【2-9】

美人局つつもたせ


夫婦での打ち合わせの末、妻が別の男と色恋沙汰になったところを夫が揺すり、その男から金をせびり取る手口のことである。

今回目の前の2人は、まあ恐らく夫婦ではないのだろうが、やってることは似たようなもの……というか、男女が共謀している時点でこれはもう立派な美人局と言えよう。

ただ今回の場合、金をせびる手口がかなり粗末だ。そもそも美人局とは、被害者にも少なからず落ち度があるため、被害者は警察にも駆け込めず泣き寝入りするしかないというウマ味が存在するのが特徴だ。

しかし今回は違う。こちらは警察に訴え放題だ。なんせこちらに落ち度は一切なく、悪いのは加害者のみなのだから。

……しかしよく考えると、今回の手口、目の前の男は訴えられても城ヶ崎さんが訴えられることはあるまい。

なんせこちらからしたら完全な被害者なのだ。彼女を訴える道理がない。50万の分け前はどうなっているのか知らないが、恐らく男の方が多くなっているのではないか。

まあ常習犯というくらいなのだから、城ヶ崎さんの策に隙などないのだろう。今僕が考えた、というもの。こんなもの、所詮ガキの浅知恵でしかないはずだ。

もっと狡猾にこの男を騙し、いい気にさせているのだろう。

そう考えると、目の前のこの男も、被害者であると言えなくもないのかもしれない。

美人局の応用作戦。

ストーカー被害に遭っているという偽りの依頼を標的である僕に出し、それを請け負った僕(本来の美人局でいう、妻と色恋沙汰を起こしてしまった男)から狡猾な演技で金を騙し取るという算段か。

……まったく、ここまでの流れもうまいものだ。前日の晩から僕を家に泊め、深夜には仕組まれた迷惑行為。

そしてこのクソ小芝居である。なるほど、手品のタネも割れてしまえば至極単純なものらしい。

城ヶ崎財閥の令嬢が、まさかこんな悪事に手を染めていたとは。

……だが思い出してみると、彼女の資金源であったクレジットカード。あれがそもそも既に止められていたのではないか。御両親の情によってカードが使えたというのは僕の勘違いで、今回のような美人局は、彼女の生きる為の術のひとつに過ぎなかったのではないか。


「……」


「おい蓮介、早くしてくれ。城ヶ崎さんの命が……」


「信玄さん」


僕は横に座る信玄さんに小声で言う。


「……なんだ」


「先ほど真帆さんから届いたメールです。確認してください」


真帆さんのメールを見た信玄さんは、みるみると顔の怒りが増していった。

すると徐に立ち上がり、横長の男の胸倉を掴んだ。


「おっ……おいっ!なにしてんだてめえ!この女の命がどうなってもいいのか!本当に……本当に刺すぞ……いいのかっ」


「刺せるもんなら刺してみろデブ。一生を棒に振る覚悟がお前にあるなら、そうした方が幾らか格好はつくぜ」


信玄さんは怒りの篭った声色で言った。そして、間髪入れず横長の男の顔を殴った。


「ぐわっ……!」


男はそのまま壁まで吹き飛ばされた。衝撃で、積んであった小物や衣類が辺りに散乱した。


突然のことに何がなんだか分からないといった顔で、男は城ヶ崎さんの顔を見張った。

おい、どういうことだとでも言いたげだ。

しかし城ヶ崎さんは傍らにあったシーツで胸を覆い、僕のもとへと駆け寄った。


「あっ……ありがとうっ……君たちが来てくれなかったら、私、今頃この男になにをされていたか……」


だがそんな城ヶ崎さんを、信玄さんは僕から遠ざけるように突き飛ばした。城ヶ崎さんは悲鳴をあげ、勢いよくその場に尻餅をつく。


「人を舐めるのもいい加減にしろよ。世の中、そんな簡単に金なんて手に入らねえんだよ。どこの令嬢だか知らねえが、世間知らずも大概にしとけ」


「なっ……なによ!」

城ヶ崎さんは逆上した風に信玄さんに言った。そしてその懇願とも取れる声は僕へと向けられた。


「なっ……夏目君、私を信じて!わたしっ……私は……」


「唐突に、一体何を信じろというのです。僕は、これでも先輩であるあなたを尊敬していたのに……」


「ひどい……何なのよ、一体何がなんだか、意味が分からない」


「こっちは……もうとっくにお前の裏は取れてんだ。今さらシラを切ろうったって、そうは問屋が卸さねえぞ」


「夏目君……君なら、君なら私を信じてくれるよね?昨日の晩、私をずっと守ってくれてた君ならば……」


「城ヶ崎さん、もういいですよ。あなたが美人局の常習犯だということは、既に僕の上司から聞いているんです。立場が危うくなれば簡単に手の平を返すのは、生き汚いのは、それは少しばかり傲慢ではありませんか」


「……っ!」


城ヶ崎さんは目を見開いて絶句した。言い返したいことは山ほどあったのだろうが、その先に続く弁解が無かったようだ。



「なんで……なんで分かったのよ。誰にも……誰にも知られてなかったのに」


「僕らの上司は、先輩より一枚も二枚も上手ということですよ」


僕がそう言うと、城ヶ崎さんは下を向いて黙り込んでしまった。後輩に見放されたのがショックだったのだろうか。というか、先に僕の信頼を裏切ったのはそっちではないか。これ以上、無意味な先輩風を吹かされる義理もあるまい。


「じゃあ依頼の件、依頼破棄っていう扱いでいいですよね。まあそもそも正式な依頼ではなかったのでしょうが」


城ヶ崎さんは何も言わない。後ろに倒れている男も、先ほどまでの覇気は既に失われており、びくびくする様にこちらの様子を伺っている。


「蓮介、それじゃ、なんか飯でも食って帰るか」


信玄さんは、僕に言った。いつもと変わらぬ能天気な口調だった。


「ええ。あ、城ヶ崎さん。余計なお世話かもしれませんが、家にはちゃんと帰ったほうがいいですよ。いくらいいご家庭をお持ちでも、そんなあぶく銭で食い繋いでいけるほど、この世は甘くないですし」


年下のガキにこんな講釈を垂れられるのは相当に屈辱的だろうなあと考えつつ、僕は信玄さんと共に部屋を出た。

これで土下座の借りは返せたかなあと、僕はそんなことを思った。

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