第7話

 最初に来たのは銃撃だった。

 サブマシンガンによる一斉斉射。真っ白なマズルフラッシュと飛び散る空薬莢。

 だが、そんな物はおろか、襲い来る灼熱の銃弾も、薬物によって延長された神経が、スローモーションの映像のように知覚する。

 だが、知覚できたからといって身体が反応できなければ意味はない。

 そう、あくまで肉体は肉体だ。引き延ばされた時間の中で、自分の体もスローモーション以下の速度で動き出す。

 合計二十五発の銃弾は、為す術もなく俺の身体を蹂躙するだろう。だが、そんなことなど対した問題ではない。

 右手に握りこんだ真紅のエレメントは跡形もなかった。なんせ、そういう風に作られているのだから。

 限りなく人体に似せて作って人口体。金属でありながら人の身体に酷似または擬態した物質「ナノマシン」99・7895パーセントまで再現されたそれは人の意識によって、人体と同化する。

 それは、脳の下垂体に補助脳を現実の物として形成する。形成された補助脳は、大気中に漂う特殊な因子を拾い上げ、檻と呼ばれる己の意思領域に再構成する役目をもつ。

ようは空想が現実になるのだ。俺の抱く理想を実現する。


 視界の向こうに網目模様な様な物が見えた。それが俺の制御圏内だ。実際、対した距離じゃない。紅蓮の魔女に比べればたいした範囲じゃないとはいえ、二流のエレメンターと、その連れには充分すぎる。

 そう、破壊の距離だ。全てを破壊しても釣りがくる。

 破壊!破壊破壊破壊破壊破壊破壊!破壊破壊破壊!

 全てを破壊しよう。


 問題はない。意識するだけだった。

 次第に落ち着いていく思考の中で、人体を貫く銃弾も全ては炎に包まれる。

 限定空間に放出された摂氏一千五百度の炎の壁は、鉛の銃弾などたやすく蒸発させ、揺らめく陽炎を残して消えた。

「これが本当のエレメンターだ。力をばら撒くだけが全てじゃない」

 上司から最初に叩き込まれたのは、巨大な力を引き出すのではなく、持てる力をいかに制御するかということだった。

「全力を出すのはバカでも出来る。必要な時に必要な分だけの力を引き出すのが本当のエレメンターだ」

 上司に言われたままのセリフを口にし、視線を下に落とす。その言葉を証明するように、視線の先にあるアスファルトは微かな焦げ目をつけているだけだ。防御に不向きな炎のエレメントを使用して、この程度で済むのは純粋にエレメンターの腕である。

それを見た兵士たちが小さくうめくのをカルノは確かに聞いた。

「さあ、どうする?」

 自分の所業を見せ付けられた彼等がどんな対応を見せるか楽しみだった。無論、どんな反応であれ容赦はしないが。

「・・・シーラ・ディファインスを差し出すと言うのなら、今回のことは水に流す。上の連中はそう言っていた」

 ウィリアムの言葉に同伴の兵士達はうろたえたような素振りを見せる。それは、ウィリアムが諦めのような言葉を発したからではない。並のエレメンターではありえない力を見せ付けられ明らかに引くべき状況で、

「・・・とはいえ、俺はそうとは思わない」

 明らかな殺気に満ちた歪んだ笑顔。

「バートンに逆らう者を生かしておくわけにはいかない!」

 叫ぶと同時に火球が迸った。

 赤い尾を引く高熱の火球は、カルノの行なった限定的な炎壁に比べるとあまりにも稚拙に映る。

『二流が』

 声には出さず、口の中で小さく笑った。そして、迫り来る火球を腕の一振りで消し去る。

「!?」

 ウィリアム達の無言の驚愕にもわけがある。だが、彼等がそれを口にする前に、カルノは飛び出していた。その距離十メートル。

「くそっ!」

 焦りを帯びた声と同時に、今度は二つの火球が生まれカルノに向かって放たれた。避けられるタイミングではない。しかし、今度のそれも眼前に迫る刹那の時、

 手の甲に軽い衝撃。

まともに受けたら消し炭と化してしまうような熱量を素手の拳によって弾き散らせてしまう。

「っ!」

 カルノは別段たいしたことをしたわけではない。単純に、ウィリアムの逆をやっただけのことだ。

 補助脳の算出した火球の熱量を、同じだけの出力で中和分解。それだけでエレメントのEA(エレメンタルアビリティ)は無効化が出来る。もっとも、言うのは簡単だが、そこに行き着くまでのレベルに達するまでは、尋常ではない訓練を受ける必要がある。

