二章 サイト

 そのサイトを見つけたのは、二週間程前だった。

 平成十九年度の青川南高校一年六組の一部の者達で作った、携帯電話向け個人サイトの掲示板にそのサイトへのリンクは貼られていた。

 桐谷匠は昨年度一年六組であった。彼もまたそのサイトで日記を書いたり、他のクラスメート達の日記を覗いたりと、普通の高校生と同じようなことをしていた。

 掲示板にリンクが貼られることはそう珍しいことではない。この手のサイトは同じクラス、同じクラブの仲間が何人か集まり、サイト管理用のパスワードを共有して仲間内で運営する。とはいえ作っただけでは仲間しかサイトを知らないから、誰かが友人の作った他の同じようなホームページにリンクを貼り宣伝するのだ。結局は殆ど同じ学校、同じ学年の者達しかサイトを訪問しないが、それ以外の人間に見られてもあまり意味はないからそれで問題はない。

 しかし、そのサイトへのリンクを見た時、桐谷は厭な感じを受けた。

 一見して桐谷が抱いた感覚は、「汚い」だった。記号や絵文字が派手にURLを囲み、悪趣味なことこの上ない。サイト紹介の文章も記号や絵文字が逐一入り、品性がまるでない。

 桐谷はそのURLを選択し、サイトに飛び、思わず言葉をなくした。

 サイトの名前は、「阿瀬あせ直人なおとファンクラブ」。

 桐谷の所属しているサイトと同じ、携帯電話用の無料ホームページ作成サイトで作られたそのサイトは――酷かった。

 ファンクラブと銘打ってはいるものの、実際はその阿瀬直人を誹謗中傷する、下劣極まりないサイトである。

 桐谷はとりあえずそのサイトをブックマークし、自らのホームページに戻り掲示板の投稿を削除した。

 阿瀬直人は、桐谷の友達である。否、正確には桐谷は友達だと思っている。保育園から中学校までずっと同じだった二人は、一度として互いを友達と呼んだことはない。だから桐谷は、阿瀬の前で彼を友達とは呼ばない。阿瀬の言葉を借りれば、二人は単なる腐れ縁なのである。

 その阿瀬が、謂われのない誹謗中傷を受けている。

 桐谷は迷った。阿瀬にこのことを知らせるべきか。その時既に桐谷と阿瀬は朝別々に学校に行くようになっていた。メールもそれ以来全くしていない。

 サイトのトップに表示された訪問者数を見ると、どうもリンクが貼られたのは桐谷の所属するサイトだけではないようだ。自分のブックマークから他の友人やクラスのサイトに飛び掲示板を見ると、殆どのサイトにリンクが貼られていた。

 阿瀬は気付いたかもしれない。昔から阿瀬は勘が鋭く、しかもタイミングが悪い。

 もし気付いたのだとしたら――否、仮令気付いていなくても、自分がこのサイトの存在を教えるのはまずいかもしれないと桐谷は思う。桐谷が阿瀬だとしたら、自分が嘲られているサイトを友人に知られるなど耐えられない。それにもし桐谷が教えたとしたら、阿瀬は心の何処かでもしや桐谷もこのサイトを作った仲間なのではないかと疑うに違いない。そら見ろと阿瀬を嘲っているように受け取られる可能性もある。他人を完全には信用しない。それが阿瀬直人という男である。

 それに、桐谷が疑われる理由はそのサイトのトップページにあった。中学時代の、阿瀬の写真である。これ見よがしにでかでかと載せられたその写真は、中学校の卒業アルバムのものだ。現在の桐谷のクラス、二年三組でその写真が手元にあるのは、阿瀬本人と桐谷、そして中林なかばやしという同じ中学校の者だけである。桐谷は卒業アルバムを今のクラスの連中に貸した覚えはないし、クラスの誰ともあまり言葉を交わさない阿瀬が自分から写真を提供したとは考えにくい。となるとこのサイトには、かなりの確率で中林が関わっている。しかし阿瀬がこのサイトを見れば、桐谷も同様に疑われる。

 だから桐谷は、このサイトを阿瀬に教えることはしなかった。あくまで桐谷は知らぬ存ぜぬで通すと決めたのだ。阿瀬に対しても、クラスの者達に対しても。

 人の噂も七十五日という。やがて皆飽き、風化されていく――桐谷はそう信じることにした。

 さて――。

 二週間が経ち、サイトの訪問者数は千を超えた。同じ者が訪れた場合もカウントされるから、正確な人数はわからない。しかしそうはいっても結構な人数ではある。手当たり次第に宣伝をした効果はあったようだ。

