【3-3】

「こんにちはー。真帆さん、僕です、蓮介です」


軽く挨拶を済ませた僕は、何だか奥が騒がしいことに気付いた。真帆さんひとりで騒がしい訳はなかったので、誰か人でも来ているのだろうか。

挨拶に返事がないのは割といつものことなのだけど、今回に関してはどうやら本当に聞こえていない様子だったので、僕は存在価値の皆無となったレジの横で靴を脱ぎ、彩色堂の住居スペースへ上がった。


「真帆さん?食材買ってきましたよ」


「おっと、あなたが蓮介さんですか?初めまして!」


「……?」


見慣れない顔がいた。

真帆さんの横にちょこんと座るその子は、黒い髪を腰まで垂らした女の子だった。

顔立ちは随分と幼く、どこか真帆さんの面影を感じさせる。

セーラー服を着ているが高校生だろうか。今は制服を自作する子がいるというくらいなので、もしかしたらその類なのかもしれない。

まあ服の質感からして本物だとは思うのだが……何分、最近は物事に対して妙に疑い深くなってしまっているため堪忍してほしい。


「あ、初めまして蓮介です。君は……ええっと……」


「蓮介。そいつに気を遣う必要はないぞ。私の家に新しい家具が増えたくらいの認識で構わない」


真帆さんは不機嫌そうにそう言った。いや家具と言われても。


「うわあ、姉さんはすぐにそういうことをいう。そんな風につっけんどんだから、母さんにも煙たがられるんだよ」


「姉さん?」



「ああ、蓮介さんにはまだ言ってませんでしたよね。改めまして……私は極彩色真帆の妹、極彩色香帆と申します。宜しくお願いします!」



「香帆ちゃん……?え、真帆さん、妹さんなんていらしたんですか?」


「う……うん。いや別に隠してたとかそういうことじゃあないんだけど、なんていうか、言う機会が無かったっていうか……」


口をごもごもとさせながら真帆さんは言う。まあ確かに真帆さんの普段の立ち振る舞いは、あまり家族の目に触れさせたいものではない。


「あなたの話は、姉からよく聞いていますよ。蓮介さん。なんでも姉にプロポーズなされたとか」


「うっ……」

僕は思わず口篭る。


「おい香帆っ……そういう話はやめてくれよ……」


「蓮介さん、その日の夜の姉さんのこと聞きたくないですか?いや大変だったんですよ?お酒も入っていないのに、姉さんったら急にデレデレと私のところにやってきて……」


「わーっ!ちょっと香帆、やめっ……やめろやめてくれ!」


真帆さんは顔を真っ赤にして香帆ちゃんにしがみつく。端から見ればじゃれ合っているようにしか見えないのだが、片方の胸中は恐らく穏やかでないのだろう。


「っていうか香帆ちゃん……でいいのかな。君は今日、なんでここに来たんだい?」


「あ、香帆でも香帆ちゃんでも全然大丈夫ですよ!」


「……」


「……」


「え、あっ……」


どうやら最初の問いしか伝わっていなかったらしい。


「君は今日、なんでここに……」


「いやせっかく姉が切り盛りしてる店の近くまで来たものですから、適当に顔でも出しておこうかなと思ったのですけど、そしたらどうも、今日はあなたと食事をなさるとのことで。これは家族が立ち会わないわけにはいかないと、使命感に駆られてしまったのですよ」


「ふん。何が使命感だ。どうせ母に私の偵察でも頼まれたのだろう」


「いやいやいや!今日は本当にそんなんじゃないって!」


香帆ちゃんは立板に水のようにさらさらと言葉を紡いだ。それにしても、さっきから妙なワードがチラチラと飛び出す。


「えっと、真帆さんは母親とは不仲なのですか?」


「ん?んんん、まあ、取り敢えず親密とは言い難いかなあ……」


「今の私たちの父親は、実は本当の父親ではないのですよ」

香帆ちゃんは言った。


「香帆、あまりそういう話は……」


「大丈夫だよ。そんなことでいちいち苦言を言うほど、蓮介さんもデリカシーが無いわけじゃないでしょうし」


「お前になんでそんなことが分かる」


「だって、姉さんが好きになった人だから……ねえ蓮介さん」


「えっ……」


突然の振りに、僕は恥ずかしながら言い淀む。何度も言うように、僕はそういう話題に、気の利いた答えを返すことができない。


「前の父さんは結構若いうちに死んでしまったのですけど、母さんはそれに悲しむこともなく、別の男、つまり今の私たちの父親と速攻で籍を入れてしまったのですよ。姉さんはそんな母さんに嫌気が差して、飛び出すように家を出てしまったのです」


