【1-9】

駅に停まったその電車は、その後動く気配を見せなかった。暗闇には不気味な静寂が蔓延している。

携帯の時計を確認すると、現時刻は10時を回っていた。蓮介が乗車したのは7時半頃なので、少なくとも約2時間半は乗車していたことになる。

普段ならばおよそ40分程で自宅の最寄り駅に着く。そう考えると、今更ではあるがここはまさに未知の駅だ。たとえ終点まで乗ったとしても、ここまで時間は掛かるまい。


「しかし本当に誰もいないぞ……こりゃあ一体……」


ふと先程までの頭痛が治まっていることに気付いた。脳裏が次第にクリアになっていく。

とにかく今は何より真帆への連絡が優先されると思い、蓮介は真帆に電話を掛けた。

何度かのコールの末、果たして、真帆は着信に応じた。


「真帆さん、僕です蓮介です。夜分遅くに申し訳ありません。もしかして、もう寝てました?」


『……』


「……?」


どういうわけか、真帆さんは一向に喋ろうとしない。何かがあったのだろうか。


「真帆さん?」


『君はそうやって、人の古傷を甚振って果たして楽しいのかい?もしもそれを楽しいと思っているようなら、悪いことはいわない、やめておいた方がいいぜ。若い内から人に恨みを買われておいて、後々後悔するのは他でもない君なんだから』


「……真帆さん?な、何を仰っているのですか」


『もしも君が私のことを、男にだらしない淫乱な女だと解釈しているとするならば、もうそれは当たりでいいよ。君が何を思ったって構わない。私はただ受け入れるだけだ』


真帆さんはまるで自嘲するかのようにふふふと笑った。


「……真帆さんが何を言っているのかはよく分かりませんが、とにかく今は聞いてください。大変なことが起こりました」


『大変なこと?何だい、東美香に関する情報でも見つかったのかい?』


「……?」


真帆さんは唐突に人名を挙げた。東美香……?


「真帆さん、その、東美香というのは誰ですか?もしかして、なにか緊急の依頼でも入ったのですか?」


『……君、あまり私をからかわないでくれよ。私は、今は確かに虚勢を張っているけれど、それでも、本当は今にも泣いてしまいそうなんだぜ。頼むから放っておいてくれ。私の家に誘ったことならば謝る。軽はずみな行動だったとは思うけど、これでも私はちゃんと反省しているんだから』


震えるような涙声で、真帆さんは言う。

もしかすると、僕の名を騙った犯人から何かを吹き込まれたのかも知れない。


「まあとにかく……結論から言います。恐らく先ほど、真帆さんは僕に電話を掛けたんですよね?そしてそれには僕が応じた」


『だから何だというんだい』


「その声の主は僕ではありません。僕の名を騙った偽物です」


『……えっ』


真帆さんは驚いたような声を漏らした。電話越しにも、困惑した真帆さんの顔が窺えるようだった。


「思い出してください。絶対に、僕の声とは何かが違っていたはずです。例えば声の低さとか、喋り方とか口調とか……」


『そ、そういえば蓮介、君、具合は、よくなったのかい?』

慎重に言葉を選ぶように、真帆さんは言った。


「具合……ですか?」


『ああ、君はさっき、随分酷い鼻声だったじゃないか。それは、もう大丈夫……なのかい?』


「……」

なるほど、犯人はそうやって真帆さんと通話をしたわけか。犯人の取った行動が少しづつ露になっていく様は、なかなか気持ちがよかった。


「ご覧の通りです真帆さん……いや、電話越しなのですからご覧も何もないのですけど、僕はこうして元気です。先ほど少々の頭痛はありましたが、鼻声になんかなっていません」


『じゃあ本当に、その、さっきの電話は、君じゃあ……ないのかい?』


「はい」


僕は即座に答えてみせた。


『……そうか、そういうことか、だから、樋尻組の構成員も……』


「樋尻組?樋尻組の方がどうかしたんですか?」


『先ほど、正体不明の武装集団に樋尻組の構成員が襲撃された。岡部はカチコミだと言っていたが、どうやらそういうわけじゃあなさそうだ。恐らくだが、私が情報を漏らしてしまっていたんだ』


「情報を漏らす……?どこでですか」


『君の名を騙ったという犯人と通話したときだ。私はその時不覚にも、樋尻組に東美香の捜索を依頼したことを喋ってしまったんだ』

緊迫した声色で真帆さんは言う。こちらにも、ただならぬ空気が伝わってくる。


「その東美香とは一体誰で、そして一体、今は何が起こっているのです」


『平気でヤクザに襲撃をかけられるほどの、裏の圧力が動いているということだ。そしてそれは、恐らく近頃になって頻出しているという失踪事件に関係している』


「失踪事件……」

ここで真帆さんの言った失踪とは、まさしく今、僕が立たされている状況のことではないのか。


『ところで君は今どこにいる?さっき言った大変なこととは一体何なんだい?』


「質問に質問で返すようで申し訳ないのですが、真帆さんの言う『失踪』、それってもしかして、何か失踪者に共通点とかあるんじゃないですか?例えば、全員……とか」

電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。


『君は今……どこにいるのだ』


「僕は今、見知らぬ無人駅に立っています。電車の中で幻覚を見せられ、我に返ったらたった一人で電車に乗せられていたのです」


『……そうか』


「ということで真帆さん、僕は今、何の情報も持っていません。今から、そちらで起こっていることをすべて教えてください。僕が今置かれている状況の詳細については、その後お話します」

まくし立てるように蓮介が言うと、真帆は、画面の向こうでにこりと笑った……気がした。


「心得た」

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