【2-10】

城ヶ崎さんの事件から、既に3日が経とうとしていた。

僕はと言えば、相変わらずスーパーでバイトを続けている。城ヶ崎さんは事件以降、スーパーに顔を出さなくなった。単に僕に会うのが気まずいだけなのか、はたまた裏の世界に飲まれてしまったか。その詳細は定かではない。

依頼は結局、僕の独断で破棄されてしまったため、約束していた信玄さんへの給料はパアになってしまった。信玄さんは、別に気にする必要はないと言ってくれたのだが、せめてもの報酬として、帰りの食事代は僕が負担させてもらった。


……そして今、僕はあの事件以降、初めて彩色堂へ顔を見せることにした。別に敬遠していたわけではないのだが、事後報告を忘れていたことを思い出し、急いで真帆さんのもとへやってきたのだ。

それに、頻繁に顔を出しておかねば、報酬が無ければ動かない奴だと思われかねない。まあ確かに報酬が無ければ動きたくはないが。それでも動きたくないだけで、なにも動かないと言ってるわけじゃない。


「……」


そんなことを考えながら、僕は彩色堂の入口を潜った。骨董が外を歩くお客さんの目に留まりやすいようにと、この店の入口は敢えて全開になっているのだが、そもそも目に留める骨董が並んでいないので、この心配りは完全に空振りといってよかった。


「真帆さーん。僕です、蓮介です」


「おっそいな!事後報告は依頼の当日か翌日が基本だろう。なんで3日も顔を見せないんだ!」


真帆さんは凄い剣幕でそうまくし立てた。まあ、これは僕が悪いので仕方ない。


「すっ……すいません。ええと、顔を出そう顔を出そうと思ってはいたのですが、如何せん依頼が破棄されたもので……」


「ふん。若いうちからそんな風に横着をかましていると、将来ロクな人間にならないぞ。それに……」


少しの間を置き、真帆さんは意を決したように僕に言う。


「君は、もう私の物なのだろう?」


言った瞬間、真帆さんの顔は真っ赤になった。恥ずかしいなら言わないでください。こちらも恥ずかしくなってしまう。


「ええ。それに上司と信頼関係を築くのも、助手の立派な仕事ですしね。城ヶ崎さんとの一件で、それが身に染みて分かったような気がしました。僕が彼女と、もっと信頼関係を築けていれば、もしかしたらこんなことにはならなかったのかもしれないのですから」


「別にそんなことはないだろう。むしろ城ヶ崎亜矢が、君のその信頼を利用しようと思ったのが今回の事件の発端なんだから。しかしなるほど。城ヶ崎も、まさか美人局に色恋を持ち出さず信頼を利用するとは。怖い人間はいるものだなあ」


