【1-14】

完全に道に迷った。

蓮介は、今更ながら自分の向こう見ずさを呪った。こんな未開の夜の山道を、当てずっぽうだけで歩き回るなど愚の骨頂だ。

なら歩き回る前に気づけよという話だが、こうも歩を進めた今になってそんなことをグズグズ言っても仕方あるまい。

タイムリミットは刻一刻と迫っている。いや、もうとっくにタイムオーバーになっているのかも知れないが、そういうことは、極力考えないようにしていた。

死なせたくない。東美香を、絶対に。

彩色堂の従業員として、蓮介はそう切実に願っていた。


「……流石に電波は届いていないようだなあ。東美香を探すどころか、僕自身も果たして無事に帰れるのだろうか」


蓮介がそんなことを呟くのとほぼ同時だった。

至近距離から銃声が聞こえた。というか、その轟音に伴って放たれたであろう銃弾は、蓮介の頬の皮膚を僅かに削ぎ取り、目の前の木に着弾した。


「なっ……!」


呆気に取られた蓮介は、次いで発射された2発目の銃弾に気付くことができなかった。結果、その銃弾は蓮介の右肩に命中した。


「うおおっ」


蓮介の肩に激痛が走った。

暗くてよく見えないが、手を当ててみるとかなりの出血量であることが確認できた。

誰かに、狙撃された。


「だっ……誰だそこにいるのは」


そう蓮介が呼びかけると、暗闇から僅かに足音が聞こえた。その足音は、まるで焦らすかのようにゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「……っ!」


蓮介が顔を上げると、そこには、まだ顔立ちの幼い1人の男が立っていた。歳は二十歳前後だろうか。


「だ……誰だお前は」


「俺はシスイだ。蓮介、あまりウロチョロされたら困るんだよ。勝手に野垂れ死なれることすらも迷惑だ。もし地元住民がお前の死体を見つけてしまおうものなら、この山には図らずも警察がやってくる。それは困るんだ」


「……シスイ……?」


シスイというのは本名なのだろうか。それともあだ名か何かか。どのような漢字を書くのだろう。酒々井、紫水……。

なぜ目の前の男が自分の名前を知っているのかに疑問を抱いたが、その答えは思ったよりも早く判明した。この状況下で自分のことを狙撃し、尚且つ警察の目を恐れ自分の素性を知っている……。


