【1-11】

今日の出来事を一通り聞き終えた僕は、真帆さんに今の状況を説明した。

本当はもっと噛み砕いて言うつもりだったのだけど、この期に及んでまた何か誤解を招いてしまうような事態は避けたかったので、慎重に言葉を選び、紡いだ。結果、少々話が長くなってしまったようだが、それでも、真帆さんは最後の一文まで懇切丁寧に聞いてくれた。基本真帆さんは話し上手であると同時に聞き上手だ。もしこれで、更に対人スキルまでもが備わっていたら、恐らく彼女が世渡りで躓くことはないのではないか。

しかしそこはうまくできている。人間は、根っこのところでは非常に良くバランスが取れている。


『ふむ……』


僕の話を聞き終えた真帆さんは、電話の向こうで僅かに唸った。


「どうですか、何か分かったことはありますか?」


『先ずは……そうだな、確か君は幻覚を見せられたと言ったね?最初はそこの謎を解こう。謎と言っても、別に、そう構えるようなことじゃあない。君は恐らく、電波によって幻覚を見せられたのだ』


「電波……ですか」


『ああ。君が雑踏だと思って聞いていたものは、実は音じゃなくて電波だったというわけだ』


真帆さんはそうやって説明するが、僕はどうしても腑に落ちない。


「電波で幻覚を見せることが可能なのですか?少なくとも僕はあまり耳にしたことがないのですが。それに真帆さんは、失踪者は僕とあと十数人程度と言いましたよね?だとしたら、電波による幻覚だなんて最も考え難い線じゃないですか。だって、そんなものを流したらその車両の人間全員に幻覚を見せてしまうことになる。そんなことをしたら、失踪者はとても十数人じゃあ済まない。下手したら数百人単位の失踪者を出すことになってしまいますよ」


『まあまあ落ち着け蓮介。それをこれから説明する』


真帆さんは落ち着いた様子で言う。


『電波によって幻覚を見せることは可能かどうか、という問いについてだが、これについては何とも言えない。電磁波で思考を抑制することは可能だが、君が見たほどの幻覚は生まれないだろう。だから犯人は電波を脳へ伝える為に、ある橋渡しを使ったのだよ』


「橋渡し……ですか」


『君、歯に詰め物をしているだろう?』


「え、あ、はい。確かにしていますが、それが一体何か……というか真帆さん、なんで僕が歯に詰め物をしているということを知っているのです?」


これは以前歯医者に行った時に詰めてもらったものだ。半月ほど前になるだろうか。

全然関係の無い話だが、歯医者の女性看護師が治療の際、顔に胸を押し付けてくるのは事故ではなく故意なのだという話を聞いたことがある。男性客に対するサービスらしいのだが、その真偽は定かではない。所詮は都市伝説だ。


『そ、そんなこと今はどうでもいいだろう』


慌てた様子で真帆さんは言った。


『とにかく、君の歯の詰め物が電波の橋渡しという役割を果たしてしまっていたということだよ』


「すいません真帆さん、えっと、さっぱり意味が分からないのですが……もっと僕にも分かるように……」


『はあ……』


真帆さんはわざとらしく溜息を吐いた。僕に教養が無いばかりにと一瞬自分を責めてみたが、冷静に考えてみれば、そんな教養を身に付ける機会などそうそうあるものではない。


『骨伝導……これくらいは君でも知っているね?」


「まあ一応は。確か音が頭蓋骨を通って直接聴覚神経に伝わるってやつですよね。それがどうしたんですか?」


『骨伝導は何も頭蓋骨だけとは限らないぜ。例えば歯とか』


「あ……」


『つまり君の歯の詰め物が電波をキャッチし、それが骨伝導によって頭に伝わってきたのだと思う。そうすれば、君の二つ目の疑問の説明もつくだろう』


「なるほど、幻覚を見せる対象は、3ということですか。それならば、攫う対象が随分と絞られてきますね」


『うん正解。それと本来、なんだ。どうやら君を含む失踪者は皆、実際には存在しないはずの車両に乗ってしまったのだよ。恐らくその3は、2両の後ろに連結していない状態で停車しており、前を行く2両とは別の場所へと走っていったのだ』


「……」


しかし攫う対象が随分と無差別だ。特定の人間を攫っているというわけでは無いのだろうか。


『よし、それじゃあ次の謎を解こうじゃないか』


「こんなことをした犯人について……ですか」

すると再び、真帆さんはむうと唸った。


『蓮介……今更なんだが、実は私はこの事件の犯人に、ひとつ心当たりがあったんだ』


「心当たり……それは一体なんです」


『血盟団だ』


「……!……えっ……」


血盟団。

国家革新を目指し、かの有名な血盟団事件を引き起こした日本の秘密結社である。

血盟団事件とは昭和7年2月に発生した連続テロのことであり、死亡者も出ている。

組織のリーダー格であった井上日召は早急に日本を革新させてしまうべく、政治経済の指導者を襲撃しテロによって次々と暗殺していったのだ。


「それは……その、血盟団の残党ということですか」


『いや、年も年だ。そんな時代の生き残りはいない。だから強いて言うのなら、だ。奴らは今、政治を主軸に日本を変えるという観点を捨て、主に国内数箇所の製薬会社を裏で操っている。いずれ全ての製薬会社を手中に納めてしまえば、図らずもこの国を揺るがせると考えているのだろう。本来の血盟団の行動とは随分異なっているが、奴らがその名を騙っていることには間違いない』


