【1-2】


店内に入ると、カビや埃の匂いに思わず蓮介はむせ返った。

中は薄暗く、極めて不衛生であった。これも古風な趣だと言われてしまえばそれまでなのかも知れないが、少なくともそんな趣を蓮介は理解したくなかった。


「おはようございます真帆さん。僕です。蓮介です」


蓮介は店の奥に居座るひとつ年上の店主に声を掛けた。


「真帆さん、僕ですって」


「ああもううるさいなあ。分かっている。分かっているよ。別にここに立ち入るのに

私の許可が必要というわけじゃあないんだから、気兼ねなく入ってきたまえよ」


僕よりほんの少し背の低い店主、極彩色真帆は、いかにも不機嫌といった風に小言を並べた。

というかそちらから呼び出しておいてその態度はあんまりにもあんまりだろう。

極彩色真帆。

さらりとした長い黒髪に整った顔立ち、そして無駄にプロポーションの良い彼女は、はっきり言ってこの店に似つかわしくなかった。

似つかわしくないと言うよりは、浮いていると言ってしまった方が表現として適切かも知れない。

とはいえ僕に働く場を与えているのも、給料を与えているのも他ならぬ彼女なのであって、細かいことについていちいち言及するのは些か憚られるものがあった。


「真帆さんも少しは外に出たらどうです?こんなところにずっと篭っていちゃあ体に悪いですよ」


「そんなもの私の勝手だろう。君が心配することじゃあない」


「真帆さんの身体は、真帆さんだけのものじゃあないんですから。一応僕も貴女の助手を命じられている手前、あまり身体に悪いことはして欲しくないんです」


「へえ、まあ確かに私は時給以外に取り柄なんてひとつもない店主だけれど、お生憎様、自分の体調管理くらいは自分でできるさ」


「う……」

聞かれていた。

無駄に耳がいい。抜群なのはスタイルだけに留めて欲しいところだ。

真帆は足を組んでそれをそのまま机の上に乗せた。あまり行儀のいい行いではなかったが、真帆の美脚に見蕩れた蓮介は、うっかり注意するタイミングを逃した。


「それで?蓮介。私の頼んでいたものは持ってきてくれたのかい」


「あ、ええ。昨日のうちに買っておいたんで」

蓮介はコンビニ袋から週刊誌を3,4冊取り出した。内容はゴシップから政治、経済まで様々である。


「こんなもの自分で買いに行けばいいのに」


「冗談言うなよ蓮介。私がコンビニで、まともに買い物ができるとでも思っているのかい」


「……」

そんなことをさも当然のように言われても反応に困る……。

まあ確かに真帆さんは、あまり人前が得意な方には見えないけれど。


「どうしてこんなに沢山の雑誌を買うんですか?……っていうか真帆さん、確か新聞も色んな銘柄を5部くらい取っていましたよね」

すると真帆は、まるで醜いものでも見下すような、あからさまに呆れた表情で蓮介に言った。


「君も私の助手ならば、情報の収集を横着するなよ」


「一応、以前真帆さんから言われた通り携帯電話は2台持ち歩いていますよ。それを使って何をしているかといわれたら、まあ、特に何もしていないのですが」


「それでは宝の持ち腐れじゃあないか。せっかく便利な物を持っているのだから、もっと有効に使いたまえよ」


「はあ……」


「それに念のために言っておくけれど、新聞を色々取っているのは、何も色んな情報が手に入りそうだからなんて浅い考えだけじゃあないんだぜ」


「え、そうなんですか?」

意外だった。僕はてっきり、人と少し違ったことをしてみせてマイノリティにでも浸っているものだとばかり思っていたけれど。


「新聞に載っている内容なんて、大きな視点で見てみれば案外どの新聞も大差はないのさ。私が見ているのは何も内容だけじゃあない。誤差だ」


「誤差……ですか」


「同じ記事でも、新聞によっては数値やら考察やらに大なり小なり差が出てくるだろう。それを見逃がさず、色んな紙面を見比べ平均的な数値や多数派の考察を見定めるんだ。早い話、情報の真偽は自分でつけろってことだよ」

そういえば昔、高校の授業で新聞を用いたとき、確か教師がそんなことを言っていたような気が……。


「結局、提示されたひとつの情報を何でもかんでも鵜呑みにしてしまうような連中は、社会に翻弄されていくだけだということさ。結果、誰もプロパガンダにだって気づけない。社会に置いていかれることはないかも知れないけど、少なくともそれでは、前進できない」


「前進できない……」

ここで真帆の言ったが具体的に何を指しているのかは、蓮介には判断しかねた。


「君はメディア・リテラシーという言葉を知っているかい?」


「えっと……確か発信される色んな情報を正確に読み取って批判的な考え方を養う……とか。そんな内容じゃありませんでしたっけ」


「うん。概ね正解。それを踏まえて、メディアそのものを創造できる能力のことだ」

真帆は誇らしげに笑った。屈託のない、可愛らしい笑顔だった。


「だから君が、もし大学で目的を見失ってしまったときは、例えばそんなことを学んでみるといい。それを金にするのは難しいが、まあ生きる指針くらいにはなるだろう」


「……」

この人もこの人で、案外僕のことを考えてくれていたりするのだろうか。

なるほど、金が無くとも生きる指針さえ定まれば、割と屈託無く生きていけるのかも知れない。

僕と僅か一年しか歳の違わない彼女が、なぜこうも明確に、僕に人生を説くことができるのかと問われれば、ひとえに彼女の裏稼業における経験の賜物だと言わざるを得ないのだろう。

僕も彼女の助手として割と色んなことに首を突っ込んできたが、恐らく僕と彼女では踏んだ場数の桁が違う。

彼女、極彩色真帆の表稼業は骨董屋(こちらの収入はほぼ皆無と言ってよろしい)、そして裏稼業は情報屋である。

情報屋といっても情報を売るのが仕事ではない。使仕事なのだ。

独自のルートで仕入れた情報を武器に、クライアントからの依頼を解決する。言ってしまえば精度のよい何でも屋である。

彼女は、得た情報は僕以外の人間には決して渡さない。絶対に渡さない。

軽口を叩きあってこそいるが、根っこのところでは、きっと信頼を置かれているのだと思う。

僕もいつか、例えば助手のような存在を持ったときには、真帆さんのように何かを語ってあげられるのだろうか。

その子が生きる希望を見い出せるような気の利いた言葉を、語って聞かせてやれるのだろうか。

まあそれは恐らくずっと先のことだと思うので、今は目の前の業務をまっとうする。

目の前の業務。

真帆さんの肩を揉むという業務を。

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