 まず何処のホームページでもそうであるように最初にプロフィールへのリンクがある。トップページにはそのサイト内の各ページへのリンクが順番に貼ってあるというのが、こういうサイトの基本である。プロフィールの内容は大半が出鱈目だが、中林が教えたと思われる事実もいくつか混じっている。そのせいか、若干の信憑性が出ているのが余計始末が悪い。

 そのプロフィールによれば、阿瀬はバカでノロマで気持ち悪い超ウケる奴ということになる。

 バカというのはある意味では当たっている。阿瀬は英語が絶望的に苦手なのだ。そのせいで補習には毎回残っている。しかしそれ以外の教科は優秀であり、英語さえ試験科目になければもう一つ二つ上の高校を狙えた程の学力を持っている。

 ノロマというのは、足が遅いことを指すのだろう。阿瀬は昔から運動が大の苦手だった。当時は皆それをからかったりしたものだが、まさか今になってそのことで馬鹿にされるとは。桐谷は無性に腹が立つのと同時に、サイトを作った連中の底の浅さに笑えてきてしまった。

 気持ち悪いと言われているが、桐谷は阿瀬の顔が人より明らかに劣っているとは思わない。しかし阿瀬は常時酷い猫背で、身体も痩せぎすだからどうしてもなよなよとした印象を与えてしまう。桐谷より背が高いはずなのに、背筋を伸ばして並ばなければそれもわからない。

 だが、だからといって阿瀬が背筋を伸ばし、身だしなみを整え、例えば髪をワックスで立ててみたりしたとしたら、このサイトを作った連中はこぞってそれをはやし立てるに決まっている。こんなサイトが出来てしまった時点で、阿瀬は完全に馬鹿にされるべき存在になってしまった。どんな変化も笑われる。ネタになる。つまり阿瀬は何も出来ないのだ。新しい動きを封じるには阿瀬は今のままの、バカでノロマで気持ち悪い超ウケる奴でいなくてはならない。

 しかし何もしなくても、サイトの管理者達は阿瀬の一挙手一投足を馬鹿にする。

 プロフィールへのリンクの下には、観察日記と称された日記へのリンクがあった。

 平日は、ほぼ毎日更新されている。その日の阿瀬の行動や発言、全てを笑い、馬鹿にする。

 その日記へのリンクの下には、掲示板へのリンクがあった。こちらも阿瀬の悪口で溢れ返っている。授業中や休み時間中の投稿もあり、リアルタイムで阿瀬が笑われている。

 阿瀬を擁護し、管理人を非難するような書き込みは一つもない。管理人が削除しているという考えは、桐谷には思い浮かばなかった。

 こういったサイトに対する反応は、無視をするか同調するかである。掲示板の投稿には携帯電話の機種名が表示されるように設定されている。桐谷達の学年の人数は約三百六十人。多いといえば多いが、携帯電話の機種というのはなかなか被らない。管理人側に同調すれば何も問われることはないだろうが、反発すれば場合によっては自分も阿瀬と同じ目に会うことになりかねない。

 第一、阿瀬はそれ程人付き合いが得手ではない。つまり腹を割って話し合える友人などいないし、彼がこのような目に合って憤慨する者もいない。

 そういう意味では、ターゲットに阿瀬を選んだのは大正解だったということになるだろう。このままいけば学校中に阿瀬の悪評が広まり、それこそ何処にいても笑い物にされるようになる。

 当然、桐谷にそれを止めることなど出来はしない。

 桐谷は人付き合いが多く、クラスでも笑いの中心にいるタイプである。しかし桐谷がこれを咎めても、誰も桐谷に同調することはないだろう。

 阿瀬のことを何も知らない連中は、このサイトを見て、阿瀬直人は馬鹿にされるべき存在なのだと無意識に認識する。このサイトが人目に触れることで、既にクラスの、学年の、学校の、世間の風潮は、阿瀬をこき下ろし、嘲る方向になっている。

 桐谷は、自分にその風向きを変える力などないと思っている。

 そして、心の何処かで恐れている。

 自分もまた、阿瀬のように馬鹿にされるのではないか、と。

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