【2-5】


「……」


「……」


「あ、真帆さん、おはようございまーす」


思っていた通りではあるが、彩色堂の中は実に微妙な空気が蔓延していた。

能天気に挨拶をぶちかました信玄さんでさえ、言った後に露骨にやっちまったとでも言いたげな顔をこちらに向けてみせた。


「そ、それで蓮介、その、さっき渡されたDVDだけど、一応、目を通してみた。まあ随分とありきたりな映像だとは思うが……」


「そ……そうですか。まあ、そうですよね。あ、それで、一応昨晩のことを信玄さんに告げ、今回の件の助っ人を頼むことになったので」


僕は横に座る信玄さんに目をやった。

驚くべきことに、僕の先輩は堂々と煙草を吸っていた。右手には煙草、左手には携帯灰皿が握られている。

意思が弱い云々の問題ではなく、そもそも本当に禁煙なんてしてたのだろうか。たまたま僕が見ているところで吸ってなかっただけなんじゃ……。


「え、あ、何の話でしたっけ」


「おい信玄。私の店は禁煙だと前にも言っておいたはずだよな」


真帆さんは如何にも不機嫌といった様子で信玄さんに言った。

取り敢えずいつものペースに戻ったようで、こちらとしても一安心だ。しかしああいうどぎまぎとした感じは、不思議と心地よいものがあった。


「まあまあいいじゃないっすか。俺も、本当に今の今までは禁煙中だったんですから」


「それと私の店で煙草を吸うことに何の関係がある。というか、お前の理屈はいつも意味が分からないんだ」


「まあまあ。真帆さんにも、ようやく春が訪れた……あっ」


再び信玄さんは、まるでやっちまったとでも言いたげな顔をこちらに向けた。そんな顔をされたって困る。

真帆さんの方に目をやると、顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。


「信玄っ!」


「わああ!そ、それじゃあ蓮介、また夜会おう、シーユーアゲイン!」


「あっ、ちょ、信玄さん!」


およそ流暢とはかけ離れた英語を捨て台詞に、信玄さんは彩色堂から一目散に逃げ去った。


「……」


すると再び店内は静寂で満ちる。

真帆さんも、果たして何と切り出したものかと模索している様子で、チラチラとこちらの様子を伺っている。

僕がしばらくの間黙っていると、意外にも真帆さんの方から会話を切り出してきた。


「さっきはすまなかったね蓮介。その、私もいきなりのことに動揺しちゃって……」


「いえそんな、僕の方こそ急に……迷惑でしたか?」


「ううん。嬉しかった」


真帆さんはにこりと笑った。およそ先ほどの先輩には未来永劫晒さないであろう無邪気な顔で。


「さあ蓮介。結婚云々はさておき、惚気話はここまでだ。さっきも言っただろう。仕事に私情を持ち込んでしまうようではプロ失格だと。ここからは気分一転、今夜の対策を練ろうじゃないか」

真帆さんはいつもの様にハキハキとした態度でそう言った。そんな態度が、なんだか僕はとても安心した。

ようやく本調子といったところだろうか。すかさず僕は、上司からの号令にはいと返礼をするのだった。


「君を外に出している間、私は私で、君から聞いた城ヶ崎亜矢という人間について色々と調べさせてもらった。すると、少し興味深いことが分かってね」


「興味深いことと言いますと?」


「彼女のアパートは随分立派だったと君は言っていたが、それもその筈、彼女は城ヶ崎財閥の御令嬢だ。年商は十数億に達すると言われているが、まさかそんな財閥の娘が、一人でアパート暮らしとはね」


「そ、そうだったのですか。なるほど、道理で……」


道理で所々価値観に差が生じていたはずだ。まあこれは、金持ちは物の考え方が違う

という僕の勝手な思い込み故なのだけど。


「それで、彼女が親元を離れ、こうして一人暮らしをしている理由とかは分かったんですか?」


「ふむ。どうやら些細な喧嘩が原因らしい。喧嘩の理由までは分からないが、そのまま勢いで家を出て、早半年になるという。幸いにしてクレジットカードを持っていたようなので、今もなお、あのような暮らしができているのだと思う」


