第3話

 空は快晴。今まで天を覆っていた雨雲は、いつの間にやら姿を消して、晴れ晴れとした青空が広がっている。

「………まだか?」

 光に包まれた街の中で、漆黒の衣装で身を固めた青年が疲れたように声を漏らす。いや、実際疲れているのだろう。精神的に。

 現在カルノは、シーラと出かけるため着替え中の彼女を待っていた。料金はいらないからと言って追い出された大男達は哀れだが、カルノ自身が追い出したわけではない。なのにも関わらず、出て行く際に殺気立った眼差しでカルノが睨まれた。なんとなく世の中の不条理を感じる。

「・・・・・」

 しかし、よく考えたらシーラと出かけるのは初めての事だ。何度か誘われた事もあったがそれらは今まで全て断っていた。理由は、暇が嫌いではあるが、誰かと関わって一日を過ごすくらいなら一人で部屋にこもっていた方が幾分かマシな気がしたからだ。

 だが、今日応じたのは、やるべき事を見失い、半ば自暴自棄になっていたからかもしれない。それ以外に理由らしい理由は見つからなかった。食事のためとはいえ一年近くの付き合いがある彼女でもその程度だ。

 そんな思いにふけっていれば、ようやくサバートのドアが勢いよく開かれ小柄な影が飛び出してきた。

「お待たせ!」

「待たされた」

 相手に対する思いやりも何もない一言に、シーラは小さく肩をすくめる。

「女性の準備には時間がかかるものなの」

 目の前に現れたのは、普段見たことのない彼女の姿だった。ゴム紐で縛るだけだった長い黒髪は上でまとめてバレッタで止めてある。

 大きな瞳が特徴的で、まだ幼さの残る顔立ちは美人というより可愛らしいという表現が似合う。くるくると変わる表情が、その感想を後押ししていた。

 白のワイシャツを腕捲りし黒のネクタイを下げている。そして、チェックのミニスカートをはいた容姿は、愛らしく活発な印象を与えた。

 いつも見ていたはずの、見たことのない少女はその場でくるりと回転し、大して高くもない胸を張って見せる。

「どう、あたしだって年頃の女の子なのよ。このばでぃ~に驚いた?」

「行くぞ」

 身を翻し、一人歩き始める銀髪の青年。

「シカトっスか?」

 一人残された少女。その前を冷たい風が吹いて過ぎる。道のりはまだまだ遠いようだ。いろんな意味で。


「何を買うかと思ったら、俺に服なんて必要ない」

 商店街からの帰り道、山ほどの荷物を抱えたカルノが疲れた様子の声を漏らす。

「だって、カルノいつも同じ服着てるじゃない」

「同じ服を着ているわけじゃない。同じデザインの服を持っているだけだ」

 半ば強引に連れて行かれた洋服屋で、カルノはシーラの見立てた服を断固として着ようとはしなかった。彼女がどう? と言って用意するのは、決まって雑誌で紹介されているようなデザインと色使いの服ばかりだ。そして、それらをカルノは受け付けられない。こだわりらしいこだわりのないカルノにとって、色というのが唯一のこだわりだった。

「でも、カルノは元がいいんだから、もっと着飾ったりすればいいのに」

「自分の容姿に興味はない」

 そして、今抱えているのは必要なのか? と思えるほど購入されたシーラの衣服と、夜の仕込みのための食材達だ。

 ちなみの現在の時刻は正午を回ったばかり。そして、出かけた時の時刻は午前九時になるかならないか。女の買い物は時間がかかる。そんな事実を初めて実感した。正直、付き合わなければ良かったと後悔もしている。

「だけど楽しかったでしょ?」

「全然」

 とは、流石(さすが)のカルノも言えなかった。昔、とある女性と出かけた事があったが、そう言ったら冗談抜きで殺されかけた。だから「それなりにな」と無難な返事を返す。だが、カルノにとっては最大限の譲歩(じょうほ)にも、シーラは不服そうに頬を膨らませた。まあ、当然の事だが。