 まずは補助脳の解析速度強化。これは、ブリット(カプセル)を飲み変質状態の時に、どれだけ緻密な精神回路を構築するかによって決定される。ただ漠然と変質し、漠然とエレメントとの融合を行なうと目の前のエレメンターのように、無意味な力だけを撒き散らす存在になる。

「畜生!」

再度飛来する火球を補助脳が解析。

『摂氏、八百五十五度。効果範囲 三十センチ。炸裂四散型EA』

 カルノが変質時にイメージした保護脳は、索敵回避分析型、それは能動防御に秀でている。そして、その義務を果たすように通常の視界の裏側の、この世の理を無視した世界を補助脳が知覚し分析。

『解除条件 出力25・87パーセント。限定領域 身体先端部から半径十センチ』

 自分の力が及ぶ範囲でなら、同属性に限り無効化は可能だ。当然二割程度の出力なら、それもたやすい。限定領域が狭いのはこの際我慢するしかない。

赤熱した一対の火球はなんの工夫もない直線軌道。カルノは両の手を振るい己の範囲制御内に火球を捕らえた。

『コンタクト・解除成功。EAの99・85パーセント無効化』

 両手に軽い衝撃を覚えるが、それはほぼ無効化されたEAの名残だ。完全に無効化が出来なかったとはいえ、カルノが行なった行為が尋常でないのはウィリアム達の顔を見ればわかる。その間に間合いを詰めたカルノは、エレメンターの方に見向きもせず、銃を装備した武装兵士に襲い掛かった。

 走ったままの勢いを乗せた跳び蹴りは、鈍く輝くヘルメットに突き刺さる。武装兵の首がありえない方向へ曲がり、足裏に伝わるのは頚椎を粉砕する鈍い感触。

「・・・・・」

 地面との再会を果たすなり一番手近にいた兵士へ無造作な右フック。腰も入れていない腕の振りだけの拳は、頑強なボディーアーマーに覆われた胸に当たる所で止まった。

「なにを・・・」

「燃えろ」

 カルノの足元が破砕音と共に砕け散り、爆音を伴いながら総重量100キログラムを越える巨体が、炎の尾を引きながら空高く舞い上がった。

 これで残りは、ウィリアムを含めて三人。近い位置で己の死角を補い合う防御陣形。悪くはないが、この場合はそれが災いした。

 動揺から立ち直った彼等が、動きを止めたカルノに無数の銃弾を浴びせるが、それも炎壁でガード。続いて脳裏に破壊のイメージを紡いでいく。

『効果範囲・最大 対象破壊レベル・殲滅級』

 脳裏に覚える灼熱感。それはカルノの持つ破壊の意志。これを解き放てば空想は現実になる。

「俺は、あいつ(シーラ)のように優しくはない!」

 カルノのEA発動。

音のない炎の乱舞が目の前の三人を巻き込み荒れ狂い、大量の蒸気と陽炎を残して焼失した。

カルノが行なったのは、ただ目の前に、最大の破壊力を叩きつける。ただそれだけの炎撃。

 ウィリアムとの違いは、効果範囲外に膨大な熱量を漏らす事のない尋常ではない破壊力。

摂氏三千度を越える炎とは呼べない炎に包まれれば、人など骨も残さず燃え尽きるであろう。だが、

「意外としぶといな」

 何かの飛来する気配を察知しカルノは跳んだ。その眼前をバスケットボール大の火球が過ぎ去り、音もなく消え去った。

「な・・ンなんだ・・・お前は」

「別に、元はただのしがないサラリーマンさ」

 声がくぐもっているのは、轟火に顔を舐められ、顔の一部が炭化しているからだ。

「力の全てを防御に回したわけか。無傷というわけには行かなかったみたいだけどな」

 カルノの放った炎の中で残ったのは、全身を炭色に染めたウィリアムだけ。他は、煮立ったアスファルトと、原形を失った武装兵の装備していた耐熱装甲の残りカス。

「そん…な力・・を持って・いる・・のはなぜ・・・だ?」

「たいしたことじゃない。檻の領域を限界まで広げるのではなく、実用可能範囲まで縮めただけだ。範囲が狭ければ狭いほど制御力も増す。まあ、超がつく一流エレメンターは最大の距離で最大の破壊力と緻密な制御を可能とするが俺はこれが関の山さ」

 もっとも、今まで行なった全てのEAを見る限り、カルノが一流と言っても差し支えないエレメンターであることは疑いようがない。そんな相手に立ち向かったウィリアム達は運がないと言わざるを得なかった。

「それよりも、なぜ、貴様等バートン社が、あんな小娘一人に固執するか聞いていない」

「それ・・は・・・」

 ウィリアムの様子を窺う限り、そこまで重要なことは知っていないようにも見える。実際、彼も何を言えばいいのか分からずにいるようで、荒い呼吸と苦痛のうめきを漏らすだけで言葉にならない。