真帆さんは感慨深そうに言った。


「それに信頼ほど築くのが難しく、壊すのが容易く、加えて修正が困難を極める代物もないだろう。まあ、だからこそ尊いものなのだけれど」


「ええ。確かに」


僕はそう言うと、ふと机に置かれた1枚のDVDのケースを見た。


「……これ、まだ捨ててないんですか?なんなら僕が処分してきましょうか」


「むう……」


真帆さんは難しい顔をして唸る。


「真帆さん?」


「いや実はね。私はそのDVDの映像が、今になって少し気掛かりでね。どうにも何か釈然としないものがあるというか……何というか、何かが心に引っ掛かっているのだよ」


「釈然としないもの?」


「ああ。早い話、違和感だ。未だその違和感の正体を掴みかねているので、一応捨てずにいるのだけど……」


「違和感ですか。まあ、真帆さんがそう仰るのなら」


「私は、何かとてつもなく重要なことを見逃しているのかもしれない。何か……今回の事件を根元から揺るがすような何かを……」


「……」


別に、今さら何がどうなったところで、依頼は破棄されているのだからそんなことを考える必要はない気がするが、まあ、これが真帆さんの性質たちなのだから仕方あるまい。

それに実際のところ、真帆さんの抱いているという違和感とやらの正体は僕も気になっている。僕も分からないことは、できるだけ解消しておきたい性格なのだ。


「ちょっと再生してみませんか?ほら、真帆さんのような玄人目で見るよりも、僕のような素人目で見てみたほうが、案外何か新発見があるかもしれませんし」


「そうかな?」


まあそれは僕の見栄以外の何者でもなく、本当は素人目よりかは玄人目の方が発見は多いに決まっている。

それでも、物事の観測者は多いに越したことはないだろう。

その後真帆さんは、DVDをプレーヤーに挿入した。数秒の読み込みを経て、果たして、映像は流れ始めた。


「……」


別に、前見たときと違った印象は受けない。それどころか城ヶ崎さんの自作映像という先入観が邪魔をして、かえって嘘臭く見えるくらいだ。


「特に……違和感はないと思いますけど」


「いや、あったんだ。何かが……何かがおかしいのだ」


真帆さんはそう言うと、違和感を感じたと思しきシーンで何度か一時停止し、また再生といった動作を繰り返した。

その時だった。真帆さんが急に声を上げた。


「これだ!ここだよ蓮介」


「ここ……ですか?」


真帆さんの止めたシーンは、丁度カメラで棚を撮している場面だった。


「……」


「……何かに気がつかないかい?」


「いや……別にこれといっておかしな部分は……」


「君は、城ヶ崎亜矢のパートナーは横長の、やや太めの男性だと言ったね?」


「はい言いました。身長は、もしかしたら僕よりも低かったんじゃないかなあ」


「君の身長は、確か175センチくらいだろう?ならば、その男性はそれよりも低い身長であるはずだ」


「まあ、はい。そうなりますね」


「……そんな奴に、こんな斜め上の角度から、棚の上が撮影できると思うかい」


「……えっ」

僕は思わず息を飲んだ。気が付くと、腕には鳥肌が立っている。


「君は城ヶ崎亜矢の家に行ったのだろう?なら、その棚の高さも確認しているはずだ。とても、君の身長で撮影できる高さじゃあなかったのではないか?」


確かに、随分と高い棚だった。

僕が背伸びをして、やっと手が届くレベルだ。とてもじゃないが、斜め上からの撮影なんてできない。


「えっと、それじゃあ真帆さん。もしかして……」



「ああそうだ。城ヶ崎亜矢が仕組んだ作戦とは別に、のだよ」



「……っ!」

となると、今現在も、彼女はそのストーカーに狙われている?


「恐らく城ヶ崎亜矢は、このDVDを、パートナーの男が自作したものだと思い込んでいたのだろう。だから君が言ったような演技ができたんだよ」

そう言うと、真帆さんはいつものようにからからと笑った。


「しかしこの城ヶ崎という女、意外と異性から人気があるのだなあ。このストーカーの他にも、まだあと2人いたんだろう?」


「はい。確か名前は長瀬と中谷……」


「くわばらくわばら」


「真帆さん……城ヶ崎さんは、今頃何をしているのでしょうか」


「さあねえ。ストーカーの種類にもよるのだろうが、そのDVDには、確か手紙が同封されていたんだろう?」


『いつでもお前を見ている』と。


「あ……」


「まあそのストーカーは、未だ懲りずに彼女を狙っているはずだ。闇に潜んで虎視眈々と」



城ヶ崎亜矢を、狙っている。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

真帆さんからそんな推理を聞いた後、僕はそのまま家に帰った。

居間のテレビを点けると、タイミングよく速報が流れていた。


「嘘だろ……」


速報は、松本市内のアパートで一般女性が何者かに刺殺されたという内容だった。犯人は依然逃亡中で、未だ警察も行方が掴めていないという。

殺された人間の名前は、案の定、僕のよく知る先輩のものだった。


「城ヶ崎さん……」


ついに悪運も尽きたようだった。

因果応報。

自分の施した善悪は、巡り巡って再び自分のところへ返ってくる。

幾人もの人間の人生を狂わせてきた彼女にとって、今回の結果は、まるで予定調和のように思えた。

神を信じない自分がそんなことを思うのはつくづく烏滸おこがましいなあと苦笑しつつ、僕は静かにテレビを消した。

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