【3-5】


「金が欲しいとはどういうことだい、岡部。お前は、まさか私に金をせびりに来たというのかい。しかもこんな時間に。心構えはまるで闇金だな」


真帆さんは、岡部さんに向かって呆れたように言った。


「いや違うんだ。俺は、お前から金をせびろうなんて気は毛頭無い。そもそも、それは普通の人間が右から左に動かせるような額じゃあ全然無えんだ」


「それじゃあ一体なんでまた……というか聞きたいんだけど、依頼の内容とかはさておいて、ずばり、お前はどれほどの金が欲しいんだい?」


岡部さんは少し黙った。目を瞑り、大きな深呼吸をした。


「10億円だ。できるだけ早く、それだけの金を用意したい」


「……」


「じゅっ……10億円!?」


不意に横から口を挟んだのは香帆ちゃんだった。予想外の金額に驚いたのか、スカートを手で摘みパタパタと気の高まりを体現している。


「お、おう。極彩色の妹じゃねえか。元気してるか?」


「元気です元気です!っていうか、じゅっ……10億円ですか!?そんな大金を、一体何に使うというのです!」

香帆ちゃんはそうまくし立てた。岡部さんはかなりの強面で、実際、その顔には未だに僕も慣れていないのだけど、よくもそんな度胸があるものだ。

そこは、流石真帆さんの妹といったところだろうか。細かいところは気にする癖に、目上の人間に対して、良い意味で遠慮が無い。


「まあ、香帆の言う通りだな。岡部、10億もの金を、しかも早急に、一体何に使うんだい?」


「……」

岡部さんは再度黙る。

余程言いにくいのだろうか。さっきから、ちらちらとこちらの様子を窺っている。


「あの……もしよければ、僕、席外しましょうか」


「そっ……そうか?そうしてくれたら俺も助か……」

だがそんな岡部さんの言葉を遮るように、真帆さんは「黙れ」と言った。声こそ控えめであったが、その口調は若干の怒りを孕んでいた。


「ご、極彩色……」


「夕飯時にいきなり訪ねてきて、お前は私の助手を追い出すのかい。それに、何をそんなに言い淀んでいるのか知らないが、そんなものはそっちの都合だろう。蓮介には私の助手として、お前の話を聞く義務がある。ろくに礼儀も守れないような奴が、私のところへ来るんじゃねえよ」


「ちょっと真帆さん……」


「いや蓮介……極彩色の言う通りだ。……悪かったな。せっかくの鍋だっていうのに、水を差すような真似しちまって……」


岡部さんは、そう申し訳無さそうにいった。

こうも歳下の相手にヤクザが頭を下げるなど、実際はそうできるものではない。理屈では悪いと思っていても、プライドがそれを許さない。

真摯さの為に恥を捨てることができる岡部さんは、本当に、凄い人間だと思った。


「いえそんな……気になさらないでください。僕にできることならば、何でも協力しますので」


「……ああ」


「それで?10億円の使い道だ。そいつを一体どうするんだい」


「……組長オヤジからの命令でな。今、天上会は荒れに荒れている。軽くニュースにもなったから、お前だって知っているだろう?」


「天上会7代目、柿本今朝夫が死んだという話かい?……確か、まだ8代目の襲名は終わっていないんだろう?」


「いや、終わっていないどころの問題じゃない。そもそも候補がいないんだ。なんせあまりに急死だったもんで、今は直系の組長さん方が、我こそは8代目にと躍起になっている。樋尻組も、最近になってドカっとシノギが増えたよ。組長オヤジも覇権争いに必至なんだろう。まあそれでも、覇権争いに切り込んでいくにはまだまだ貧弱なんだが」


「そういう場合、普通は先代が遺書を残すものだと思っていたが……違うのかい」


「ああ。遺書はあるにはあったんだ。あったんだが……こいつがまた曲者でな。期限までにより多くの上納金アガリを収めた組の代表、即ち組長を、天上会8代目と任命する。これが遺書の内容だ」


「……8代目任命のジャッジは誰が?」


「柿本今朝夫の奥さん、柿本裕子って姐さんだ。ってなわけで、今の天上会はほぼ分裂状態だ。いつ内部抗争が起こったって、いつ誰が殺されたって不思議じゃねえ。俺は、別に組長オヤジが8代目になろうとなれなかろうとどうでもいいんだが、まあ、親が欲しいと言ったものを、俺が差し出さないわけにはいくまいよ」


「話がよく見えないぞ。その覇権争いと10億円と、一体どんな関係があるんだい。その10億円を上納すれば、岡部の組長さんは8代目になれるとでもいうのかい」


「まあ半分正解……組長オヤジからの命令はこうだ。できるだけ短期間で、。10億欲しいと言ったのは、何も現ナマの札束を10億積めって意味じゃない。その金を生み出すシステムを、こしらえてほしいという意味なんだ」


