第5話

「ありがとさん」

 という店主の声を受けながら、鈴付きの扉が音を立てて閉じられる。

「・・・・・」

 時は丑の刻、不吉とされる闇の頃。その闇の中を闇の衣装で身を包み、銀糸の髪を揺らしながらカルノは歩く。

「少し飲みすぎた……か?」

 そう言いながらも思考も身体の反応もしっかりしている。有事の際は問題なく動ける事を確認した。

 現在、彼が歩を進めているのはシーラの眠る自宅ではなく、本来彼女が眠る筈の『彼女の家』である。

「・・・・・」

 ソフトケースからジョーカーを取り出し火を灯す。ジッポライターの灯りが周囲の景色をわずかに照らし出した。

 何もかもが焼け落ち、すすまみれになった『サバート』の看板がやけに物悲しい。

「あいつが見たら卒倒しそうだな」

 微苦笑と紫煙を吐き出し、カルノは大きく辺りを見回した。当然の事だが人気はない。

「おい」

 なのに、彼は声を上げた。誰かに呼びかけるように。そして、カルノの言葉に答えるように、正面のサバートから一つの影が現れる。

「バートン社 軍事部門所属 課長補佐ウィリアム・ハーキンスだったな」

「戻ってくると思っていたぞ」

 カルノの言葉を無視する形で、そのウィリアム・ハーキンスは進み出た。

「待ってもらった所に悪いんだが、あんたの期待に応えられそうにない」

「強気でいられるのも今の内だ。今回はシーラ・ディファインスをこちらに渡して貰うぞ」

 血走った目に震える手足。明らかに正気と狂気の境界線を綱渡りしているようにも見える。ようは、エレメンターとしての歪んだプライドがそうさせているのかもしれない。

 そんな彼の背後から数人の武装兵士が現れ、黒光りする銃口をカルノへと向けた。音もなく、動きにも無駄がない。相当な手練れであることは間違いない。バートンを敵に回すというのはそういうことだ。

「だが、まだまだ足りない」

「ん?」

 ウィリアムの怪訝そうな声。四つの銃口に狙われながらも平然としているカルノは、吸いきった煙草を地面に落としてブーツの踵で踏みにじる。

「そんなことよりも、なぜ、あの小娘を狙うのか答えろ。バートン社が女一人拉致するのにエレメントの使用はやりすぎだ」

「自分の立場がわかっていないのか? 我々がその気になれば・・・」

「お前等じゃ無理だ。隊長ほどじゃないが、俺もそれなりに自信がある方でね」

「?」

「気にするな。話しを聞く奴は一人だけでも生き残っていればいい」

 言い終えると同時にカルノは跳ねた。その眼前で炎の柱が迸る。

「性懲りもなく別のエレメントを持ち出したのか。それに、前と同じで扱いが甘い」

 すでにエレメントとやらの装備が終わっていたのだろう。前触れもなく襲った炎はエレメントによるものだ。真っ赤な閃光は一瞬にして辺りを照らし視界を奪う。

 そう、ウィリアム達側の。

「くっ、撃て!」

 ウィリアムの連れ立った武装兵士は灰色の野戦服に身を包み、夜間戦闘用に暗視ゴーグルを装備しているのだが、その暗視ゴーグルが災いした。光量調節装置のお陰で目が潰れるような事態を避けられたものの、一瞬視界が純白に染まるのは避けられない。カルノは、その隙を見逃さない。

 咄嗟に火線から身を隠し、コートの懐に手を伸ばす。その手が目的の物を取り出し、手の平を広げると、そこにはカプセル状錠剤二錠と真紅の結晶体がのせられていた。何よりも透明で、何よりも純粋な無機物としての美しさ。しかし、それは同時になによりも危険な破壊力を秘めた禁呪の宝石。美しさに比例した危険は使い方によって諸刃の刃となりえる。それでも、逆に言うならば扱いこなしさえすれば、これほど使い勝手のいい兵器もない。

 だが、カルノが手にとったのはカプセルの方だった。その二錠を口に運び嚥下する。喉が音を立てて上下した。当然のことだが味はない。だが、その行為がなにをもたらすのかだけは知っている。

 これから起こるのは圧倒的な破壊。

(どこだ、あいつはどこに行った!)

 そこまで離れていないにもかかわらず、彼等の声はやけに遠くから感じられ、そうと思いきや真近で叫ばれているような錯覚に陥る。

 アルコールとは比較にならない酩酊感。視界はグニャリと輪郭を失い壁に背を預けているのに宙へ投げ出されたように平衡感覚を失う。

エレメンターたちの間では「変質(トランス)」と呼ばれる現象。通常や常識では知覚できない因子と檻(おり)を認識するための準備期間。その「変質」が終了した時、カルノの常識と反射神経は人を超える。

 それを可能とするのは、科学という現代の錬金術によって作りだされるケミカルドラッグの背徳的な力。その背徳的な力が自らの力を吐き出すことのできる檻を認識する。

 カルノの檻が持つ制御圏は半径5メートル以下。その中だけなら自分の理想を実現できる。・・・ただし、破壊の力という意味だけだが。

「・・・さっさと静まれ」

 変質は今も続いている。グチャグチャの視界の中で、ウィリアム達がカルノの姿に気付き、銃口を向けようとしているのが背中越しに(・・・・・)見える。

 小さく舌打ち。変質が終わっていない。無粋な奴等だ。だが、ほんの少しだけ遅かったようだ。意識が急速に覚醒していく………


 見える見える見える! 何もかもが変質していく。色も、姿も、形も! 何もかもが意識下に再構築されていく。

 白と黒だけに染まっていく視界。引き延ばされていく時間。トランス状態の思考だけが加速、加速、加速!

 必要なのはイエスかノー。イエスが黒でノーが白。ならば俺は黒で染めよう。理不尽な理由で人の未来を奪う奴等を黒く染めよう。

 そして、俺は右手のエレメントを強く・・・強く握りこむ。真紅の結晶の鋭さが手の平を裂いて血と混ざる。どちらも紅、真紅の輝き。鉄錆色の、闘争の色。

 さあ、復讐を始めよう。

 残酷でしかない世の中に鉄槌を下そう。

 無能者にもかかわらずエレメントを与えられ、自分よりも恵まれた豚を灰に変えよう!

 何より、弱い者いじめしか出来ないような世界を破壊しよう!

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