【3-6】

岡部さんの帰った彩色堂には、嫌にピンとした空気が張りつめていた。


「姉さん。岡部さんが言うように、そういう臓器売買みたいなこと、本当にあるの?なんていうか、私にはとても信じられないんだけど……」


「香帆。逆に聞くが、お前はなんで信じられないんだ?日本で臓器売買が行われていないなんて、どうして言い切れるんだ?もしかして、何かいいネタでも握っているのかい」


「えっと……」


「私からひとつアドバイスだ。狂気は、意外とお前のすぐ隣にあるんだぜ。私たちがこうして日常を謳歌できているのも、実はとても奇跡的なことなのかもしれない。人生は、毎日が綱渡りなのだという自覚を、お前もそろそろ持ちたまえよ」


香帆ちゃんの質問を、真帆さんは饒舌にスパスパとぶった切る。

僕はといえば、眠くならないようにと人数分のコーヒーをコンビニで買ってきたところだ。

現在時刻は午後11時。夜分遅いとのことで、僕と香帆ちゃんは彩色堂に泊まることになった。恐らく徹夜は必至である。なんてったって、樹海に住んでいるということだけしか情報のない人間の素性を、およそ半日足らずで割り出さねばならないのだから。


「身近なところで言えば、日本の臓器移植がそうだ。あれは家族や個人の同意があるってだけで、やってることは臓器の密売と何ら変わらないだろう」


「んん……まあそうかもしれないけど」


「結局はそういうことなんだ。いくつかの工程を省いてしまうだけで、常識は簡単に狂気の世界に変貌してしまう。強姦ってあるだろう?いわゆる婦女暴行、レイプだ。あれだって、女性の同意が無いってだけで、やってる事は一般的なセックスと大差無い。ロマンチックに言うのなら、そこに愛があるかどうか、だ。愛情の有無で、それらの行為は犯罪にもなるし善行にもなりうる」


「それは……かなり極端だね」


「要はそういった自覚を持って欲しいってことだ。常識とは、狂気と紙一重であるという自覚を……ね。それがちゃんと分かっていれば、少なくとも、あっけなく死んでしまうということはないさ」


真帆さんは、僕と香帆ちゃんに向けてにこりと笑顔を見せた。

しかし、やはり眠いのか目はしょぼしょぼしている。


「真帆さん、はい、コーヒーです。冷たいやつでよかったですか?」


「あ、すまないな。ありがとう」


「ほら香帆ちゃんも。眠くなったら、遠慮しないで寝ちゃっていいからね」


「ふぁーい」

香帆ちゃんは、そう眠たげな声色で言うのだった。今のは返答だろうか。それともただの欠伸あくびだろうか。

忙しなくキーボードを乱打する真帆さんの横に、僕は座った。画面を見ると、文字化けしたような謎の記号が長々と並んでいる。


「……これはなんですか?」


「ん、個人情報を突き止める装置……うん。それが一番しっくりくる。ネット専門の探偵とかいるだろう?あれらが使ってる装置のさらに発展系みたいなものだよ」


「これって違法ですか?」


「違法だよ」

真帆さんは即答した。まあ自分も、警察に知られたくないことは何度かやっているし、これを咎める権利は無いと思った。


「あれから何か分かりましたか?その……臓器売買について」


「うむ。日本のレシピエントの数が尋常ではないって話、これはさっき岡部から聞いただろう?だから高く売れるって理屈はまあ分かるんだが……ちょっと引っかかることがないかい?」


「引っかかると言いますと」


「臓器なんて海外から輸入してくればいいんじゃないかってことさ。そっちの方がはるかに格安なんだから。日本の臓器移植にいくら掛かるか知っているかい?億単位だぜ。1人の患者を治すのに、それだけの金が掛かるんだ」


「はあ……ということは、レシピエントに海外から輸入したくない理由があるということでしょうか」


「そうだ。日本の臓器をレシピエントが欲しがる理由。これはもう、結局のところ品質に尽きる。みんな、体に入る臓器はより良いものの方が良いんだよ」


「それが日本の臓器が高値で取引される理由……ですか」


「ああ。蓮介、君は則本の所在が富士の樹海だと聞いて、真っ先に何を考えた?」


「……」

樹海と臓器。これらのワードを結びつけ、行き着く答えはひとつしかなかった。


「死体から臓器を抜くということですか?それができれば、確かに莫大な利益を生めるのでしょうが……それってどうなんです?その……質とか」


「よく分かったね。その通りだ。例えば心臓、このあたりは、最低でも半日以内には移植できなきゃ厳しいだろう。樹海で死体を漁るなんて方法は、かなり非現実的といっていい。たまたま死後日数が浅い死体を見つけても、取れて眼球がいいところだろうね」


「……となると、則本の行っている臓器売買……それはどんな手口なんでしょうね。臓器移植はスピードが大切だから、できるだけスマートに病院に運びたいだろうし……」

すると、意識が半分飛んでいた香帆ちゃんがむくりと起き上がった。


「私何かの小説で読みましたよ。これは臓器云々とは関係無いのですが、村ぐるみの殺人事件。村の住民全員が口裏を合わせてしまえば、その村で起きた殺人が公になることはないって寸法です」


「樹海近隣の村で、そういうことが起きているってことかい?いや香帆ちゃん、いくらなんでもそれは……」


「いや蓮介、案外ありえるぞ。村全体というのはともかくとして、この犯行は、少なくとも医者がグルでなければ実現は難しい」


「あ……」


「手頃な例を挙げれば町内会とかもそうだ。あれは、同じ目的を持った人間が集って構成されているだろう。その目的は様々だ。単に一致団結を図るものもあれば、共通した利益の促進に努めるところだってあるだろう」


「……」


「共通の利益の促進……これがもしかして曲者かも……」


「曲者?」


「その共通の利益とやらが、例えば臓器売買だったらどうだい?単独の旅行客あたりをその集団で拉致し、眠らせ、根こそぎ臓器なかみを奪ってしまう……そして、その集団のリーダーが、他でもない則本なのだとしたら……」


「まさか……そんな……」


「……岡部へ向けた警告は、あながち無駄じゃあなかったかもな。まあ腕っ節の強い衆数人で乗り込むんだ。ちょっとやそっとじゃ標的にされないとは思うが……」

真帆さんは懐から電話を取り出し、岡部さんに電話した。

会話の内容はよく聞き取れなかったが、最後に真帆さんが言った「単独行動は慎め」という台詞。それが妙に、僕の脳裏にこびり付いて離れなかった。

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