『という事は、それなりに上の連中が関わっているようだな。・・・最高にして最悪だ』

 口の中だけで呟き、その口元が微かに弛む。

「わかった。もういい」

 コートの内側に手を差し込み、すぐに引き出されたそれは、鈍く輝く片刃のキドニーダガーを握っていた。

「っ!」

 炭色に炭化したウィリアムの表情が歪む。カルノの意図を悟ったのだろう。

「後顧の憂いは絶っておく。安心しろ苦しませたりはしない」

 苦しむ者を一瞬にして楽にしてやる親切(キドニー)な道具を逆手に持ち変え、立つのがやっとのウィリアムに歩み寄る。

「よ・・よせ!」

 最後の力で数個の火球が飛来するも、集中力が衰えているため無効かも容易い。腕の一振りで全てを破砕し、そのまま彼の口を左手で押さえつけ、無理矢理体勢を入れ替える。そして、右手のナイフを首筋に添え、

「悪く思ってくれ」

 一閃。


 微かに灯る街灯の下、音もなく流れる鮮血を踏みしめながら、左手だけで器用に煙草とライターを取り出し火を灯す。

 一筋の紫煙がたなびき、鼻腔を独特の香りが満たしていく。だが、それは今のカルノにとってひどく苦く感じられたが、同時に生まれた歓喜によって、ひどく有意義にも感じられた。

 これで、バートン社の方も、シーラの傍にいる誰かが何者なのか様々な憶測を始めるだろう。それが狙いだった。

 使い捨てのコマのように捨てられた自分がどこまで出来るのか。そして、遠い昔から続く果てしない因縁。ようやく全てに手が届く。

「どんな物も者も利用して辿り着けるなら、なにが犠牲になろうと構わない。それが……」

 咥えたままのフィルターを噛み千切り、道端に吐き捨てる。

「俺の復讐だ」


 時は、その日の夕方頃にまで遡る。

「・・・先日シーラ・ディファインスの拉致に向かわせたウィリアム・ハーキンスとその部下一同について報告に参りました」

 豪奢な装飾の施され扉の前で、ファイル一式を胸に抱いたマゼンダが扉の向こうの主に告げる。

『入りたまえ』

 主人の許しを受け、マゼンダはノブを回して扉を開く。そして、開け放たれた扉の先に映るのは昼と夜の境界線、眩い夕日が地平線に消えようとする幻想的な光景だった。

 バートン第十三支社社長室。部屋の一番奥がガラス張りになっているのは、ウォンが支社長に就任した際に改装を行なったからだ。

 狙撃の可能性があるから止めたほうがいいと申告したものだが、この光景を目にしてマゼンダは一瞬だけ自分の言った言葉を忘れた。

「どうした、入らないのかね?」

 窓辺に立つ純白のスーツ姿が顔だけ振り向かせて微笑んだ。

「・・・失礼します」

 磨き上げられた大理石の床と壁。

足元の絨毯も足首まで沈んでしまうのではないかという上等の物。の上を歩きながら窓の近くに配置された調度机の前まで進み、そこで歩を止める。

「本日1300、シーラ・ディファインスの拉致に向かわせたエレメンターと、その部下達ですが、予想外の不確定要素により拉致失敗。その際にエレメントとブリットを奪われたとの事です」

「不確定要素?」

 夕日に向き直ったウォンの怪訝そうな声。それも無理はない話しだ。シーラの拉致に向かったのはエレメンター。エレメンターとは既存の兵器とは比較にならない力を有したエレメントを持つ者達の総称なのだ。

 研究者たちの間では、使用者の実力が一定水準に達すれば、現代兵器のほとんどを無効化できるとまで言われている。とはいえ、使用者が人間なのだから、いくらでもつけ込む隙があるとはいえ腐ってもエレメンター。不確定要素でどうにかなるとは思えなかった。

 ……が、事実は事実として受取らねばならない。ウォンはここで初めて彼女の方へ向き直った。

「状況の説明を」

「はい。拉致を決行したエレメンターの話しによりますと、エレメンターとエレメントに精通した者との事で、生身でエレメンターを撃退した事から、素人の仕業とは思えません」

「他には?」

「年齢は二十代前半から後半。身長は百七十五から百八十センチ。目が隠れる程度の銀髪で黒のロングコート。詳しい情報は得られておらず、現在聞き込みと、類似者の情報確認を行なっています」

