第4話

「今回は上手く行ったか」

 肩にかかったすすを払い落としながら、傷らしい傷も無いカルノが嘆息する。

 そして、自分の背に隠れるようにして立っているシーラも、やや汚れてるものの怪我はないようだった。怪我や傷を負ったのは、全てあの偽警官たちである。

「カ、カルノ怪我はない?」

 本来ならパニックを起こしてもおかしくない状況なのだが、彼女は震える声で安否を尋ねてきた。

 内心たいしたものだと思いながら「ああ」と頷いて膝をつく。無論、疲れでも怪我でもなんでもない。

 膝をついたカルノの眼下には白目を剥いた悪人面が口を開けて倒れている。

「・・・・・」

 その男の懐に手を伸ばし、ひとしきり探り手を引き抜くと、カルノの手には一枚の手帳が握られていた。中には身分証明用の磁気カードもしまわれており、この男の経歴が記してある。

「ウィリアム・ハーキンス。バートン社 軍事部門所属。階級は課長補佐。なんでこんな男がエレメントを………」

「ね、ねぇ、カルノっ!」

 思考の世界に没頭(ぼっとう)しようとした時に、後ろから声をかけられ少々気を害しながらも、なんだと言って振り返れば、シーラが慌てた口調でまくし立てる。

「は、早く逃げないと、本当の警察や消防署の人達が・・・消防署? そうだあたしの店ぇ!」

 いい感じでパニックを起こし始めた彼女に、心の中で前言撤回と呟きつつ、落ち着けと声をかけた。

「しょうがない。とにかくここを離れるぞ」

「え?」

 いつもならば人通りもまばらな寂れた街の一角も、普段では考えられない人々が野次馬となって遠巻きに視線を注いできている。その色は主に好奇心。自分に危険のないトラブルはこの上ない娯楽なのだ。

「馬鹿らしい」

 忌々しげに吐き捨ててから、カルノは動揺したままのシーラの手をとり駆け出した。途端に、目の前に展開していた人の壁が二つに分かれて散り散りになる。意外と爽快な気分だった。

「お前も急げ」

 右手に握っていた手帳とその他の「何か」をポケットにねじ込むなり、顔をシーラに向ければ、彼女はなぜか顔を真っ赤に染めてうつむいていた。

「?」

 理由はわからなかったが、今は、そんな事を聞いている暇はなかった。遠くから聞こえるパトカーのサイレンを背に二人の姿は灰色の街の中へと消えていった。


「わあぁ・・・・」

 意外と言ったら失礼かもしれないが、シーラが足を踏み込んだカルノの自宅は思いの他片付いていた。

 ワンルームなしからぬ広々とした内装。

 壁紙も張っていないコンクリート剥き出しの壁に、名前もわからぬマシンガンやライフル、大ぶりのナイフがかけてあるのはいただけないが、部屋の隅に置かれたベットや白のカーテンもこまめに手入れをしているようで清潔感が感じられた。同じ一人暮らしでも、シーラとはえらい違いである。

確か、自分の部屋は脱ぎっぱなしのハーフパンツやパジャマに雑誌・・・とここで考えるのを止めた。カルノはカルノ、自分は自分だ。

「なにボッと突っ立ってる。立ってるのが趣味なのか?」

 言ってカルノは二十帖程あるであろう部屋の中心に配置されたテーブルの前に椅子に腰を下ろす。その椅子はどこから拾ってきたかも分からない錆びたパイプ椅子。ちなみにテーブルは手製のようで角材と大きな板を合わせたかのような様相をしている。

「・・・・・」

 なんと言うか、生活感の無い部屋だった。

 ただ起きて寝るためだけの部屋。そんな印象を抱かせる。家具らしい家具が無いのも要因の一つかもしれない。

 シーラは仕方なく椅子に座ると、改めてカルノと向き合った。

「? どうした」

 自分の店のカウンター越しに見るのとは明らかに違う。同じ目線で思いのほか近い距離。何が起こるわけでもないのに、鼓動は早まり、顔が紅潮していくのが分かった。

「な、なんでもないの」

「そうか」

 慌てて手を振る彼女に訝しげな視線を送りつつも、カルノは立ち上がると入り口の近くにあったキッチンまで歩いていき、コンロに乗っていた薬缶を火にかけた。

「紅茶とコーヒーどっちがいい?」

 問いかけるカルノに、シーラはコーヒーと答えた。本当は紅茶の方が好みなのだが、彼女は毎朝カルノがコーヒーを注文するのを知っていた。だから、コーヒーと答えたのだ。些細な事かもしれないが、そういうことに意味があるとシーラは思っている。

