第11話

 マゼンダ・ドライ。

 常に主のために付き従う、支社長秘書の肩書きを持つ、二十台半ばの女性である。

 ・・・と言っても、それは表向きのことであって、実際は他社から派遣された「インサイダー」

 第四支社から送られた内通者。それが彼女の持つ、本来の肩書きであった。

 そして、その彼女が廊下を走っていた。

 赤銅色の髪を揺らし、肩は激しく上下し、荒い息を吐き、それでも彼女は走る。

 目的地は、偽りの主の下。隙あらば・・と暗殺指令まで出ているのにもかかわらず、胸に渦巻く焦燥が彼女を走らせていた。

 理由らしい理由なんてない。それは全て後付なのだから。人を好きになるのに理由はいらない。それが全てであった。

 そう。彼女は抹殺すべき偽りの主に好意を寄せていた。それはもはや、愛と断言しても構わないレヴェル。

 それが彼女の走る理由。

 足元の絨毯には、荒々しい軍靴の跡が残っている。彼女が手引きした結果だったが、胸に渦巻く焦りの炎がことさら勢いを増した。

「ウォン様・・・無事でいてください」

 重武装した一個小隊をぶつけてウォンをどうにかできるなんて思ってもいないが、万が一という場合がある。

「ウォン・・様」

 愛すべき者にして殺すべき者。相反する二つの感情のどちらかに傾く事は、己の立場と心が許さない。だが、マゼンダは走る。

 そして、角を曲がり、粉砕されたドアをくぐり、部屋に入り、目にしたのは、

「・・・やあ、マゼンダ君」

 真紅、真紅、真紅。

 何もかもが真っ赤に染まった(・・・・・・・・・・・・・)見た事も無い(・・・・・・)部屋であった(・・・・・・)。その中央に雪色の衣装の青年が薄く微笑んでいる。

「こ、これは・・・」

 声が言葉にならない。それ程異常な光景だった。

 美しい夕日を映すはずの巨大なガラス窓は、赤黒い何かで大半が染まり、先の風景を阻んでいる。足元の絨毯は、足を動かすたびに液体の跳ねる音がなった。そして、跳ねた飛沫は紅。

 大理石の壁もシステムデスクも、何もかもが真紅。

「お、お怪我は?」

 何とかそれだけ口にすると、ウォンは微笑みを彼女に向けた。

「見ての通り無事だ。しかし、少々目立ち過ぎてしまったらしい。元々他社に好かれていないのは知っていたが、思っていたよりも嫌われていたようだ」

 ヤレヤレと首を振って、右手で握っていたものを床に落とす。

 それは、ほとんど原形を維持していないものの、半壊した人間の頭部だった。

「っ!」

 部屋中に満ちた血臭を今更意識したのか、口元を押さえてえづく喉を必死にこらえる。


「裏切り者」


「えっ?」

 彼女は驚いたように顔を上げる。だが、それでも冷静を装うようにして視線を交わらせてくるので私は苦笑した。

 彼女が他社から派遣されたインサイダーなんて事は、会ったその日から知っている。それでも彼女を傍に置いているのは、仕事面に関して誰よりも優秀であったからだ。

 暗殺指令も受けているようだが、行動を共にする日々の中で、それが不可能ということをすでに悟らせてある。どんな人も方法も、等しく私を殺せない。だから、彼女を傍に置く。とても歪んだ共存関係。それが私とマゼンダ君だ。

「裏切り者・・・つまり、内通者がいるらしい。浸入経路、私のタイムスケジュールを知っているくらいだ。我が社の中央に食い込む者だろう。至急調査してもらえないか」

「し、承知いたしました。他には?」

 普段から冷静であり気丈な彼女が、ここまで露骨に動揺する姿は、そうそう見られるものではないが、それをいつまでも見ているのも可哀想だ。

 だから、部屋全体を見渡してから彼女に向き直る。

「そうだね。清掃員を呼んでもらえるかな。少々汚し過ぎてしまったのでね」

「は、はい。それでは失礼致します」

 言って彼女は、走るように去っていってしまった。まったく、こういうところは可愛らしいものだ。

 しかし、今考えるのはそんなことではない。

 デスクの前まで戻ると受話器を取って耳にあてる。

「私だ。今すぐキンダーガーデンへ飛ばすヘリを用意してくれ。搭乗者は私と操縦士だけで良い。兵装はナパーム。詳細は追って連絡する。以上だ」

 ここから運命の歯車は回りだす。それを邪魔する者は、私自身で叩き潰す。そう、部屋中に散らばった彼等のように。

「彼等が欲していたのは、これか」

スーツの上着に収めていた書類を取り出す。

「雀の涙ほどの報酬で、私の命とこんな物の為に、己の命を天秤にかけるか。わからなくもないが求めるモノの程度が低すぎる」

 ・・・いや、私も同じか。あるかないかも知れないアンティークを血眼になって探す。なんて滑稽な事だ。

 なにせ、この書類に書かれている事が真実ならば、彼等や私の求めるモノは、とうの昔に消失していることになるのだから。


・・15年 …………死亡


「フ、フフフフフ……ハァッハッハッハッ!

やってくれる。やってくれるじゃないか。まるで三文小説のようだ!」

 再び紙面に視線を落とす。そこには、


・・15年 シーラ・ディファインス 死亡

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