駄の無いようにって考えなんでしょうが……こりゃあ惨い」
「うっ……す、すんません」
江本は牢屋の隅に行き豪快に嘔吐した。まだ組に入って日が浅い分、死体を見る機会に恵まれなかったのだろう。
そんな機会を恵まれてると言っていいかは知らないが。
「クソ……早くここを出なけりゃあ、俺たちも直にああなっちまうぞ」
山辺と江本は小さく悲鳴を漏らした。
「それと、俺のさっき言った則本の違和感ってやつ……今さらながら、それの正体がようやく分かったよ」
「正体……?」
「俺が電話で樋尻組って名前を出したとき、則本は『信越地方のヤクザ』と言っただろう。樋尻組の認識が嫌に曖昧だ。なのに樋尻組の組長のことを知っていた。これは、明らかにおかしいだろう。こんなこと、もっと早く気が付くべきだった」
「ええと……つまりどういうことですか?」
「つまり、則本は意図的に嘘を吐いたんだ。俺たちに疑念を抱かせないため、『樋尻組なんて組と関係は持っていませんよ』と思わせるために。だがそれが裏目に出た。その後になって
「その嘘は……一体何を意味してるのでしょうか」
「則本は、最初から全部知っていたんだろうな。俺たちがここを訪れること、そして取引を持ち掛けることを。その上で、あんな小芝居打ちやがったわけだ」
「そ、そんな……これらは、全部仕組まれてたってことですか?」
「分からねえ。分からねえが、今はそんなことを考えてる場合じゃない。一刻も早くここから出ちまわねえと」
「いや岡部さん。もしかすると、まだ助かる見込みありかもしれませんよ」
山辺はそう言う。
「山ちゃん、その助かる見込みってのは……」
「実は俺、事務所出る前に事務所にいた奴らに伝えておいたんです。丸1日連絡がつかなかったら、組から何人か増援を送れって。19時間経った今、恐らく組の奴らは動き出している筈です。なのでもうすぐ……」
「助けなんてたぶん来ないよ〜」
牢屋の外から不気味な声が響く。声の主は則本だった。
「ごめんねえ。おじさん家、部屋は全部埋まっちまってるもんでさ。客人には、死体と一緒に寝てもらうしかなかったんだわ」
にやにやと笑いながらそう言う則本に、岡部はギリリと歯ぎしりした。
「うるせえ。気持ち悪い声出してんじゃねえ、虫唾が走る」
「おお怖い」
「というか、これは一体何のつもりだ。いいから俺たちをここから出しやがれ!」
「駄目に決まってんだろバカ。俺はお前たちを、1億の金を出して買ったんだよ。お前らの内臓は、徹底的に使い切ってやるから安心しろや」
「な……なんだと」
則本はさも当然という風に言ったが、岡部には、何がなんだか分からなかった。
「1億で買ったとはどういうことだ。お前は、一体何を言っている」
「んん?あ、そうか、お前ら、何も知らないのか」
則本は納得した様子で手をポンと叩いた。いちいち笑顔が鼻につく。
殺してやりたいと思った。
「俺さあ、さっき『助けなんて来ない』って言ったよな?あれって別に、恐怖を煽ってるとかそんなんじゃなくてさ。本当のことなんだわ」
「……」
「岡部。あとそこのチンピラ2人。お前らは組から捨てられたんだよ」
「なっ……じ、冗談はよせよ」
「本当さあ。俺は、くだらない冗談を何より嫌う男だから」
「ふざけんなよっ!
「うるさいなあ……バカには、ちゃんと一から説明しないと分かんないか……」
則本は隅に置いてあったパイプ椅子を手に取ると、それを牢屋の前に設置し腰を下ろした。
「どっこいしょ……と。さて、何から話すか……」
ごそごそと胸ポケットを探り、則本は煙草を取り出した。ジッポライターで火を点け、肺に煙を流し込んだ。
「フーッ……そうさな。まず結論から言おう。お前らのオヤジ、樋尻組の組長は、今回の8代目の跡目争いを端から降りている」
「はあ……?」
「お前らの組長は8代目になるつもりなんて無かったってことだよ。ついでに言っておくと、俺と樋尻組の組長に接点は無いぜ」
「は、話が見えねえよ。それじゃあなんで、
に……」
「……嶋岸組って知ってるかい?嶋岸徹が組長を務める、天上会の直系組織だ」
「あ、ああ。知っているが」
「俺は嶋岸の旦那とは長い付き合いでね。臓器売買の仕事上でも、割と贔屓にされてるんだよ。そんな嶋岸の旦那から、今回いい話を貰っちゃってさ」
「いい話……そりゃあなんだ」
「『1億円で、活きのいい臓器を3人分買わないか』ってね。あ、その3人はもちろんお前たちのことね」
「……っ!」
「人間1体分の臓器だけで1億を軽く越えるんだよ?人間3体を1億で売ってくださるなんて、さすが嶋岸の旦那も気前がいい。当然、俺は二つ返事で了承し、こうしてお前らを1億で買ったってわけだ。1億円って金額は、収入の少ない地方ヤクザからすりゃあ、他の組とアドバンテージを広げるには十分な額だからな。これで今回の跡目争い、今や嶋岸組の独走状態と言っていいだろう」
「馬鹿なっ……俺たちは樋尻組の人間だぞっ、なんで俺たちが嶋岸組の取引材料にされてるんだよっ!それに嶋岸さんはそんな人間じゃない!いくらなんでも、他の組の組員を売ったりなんてことはしない筈だ!」