「できたぞ」

 そう言ってカルノが持ってきたのは金属製のマグカップを二つ。どちらもブラックだ。

「お前の好みは知らないからな。適当に使え」

 コップの前に置かれたのはシュガーケースと市販されているミルク。

「悪いがインスタントだ」

 言われなくても分かっていたのだがカルノは丁寧に補足してくる。

「い、いいよ気にしなくて」

「まねかざるでも客は客だからな」

 短く言って、テーブルに置かれていた灰皿を自分の前に引き寄せる。

「客以前に未成年の前でなに吸うつもり?」

 視線を細めるシーラに対し、カルノは肩をすくめてやはりテーブルに置かれた煙草を取って封を切る。

「ここは俺の家だ。なにしようが関係無いだろ?」

「・・・・・」

 そうこられては返す言葉もない。シーラは仕方なくコーヒーを啜って沈黙を選ぶ。

「・・・苦っ」

 ミルクと砂糖を入れ忘れたコーヒーはひどく苦かった。

「それで、これからお前はどうするつもりだ?」

「?」

 一瞬、なにを言われているのか分からなかったシーラは、きょとんと無防備な顔をさらしていた。そんな彼女に苛立ちを覚えたのか、カルノは煙草を一本咥えながら、テーブルに一冊の手帳を叩きつける。

「あっ、これは・・・」

 今の今まで浮かれていたから忘れていたものの、すぐさま彼女は戦慄し直した。

 デートの終わりは乱暴な訪問者によって終わりを告げた。そして、荒れ狂う炎。シーラでは為す術もなかったところを助けてくれたカルノ。

 ほんの少しの間に数え切れない出来事が起こった。それは普段の日常とは一線を隠す。

「内容を確認した所、こいつの持ち主はバートン社の社員だ。しかも、軍事部門のな」

 バートンという単語に、かすかな含みを感じた。しかし、そんな思いを置き去りにカルノは先を続ける。

「バートンは知っているな? 偽造だったらいいんだが、もし、本当にバートン・・・しかも軍事部門に所属しているような奴だったら質が悪い」

 どうして? とは聞かなかった。聞かなくても分かる。バートン社というのは紙おむつからミサイルまで幅広く手がける世界最大の企業だ。というよりも、世界そのものといった方が通りも良い。

「しかも、二流とはいえエレメンター付きだ。いよいよもってどうしようもない」

「な、なんで?」

 どもる必要はなかっただろう。しかし、彼女の声は上ずっていた。

「簡単な事だ。エレメンターまで出してくるって事は向こうも本気と見て間違いない。そして、こっちは個人。個人と組織じゃ勝負にならない」

 カルノは、淡々と言葉を紡ぐ。ただ事実を述べているだけの冷たい口調。

「で、でも、カルノは強いし・・・」

「知ってるか? 現在最強といわれるエレメンター 『紅蓮の魔女(クリムゾン)』 ラヴェンダー・C・マクミトンは、五百メートル四方を消し炭に変えたらしい。とてもじゃないが俺の対抗できるような相手じゃない。バートン社を相手にするということは奴を相手にするということでもある」

