【3-4】
「姉さん。闇鍋だからって、何でも入れていいわけじゃないからね。取り敢えず、蓮介さんが買ってきてくれたお酒とか入れたら怒るよ」
「入れないよそんなの。この部屋に美味しいものなんてこのスープしかないのに、最後の砦を自ら壊してどうするんだ」
「……」
その最後の砦とやらも、恐らく数分のうちに決壊すると思われた。
僕はネタに走ったとは言え、比較的まともなものを、いわゆる闇鍋における代表みたいな具ばかりを買い揃えたはずだ。
だから不安の種は僕の正面に座る女性陣2人である。既に部屋は真っ暗なので、正直どっちがどっちだか分かっていないのだが、まあうっすらと背の高いほうが真帆さんだろう。
「じゃあ入れる順番決めるよー!ジャン……ケン」
「待て香帆。この暗さじゃあ、誰が何を出したか分からない」
「あー……じゃあ年功序列でいきましょうか。それでは姉さん、まず第一投目」
「……」
暗闇の中、中央の鍋にぽちゃんと何かが投入される音がした。
「じゃあ次は僕ですね。えっと……」
よく考えたらこの暗がり。どこに何があるか分からない。取り敢えず自分の手元をまさぐって、掴んだものを適当に鍋に入れた。
「蓮介。掴んだものはちゃんと全部食べてくれよ」
「分かってますよ。僕、結構何でも食べれる人なんで」
「それじゃあ次は私ですね!えーっと……なににしようか……な」
香帆ちゃんは随分と時間をかけて具を選んでいる。どうせ最後は全部入れるのだから、何から取っても大差はないと思うのだけど。
「あれ、おかしいな……私の用意した具がひとつ無い。蓮介さん、もしかして私の具、間違えて入れちゃいました?」
「あ……ご、ごめん。目の前のものを適当に取っちゃったから……もしかしたら」
「いいですいいです。ちなみに、どんな感触でした?」
「感触?ええっと、なんか布みたいな感じだったけど」
「わお、初っ端からそれを攻めるとは。蓮介さんもやりますね」
「……?」
香帆ちゃんは不敵に笑いながらそう言った。暗いから表情は分からないけど。
「で、どうしますか姉さん。食べるときは、一度明かりを点けますか?」
「んん、まあ手元が狂ったら危ないし……」
「なら皆さん、何かひとつを箸で掴んでください。いいですか、掴んだものは絶対に完食するんですよ」
香帆ちゃんはそう言うと、一度席を立って電気を点けた。目が暗闇に慣れてしまっていたため、視界がまともになるのに数秒の時間を要した。
僕が掴んでいたものは、まあ案の定、布のような物体だったのだけど、果たしてこれは食べ物なのだろうか。
「……」
目の前の鍋には、まあカオスというか、思い描いた通りの惨状が広がっているわけなのだが、しかし意外にも、スープの色に然したる変化は無かった。
「はいはい皆さん。ちゃんと具は掴めましたか?」
香帆ちゃんのそんな呼びかけを尻目に、真帆さんは言う。
「香帆……えっと、これはなにかな。なんかどろっとしてるんだけど」
「ああ、それは車とかに置く消臭剤っぽいあれです」
「……!」
みるみると真帆さんの顔が青ざめていくのが分かった。
「えっと真帆さん、それはちょっと……か、体に悪いっていうか」
「いやいいさ。まあ残すとは思うが、せめて一口は食べてみる。もしかしたら、思いのほか美味しいかもしれないし」
絶対そんなわけはないと突っ込みたかったけど、まあ、取り敢えず一口食べて死ぬということはあるまい。
「……」
車内用芳香剤を口に含んだ真帆さんは、苦虫を噛み潰したような表情で部屋を出て行った。それは笑いも無ければ驚きも無く、ただただ場の空気を殺すためだけの具材(具材?)だったといえよう。
「あー……えっと、すいません。あれ持ってきたの私です」
香帆ちゃんは舌をちらりと出して、悪戯っぽく笑った。そんなことは分かっていた。
「もしも次があったら、ちゃんと食べられるものを持ってきてね」
しかし困ったことになった。僕が間違えて香帆ちゃんの具材を入れてしまったため、目の前の
しかも、多分今僕が掴んでいるこれは香帆ちゃんの持ってきた具材だ。沸騰したスープでよく見えないが、食用に作られたものでないことだけは確かだった。
既にいくつか具を入れた後であれば、ちゃっかり別のものを掴みなおすこともできるのだが、今の僕にはこれ以外に掴めるものが残っていなかった。