「それが違うんだなあ……なんたって天上会8代目だよ?お前はその立場の重さがまるで分かってない。8代目になれるってんじゃ、人は多少非情にもなるさ」
「グッ……か、仮にそうだったとしてもだ。なんで嶋岸組の判断で、俺たちが売られなきゃいけないんだ。もしかして、
「まあ許可っていうか……嶋岸の旦那は、俺と同様に樋尻組の組長とも、ある取引をしていたんだよ」
「……
「ああ。『嶋岸組の次期若頭のポストを約束するかわり、樋尻組から任意の3人を引き渡せ』っていう取引な」
「なっ……!」
「つまり樋尻組は消滅するってこった。樋尻組の組長は、絶望的な跡目争いに挑むより、別の組の若頭として生きていく道を選んだんだよ」
「そ……そんな」
もはや怒りの声も出ない。
横の2人も、信じられないといった風に目を丸くしている。
「嶋岸の旦那も、自分の組から3人を殺すのは親心が痛んだんだろうねえ。ホント、旦那の子を想う気持ちは素晴らしいよ」
……ということは、俺たちがオヤジと呼んできた人間には、
若頭という立場でなくなっただけでなく、帰る場所も失った自分は、この先どうやって生きていけばいいのだろう。
……って、この先も何も、俺は今日ここで殺されるのか。
俺の内臓が、色んな人間の手元に散りばめられ、新たな身体の部品となってその人間の命を活かしていく。
「…………なら…………それもいいのかもな………」
今まで誰の役にも立てなかった自分が、世間に対して成せる貢献は、精々それくらいしかないのかもしれない。
それに無駄死にというわけではないのだ。自分が死ぬことによって、救われる命がたくさんあるのだ。
「……岡部さん?」
「殺せよ則本。焦らされるのはこちらも苦しいんだ。俺を……早く殺してくれ」
則本の口元が緩む。笑いでも堪えているのだろうか。
「なっ……何言ってんですか岡部さん!」
「助けももう来ねえんだろう?なら抵抗するだけ無駄さ。お前らも、精々悔いの残らないように……まあ、今からじゃ何もできねえか」
岡部は自嘲気味に笑った。そんな岡部に向かって、山辺は言う。
「やめてくださいよ……そんな弱腰な岡部さん、俺は見たくないです。俺がどうして樋尻組に入ったか知ってますか?俺は別に、
「……」
「俺は、アンタに憧れて組に入ったんですよ!何の取り柄も無かった俺の面倒を、いつも見てくれたのはアンタじゃないか。アンタが死んだら、俺は死に体も同然なんだ。お願いだから、そんなことを言うのはやめてくれ……」
山辺はそう懇願する。横を見ると、江本も同様だった。江本は、むしろ今にも泣き出しそうな顔をしている。
「ふふっ……おいおい、大の大人が何メソメソと泣いてんだ。今の俺が言ったんじゃあ説得力が無いかもしれねえが、もっと心を強く持てよ。俺が教育してきた組員は、そんな弱い人間じゃないはずだ」
「岡部さん……」
「おい則本、最期の頼みだ。俺の身体を好きに使う代わりに、こいつら2人は解放してやってくれないか」
岡部は則本にそう言った。
「馬鹿言うんじゃないよ。それじゃあただ俺が大損こくだけじゃないか。俺に買われたお前らは今や、言わば俺の所持品なんだぜ。そんな風に勝手に決められても困る」
「はは……そりゃそうだ。おいお前ら。気張っていけよ。怖いかもしれないが、ここが正に正念場だ。気合入れてけ」
「え……?」
江本は呆けたような声を漏らした。その瞬間だった。
則本の脳天に、木製バットが叩き込まれた。地下に嫌な破壊音が響く。
「ぎゃぶっ!」
「遅いんだよ……お前ら」
岡部がそう言葉を掛けた先。
そこには、夏目蓮介と極彩色真帆が立っていた。
「これでも僕、中学の頃は野球部だったんですよ。まあ補欠だったんですけど」
「補欠のクセにそんないいバット買ったのかい?まったく、君、さては形から入るタイプだな?」
「あはは……敵いませんね」
血に塗れたバットを摩りながら、蓮介は言った。
「ご、極彩色さん……それに助手君も、一体どうしてここに?」
山辺が言う。何がなんだか分かっていない様子だった。
「岡部が死んだら、私の店の用心棒がいなくなっちゃうからね。面倒だが、こうして樹海まで出張らせてもらったんだよ。則本の家は突き止めてあったから、間一髪、お前たちを助けることができた」
「極彩色……お前どうすんだよ。こんなことして大丈夫なのか?則本は、どうやら既に1億を払ってあるらしいじゃないか。これじゃあ……」
「ふん。ヤクザが何日和ったこと言ってんだい。お前はもうカタギなんだろう?お前に非は無いんだから、適当に警察にでも泣きつけばいい」
真帆はいつもと変わらぬ風に言った。場に飲まれないその姿勢は、この場にいる全ての人間を安心させた。
「なあ極彩色……ええとよ」
「世間話は後だ。今は一刻も早くここを出るぞ。いつ援軍が来るか分からない。外に車を止めてあるから、そこまで一気に走れ。牢屋の鍵はここにある」
真帆は慣れた手つきで牢屋の鍵を開けた。
「走れーっ!」
真帆の合図のもと、一行は全力で地下通路を駆け抜ける。
岡部一行は、ちゃんと則本を踏み付けるのを忘れなかった。
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