骸雅の呪

 八幡は落ち着かずに、部屋の真ん中で立ち竦んでいた。

 会議の後、春日と住吉はそれぞれ自分の里に戻っていった。八幡もすぐに自分の里に戻りたかったのだが、夜目が利かない都合で翌朝まで閻魔宮に残ることを決めた。

 そして夜が明けると、愛宕の里を見張っていた稲荷の者から愛宕が進軍を始めたという情報がもたらされたのだ。

 愛宕の通るであろうルートは八幡の里のすぐ近くが予想されている。里に近付かれる前に何とか片を付けたいが、情報によれば愛宕の姿は確認出来ないという。

 里から死体が千体も足並みを揃えて現れ、見張りの者は腰を抜かしそうになった。まだロキの予想は伝わっていなかったので、当然このような異常な光景は予想していなかったのである。ロキの話を聞いていた八幡でも、実際に目撃したら腰を抜かすだろう。

 とにかく、見張りの者達は混乱しながらも状況をしっかりと見極め、その死体の群れの中に愛宕の姿がないことを確認した。それでも死体がどんどん進んでいくので、この報を伝えに走った訳だ。

 死体の動きは遅く、閻魔宮に辿り着くまで三日はかかるだろうということだった。

 八幡はこの事態に他の里長達の意見が必要だと感じ、キュウシを一人で里に帰し、自分は閻魔宮に残ることにした。

 見張りの中には春日の里と住吉の里の者もいたので、春日と住吉もこのことを知ったことだろう。恐らくは八幡の里に向かわせる者達と一緒に春日も里から出てくるはずだ。八幡はそれを待つことにした。

 諏訪は死体を破壊することを提案した。愛宕が現れず、死体だけが閻魔宮に向かってきているのなら、その死体を使い物にならなくすればいい。これに稲荷が応じ、すぐにそれぞれ十名程が撃退に向かった。

「八幡、入るぜ」

 部屋のドアが開き、稲荷が顔を覗かせる。八幡が何も言わないと、稲荷はそれを了承と受け取ったらしく部屋の中に入ってきた。

「春日が来た。他の奴らは直接八幡の里に向かったってよ」

「そうか。集まった方がよさそうだな」

 稲荷と共に部屋を出て玄関ホールに向かう。春日が腕を組んで二人を待っていた。

「ここじゃあれだし、オレの部屋で話そうぜ。諏訪と三峯も呼んでくるか?」

「いや、三峯はいらねえ」

 確かに三峯の里には現状里長以外に戦える者はいない。その三峯も閻魔宮を出ることを禁じられている。稲荷は最初こそ反発したが、八幡が説き伏せると渋々従った。

 稲荷の部屋で、まず諏訪が死体の破壊について春日に話した。

 春日はふと外を見る。陽が沈み、夜になってからもう随分時間が経っている。

「連絡はまだねえのか」

「そういや遅せぇな」

 この時はこれだけで次の話題に進み、その日の会談は終わった。

 しかし、翌日の昼過ぎになっても依然何の連絡も入ってこなかった。この世界の連絡手段は伝令を走らせることだけなので確証はないが、死体の監視と撃退に当たっている者達に何かが起こった可能性が高い。

 その時八幡は既に里に戻っており、稲荷、諏訪、春日も八幡の里に出向いてきていた。閻魔宮にも戦える者は残してあるが、少しでも早い段階で行動に移せるようにほぼルート上にあるここに拠点を置くことにしたのである。

 連絡がないことに不安を覚えた諏訪は里の者を斥候に放つことを決めた。稲荷と春日もそれに同意し、八幡も含めたそれぞれの里から一人ずつが纏まって出発した。

 夜になって戻ってきた四人からの情報は、監視と迎撃についていた全員が死亡したというものだった。

「みんな、死体の隊列の中に加わっていた」

 自分の言葉に自分で疑問を持ったような口振りで、実際にその現場を見てきた春日の里のカケンは言う。場所は八幡の里の南端近くの開けた空間。里に集まった者達を全員収容出来る施設はなかったため、テントを張ってこの場所に全員でいつでも出撃出来るように待機していた。

「愛宕がやったのか?」

 稲荷が訊くと、カケンに比べて幾分か落ち着いた――それでも顔は青ざめている――様子の稲荷の里のコヨウは、わからないと首を横に振った。

「付近を捜してみたが、愛宕はいなかった」

「だが、愛宕が近辺で様子を窺っている可能性がないとは言えない」

 諏訪が言うと、キュウホクが逡巡しながら頷いた。

「否定は出来ない。あの近辺は木が多かったし、俺達も慌てていたから――」

 皆が考えあぐねていると、やけに明るい声が響いた。

「ごめん! 遅くなっちゃった」

 声のした方を見ると、住吉が後ろに数十名の里の者達を引き連れてこちらに向かってきていた。

 八幡は驚いて何故来たのかと訊く。先日の会議では住吉の里は何もしないという方向で落ち着いたのだ。

「いやあ、そりゃみんなが出るとなったらあたし達も何かしないとね。一大事な訳だし」

 住吉は一度閻魔宮に赴き、そこで皆が八幡の里を拠点にしたと聞いてここに来たのだという。

 諏訪が住吉に現在の状況を伝え、全てを聞き終えると住吉は考え込むように唸った。

「手っ取り早く、全軍を死体に向けりゃいいんだよ。死体を全部潰しちまえば愛宕も出てくるだろ」

 春日の言葉に諏訪は顔を顰める。

「お前は何故そう短絡的なんだ」

 諏訪の言葉に対して春日は柄の悪い声を上げ、相手を睨み据える。諏訪はそれに鋭い目で応じる。

「まあでも、春日の案は一理あるんじゃない? 全軍っていうのは行き過ぎだけど」

 二人の間に割って入ってぶつかり合う視線を遮りながら、住吉が明るく言う。

 侃々諤々の議論は夜が明けるまで続き、結局現状出せる最大の軍勢で死体の破壊に向かうことになった。無論八幡の里と閻魔宮を守るだけの力は残しておかなければならない。それを考慮しての最大となると、今八幡の里に集まった兵力の三分の一程度になる。