 胸元のファイルを机の上に置き、これ以上の情報はもう少し時間がいただければと、申し訳なさそうに頭を下げる。

「マゼンダ君が気にする必要はない。それよりも、任務を失敗したエレメンターは?」

 ウォンの言葉に目を伏せ「申し訳ありません」とうなだれた。

「と言うと?」

「拉致に失敗したウィリアム・ハーキンス三級エレメンターですが、エレメント管理者に簡単な報告をした後、予備のエレメントを渡せと要求。断った管理者に暴行を加え無理矢理エレメントを奪ったそうです」

「・・・ほう」

「それから軍事部門の兵士数人を伴って宿舎を出発。そして、先程行方が判明しました」

 ファイルの中から一枚の用紙を抜き取り、ウォンに向けて置く。

「・・・・・」

「ご覧の通り、全員が死体になって帰ってきました。ただ、その内二名はエレメントによるEAによってボディーアーマーの残りカスが遺留品として報告されています」

 書類の端には、エレメンターであったウィリアムの詳細について記されている。躁鬱(そううつ)の気が激しくエレメンターとしての質が問われる・・・そんな事がわかっているなら、はなからエレメントを与えなければいい。人事部の再構成が必要か・・内心一人ごちながら、視線をマゼンダに戻す。

「ウィリアム三級エレメンターですが、遺体の損傷が激しいものの、直接の死因は鋭い刃物による頚動脈切断。その手腕が非常に鮮やかなことから、昼にウィリアム氏と戦闘した男性と推測されます」

 彼女の報告に満足そうに頷いて、ウォンは再び夕日へと向き直った。

「エレメンターの強さというのは、すなわち心の強さだ。それがどんな感情であれ。今度失敗したら、自分の立場が悪くなると知っていた彼の力は、以前と比べ物にならないものだったろう。なのに、彼は誰かもわからぬ者に敗れた。それは事実」

「・・・・・」

「シーラ・ディファインスの傍には、余程の信念を持った者がついているらしい」

 言葉に反して、窓ガラスに映るウォンの表情は穏やかである。いや、夕日に目を細めるその顔は微笑んでいるように見えた。

「ウ、ウォン様?」

「とはいえ、我等バートンへの敵対者に変わりない。・・・マゼンダ君、街の方に手配を」

「はい。他には?」

「引き続きアンティーク(・・・・・・)の情報等の収集と、他社の動向を探って欲しい。

以上だ」

「承知しました」

 言ってマゼンダは大きく頭を下げると、そのまま背を向け扉の外へと消えていった。そして、扉が閉まるなり窓ガラスに映る微笑みが、微笑みから笑みに変わる。ウォンらしからぬ、大きく口を吊り上げた野性的な笑みに。

「なるほどな。私の道を阻むべく力を手に入れたか。それがどんな形なのかは知る術もないが、試練無き栄光など怠惰に等しい。嬉しいよシーラ・ディファインス。君には確かに資格がある」

 鋭さを宿した視線が、一瞬だけ机の上を映す。そこにあるのはマゼンダの置いた拉致関連の資料。そして、白黒だが挑発的な敵意を宿す瞳の少女。

「確かに彼女自身は無力。だが、他の誰かを頼ったとはいえ、その細腕で手に入れた勝利は何よりも尊い。尊敬するよシーラ・ディファインス。だからこそ、君を手に入れようとする私は全力を尽くさねばならない。それが私の目的だからだ」

 観客のいない独白を続けるウォン。その眼下には各々の家路につく社員の姿と、その先に続くネオンの街並みに向かう二組に分かれる。

「・・・・・・・」

 目を閉じ、思い浮かぶのは過去との邂逅であり郷愁ではない。見上げる事しか知らなかったあの頃。戦う事を知らず這いつくばる毎日。

「っ!」

 我知らず拳を硬く握り締める。

「昔、遠くも近い過去の中で、私もあのネオンの街並みで生きていた。ボロをまとい、腐肉を喰らい、遠くからこのビルを見上げる事しか出来なかった」

 だから・・と言葉を切る。

「必死に這い上がった。汚泥にまみれた街の中で、より強い何かを望み、時には悪にも身を染め・・・」

 閉じられていた双眸が力強く開かれる。それは夕日色に染まり、彼の中に渦巻く葛藤の色のようにも見えた。

「肥溜めの中から産声を上げた」

 音がなるほど歯を食いしばり、

「欲深き権力者どもめ!」

 目の前に移る自分へ拳を叩きつけた。

「・・・・・」

 もう一人の自分と拳と拳を合わせたまま大きく息をつく。自分は何をしているのだろう。そう思ってしまう時点で疲れているのかもしれない。しかし、こんな所で立ち止まるわけにはいかなかった。

「私が、今までの歴史を作り変える。形も残らず作り変える。愚かな『神民』を排除して、私が勝者になってやる。そのためには・・・そのための革命だ!」


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