「お前か……?僕や東美香を攫った犯人は」


「んー、東美香っていうのが誰かは分からないけれど、まあ攫った奴らの中には何人か女も居たし、その中にでも混じっているんじゃないかなあ」


「質問に答えていないぞ。僕は、犯人はお前なのかと聞いている」


「お前が俺に質問できる立場だとでも思っているのか。お前の頭を吹き飛ばすかどうかも、今や俺の胸三寸なんだぜ」


「……っ」


このシスイという男、恐らくだがこいつが今回の事件の実行犯だ。何を考えているのかは分からないが、どうやら僕を始末しに来たらしい。


「よーし、それじゃあ聞かれたことだけに答えろよー。まず一つ目。お前はあの廃駅からどうやってここまで来た?」


「廃駅……?」


質問の意図を理解しかねた。普通は駅から出ることができないのだろうか。


「あの駅からは……別に、歩いてきただけだよ。電車の中で意識が覚醒し、自我を持ってここまで来ることができた」


「その言い方だと……電車の秘密には気付いているのか?」


「歯を使った骨伝導による幻覚……で合っているのかな?」


「おお……」


シスイは感心したような声を漏らした。あの装置はこいつらの自信作だったのだろうか。

まあこの謎を解いたのは他でもない真帆さんなので、僕から率先して勝ち誇るような真似はしまい。


「よくそこまで考えが行き着いたなあ。いや、素直に凄いと思うよ。あの状況下で大したものだ」


「……どうも」


「じゃあ次。お前は何者だ」


「はあ……?」


「ヤクザの後ろ盾を持ち、あんな女の下で働く様な奴だ。しかも事件の全容を大まかにとはいえ把握できている。取り敢えず表の人間じゃあねえだろ」


それを聞いた瞬間、蓮介の脳裏に先ほどの真帆との会話が思い浮かぶ。このような情報を掴んでいるということは……。


「……僕の名を騙って真帆さんに電話したのはお前なのか?」

その刹那、再度蓮介の肩に激痛が走る。


「ぐわあああっ」

銃弾が埋め込まれた右肩に、シスイが蹴りを食らわせた。スニーカーの先端が傷口に食い込む。


「だから聞かれたことにだけ答えろって……お前からの質問は御法度って言ったろ?」


「ぐっ……」

傷口からポタポタと垂れる血を手で押さえ、蓮介はシスイに向き直った。


「まあそれくらいは答えておいてやるよ。電話したのは俺じゃない。俺の連れだ。今はアジトに待たせてある。それで?お前は一体何者なんだ」


「……」


シスイが俺の『連れ』と言ったのは、果たして意図的なものなのか、それとも無意識によるものなのか。

僕は、恐らくは後者なのではないかと思った。

『仲間』や『団体』といった複数形ではなく『連れ』と言った。これは、今現在こいつらの仲間が圧倒的に少ないことを意味しているのではないか。

僕を錯乱させることが目的で意図的にそう言ったのであれば大したものだが、恐らくその可能性は低いと思う。

話の流れからして、僕が電話の質問をしなければ、このシスイという男はその話題に触れていなかったはず。言うなればそれは、突如飛んできた予想外の質問であったはずなのだ。

ならば必然、ほとんど間を置くことなくそんな策士的な返答を寄越すなど考え難い。

こいつらの仲間は、今圧倒的に少ない。いても2人か3人だ。

その事実が、僕の胸中でザワザワと蠢いた。

血が踊った。

つまりこいつを今ここで打倒することができたなら、必然僕に勝機が生まれる。援軍

がないというのであれば、多少は無茶もできそうだ。


「……」


「おい、何黙ってんだよ。聞こえてるのか?お前は一体何者なんだ」


「僕は……」


蓮介は、闇によってほぼ死角となった左手を這わせ、地面に落ちた枝を掴んだ。


「彩色堂の従業員だ」


そう言った瞬間であった。

蓮介は左手に持った枝をシスイの右目に突き刺した。枝は思っていたよりも鋭利だったようで、蓮介の眼前の闇夜を僅かにだが紅く染めた。


「うぎゃあああああっ」


絶叫するシスイを横目に、蓮介は素早く立ち上がる。不意打ちが決まったとは言え、シスイの手には銃がある。一時的に形成が逆転できたとはいえ、未だシスイの優位は揺らいでいない。

蓮介は先ほどの枝よりも気持ち大きめの枝を持ち直し、シスイの脳天に叩きつけた。


「うがあっ」


「死にたくなかったら僕をお前らのアジトへ連れて行け。そして攫った人間を解放するんだ」


「この……クソ野郎があっ!」


シスイは鮮血を撒き散らしながら、蓮介に向け猟銃を発砲した。

しかし視力が少々失われたようで、銃弾はおよそ的外れな方向に放たれた。


「ブッ殺してやる!」


そうシスイは叫ぶと、再度蓮介に猟銃を向き直した。

蓮介は猟銃を奪い取ってしまおうかと思ったが、それがいつ乱射されるか分からなかったので、軽々に近づくことはできなかった。


「……そんな目で、撃った弾が僕に当たるとでも思っているのか」


「うるせえっ!本当に殺す!俺は今まで、何人も何人も殺してんだ。もう殺しを恥ずかしいなんて思わねえぞ!明確な殺意を持って、俺がお前を殺してやる」


すると蓮介は、シスイの前から逃げ出した。

ここで下手に挑発して危険を冒すよりは、逃げ回って弾切れを待つ方が得策だと考えたからだ。


「おいっ待ててめえ!絶対に逃がさねえぞ!」


時刻は既に午前4時を回ろうとしている。

日が差し始めた山の中、2人の男による殺し合いが始まった。

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