【2-2】
城ヶ崎さんの家は市内の一角に聳えるアパートだった。
彼女は僕と同様に苦学生であるらしいのだが、住処の質は僕より数段上をいっていた。
かなり家賃の高そうなアパートに住んでいる。僕のアパートは風呂も無ければトイレも共用だ。それに比べ、ここにはそんなものフル完備なのだろう。
どこをどう間違えればこうも生活の質に差が生じるのか甚だ疑問であった。こんな場所に住める彼女があんなスーパーで金を稼ぐ必要性が、果たしてどれだけあるのだろう。
「ちょっと散らかってるけどごめんねー。今片付けるから」
そう言って、城ヶ崎さんは床に散らばった衣類や何やらを片付け始めた。
「ああ、別にお構いなく」
「その辺適当に座ってていいから。あ、コーラとドクターペッパーどっちがいい?」
「え、あ、それじゃあコーラで」
なぜそんな二択を僕に迫ったのだろう。まさか冷蔵庫には今挙げた二つしかないのだろうか。
「……」
空いたスペースに腰を下ろした僕は、適当に彼女の室内を見回してみた。そういえば異性の部屋に入るのは本当に久しぶりだった(彩色堂は部屋とは呼べまい)ので、幾分緊張してしまっている自分がいることが嫌に恥ずかしかった。
「はいコーラ。さっき買ったばかりだから、結構冷えてるよ」
「スーパーから買ってきたんですか?」
「うん。流石に安くしたりはしてくれないけど、レジ通さなくていいからちょっと楽なんだよね」
「はあ……それで、僕に相談したいことというのは何なんです?」
「うん、そのことなんだけど……」
城ヶ崎さんの顔つきが妙に険しくなった。
片付けを大雑把に終わらせた彼女は、僕に向き合う形で腰を下ろした。
「夏目君ってさ、その、裏方……っていうのかな。そういう事情に精通しているって本当?」
「えっと……その話をどこで」
「私の通っている大学の友達。会話の中に君の名前が出てきたから、ちょっと興味が沸いてきてね。詳しく聞かせてもらったら、どうにも普通の人は絶対知り得ないような情報を持っているとか、ヤクザ屋さんにも一目置かれている……とか。まあ色々と」
「……」
大方、過去に関わった事件がそうして周囲に露見してしまったのだろう。僕自身にあまり自覚は無いが、確かにそういうきな臭い情報は幾つか掴んでいるし、生きるか死ぬかの綱渡りだって幾度となく経験している。
なるほど、上司の名が知られてくると、図らずもその側近の名も浮き彫りになってしまうものらしい。
僕の功績が讃えられるのは光栄だけど、あることないこと噂が飛び交い上司に迷惑をかけてしまうのだけはごめんだった。
「まあ確かに、そういった類の情報には、幾らか詳しいと言えないこともない……と言いますか……」
「やっぱり!凄いんだね夏目君。うわあ、なんだかそういうの憧れるなあ」
凄くない。
凄いことなど何もない。ましてや憧れるなどとんでもない。
「……あまり、滅多なことは口にしない方がいいですよ。どこで誰が聞き耳を立てているか分からない。知らなくていいことは、知らないままのほうがいいに決まっているのですから」
「それ」
「え……?」
城ヶ崎さんは突然そう言った。
「それだよ夏目君。私が君に相談したいことというのは、君が今言ったそれに他ならない」
「え、僕今何かそういうこと言いました?」
「どこで誰が、聞き耳を立てているか分からない」
先ほどまでの調子とは一変、怪談でも語って聞かせるかのような声色で、城ヶ崎さんは言った。
「君の手腕を信じて、私は夏目君にお願い事をしたいんだ。どうか聞いてくれないかな」
「……内容にもよりますが。もし僕に太刀打ちできる様な願いであるのなら、それは依頼として処理され、僕の雇い主に伝えることになりますけど」
「分かった。じゃあ君の雇い主さんにお願いしたい。どうか、どうか私を助けてください。こんなことを相談できるのは、もう君くらいしかいないの」
「助けるといいますと。一体何があったというのです」
城ヶ崎さんは一拍溜めてから、怯えたような表情で言った。
「……ストーカーがいるの。私は今、ストーカーの標的にされちゃっているの」
「ストーカー……ですか」
自意識過剰なだけでしょうと笑って一蹴してしまうことは、どういうわけか蓮介にはできなかった。
依頼を粗末に扱えないというのも勿論あるのだけど、それ以上に、亜矢の表情に気圧されたというのが大きかった。
「それにしても一体なんでまた。そんな顔をして言うくらいなのですから、何か確信に近い根拠はあるのですか?」