「そういえば今日はこれからどうするの?」

 やはり何かを期待する響きを持っていたが、カルノに気付いた様子もやはりなかった。だから、彼はただ一言。

「帰る」

「・・・そう」

 シーラの店まで後数メートル。荷物を置けば自分の役目は終了だ。そう思いながら彼女の店の玄関に差し掛かり歩みを止める。

「・・・・・」

 浮かない表情をしたシーラ。しかし、彼女には悪いが、今後同じように出かけるなど二度とゴメンだった。やはり、カルノは日常という物に馴染めないらしい。彼女と出かけている間、それらは苦痛でしかなかった。

 世間の常識や流行、それらはカルノにとって馴染みがないどころか場違いな話しだ。会話の代わりに拳を振るい、銃のトリガーを引く。そんな生活の方が自分に似合っている。そう思えた。

「ちょっと待って、今鍵あけるから」

 家の鍵が見つからないらしい。ポケットを必死にまさぐっているが、なかなか見つけられずにいる。

 カルノはヤレヤレと息をついてソフトケースのジョーカーを取り出す。入っているのは最後の一本だった。

「?」

 口に咥えてから気付く。フィルターの手前で茶色のそれは折れて葉を覗かせていた。これでは火をつけても意味がない。そして、取替え用にも、それが最後の一本なのだから変えようがない。

「・・・・・」

 やりきれない気持ちというのはこういう時のことを言うのだろう。カルノは折れた煙草を投げ捨てて、中身のないソフトケースを握りつぶす。

「あ、あった」

 喜びと消沈の響きを同時に伴った複雑な声。彼女は複雑な表情のまま鍵穴に見つけたそれを差し込み、

「シーラ・ディファインスだな」

 突然背後から声をかけられた。

「えっ?」

 彼女が振り返ったその先には、濃紺色の制服に身を包んだ警察官達が、いかつい顔と視線をシーラたちに向けて立っていた。

「な、何の用ですか?」

 慌てているのか狼狽(ろうばい)しているのかわからないが、一見してやましい所がありますと言わんばかりだ。本当のところがどうかなどわからないが。

 そして、警官たちは眉間に皺を寄せ視線を交わすと一斉に頷きあう。そして、彼女の前まで歩み寄ると、そのまま両脇を固めて、

「黙って我々に同行してもらおう」

 有無を言わせぬ口調にシーラはたじろく。ちなみに、カルノに関しては無視を決め込んでいる。

「ちょっ……一体あたしがなにを」

「話しは後で聞く、いいからついてきてもらおう」

「なっ、横暴だわ。っ・・変なとこ触んないでよ!」

 このままでは埒(らち)があかないと判断したのだろう。彼等は嫌がる彼女を、店の前に止めていた警察車両に無理矢理押し込もうとし始めた。だが、大人しく従うシーラではない。子供のように手足をばたつかせ、必死に抵抗している。

「・・・・・」

 さて、どうしたものか。カルノはその光景を他人事のように観察しながら考える。

 ここで彼女を助けるべきか?

 付き合いにすれば一年近くの月日が経っているが、その関係は顔見知り程度である。そんな関係の人間を助けるために警官に喧嘩を売る。まったくもって考えられない話しだ。

「見てないでさっさと消えろ。公務執行妨害でぶち込まれたいのか?」

 彼等の内の一人が、思い出したようにカルノに詰め寄り、トンファー型の警棒を目の前にちらつかせて嘲笑する。

「・・・・・ふむ」

 身長や体格、人相を含めて浅黒い肌をした屈強の警官は自分より強そうに見えた。そして、向こうはその反対の感想を持っている。嘲りの表情を向けられながら冷静に分析。

 しかし、彼は勘違いしていた。

 触らぬ神に祟りなしと過ぎ去っていく通行人も無責任な野次馬も。

『だが、触らなくても神は祟るし不幸は誰へだてなく訪れる』

「おい、なんか言ってみろよ」

 シーラは喚(わめ)いてこそいるものの助けは求めていない。あくまで自分の力だけで解決しようとしている。そのやり方は稚拙(ちせつ)以外の何者でもないが。

 灰色の街並みの中で、彼女は異端だった。決して変化を恐れず、なにが相手でも立ち向かう。個性をなくした街に住む個性を無くした住人達。考える事は他人任せなマリオネット。