 八幡と諏訪、住吉は里に残ることになった。八幡は里長としてここを離れるのは躊躇われたし、他の者達もそれが正しいと口を揃えた。諏訪と住吉は万が一愛宕がこの近辺に現れた時に残った軍勢の指揮を取る役だ。

 三分の一の兵力が里を離れ、わずかだが緊迫感が小さくなっていた。八幡はその中でも言いようのない不安に晒され、諏訪や住吉としきりに会話をすることで自分を落ち着かせようとした。住吉は明るく楽観的に語るが、諏訪は重苦しく言葉を選ぶ。妙な話だがそれで八幡の精神のバランスは上手く保たれていた。

 夜が明ける前に、死体の破壊に向かった軍勢の中にいたはずの稲荷の里のサコと諏訪の里のウナが真っ青な顔をして戻ってきた。その周章ぶりは尋常ではなく、互いに何度も口を開こうとして途中でつっかえてしまう有様だ。

「しっかりしろ!」

 諏訪が一喝すると、ウナはびくりと身体を震わせてむせび泣くように咳き込む。サコは一度大きく息を呑み込んで、事態を漸く話し始めた。

 死体の群れはこの時、八幡の里にかなり近付いていた。相対した一同は驚いたが、即座に死体を破壊しに攻撃をしかける。相手はただ前に進むだけの木偶人形同然。あっという間に片付くかと思われた。

「突然、頭が痛み出したんです」

 恐怖を振り払うように頭をぶんぶんと振るってから、ウナはそう口を挟んだ。サコもそれに触発されたのか再びパニックに陥りそうになるが、何とかその時の光景を伝えていく。

 サコはただ自分の調子がおかしいだけだと思った。構わずに死体を破壊しようと手を振り上げると、頭を耐えがたい激痛が襲った。

 その時周りを見ると、他の者達もサコと同じように頭を抱えて倒れていくのがわかった。

 厭気だ――誰かが苦痛に悶えながら叫んだ。恐ろしい濃度の厭気がその空間に充満しているのだ。それまでは厭気などなかったはずなのに、何故か今は厭気で溢れている。全員を混乱が襲ったが、今はこの疑問にかかずらわっていられる時ではなかった。

 こんな厭気の中、まともに動ける者などいない。撤退しなければならないのだが、誰もが厭気の影響で立ち上がることも出来なくなっていた。

 サコは死体の群れの先頭付近で戦っていた。退路は開けている。割れそうに痛み続ける頭で考えるのをやめ、無理矢理立ち上がる。

 ――サコ! 走れ!

 稲荷がそう叫んだのを聞いた時、誰かがサコの手を取って駆け出した。ウナが顔をぐしゃぐしゃにしながらも自分以外にまだ立っている唯一の生きた人間を連れて逃げ出したのだ。

 厭気の充満した範囲から逃げ延びた後、激しく混乱し、俄かに正気を失いかけながらも、互いに励まし合って何とか八幡の里まで戻ってきた。

「すぐにこのことを閻魔宮に伝えろ」

 諏訪が自分の里の一人にそう言って閻魔宮まで走らせる。その後でウナの身体の震えを止めるため、その身体を強く抱き止める。

「よく帰ってきた」

 その言葉をきっかけに、堰を切ったようにウナは泣き出した。諏訪はウナに泣くだけ泣かせると、優しく椅子に座らせてその場を離れた。

「これで、全滅の理由がわかった訳か――」

 先程までの優しい表情とは打って変わって苦々しげに諏訪が言うのを、八幡と住吉は黙って聞いていた。

「どうする。救出に行こうにも、厭気が溢れているなら近付けない」

 わかり切っていることだが、何も意見を出さない訳にはいかず八幡はそう言った。

「悔しいが、ロキの意見を乞おう。奴なら何か打開策を思い付くかもしれない。勿論、我々だけでも策を講じることは怠ってはならないが」

 里長達だけではなく、その場にいた全員にこのことを伝え、打開策を考えた。しかし意見はまるで浮かばず、結局諏訪が閻魔宮に向かわせたウトウが戻ってくるまで沈黙が続いた。

 ウトウは慌てた様子で現れると、一瞬躊躇う素振りを見せてから口を開いた。

「三峯が、出ました」

 全員が言葉を失う。その中で諏訪が小さく呟いた。

「――それが奴の答えか」

 八幡は思わず立ち上がり、里の外に向かって足を踏み出そうとしていた。

「待て」

 それまでずっと八幡の後ろに控えていたキュウシが本当に久しぶりに口を開いた。

「どこへ行くんだ。それだけ聞かせてくれ」

「キュウシ――私は、三峯を助けたかった」

 初めてあの憎悪に燃えた目を見た時は本当に怖かった。だが、足が折れたのにも関わらず立ち上がろうとする姿を見て、恐ろしい妄執に囚われたあまりにも哀れな人間なのだとわかった。そしてそれを救うことが出来るのは、恐らく自分だけなのだと。

「おかしな話だが、嬉しかった。私の力が人を魔道から救うことに使えるのだとわかって、私は初めて自分に誇りが持てた気がした。だから」

 行かせてくれ――殆ど声になっていなかったが、キュウシには伝わった。

「里長としてよりも、一人の人間として、三峯を救いたい」

 キュウシは何故か、優しく微笑んだ。

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