「……」


そういえば、真帆さんが叔父の遺産である彩色堂を、この若さで切り盛りしている理由を聞いたことがなかった。

香帆ちゃん曰く、母にも見切りをつけてしまった真帆さんは、頼れる人間が叔父しかいなかったのだという。

叔父がこの世を去ってしまった今、唯一親身になってくれた叔父の形見を、時代と共に風化させてしまうのが嫌だったらしい。


「それでも姉さん。母さんは、今でも姉さんのことをちゃんと考えてくれてるんだ。さっきは煙たがられてるとか言っちゃったけど、本当はそんなこと全然無いんだよ。姉さんと同じ。うまく感情を表に出せないってだけなんだ。姉さんのそういうツンツンしたところ、きっと母さん譲りだと思うよ」


「……」


真帆さんは黙ってしまった。


「だから姉さん。たまには顔を見せてあげて」


「………考えとく」


まるで子供のように、拗ねた声で真帆さんは言うのだった。

真帆さんのああいった口の利き方、物の言い方は、実はすべて叔父譲りだという。今のような博学も、ベースは叔父のものなのだそうだ。

そういう話を聞くと、人生とは何が功を奏すか分からないものだと常々思う。少なくとも、僕を構成する人格や価値観の数割は、真帆さんと会話を重ねるうちにできあがったものだ。

真帆さんが家を出ていなければ、今の僕の人格や価値観はまったく別のものになっていたのだろうし、そもそも真帆さんに出会うことすらなかった。

道を外れるという言葉の線引きは非常に曖昧だけれど、道を外したからこそ生まれたもの、道を外さなければ生まれなかったものが、この世にはたくさんあるはずなのだ。

人生において、間違いなんてものはそもそも無いのかもしれない。

これからの物語を築いていく上で、様々な紆余曲折はあれど、地に足さえついていれば、それはそのまま僕の歴史となるのだ。

物事の一つ一つ、一歩一歩が僕の歴史、僕の血肉なのだ。

そんなことを思ったら、何だか胸のつかえが取れた気がした。慌てる必要はない。月並みなことを言ってしまえば、人生は山あり谷ありなのだ。


「……」


僕が勝手に気を楽にした頃、果たして、店の雰囲気は暗くなった。


香帆ちゃんも少しナイーブになってしまったらしく、俯いてしゅんとしている。


「とっ、とにかく。せっかく妹さんもいらしているのですし、鍋を始めてしまいましょうよ。あ、お酒飲むなら買ってきますよ?」


「やったー!蓮介さん太っ腹!」


香帆ちゃんは急に元気になると、顔を綻ばせた。そんなに喜ばれるのなら、彩色堂の経費で落とすつもりだったことは黙っていたほうがよさそうだ。


「こら香帆、お前まだ未成年だろう。若いうちからそんなふしだらをかまして、将来苦労するのはお前なんだぜ」


「姉さんも固いなあ。姉さんだって、高校の頃からお酒飲んでるでしょ?」


「うぐ……それを言われるとなあ」

真帆さんは苦笑しながらそう言った。なんだかんだで、仲のいい姉妹であった。


「あ、真帆さん。それじゃあ僕はちょっと出ますが、一応闇鍋なのですから、自分の手の内は晒さないでくださいよ。香帆ちゃんも」


「分かってるよ。すまないな蓮介、本当は2人でやるつもりだったのに……」


「うわー、またそういうこと言って。あー彼氏欲しいなー」


そんなことを言う彼女らを横目に、僕は彩色堂を出た。先ほどの暗い空気は解消されたようで、呼ばれたこちらとしても一安心だ。

確か近くにコンビニがあったはずなので、僕はそこへ向かうことにした。


「……」


蓮介が去った後の彩色堂には、女性陣2人が取り残された。


「あっ姉さん。蓮介さん、チョコレート買ってありますよ」


「おい、何敵の手の内暴いてるんだ!」

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