「で、でも・・・カルノもエレメンターとかいうのだったんでしょ?」

 いまいち意味が理解できなかったが、とりあえずすごいということなのだろう。しかし、シーラは、あの時の手並みを見る限り・・・・・に劣るものの卓越した手腕を・・・

『あれ? ・・・・・ってなに?』

 一瞬思考が停止する。それがなんなのか思い至る前にカルノが口を開いた。

「エレメンターと言っても、途中でポイすてされるような三流エレメンターだ。それに世界すらも統治する巨大企業に俺なんかが対抗できるはずも無い」

 咥えた煙草に火をつけることなく、それを灰皿に置く。

「結局、俺の手におえるような事じゃない。軍属のエレメンター相手にいつまでもやりあうような自信は俺にはない」

 言ってブラックのコーヒーを啜る。

「・・・・・」

 何も言う事が出来ない。だが、シーラにとって頼る事が出来るのはカルノだけなのだ。彼だけが自分にとって味方になってくれた。

 遠くで見ていた野次馬は、野次馬なだけに野次馬だ。見ているだけの彼等の中でカルノだけが助けてくれた。それなのに彼はこう言う。

「諦めるか進むかのどっちかだ」

 嘆息混じりにそう告げる。

「・・・・・」

 さっきから「・・・・・」ばかりだ。何かを言うべきなのだろう。しかし、言葉が見つからない。思考ばかりが暴走してゆく。

 彼が自分を助ける気がないのではないか、自分を軍に引渡すつもりではないか・・などなど。

 しかし、それならば傍観しているだけでよかったのだ。なのに、彼はそれをしなかった。それだけでもシーラの心は救われた。だから、

「アタシは諦めない」

 そう、諦めは逃避と変わらない。だから、彼女はそう言った。

「へぇ・・・」

 すると彼は小さく笑った。意味があるのか無いのか分からないが。

「いいだろう。なら俺は、できる範囲で協力する。こっちも思うところがあるしな」

 カルノはそう言ってコーヒーをあおった。そして、テーブルの下におかれた一本の瓶を拾ってテーブルに上げる。

「それは?」

「酒だ」

 言われてみれば茶褐色の液体が半ばほどで揺れている。恐らくウィスキーの類であろう。

そのそれを、カルノは飲み終えたコーヒーのカップに半ばまで注ぐ。そして、彼女の視線に気付いたのだろう。カルノは珍しく小さく笑う。

「景気付けだ」

 水で割るようなことはしないらしい。カルノは高濃度のアルコールを一息で飲み干し息をついた。

「・・・煙草が吸いたい」

 まあ、意味のない言葉ではあった。


 時は深夜。闇の住人どもが騒ぎ出す頃。

 そんな時にカルノは目を覚ました。勿論、目覚ましなんて物は必要ない。上司に訓練された戦闘講義は睡眠すらも制御する。

 辺りは暗闇、部屋の隅では静かな寝息を立てるシーラが眠っている。無論、声はかけない。起床を知られたら、金魚のフンのようについてくる事が明白だったから。

「・・・・・」

 スプリングのいかれたソファーから音を立てないように身を起こす。そして確認。

 ポケットには財布と例の手帳、それに煙草が一ケース。肺機能が落ちるため常煙の趣味は無かったが時折口元が淋しくもなる。もっとも、これも上司の悪癖による賜物(たまもの)だったが。

 身体にかかったタオルケットを引き剥がし、両足を動かして床に足をつく。後は立ち上がるだけだ。

 そうしてカルノは音を立てることなく歩き出す。目指すのは玄関だ。ノブに手をかけると、その感触は冷たい。

「ふっ」

 声と言葉に意味はない。ただ、そのまま手首を捻る。やはり音は無かった。

 音も無く扉は開きカルノは外に出る。視界の先には闇が広がっていた。とはいえ、訓練されたカルノの視界は必要最低限に周囲の状況を告げてくれる。

『襲撃者・訪問者の形跡は無し、出かけても問題はない』

 そう判断して歩き出す。無論、鍵をかけることも忘れない。

「・・・厄介な事に巻き込まれたな」

 なんでこんな事をしているのだろう。何の利益も、利害の一致も無い。なのに自分は歩いている。

 そう自嘲しながら煙草を咥えて火を灯す。


『・・・苦い』


 その一言に尽きる。

 なんで上司が好んだのか理解できない。しかし、習慣づいた事まで消すことは出来ない。まずいと分かる酒をあおり苦い煙草をふかす。

 意味が無い。無駄に消費しているだけだ。なのに、なぜ続けるのだろう。まあ、理由がわかっているなら続けていない。

 ・・・ちなみに、目指しているのは一軒の酒場だ。煙草一本吸っている間につくような近場。

 現に目の前にある。

 大きく息を吸って、カルノはその扉に手をかけた。

 チリリンと安っぽい鈴の音が響く。

「いらっしゃい」

 威勢も愛想も無い口調に苦笑する。

 なんでこんな店が賑わっているのだろう? 苦笑しながらも答えはわかっていた。

『有益だからだ』

 意味のない闘争は意味が無い。意味のない殺人は意味が無い。その意味を与えてくれるのがこの酒場だ。当然、非合法を生業とした事ばかりだが。

「ブラッティーマリー一つ」

 手近なカウンターに腰かけながらそう言うと、向こうに立つ初老の男は頷いた。

 ちなみに、壁に並ぶ値段表は相場よりも倍近い。なのに、この店が賑わっているのは・・・

「他に頼む物はあるかい?」

 情報。それ以外に何も見出せない。

「バートン社の動き。それにある奴の情報だ」

 紅のアルコールを受取ると同時に一枚の紙を代わりに渡す。

「良いだろう。明日の夕方には届ける」

 分かったと頷いてグラスで舌先を濡らす。

「・・・・・」

 上司の好きだったカクテルだが、ウォッカとトマトジュースを混ぜたそれは、ひたすらあくが強い。カルノの好みではなかった。しかし、それでも注文してしまうのは慣例以外の何者でもない。

「しっかし、兄さんも賞金稼ぎの真似事をするのかい。世の中廃れたもんだねぇ」

「文句はバートン社に言え。知ったことじゃない」

 初老ぶとりの腹に悩むバーテンの言葉にカルノは不機嫌を装って応じた。

「神様なんていない。いたとしたら、嗜虐趣味のろくでもない奴等だけだろう」

 そう。それだけの事だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る