「……」


親元でクレジットカードを停止させてしまわない理由は、やはりどこか親としての情が沸いているからなのだろうか。城ヶ崎さんも、良いご両親を持ったものだ。

ストーカーという被害に遭いつつも弱音を吐いて実家に帰ってしまわないあたり、城ヶ崎さんにも、どこか意地になってしまっているところがあるのかも知れない。


「それで真帆さん。真帆さんは今回の一件、どういう風に対応したらいいと考えていますか?僕としては、禍根ごとごっそり取り除けてしまえたらいいなとは思っているのですけど」


「まあ待て蓮介。これはあくまで私の予想、本当に何の根拠も無い予想だから、あまり当てにして欲しくはないんだけど」


煮え切らない様子で真帆さんは言う。


「予想と言いますと?」


「……ストーカーは1人ではないのかも知れない……という予想だ」


「……!」


「ストーカーにも色々と種類がある。今から言う種類とは、ストーカーの仕出かすアクションの種類ではなく、目的の種類だ」


「目的の種類……ですか」


「ああ。。これには複数の種類があって、中でも代表的なのは、ストーキングする対象に好意や恨みを抱いているという種類だ。これは、いわゆる個人の感情に起因するもので、早い話、犯人としては自分の欲求を満たすことができたらそれでOKなのだ」


「なるほど、確かにそうですけれど」


「そして私が今回怖いと思っているのが、次に言う二つ目の種類だ。この種類の説明はもっと簡単。起因するものが個人の感情ではなくだ」


「……?」


もっと簡単という前振りを挟まれたが故、聞き返すのが躊躇われる。


「えっと……真帆さん、それは一体どういう……」


真帆さんは大きな溜息を吐いた。やれやれ、君はつくづく物分りが悪いなとでも言いたげだ。


「つまり城ヶ崎亜矢をストーキングしてくれと、頼んだ人物が他にいるのではないかということだよ」


「……それは、昨晩訪れた犯人とは別に、もう1人の犯人がいるかも知れないということですか」


「だからそうだって。何回も同じことを言わせるなよ。まあしかし、今言った通りこれらは全て私の予想だ。気休め程度に胸に留めておいてくれ」


「はあ……しかし、そんなことを言い出すくらいなのですから、真帆さんなりに、何か考えがあるのですよね?」


「……まあ……多少は。城ヶ崎亜矢が財閥の娘であるという情報を掴んだ輩が、誰かに彼女のストーキングを依頼して、それをネタに城ヶ崎財閥本家をゆすろうとでも考えているのかも知れない。少なくとも、そういう可能性はある」


「……」


「というか、ケースは違えど、1人の人間を複数の人間でストーキングして楽しむといった団体は、残念ながら、この日本に実在する」


「え、そ、そうなんですか?」


「もちろん裏だがね。ストーキングの対象となっている人間の家には、何かしらの目印が施されていたりするんだぜ。なんなら君も、暇な時に自分の家のポストや玄関を調べてみるといい。セロハンテープとかが貼ってあるかもしれないぜ」

そう言うと真帆さんはけらけらと笑った。

鳥肌が立った。


「そういうわけで蓮介。念には念を入れて、複数犯の犯行である可能性も視野に入れ行動してくれ。それが前提。いいかい」


「分かりました」


「それじゃあ後は君に任せる。実際こういうプランを練るのは、君の方が得意だろう。私が君にしてやれることは、情報の提供や指針の提示、あとは精々、君の身を案じてやれる程度だ」


「……」


僕が黙ると、真帆さんは困ったような顔をして唇を噛んだ。


「いつも悪いな、蓮介。ちゃんと無事に、私のところへ帰るんだぞ」


「ええ。分かっていますよ」


「君はもう、私の物なんだから」


「それじゃあ」

少し間をおいた後、僕は彼女に言った。


「真帆さんも……僕の物ですよね」

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