「うん。先週くらいからかな……帰る途中で後ろから変な足音が聞こえたり、外出の前、ちゃんと閉めたはずの鍵が開いていたり……挙げ出したらキリがない」
「……それは、城ヶ崎さんの思い込みではないのですか?取り敢えず今例に出した二つだけだと、判断材料としては少し説得力に欠けるといいますか……」
「でも!本当にっ!本当にこれは……あ……」
城ヶ崎さんは、急に何かを思い出したように言葉を止めた。
そして少し待っててと言い残し、そのまま別室へ行ってしまった。
「……」
どうしたものかなと蓮介は思った。
話を聞いている限り、どれもこれも微妙な証言ばかりだ。当然、当の本人からしてみればそれらの状況は全てが不安の種となりうるのだろうけれど、こうして第三者という立場から聞いてしまうと、やはり思い込みなのではという疑いをぬぐい去れない。
例えば今挙げてもらった二つ。足音と施錠について、だ。
この二つは全て城ヶ崎さん個人を主観としたものであり、第三者によって観測されていない。よって彼女の思い込みの可能性も十分にあるし、極端なことを言ってしまえば捏造も可能である。
早い話、城ヶ崎さんが風の音を足音と聞き間違え、施錠をうっかり忘れてしまえば、この状況は至極簡単に説明がつくのだ。
「真帆さんには、一応聞いたことを全て伝え、必要に応じて僕が数日護衛にあたればこの件は解決……かなあ」
そんなことを考えていると、別室から亜矢が帰ってきた。手にはCDの様なものが握られている。
「お待たせ夏目君。これ。これが……私がストーカーに遭っているという何よりの証拠」
「……これは?」
「この間ここのポストに入っていたの。この手紙付きで……」
その手紙を読ませてもらうと、マジックか何かで『いつでもお前を見ている』と殴り書きされている。
「……」
本当にストーカーの被害に遭っているならという前提付きにはなってしまうが、この手紙を送った犯人はプロではあるまいか。
この殴り書きは恐らく意図的なものだ。あえて自分の筆跡を分からないようにしてある。
確かに今は代筆屋の料金もバカにならないし、自分で筆跡を誤魔化せるのならば、そうしてしまうに越したことはないだろう。
「えっと、これはCDですか?」
「いや、これはDVD。中には映像が記録されているんだけど……今から再生するから、ちょっと……見てもらっていいかな」
そう言うと城ヶ崎さんは、そのDVDをプレーヤーに挿入した。数秒のローディング画面が終わった後、果たして、映像は流れ始めた。
「……」
その映像は、ビデオカメラでこの部屋を撮したものだった。玄関から始まり、トイレや寝室までまるで舐め回すように撮影されている。
執拗にタンスや棚の上まで撮られているのは、犯人の趣味か何かだろうか。
「っ……」
「城ヶ崎さん?」
横に目をやると、城ヶ崎さんは自分を抱き抱えるように手を交差させガタガタと震えていた。
「怖い……」
「……」
そうこうしているうちに映像は終わった。実質3分程度の映像だった。
「……これがポストに投函されていたと」
「うん……」
確かにそれが本当なら深刻な問題だ。というか、城ヶ崎さんが僕に嘘をつく理由なんてどこにもないので、この映像はまあ本物なのだろう。
「分かりました。それじゃあこのDVDと手紙はこちらで預からせてもらいます。ま
た後日伺いますので、その時に色々と細かいことをお知らせしますね」
僕は自分の鞄にDVDと手紙をしまった。それをそのまま肩に掛け、帰る素振りを見せた。その時だった。
城ヶ崎さんが、僕のワイシャツの裾を掴んだ。
「え……」
「えっと、もしも迷惑じゃないのなら、本当に、傍にいてくれるだけでいいから」
「……」
「今日はこのまま、泊まっていってくれないかな……夏目君」
城ヶ崎さんはそう、か細い声で言うのだった。
この間真帆さんの言っていたことを思い出す。最後まで依頼に責任を持つのがプロだと。もう依頼が受注されていると考えるならば、きっと今、この場でクライアントの心の隙間を埋めるのは、僕の仕事だろう。
「……えっと……わ、分かりました。それで城ヶ崎さんが安心できるなら」
「……ありがとう」
そう言うと、城ヶ崎さんはにこりと笑った。
結果、当初の予定通り寝るには些か厳しい夜であるということに変更は無さそうだった。
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