僕がそう策を巡らしていると、果たして、胃の中身を出し終えたであろう真帆さんが部屋に戻ってきた。
「す、すまないね。待たせてしまって」
「いえそれは大丈夫なのですが……体の方は……」
「あんなものどうってことない。おい香帆。覚えておけよ」
「え、えへへ。姉さんもそんなに怒らないで」
あからさまに気分が悪いといった様子で、真帆さんは自分の席に座った。
「じゃあ次は僕……なんだけど。香帆ちゃん、何これ。なんかピンク色っぽいけど」
「さあ。蓮介さんにそれが何か分かりますか?」
「……」
いや本当に分からない。既に美味い不味いといった事柄はまったく問題にしていないけど、それにしても、これは一体なんなのだ。
ピンク色の布のようなものであることしか情報が入ってこない。僕は取り敢えず、その物体を自分の取り皿に置いた。
手に持ってみると、どうやらそれは下着だった。
「……」
「……えっと」
僕が上目遣いで真帆さんを見ると、彼女は両手で顔を覆い、首をふるふると振っていた。
「いや私の妹が、まさかそんな残虐をするわけが……」
僕は冷めてしまったその下着を、手掴みで広げてみた。
「……香帆ちゃん、えっと……あの、これは」
「さっきそこのタンスに入っていたのですが、いい具材になるかなあと思って……」
そんな香帆ちゃんの弁解を聞きながら、僕は自分の手に握られたパンツをまじまじと眺めた。そのパンツは女性用のものだった。
というか真帆さんのパンツだった。
「ひゃっ……うわああ!」
真帆さんは顔を真っ赤にして、僕からパンツを奪い取る。
「なっ……香帆!な……ななな……何で、何で!」
「いや、蓮介さんがびっくりするかなあと思って……ええと……」
香帆ちゃんはばつが悪そうな顔でえへへと笑った。真帆さんのあまりの動揺に、思わず気圧されたようだった。
「あ、蓮介、こっ……これは違うんだよ。別に、私はいつもこんな派手な柄のものを身に付けているわけじゃないんだっ」
「……別にそんなに派手でもないですし、えっと……か、可愛らしいですね」
今の僕の発言は焼け石に水だったようで、むしろ火に油だったようで、真帆さんはパンツを胸に抱き
「ううう……もう嫌だ……なんで私がこんな……」
「ね、姉さん。ほら、私も悪ふざけが過ぎたっていうか……ご、ごめんね?ほらほら、姉さんの好きなお酒だよ」
「ううう……」
真帆さんは恨めしそうにこちらを睨んだが、間もなく観念したようにチューハイの缶を手に取りクピクピと飲み始めた。
すると、僅か3%のアルコールで酔いが回ったのか、涙目の真帆さんは香帆ちゃんに向き直った。
「さあ次はお前の番だぜ香帆。食えよ。1つしか無いから先に言っといてやるが、私の入れた具は店内に積んであったよく分からない骨董だぜ」
恐ろしいことを真帆さんは言った。なぜそれを具として選んだか甚だ疑問だった。そんなルールは当たり前すぎて、わざわざ言う必要も無いと思っていたのだが、無機物は入れてはならないというルールを付け加えるべきだったのだろうか。
「ちょっ……待て待て姉さん。ご、ごめ……私が悪かったで……」
間髪入れず、真帆さんは香帆ちゃんの首根っこを掴む。
「むっ、むごご……」
「まあまあ香帆。もしかしたら胃で突然変異を起こして、案外カルシウムとかになるかもしれないし。今日ここに来たことを後悔させてやる」
「ぎゃあっ……ね、姉さん、ギ、ギブギブ……」
そんな修羅場のようなやり取りをしていたときだった。
勢いよく彩色堂の入口が開けられたかと思うと、外から1人の見慣れた男が入ってきた。
それは天上会直系樋尻組若頭、岡部健次郎だった。
「極彩色……ちょっと話を聞いてもらいたいんだが……今いいか?」
真帆さんは丁度、食べやすいよう骨董を細切れにしている最中だった。
「ん、岡部じゃないか。こんな時間にどうしたんだい」
「少し話がある」
岡部さんは、改まってそう言った。余程焦っているのか、緊迫した表情が伺える。
「ふん」
真帆さんは香帆ちゃんの首から手を離し、骨董を隅にどかした。
「まあいいか。出来の悪い妹の教育は、またの機会にしてやろう」
「悪いな」
岡部さんはそう言った。結局、当初の予定通り鍋で腹が膨れることはなかった。
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