気になるけど聞けない過去

 長く苦しい戦いが始まった。

 俺の中にある理性と本能の戦いだ。

 前半戦は、理性が本能を押さえ込んでいたが、優美の寝息が耳に当たったり、寝返りを打って俺のほうを向いてきたりと、本能が今にも理性を凌駕してしまいそうだ。

 どうやら優美は本能を応援しているようだ。

 でも、俺は理性を応援している。 頑張れ! 俺の理性!

 しばらくして、優美の応援が勢いを増した。

 俺の右足の太股に、優美が右足の太股を重ねてきたのだ。

 そして、繋がれた右手が優美の太股の下敷きになり、パジャマの上からとはいえ、わずかに内股に触れる。

 そのあまりの柔らかな感触は俺の理性を崩壊しそうな破壊力だ。


 「これは、キツイ……」


 思わず、声が漏れた。

 見てはいけないとわかっていながらも、ちらちらと優美が寝ている右側を見てしまう。

 綺麗な銀色の髪がわずかに俺の肩に当たっている。

 この距離は、初デートで頬にキスをされたのとほぼ同じ距離だ。

 キスされたことを思い出すと、今度は優美の唇に視線がいってしまう。

 化粧やリップクリーム等をしていないのに艶っぽく、薄いピンク色。


 ダメだ、理性が……


 「置いて行かないで……」


 目を奪われていたら、僅かに動いた優美の唇。

 理性が崩壊しかけた時、優美の弱々しい声が聞こえたのだ。


 視線を少し上げると閉じている瞼からは、涙が流れていた。


 静かな部屋の中、胸が熱くなり、苦しくなった。


 この涙が自分のせいかどうかはわからない。

 わからないけど、そんなことは関係ない。


 優美のほうに、体を向けて繋がれていないほうの手で涙を拭った。


 そして、優美が起きるまで頭を撫で続けようと思っていたが、撫でている間に寝てしまっていた。



 目が覚めると、枕がいつもより高い気がした。

 ぼんやりとしているが視界に入ってきたのは、いつもの天井ではなく二つの山。

 そして、その先には優美の笑顔。


 「隼人さん、おはようございます」


 「ちょっ!? 何やってるんだ!?」


 まだ、意識が覚醒していないが、飛び起きた。

 頭を上げようとしたら二つの山と衝突。


 「ちょ、ちょっと! 隼人さんこそ朝から大胆すぎます!」


 「わざとじゃないんだ! いきなり、膝枕されててびっくりしただけなんだ!」


 朝から山と衝突したが、柔らかかったので無傷。

 山からはすぐ離れて、山の持ち主にいきなり突撃したことを謝り、とりあえずカーテンと窓を開けた。 


 「隼人さんって起きると、まずはカーテンと窓を開けますよね」


 「なんかこうしないと目が覚めないんだよ」


 「こんなに遅くまで、寝たのにですか?」


 ベッドに座ったままの優美は、目覚まし時計を俺に見せながらそう問いかけてきた。

 10時52分。

 今日は、月曜日なのでもちろん学校だ。


 「優美! 遅刻だ!」


 「そうですね。 遅刻ですね」


 「なんで、そんな呑気なんだ!? はやく、用意するぞ!」


 「はい。 あ、ちょ、ちょっと、待ってください」


 ベッドから立ち上がろうとした優美が、床に倒れ落ちた。

 俺は動揺しながらも、崩れ落ちるように倒れた優美に駆け寄った。


 「なんだ!? どうした優美? 大丈夫か!?」


 「だ、大丈夫じゃないです。 4時間ぐらい、膝枕していて足がしびれました」


 「は……?」


 「足がしびれて動けません」


 「いや、聞こえていたけど…… 4時間も膝枕してたのか?」


 「はい。 いつも通り、7時前には起きていたので」


 「そんなに早く起きてて、なぜ起こしてくれなかったんだ!?」


 「そんなことより、床から私を助けてください。 ベッドに抱き上げてください!」


 「……」


 動けないで、床に転がる優美。

 普段は、歩いているだけですれ違う人は振り返り、周囲の視線を嫌でも集める美少女だが、今はなんとも情けない姿だ。

 なんだか、かわいそうになり、仕方なく優美を抱き上げてベッドの上に降ろした。


 「ありがとうございます。 隼人さんの前で情けない姿を見せてしまい、恥ずかしいです」


 「まぁ、気にしてないよ。 そんなことより、ゆっくりでいいから足を伸ばしてはやく、用意しないと午後の授業にも間に合わなくなるぞ」


 「私のことは気にせず、隼人さんだけでも先に行ってください!」


 「……」


 「一度言ってみたかったんです」


 「いや、気持ちはわかるけど…… とりあえず、先に飯の用意してくるから治ったら降りてこいよ」


 「ありがとうございます」


 一階に降りて、リビングを通りキッチンの前で立ち止まり、何を作るか考えた。

 時間的に、弁当なしでちょっと早めの昼飯を食べてから行くほうが楽だな。

 午前の授業は、諦めることにした。


 野菜炒めと豚汁が出来上がる頃に、優美が降りてきた。


 「やっと治りました。 何か手伝いましょうか?」


 「もうこんな時間だし、弁当じゃなくてちょっと早めの昼飯作ったから大丈夫だ。 盛り付け係のいらない簡単な料理だし」


 「いつも作ってもらってばかりですいません」


 「気にするな。 優美はやっぱり火が怖いのか?」


 「それもありますが、親に料理をすることを禁止されていたのです」


 「そうなのか。 何か理由があるのか?」


 「小さい頃から絵に関しては、両親から期待されていたので、指をケガするようなことは絶対にさせてもらえなかったのです。 料理も包丁を使うのは禁止だと言われて、盛り付けしか手伝わせてもらえませんでした」


 「なるほど。 絵描くの小さい頃から上手かったもんな」


 「隼人さんに褒められたおかげで私も頑張れましたが、両親は私に絵を習わすことばかり考えるような人だったので」


 「そうか。 優美の両親は、けっこう厳しい人なんだな」


 「はい。 あ、そんな話より食べましょうか」


 優美の話を聞きながら野菜炒めと豚汁と白米をテーブルに並び終えると、優美は両親の話をするのをやめてしまった。

 優美が、両親の話をするのは珍しいので、もう少し聞きたかったが、とりあえず今日はやめておくことにした。


 両親の話をしていた時の優美の表情が、なんだか少し暗く見えたからだ。


 優美は、引っ越してから一体どこで何をしていたのだろうか……?


 そんな疑問を感じながら、優美の顔を見るといつもの笑顔でおいしそうにご飯を食べていた。

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