 だが、彼女は間違いなく自分で考え行動している。なのに操り人形の方が人を操ろうとしている。

「くだらない」

 かつての上司なら、その一言で切って捨てるだろう。ならば、自分も同様だ。

 正義感ぶるつもりもない。ただ、奴等が気に食わなかった。

「あっ?」

 思わず口にしていたらしい。くだらないの一言を聞きつけた目の前の警官は、こめかみに血管を浮かせ、大きく腕を振りかぶった。

「馬鹿が」

 次の瞬間、跳ね上がった黒の爪先(つまさき)が、振り上げられた警官の右肘を襲う。ただでさえ大振りなため余計な力がかかっている。そこに蹴りの威力が追加され、彼の肩関節が鈍い音を立てて砕けた。

「ぎっ・・・」

 痛みの悲鳴が上がる前に、手刀を喉元に叩き込んで黙らせる。悲鳴の代わりに巨体の倒れる音が周囲に響き渡った。

「なっ、貴様!」「おい、ランバートが!」

 カルノの凶行に気付いた警官等が慌てて振り返り、腰のホルスターに手をかける。

「おい、今ここで引くなら見逃してやる。だが、これ以上抵抗するなら・・・」

「蜂の巣にするぞ・・・といいたいわけか」

 自分で言って苦笑する。今倒した奴といい、目の前の連中といい、まったくもってわかっていない。敵を倒すために必要なのは体格や手にした武器ではない。

「無理だな」

 言うと同時に駆け出した。距離にして二メートル、拳銃を抜くより殴った方が早い。それに例え抜けたとしても体勢を低くして走る自分に当たりはしない。

 そして、それは証明された。

 銃声。

 しかし、それは一発きりでカルノの毛先を軽く散らして後ろの歩道に穴を穿(うが)つ。

「眠れ」

 低い体勢から繰り出されたアッパカットが中央に立っていた警官に見舞われる。彼が白目を剥くのを横目に、隣に立っていた男の両足を、残った左手ですくってタックルをかける。何の抵抗をできるわけもなく後頭部を車の縁に叩きつけられて二人目も昏倒。

 残る三人目は拳銃を抜いた男。その彼にノーモーションの前蹴りを放つが、それは虚しく空を切った。

「っと、危ない危ない」

 こいつを最初にやっておくべきだったと軽く後悔しながら、放心状態のシーラをちらりと見やる。

「・・・・・」

 ただでさえ大きな瞳をまん丸にして口をパクパク動かしている。まるで酸欠状態の金魚のようだ。そんな風にカルノは思った。

「国家の顔、警察に喧嘩を売るとはいい度胸だな。それに、丸腰で勝てると思っているのか?」

「戦いに必要なのは武器じゃない。戦うという意志だ。武器はその延長に過ぎない」

「その意志を自分に向かって向けるのは犯罪だぞ?」

 その一言にカルノが苦笑する。

「・・・本物ならな」

「っ!」

 目の前の警官が一瞬言葉を失った。そして、内心ほくそえむ。適当にカマをかけただけなのだが当たりだったらしい。そして、確信を深める。

「軍に知り合いがいてな。あんたの態度は警官のそれじゃないんだよ。高圧的な警官なんぞ山ほどいるが、その動きといい雰囲気といい、正にそれだ」

 後部座席に尻をついたままだったシーラの手を引いて立ち上がらせる。彼女はまだ思考能力を取り戻していないようだったので、自分の背に隠して返答を待つ。

「っふ、ははは! 面白い奴だな。では、自分が軍の人間だったら、どうするというんだ!」

「やる事は変わらない」

 返す言葉は短い。目の前の男はひとしきり低く笑うと、手にしていた拳銃を路上に投げ捨てた。

「?」

 不可解な行動に眉根を寄せると、男は距離を取り懐に手を差し込んだ。おそらくカルノの強襲を恐れたのだろう。

「馬鹿らしいと思わないか? 戦いに必要なのは意志じゃない。必要なのは圧倒的な力だ。これを見てもまだやる事は変わらないというのか?」

「それは・・・」

 取り出されたのは赤色の輝きを放つ眼球大の結晶体だった。シーラはそれがなんなのかわからなかったが、カルノにとっては余りある意味を持っている。

 身体の芯が一瞬だけ冷えた。

「なぜそれを持っている」

 今までとは違う凄みを乗せた口調に、目の前の男が微かに肩を震わせる。

「決まっているだろ。破壊の力を振るうためだ!」

 彼の叫びとともに真紅の結晶体は、眩(まばゆ)い輝きを放つや否や、ゆっくりと彼の掌の中に沈みこんでいく。

「ちぃっ!」

 カルノが駆け出すが遅かった。真紅の輝きは、完全に男の身体へ染み込んでいってしまった。その刹那、彼が左手を「サバート」へと振るう。

 一見するだけなら手を振った。それだけの事で何かが起こるわけではない。だが、それが重要な事ではない。あの真紅の結晶が問題なのだ。そして、その行為を証明するように、彼が振った手の先から炎が走った。

