第36話

 天高く、雲は流れ、闇の帳が下りた頃。

 一組の男女がゆっくりと離れ、向かい合う。

「・・・・・。」

「・・・・・っ」

 二人は見詰めあい、やがて、どちらからともなく口を開く。

「おかえり」

「ただいま」

 互いに、不自然さもなく笑みが浮んだ。

「来てくれるって信じてた。カルノがあたしを助けてくれる事も」

「俺が助けたわけじゃない。お前の力だ」

 それでもと続け、

「あたしはカルノの事が好きだから」

 信じてたの・・・と口元で指を絡ませ赤面する。

「はは・・・あたし、なに言ってんだろ」

「………おかしくなんかないさ」

 いつになく優しい声音。

「俺だって、お前の事は嫌いじゃない。ついさっき、ようやく気づいたことだけどな」

 その表情も柔らかい。

「だったら………」

 シーラは頬を上気させたまま銀髪の青年を見上げてゆっくりと目を閉じる。

「・・・・・」

「・・・・・」

 数瞬の間だけの沈黙が続いた。青年は平然と。少女は期待と怯えに。

「・・・・・」

 やがてカルノは改めて彼女を抱き寄せ、ゆっくりと、その小さな額に口付けした。

「・・・・・っ」

 驚いたような少女に構わずカルノは離れると、

「先に行け」

 短く言った。

「な、んで・・・」

 声が震えるのは期待に反する行為か否か、

「やり残した事がある。先に行ってラヴェンダーと合流してろ」

 柔らかい表情はなりを潜め、再び薄氷のような冷ややかさと鋭さを取り戻している。

「一緒に行かないの?」

「時間がないしラヴェンダーも負傷してる」

 今までの態度と一変して、取り付く島もない。

「必ず戻る。だから先に行って待っててくれ」

 だが、ここで笑って、

「お前はお前の自由を取り戻した。なら、今度は俺の番だ。大人の時間は、それが終わってからだ」

「なっ!」

 シーラの顔がリンゴのように染まる。

「だから、俺を信じて待て」

「理由は聞けないの?」

 言われて困ったように苦笑する。

「全てが終わったら話す」

 少女は微かにうつむき、

「必ず帰って来るんだよね?」

「ああ」

 答えは短いが、それで充分だった。

 カルノの首に両手を回し、彼の唇と自分のそれを重ねる。カルノは驚いたように目を見開くが、それでも突き放したりはしなかった。

「・・・・・っ」

 少女ははにかむようにしながら離れると、顔を染めて笑った。

「帰って来れるおまじない。カルノは帰って来たら同じ事をしないといけないんだよ?」

「・・・ああ」

 シーラは歩き出す。そして、戸口の前で立ち止まり、一回だけ振り返った。

「絶対だよ?」

 その顔は今までとは違い、涙でクシャクシャに汚れていた。

「絶対帰ってきてね?」

「ああ」

 そして、青年は背を向ける。

「必ず帰る。ラヴェンダーと一緒に待ってろ」

 煙草を咥えたのだろう、ゆっくりとした紫煙が夜の空を漂う。

「帰ってこなかったらひどいんだからね?」

「知ってる」

「絶対だからね」

「ああ」

 言葉は短いが、確かに感情がこもっていた。

「俺を信じろ」

「っ!」

 少女の表情が引き歪む。

「大好きだよカルノッ! 絶対、絶対戻ってきてね!」

 少女は袖で涙を拭って走り出した。

「・・・ありがとう、シーラ」

 その声が届いたかどうかはわからない。

 しかし、それでもカルノは思っていた。帰るべき場所が初めて見つかった事を。

「・・・だから」

 煙草を指先で揉み消し、冷たくなった空気を吸い込む。

「決着くらいはつけておこう。ウォン・クーフーリン」

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