「製薬会社……そんなものが、一般人を攫ってどうするというのです」


『まあ人体実験だろうね。ヒトに与えるための代物は、実際のところマウスなんかよ

り本物の人間を使った方が手っ取り早いとでも考えているのだろう。不法滞在する外国人やホームレスを標的にしない理由は定かではないが、恐らくその手の人間は筋者連中から目を付けられすぎているからではないかと思う。ヤクザにとって、ホームレスほど使い勝手のいい兵隊はあるまい。いくらだって手を汚すし、何より格安で仕事を頼めるのだから』


「それ故、人体実験の対象を一般人に絞っているということですか。やくざ者からあまり目を付けられないために」


『そう考えるのが妥当だろう。奴らが樋尻組を襲撃したのも、きっとこの事がヤクザに露見してしまうのを恐れたが故だ。まあそれがきっかけで樋尻組を敵に回してしまったのだから、本末転倒と言えなくもないが』


「……」


組織の名前を聞く限り、とてつもなく強大な敵を相手にしているような錯覚に陥ったが、実際のところはそうでもないのかも知れない。発想が妙に稚拙であるし、冷静に考えればかなり穴の多い誘拐法だ。

しかし油断は禁物である。規模こそそこらのチーマーと同等程度なのかも知れないが、していることは極めて凶悪だ。しかもそれを正義と思っているのだから余計にタチが悪い。

始末に困る。


「真帆さん、つまり今回のこの一件、血盟団を名乗るギャングが連続誘拐事件を引き起こしている……そしてそれの標的となってしまったのが僕と東美香さん、そして他多数であると。そういう解釈でいいんですか?」


『ああ。それで問題ないだろう。案外例の都市伝説も、こんなことで説明がついてしまうものなのかも知れないな』


「例の都市伝説?」


『いくら君だって、まさかきさらぎ駅を知らないわけではないだろう。ネット上の、駅にまつわる都市伝説の定番さ。まあ偶然だとは思うが、君の今置かれているという状況は、そのきさらぎ駅に随分と酷似しているじゃないか』


「急に怖いことを言わないでくださいよ。まあ確かに、それは僕も思っていたことですが」


きさらぎ駅。

某巨大掲示板が出処の、未だ真偽不明な都市伝説である。

要約して説明すると、それはこんなお話だ。

ある日の夜、その掲示板に一人の女性によってひとつのスレッドが立てられた。

帰りの電車に乗ったはいいが、いつも数分で駅に着くものが今日は一向に駅に着かないという。

そして漸くたどり着いた駅の名が、他でもないきさらぎ駅であったのだが、女性がそのことを掲示板に書き込むと、何やら掲示板の住人が騒ぎ始めたのだ。

そんな駅は聞いたことがない。いくら探してもそんな名前の駅は見つからない。

駅の名に対し疑問の声が数多く挙がった。

怖くなった女性は、そのまま駅を出て徒歩でトンネルを潜るのだが、そのトンネルを抜けた先に、一人の香具師が立っていたのである。

結局女性はその香具師に付いていってしまい、最後の書き込みをした後に消息を絶ってしまった。

スレ住人の中には当然釣りだという声も多いのだが、リアルタイムで見ていた者の中には、あまりの生々しさに実は本当なのではとの意見を言う者もいる。


『じゃあ蓮介よ。くれぐれも、不気味な香具師には付いていっちゃあいけないぞ』


「だからやめてくださいそういうことを言うのはっ。マジで僕も怖いんですから」


この上司を調子に乗せてしまうとろくなことがない。このまま放っておいたら、いつまでも延々と自らが持つ如何わしい知識を垂れ流し続けるので、早々に僕は話を打ち切った。


「……」


一瞬微かな沈黙が流れるが、それは真帆の一言によって打破される。


『とにかく、急がなければ東美香の命が危ない。いや、時間的に考えてもう既に手遅れになっている可能性だって少なくないんだ。ここからは時間との戦いになるぞ』

そうであった。東美香が誘拐されたのが3日前だということは、既に手を施されている危険性が高い。果たしてどのような人体実験を行っているのかは定かではないが、未知の薬物を己が身体に打ち込まれるというのだから、決して楽観視していい事態ではないはずだ。


「分かっています。それでは、何か手掛かりが見つかったらまた連絡しますので」


『蓮介』


「はい?」


『絶対に死ぬなよ。……絶対に、生きて私のところへ帰るんだぞ』


真帆は厳重なまでにそう念押しした。いつだってそうだった。どんなときでも、彼女は助手の身を案じてくれていた。


「死にませんよ、絶対。僕が死んだら、一体誰が真帆さんの世話を焼くというんです」


『馬鹿野郎……』


真帆さんは最後に僕を罵り、間髪入れず通話を切った。

とにかく今僕が何を差し置いても完遂すべきことは、東美香の身柄を押さえることだ。そのまますんなり帰路につけようものなら御の字なのだが、そう事がうまく運ぶとは思えない。

まあ妨害にあったらあったでその時はその時だ。こうした向こう見ずな考え方こそが、まさに信玄さんや真帆さんにとっての不安の種なのだろうけれど、生まれついた性分なのだから仕方が無い。

それにそんな生き方でも、現に今、こうして生き存えているのだから、文句を言われる筋合いは無い。


「……まずは、この駅を出てみることだ。全てはそれから考えればいい」


蓮介は闇に包まれた無人駅を背に、人里離れた山道を歩き始めた。どうかそうであってほしい。

離れるのが人里でなく、現世ではないことを祈る。

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