「!!!!!」

 驚愕(きょうがく)の間もなく炎は襲いかかる。ただし、カルノではなく、シーラの店を。

「あ、あたしの店が!」

 ようやく正気に戻ったらしいシーラが、店内を荒れ狂う炎に悲鳴を上げる。まあ、観点が多少ずれてはいるが。

「これだけじゃないぞ」

 男は残った右手を広げると、そこにボール状の炎が浮かび上がり、ウインドゥが無残に砕けた店内にそれを向けた。

「や、やめなさい。あたしの店になにするつも・・・」

 彼女のセリフは最後まで口にすることはできなかった。男が大きく振りかぶり、火球をサバートへ放り込んだからだ。そして、

 轟音。

 鼓膜を破裂させんばかりの爆音が、炎と衝撃を伴って襲いかかる。シーラは悲鳴を上げて身を伏せようとすれば黒い影が自分に覆い被さった。

 誰だろうと思い、一瞬の間を置いて見上げれば、知った顔がそこにあった。

「大丈夫か?」

「う、うん」

 顔と顔が真近に迫る微妙な距離。シーラは思わず顔が熱くなるのを自覚した。一方、カルノの方はどうなのだろうと思ってみれば、彼は表情を歪め唇を噛んでいる。ロマンスを期待していたシーラが間違っていたらしい。

「なんでエレメントなんかが!」

「・・・エレメント?」

 カルノは答える代わりに、シーラを突き飛ばしてから横に飛ぶ。そして、その二人の間を火球が過ぎ去りサバートを蹂躙する。

「エレメントの存在を知っているという事は、お前も軍関係者か?」

「・・・・・。」

 カルノは答えない、代わりに開いた距離を埋めるため駆け出すが、立て続けに襲いかかる火球と炎壁に、思うように進む事が出来ず低く唸る。

 一方向こうは、余裕の表情でなぶるように炎を放ち、ゆっくりと後退していく。いまやその距離は道路を挟んで五メートル程。それが彼にとっての制御圏内(・・・・・・・・・・)というところだろう。

『二流もいいとこだ』

 内心で呟きながら、懐にしまっていたダーツを抜き取り、炎撃の合間をぬって放った。

 大気を漂う陽炎を切ってダーツが男を狙って飛翔する。その銀の煌(きら)めきは頭部へ吸い込まれるようにして迫り、

「無駄だ!」

 前触れもなく銀の刃は炎に飲まれて焼失した。

「エレメントにそんなちんけなナイフが通用すると思っているのか!」

 男が叫び、今までとは比較にならない熱波がカルノに襲いかかる。視界が紅で染まり避ける事が出来ないと確信。諦めにも似た感情が心を占めていく。その刹那、

「カルノっ!」

 小柄な影が駆け寄ってくるのが見えた。来るなと叫ぼうにも間に合わない。

 そして、二人は炎に飲まれて消えた。


「ははは・・・! なにが意志だ。圧倒的な力の前にはそんな物など何の役にも立ちはしないんだ!」

 破壊の力に酔いながら彼は一人呟き続ける。自身が放った炎に照らされ哄笑する姿は狂気に犯されていた。

「力だ。力が全てなんだ! この力さえあれば・・・!」

「だから、二流どまりなんだよ」

 鋭い刃を思わせる静かな声が、耳元で囁かれる。

「なっ!」

 振り替える間もなく、重い衝撃が首筋を襲う。的確な位置に的確な衝撃。それは、脳への血流を妨げ酸素の供給を阻害し・・・。そこまで考えた所で目の前が闇に染まっていく。

「く、くそ・・・」

 薄れ行く意識の中で、己の背後に立つ誰かに炎のイメージを叩きつけようとし、

「今度はさせやしない」

 イメージは形になる事はなかった。そして、彼はここで意識を失った。

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