【1-13】

シスイの去ったアジトには、カニバル1人が取り残される形となった。

早速、カニバルは蓮介の携帯を用いて彩色堂への電話を試みた。幸い、こんな山奥でも電波は通っている。

まあ時間が時間なので、さっき出た女性は既に寝てしまった可能性が高いのだが、そこに関してはあまり気にすることは無かった。


「さて、なんて言って電話したものか……」


先ほどの女性との会話を思い出す。

女性の名前までは把握できなかったが(遠くで樋尻組構成員が女性の名を呼んでいるのが聞こえたが、電話越しではうまく聞き取れなかった)、どうやら蓮介は、この女性の手下か何からしい。

それにこの女性、怪異とか何とか場違いな単語を宣っていたけれど、あれはこれとどう関係があるというのだろうか。

あの時は適当に話を合わせてしまったが、今になって考えてみると、どうにも釈然としないものが込み上げてくる。


「怪異……正確な意味は分からないけれど、妖怪とか、幽霊みたいな解釈でいいのだろうか」


女性の素性が分からないため、軽々に判断を下してしまうのはあまりよくないのかも知れないけれど、この女性、オカルトマニアか何かか。あるいは意味も無く己の特異な仮説を信じたがる誇大妄想狂か。

どちらにしても、あまり褒められた人間でないことは確かだ。


「……」


この様に自分らの犯している行為を棚に上げ、殆ど面識の無い他人を(殆どというか面識に関しては全く無い)、褒められた人間でないと断言してしまうところこそが、シスイの言う通りカニバルの持つ異質さ、悪く言えば自分勝手なところなのだろうけれど、カニバルは、幼い頃からずっとこんな考え方で生きてきた。

巧みに自分を保護し、巧みに他人を見下してきた。

そんな生涯の終着点が、まさか地方ヤクザに殺されることだなんて考えたくもなかった。


「取り敢えず電話だ。奴の名を騙れば、この女は容易く騙せる」


カニバルは先ほどの着信をリダイヤルでかけ直した。

数秒の発信音の後、果たして、聞き覚えのある女性の声が着信に応じた。


『もしもし。蓮介かい』


「あっ夜遅くに申し訳ありません。先ほどの依頼の件なのですが、あれから何か進展はありましたか?樋尻組の方々は、今何をなさっているんです」


『おい蓮介』


「はい?」


『私の名前を呼んでみろよ』


「……っ!」

カニバルの表情が凍りついた。背中に嫌な汗が流れる。

元来嘘をつくのはあまり得意な方ではない。平静を装おうとすればするほど、しきりに呼吸が乱れた。


「な、何を言ってるんですか。こちらは、そっちの依頼に誠心誠意応えようと……」


『うるさいなあ。能書きはいいんだよ。私の質問が聞こえなかったのい?君はいつから、上司に向かってそんな口を利くようになったんだい。いいから、早く私の名前を言えよ。別に全部言う必要はないんだぜ。君がいつも呼んでいる通り、下の名前だけで構わない』


「あっ……ええと」


『まあいいや。どうせお前、蓮介じゃあないんだろう?そんなことはもう分かっているんだ。とにかく、今からお前の携帯に一通のメールを送る。中に画像が添付してあるから、そいつを見てみろよ』


「……?」


それだけ言うと、女性からの着信は切れた。

アジトは、再び不気味な静寂で満ちる。

それから間もなくして、女性の言った通りに一通のメールが届いた。件名は無題になっている。


「はあっ……はあ……」


まだ心臓がバクバク鳴っている。我ながら情けない心臓だと毒づきながら、カニバルはメールに添付されていた画像を開いた。


「…………っあっ……あああ、あっあああああ」


カニバルの瞳孔がみるみると見開かれた。全身から、じっとりとした気味の悪い汗が湧き出した。


「おえっ……おええええ……はっ、はぁっ……はあっ!」


その画像には、果たして、樋尻組に監禁された仲間たちが写っていた。

異質なのは、仲間全員が全裸であること。そして、全員ことだ。

チェーンソーか何かで切られたのか、切断面は至って粗く、床には夥しい量の血液が蔓延していた。

なんだ。

これはなんだ。

樋尻組は、正義漢の集う組織、任侠団体ではなかったのか。

聞いていた話と違う。俺たちが敵に回してしまった組織は、こんな残虐な団体ではなかったはずだ。それなのに、それなのに……。


「わあああああっ……わあああああああああああっ!」


カニバルの胃液が逆流し、彼の口から流れ出た。


胃液は、そのまま攫った人間らの顔面にぼたぼたと垂れた。

その時であった。手元の携帯から、着信音が鳴り響いた。

画面を見ると、『真帆さん』と表示されている。


「はあっ……あああっ」


自分は今まで何を考えていたんだと思った。名前など、この画面を見れば一目瞭然で

はないか。

どうやらこの向こうの女性の名は真帆というらしい。まあ、あの時ちゃんと名前を答えてみせたところで、既にこちらの素性は割れていたのだろうが。


「ああっ……ああああ」

カニバルは震える手で着信に応じた。今はただ、静寂が怖かった。

自分の胸中に蠢く恐怖心が、爆発してしまうのが怖かった。


「は、はい……も、もしもし」


『彩色堂と私の助手を、あまり舐めるんじゃないぞ』


「あ、ああ……あああ………」


『樋尻組だって基本的には極道者さ。口を割らない不届き者を、正規の手段でなんか問い詰める筈がないだろう。まあ監禁している時点で既に正規の手段とは言い難いけれど』


「ご、拷問をしたと……いうことですか」


『ああ。依頼は、既に私の手中に収まる規模じゃなかったってことさ。私は東美香の身柄さえ確保できればそれでよかったんだが、樋尻組の連中、犯人探しに躍起になっちゃってね。自分たちの組を襲撃された程度なら、普通は軽くケジメを取らせて終わりなんだけど、一般人まで巻き込まれてるとなるとねえ。多少手荒になってしまったらしい』


それにしても手足を切り落とすという処遇はやり過ぎだと思った。いくらなんでも、たかが誘拐犯如きにそんなことをしてもいいのか。


「俺たちは、これから一体……どうなるんです」


『さあねえ。それは私が決めることじゃあない。どうやら樋尻組はお前らの居場所を掴んだようだから、いずれそこに行き着くだろう。積もる話はその時にでもしてくれ』

電話の向こうで、真帆はクスクスと笑った。

そしてそのまま、通話は切れた。

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