「……」


話が膨大すぎて、僕は少し目眩がした。

言ってることは至極単純だが、冷静に考えれば、これはかなりの難易度なのではないか。

10億円といっても、組織全体で10億とはわけが違う。ひとつの組の中だけで、10億円もの利益を生むシノギを作り上げなければならないのだ。

樋尻組の構成員の人数は、僕も以前にざっと聞いただけなのだが、確か数十人程度だったはずだ。


「……岡部さん、僕からひとつ質問なのですが、その期限というのは……どれくらいなのですか?」


「……今月中だ」


岡部さんは言った。


「こっ……今月?……って、え、あともう6日しかないじゃないですか」


「そうなんだ……だから俺も、こうして必死になっている」


岡部さんは頭を抱えた。

すると、真帆さんは徐に口を開いた。


「当てはあるのかい?組長さんも、まさか何の当ても無くそんな金額を言いつけたりはしないだろう。何か、莫大な利益を生み出し得る突破口、そんな当ては」


「……」


「私は一応情報屋だけど、そんな金を生み出せるコネクションは生憎持っていないぞ」


「……ひとつ」


「?」


「たったひとつ……たったひとつだけ……ある。しかも、これは組長オヤジ直々のコネクションだから、このコネが使えるのは俺たちだけ。樋尻組だけ。そんなウルトラCが、ひとつ……」


「それはなんだい」


「……今、この日本って国に、臓器移植の順番待ち患者が何人いると思う?」


「はあ?」


「レシピエントの人数だ。こいつは、実に1万3千人以上に及ぶんだ……要するに、早い話、俺が言わんとしてること、極彩色なら分かるだろう?」


「岡部、お前まさか……」


「そうだ……内臓は高く売れるんだよ。ものにもよるが、健康体ならば1人の人間の価値は軽く1億を越える」


岡部さんは投げやりにそう言った。余程言いたくなかったのだろうか。確かに岡部さんのようなタイプの人間からすると、生きた(死んだ?)人間を売り物にするなどとんでもないことなのだろう。

というか、タイプとか関係無しに誰だってそうか。


「そのコネを持つ組長オヤジの知り合いは、どうも富士の樹海に住んでいるらしくてな。聞いたことないか?割と有名な都市伝説だが、富士の樹海に、自殺しきれなかった人間が寄り添って暮らす集落があるって話……」

そんな岡部さんの問いに、真帆さんは答える。


「あんなもの、別に都市伝説でもなんでもないぜ。実際に富士の樹海には、民宿のある集落が存在している。自殺志願者の寄り添いだなんて、あれは嘘だ」


「……そうなのか?なら話は早い。組長オヤジは、そこに住んでいる臓器売買の

元締め、則本のりもとって奴に接触しろという。そこでうまく話をまとめて、樹海の臓器売買を丸ごと樋尻組のシノギにしちまえって魂胆らしい」


「……そううまく事が運ぶとは思えないけどねえ。岡部の組長、もしかしてバカなんじゃないか?そもそも、組長さんがコネを持ってるんだから、そこは組長さん直々に現地に向かえばいい話じゃないか。なんなら電話だっていい」


「則本は何ていうか、昔気質な人間らしくてな。直接顔を見て、気に入った奴としか取引をしないんだそうだ。そこで若頭である俺にお呼びが掛かったってわけだ」


「……それにしても胡散臭いなあ……」


「とにかく、極彩色。今回お前に依頼したいのは、その則本って人間の情報収集だ。組長オヤジに聞いても、すげえ曖昧な事しか答えてくれねえんだ。本当にコネがあるのかも正直怪しい。案外仕事仲間からそんな噂を聞いたってだけなのかも知れねえ。あの人は昔から、妙に下っ端に見栄を張る癖があるからな」


「……心得た。明日の朝、もう一度ここへ来てくれ。それまでにできるだけのことはしておく」


「すまない。恩に着る」


「別にいいさ。なんたって私はこれが仕事なんだから。それに、お前にはいつも気を回してもらっているしな」


「……すまない」


「現地には誰が行くんだい?」


「俺と、あとは使えそうな兵隊を2、3人連れてく予定だ」


「そうか。あまり無理はするなよ。仮にも自殺の名所だ。人様のはらわた取り扱おうってんだから、それなりに覚悟もして行った方がいいんじゃないか?」


「覚悟?」

岡部さんはきょとんとした顔でそう言った。


「えっと、覚悟とは……」


っていう覚悟だよ」

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