第6話


シーラ・ディファインスの朝は早い。朝の仕込みがあるからだ。シチュー用の肉を、煮込み素材となる物達を調達に行かなければならないのだから。昨日は肉類が二割高だった。業者の都合で畜産類の出荷がいつも以上に少なかったからだ。

 当然業者の出荷が少なければ少ない豚肉牛肉は取り合いになる。まあ、鶏肉を含めて物価は上昇した。

 そして、シーラの店のような弱肉定食店は危機に陥る事になる。常連の買い付け業者達と違い、すれていないシーラは、その分だけ早く起きて対応する。市場の開く前からシャッターの前で待ち、それが開くと同時に満面の笑みを浮かべて取り引き開始。

 それが彼女の日常であり、一日の始まりでもある。というわけで、薄闇に包まれた部屋の中で彼女のまぶたがゆっくりと開く。

「・・・・・」としばらく寝惚け眼のまま固まっていた。

 思考がまとまっていないのだろう、目元をごしごし擦りながら次第にはっきりとしていく思考の中でポツリと呟く。

「・・・知らない天井だ」

 そろそろ買出しの準備をしなければ大変な事になる。なのに、自分は知らない天井を見上げどこにいるのかも認識していない。

 そして、考えるのが苦手だったシーラは、

「あと・・五分」

 ・・・・・・と寝返りを打って瞳を閉じる。そして、正確に五分経過してから、

「っじゃなぁぁーーい!」

 包まっていた毛布と布団を跳ね飛ばし、シーラは勢いよく身を起こした。そこで、初めてまともな思考が開始する。たいして性能の良くない頭脳が目を閉じるまで起こった出来事をおぼろげながらも再現していく。その中で一番焼きついた人の姿は、

「カルノっ!」

 彼は助けてくれた。たいして親しくもなかったのに危険を顧(かえり)みず助けてくれたのだ。仏頂面に苦笑と不機嫌を浮かべて、それでも守ってくれた。

「・・・嬉しかったな」

 口元に小さな笑みが浮ぶ。

 小さな笑みと小さな喜びに見合う危険かどうか比べるまでもなかったが、ほんの微かな幸福にシーラは酔った。だが、そこで気付くその幸福を与えてくれたであろう人物の姿がなかったことに。

「いないのカルノ?」

 ろくに視界が利かないとはいえ、カルノが寝床として選んだソファーの上に彼の姿がないことはわかった。

 疑問が生まれる。

「どこいったんだろ?」

 テーブルの上にも空のコップが置かれるだけでメモがきなどが残されている様子もない。

 シーラは彼の行きそうなところを思い浮かべようとし、即座に諦めた。

 自分とカルノはそこまで親しい仲でもないし、低速度での回転を得意とする頭脳では思いつくはずも無い。

「もしかして警察に・・・」

 そこまで言いかけて、彼女は口を閉じた。

 そんな訳が無い。そうだったのならば最初から助けようとするはずも無い。つまり、出かけるにはそれなりの理由がある。

「買い物?」

 一人ながらも首を振った。

 小さな窓からのぞく外の様子は早朝の空気が滲んでいる。こんな時間に買い物などありえない。

 考えるのを諦めたはずなのに、思考が止まらなかった。しかし、彼が女性の家の扉に手をかけたところで、彼女の思考はショートした。

 そんな時の事だった。頭からぷすぷすと音と煙を上げている彼女の反対側で、出入り口の扉が開いた。

「っ!」

 関節の限界を無視して首だけ振り向かせる少女に、家に入ろうとした人物は微かに後ずさったようだ。

「お、起きてたのか」

 珍しく震えた声で、銀髪の青年は戸を閉めベットの前まで近づいていく。それに合わせてシーラの首の角度も人のレベルに近づいていく。それが向かい合う形になったところで、彼は安堵の息をついた。まあ、シーラがカルノの心情に気付くことはないが。


 シーラの方といえば、反対の意味でドキドキと胸が高鳴っていた。徐々に縮まる二人の距離。それがたった一歩の距離にまできた時、シーラは反射的に顔を上げていた。

「・・・・・」

 いつも通りの冷たい表情。何を考えているのか想像もつかない。だが、彼もれっきとした男性なのだ。可憐な少女である自分と一緒にいて、強引なマネに出るとも限らない。

 こんな時、なんというべきか?

『アタシは安くないわよ』とか『あたしを乗りこなせる?』など、過激なセリフから控えめな言葉などが彼女の脳裏に浮上する。が、

「どうした? 顔が赤いぞ」

 とカルノが不意に彼女の顔を覗き込む。いつの間にやら俯いていたらしい。しかし、そんな事よりもなによりも、二人の顔が触れ合わんばかりに接近していた。少し見上げるだけで二人の唇が重なり合う。

「・・・・・っ」

「熱はないみたいだな」

 唇の代わりに額と額を少しだけ合わせてから、彼は小さく頷き一歩だけ離れた。そして、白い紙袋を彼女の膝に放る。

「これは?」

「服とか必要そうな物を適当に買ってきた」

『カルノがあたしに服を?』

 とはいえ彼女の喜びも一瞬の事で、

「代金はもらうからな」

「(意外とちゃっかり者なのね)」

 しかも、紙袋を開けて最初に出てきたのは、ホワイトとグレーのストライプパンティーだった。途端、顔に血が上り頬に焼けるような灼熱感が走る。

「なんで!」

 押し殺した声と恥ずかしさの入り混じった眼差しで睨みつけると、カルノは小さく頷いた。

「下着の替えもないと不便だと思ってな。サイズが分からなかったから適当だ」

 彼女の感情など歯牙にもかけず……いや、この場合は気付くことなくと言った方が正しい。を淡々と口にする。

「・・・ありがと」

 こめかみ辺りを引きつらせながらシーラは立ち上がり、そこで気付く。

「カルノ、お酒飲んでる?」

 彼のロングコートから微かに香るのは煙草とアルコールの香り。しかも、相当な量だと窺い知れる。

「何かあったら良いこと悪いことに構わず酒を飲め。昔の上司がそう言っていたよ」

 それは果たしてどちらであろう。自分自身(カルノ)に問いかけて・・・止める。敵対者はバートン。答えなんて決まっている。

「って、まだ飲むの?」

 テーブルの上のグラスに、茶色の液体を注ぎ込むのを見て非難じみた声を上げる。

「起こった回数だけ飲む。そう教わった」

 カルノは彼女に背を向け離れる。この時、シーラは見る事が出来なかったが、彼は笑っていた。時折見かける苦笑ではなく、はっきりとした笑み。それに彼女は気付かなかった。気付けなかった。

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