第25話

 このバートン支社に来てから己の感覚が普段と異なる形を取っていることに、シーラは薄々ながら感じていた。どこか懐かしいようで、それでいて不快感を感じる。

 理由のない懐かしさと不快感。それらを薄気味悪く感じていながらも彼女は等間隔にドアを埋めた白い壁紙の廊下を一人走る。

「はっはっはっ……」

 多少息が荒れているのは、先程までなぜだか運良く無人であった(・・・・・・・・・)制御室を滅茶苦茶に荒らした時の残滓。壁の向こうの(・・・・・・)足音が聞こえたため慌てて逃げ出したのが現在の状況。

『なんで特殊鋼材の防音壁の向こうの状況と音がわかるの?』

 疑問に思っても口には出さない。

『私が狙われるのはだから・・・なの?』

 徐々に片鱗を見せるのではなく加速的に何かが変わっていく感覚に恐怖しながらも足だけは止めず最上階だけを目指す。

 だが、それも束の間、シーラは突然踵をすらせ慌てて急ブレーキ。同時にわずか先の左右の扉が銃声と共に微塵に砕けた。

「・・・・・。」

 目の前をキラキラ光る物質は木材ではなく合成樹脂による耐熱プラスチック製ということを分子構成から理解する。

『なんでこんなのがわかるんだろ』

 死に掛けたことに恐怖は感じないらしい。むしろ、銃撃があると気付いた自分に恐怖を感じているようだった。

 そんな事を考えている間にも後方の扉も砕け散り、左右の幅二メートル半というたいして広くもない廊下で包囲される。

「・・・・・」

 わらわらと沸いてくる兵士たちを見据えながら再び例えようのない懐かしさに襲われる。唯一先程との違いを上げるなら、不快感の変わりに歓喜の色が混じっている事だ。それこそ理由がわからない。

「シーラ・ディファインス・・・降伏しろ」

 機械仕掛けのヘルメットで個性を無くした兵士たち。笑い出したい気持ちで一杯になる。

 彼らがここにいるのは自分の意志でなく命令だ。なぜ自分たちがシーラという少女を捕らえようとしているのかさえ知らないのだ。いや、知っていても理由を知らないといった所か。

「あなた達に理由はないんだね」

「女といえ余計な真似をすれば射殺する」

 周囲の何十人いるかどうかもわからないような兵士たちが各々の武器を取り出し構える。銃器よりもナイフの数が多いのは同士討ちと室内ということを考慮した上での事だ。

「か弱い女の子にこんな大人数なんて必要ないと思わない?」

「関係無い。命令された事を確実に遂行するだけだ」

「そう」

 肩を落として大きく息をつく。


 だけどあたしは逃げない。


「だけどあたしは殺して逃げる」

『え?』

 自分の唇が意志に反して勝手に動いた事に気付いた時、驚愕と共に否定する。

「違う! あたしは誰も殺さない!」

 叫ぶように言いやってから喉の奥で引きつったような悲鳴を上げて膝から崩れ落ちる。

「こいつなにやってんだ?」「さあ?」

「何でもいい、錯乱しているうちに捕えろ」

 銃を持った男に顎でしゃくられ、彼女の左右に配置された兵士がシーラの脇を固める。

「・・・・・・・・・・・・・・・・離して」

 左右の二人は果たしてその呟くような声が聞こえたかどうか。なぜなら、

「離せと言っている」

 普段の彼女からは想像もできないような低い恫喝。同時にシーラが軽く腕を振るったようにしか見えなかったにもかかわらず、その瞬間左右の男達が弾丸のような勢いで人垣の中に飛び込んだ。

「貴様、動くな!」

「こ…んなとこ……ろで撃ったら味方まで」

 額に皺を寄せながらよろめくシーラ。

 そんな彼女を嘲笑うかのように、銃の男は迷わずトリガーを引き絞った。

 重なり合う銃声。

「やめ・・・」

 この場合は運良くだろう。彼女に掠りしなかった銃弾は彼女を包囲していた兵士たちに残らず命中した。

後方からの悲鳴にシーラはキッと銃口を見据え口を開く。

「やめてっ!」

 目の前の銃口が閃光で染まった。


 ドクンッ


 と一際大きな鼓動と共に視界の全てがスローモーになる。理由や原因はどうでもいい、結果だけを自覚する。

『知覚領域を再設定・・・戦闘プログラム解凍 コード・スプリガン・ロード・・・・』

 次に音が消えた。ただの静寂だけがそこにある。とはいえ、頭の中でやかましく叫ぶ声だけは健在。不快な声に小さく舌打ち。黙れと心の中で念じると途端に声は沈黙した。

 とりあえず現状を思い出し確認する。

 わずか先にゆっくりと自分に向かってくる無数の小さな弾丸。これを避けるのはとても簡単な事だ。しかし、避けた後は後方の兵士が傷つく事になる。

 自分を捕えようとする自分の敵。それでもシーラは彼らが傷つく事が嫌で堪らなかった。

 だから、腕を振るう。

 全てがスローモーションの中で自分だけが普段と変わらず動けることに違和感を感じなかった。むしろ、それが当然といわんばかりに無数の銃弾を素手で弾き飛ばし、間合いを詰めて元凶である機関銃を握り締める。それだけで無骨な銃身は容易く砕け、手の平の中で銃弾までもが破裂した。

「っ!」

 それでも衝撃だけで痛みも傷もありはしない。

「なに? なんなのこれ?」

 彼女の戸惑いをよそに、頭の中で警告音。

『エラー発生。知覚領域の低下と運動制御の倍率低下します』

「うっ!」

 脳の奥からうずくような痛みに我に帰る。

「な・・にが?」

 気付けば音が戻っていた。兵たちのざわめき、苦痛の声。それらが通常の状態まで戻っていた。

 そこでむしろ安心。

「それはあたしがまともでいられるから」

 そして、自分を奇妙な目で見つめる兵達を見上げ言い放つ。

「あたしは逃げない!」


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