第12話 天草の魔王②
暗闇に佇む洋館を背に、修道着を纏い、颯爽と歩く少女が一人。堂々として、威厳に満ちたそのシルエットは、小柄ながらも神々しく、辺りに佇む屈強な男たちさえも息を呑んで黙り込むほど。
ざくざくとその黒革のブーツが葉を踏む音だけが夜陰の静寂の中に響き、やがて、男たちは我に返ったようにハッとして、彼女のもとに駆け寄った。
「九十九様!」と、一人がその名を呼んで頭をさげると、他の者達も一斉に頭を下げる。「まさか、いらしていたとは。事前にご連絡くだされば、お迎えにあがりましたのに。娘の命も救っていただき、なんとお礼を申し上げれば良いのやら」
それはプロレスラーのように大柄でたくましい体つきの男だった。顔をあげると、そこには七福神の恵比寿を彷彿とさせるほくほくとした笑みが浮かび、歓迎の意志をこれでもかというほどに示している。
「この薩摩の《タンダルツ》首長、大塩諭吉だな」
九十九はぴたりと立ち止まると、そんな大塩の歓迎ムードを凍てつかせるような冷たい眼差しで睨みつけた。
「はい。かつて、天草四郎様よりこの薩摩を任された大塩家の当主、大塩諭吉であります。お父様である八雲様には何度かお会いしておりましたが、九十九様とはお初にお目にかかります。いやぁ、お噂通り、お美しい。そして、あざやかなお手前でございました。 全てのヴァンパイアたちが一度に動きを止めて……あれが、京で習得されたという陰陽師の結界術なのですね。さすがは、我らが天草の姫。京の陰陽師も、九十九様の結界に度肝を抜かれたことでしょう」
ずらずらと並べられた見え透いたおべっかにも眉ひとつ動かさず、九十九は「何人だ?」と訊ねた。
「何人……と申されますと?」
大塩はきょとんとしながら、聞き返す。
「何人、狩った?」
「あぁ……『抜歯』したヴァンパイアの数ですね」一瞬こわばった頬を再び和らげ、大塩は誇り高げに答える。「まだ、およその数ではありますが、二十体ほどかと思われます。《始祖》の一族ではなかったとはいえ、それだけのヴァンパイアを相手にしながら、我々、《タンダルツ》に大したケガ人もなく。これも、九十九様のご助力のおかげ……」
「無様だな」
大塩のプライドをばっさりと切り捨てるように、九十九はそう言い放った。せっせと媚び諂ったのに一蹴されるばかりで、「は?」と聞き返す大塩の声からは苛立ちが滲み出し始めていた。
「お前は、己が任された地で二十人ものヴァンパイアの犠牲をだした。お前の管理能力不足が招いた惨事だ。お前の一族にこの地を任せた天草四郎も、パライソで嘆いていることだろう」
自分たちの
「なにを……おっしゃっているのか……」内から湧き起こる感情がそこに滲み出すかのように、大塩の顔は赤々と染まっていった。「お、恐れながら……わたしは、《タンダルツ》として、人に仇なすヴァンパイアを排除したまでで……」
「なるほど」と、九十九はようやく笑みを浮かべた。それは、冷ややかな侮蔑の色を含んだ笑みだった。「お前はそういう考えを持っていたんだな。通りで、こんなヴァンパイアの暴走を招くことになったわけだ」
「九十九様!」
突然、その緊迫した雰囲気に似つかわしくない愛らしい声が響いた。
九十九が冷ややかな視線をついっとずらすと、大塩の背後で緊張した面持ちで佇む少女が一人。重々しい修道着が似合わぬ、まだまだ幼い少女だ。ふっくらとした頬を桃色に染め、潤んだ大きな瞳で九十九を睨みつけている。
「雪奈!」と咄嗟に押し殺した声で大塩は己の娘を牽制した。「お前は下がっていなさい」
「ご、ごめんなさい、お父様! でも、どうしても、九十九様に一言申し上げたくて……」
「一言?」と、九十九は小首を傾げた。「なんだ?」
「わ……私たち《タンダルツ》はヴァンパイアを狩る者。今夜の父の活躍は《タンダルツ》としての本分を全うした、賛辞に値するものであり、責められるようなことはなにもないと思います!」
辺りがざわつき、少女の周りでは口々に同意するような声が漏れた。父親である大塩の顔もほころび、隠せ得ぬ誇りのようなものが滲む。
その様子をまるで精巧な人形のごとく無機質な表情で見渡してから、九十九は「そうか」と重いため息をついた。
「ここでは、そのような考えが蔓延しているのか。ここの《タンダルツ》が不甲斐ないわけだ。この惨状を招いた原因が見えてきたな」
落胆の滲む声でそうつぶやいて、九十九は目の前に並ぶ十代から四十代まで年齢も様々な《タンダルツ》たちを見回し、「いいか!」と澄んだ声を高らかに上げた。
「我々は
九十九はそう言い切ってから、ふっと目を薄め、冷酷にさえ見える凍てついた眼差しで雪奈を見やった。
「そして、もう一つ。ヴァンパイアを前に戦意喪失し、泣き崩れるような者は必要ない。いたずらに奴らへの誘惑を増やし、血を吸わせるだけだ。大塩家の娘、お前は二度と《お役目》には出るな。今後一切、《タンダルツ》を名乗ることは許さない」
瞬間、その場にどよめきが走る。口々に戸惑いを漏らし、顔を見合わせる仲間たちの中で、雪奈は血の気の引いた顔で立ち尽くしていた。そんな娘の仇討ちでもするかのような勢いで、「九十九様!」と大塩は血相変えて九十九に詰め寄った。
「雪奈は……一人娘で、我が大塩家の跡取り。我が大塩家は、天草四郎様よりこの薩摩の地を任され、代々、この地の《タンダルツ》を率いて参りました。雪奈が《タンダルツ》を継げなくなれば、大塩家は天草四郎様よりいただいたその使命を果たせなくなります! この地を率いる者がいなくなるということですぞ!?」
「そうだな」
あっさりと同意した九十九に、大塩はほっと安堵の表情を浮かべた。
「では……今回の雪奈の件は、不問に」
「では」と九十九は大塩の言葉を遮り、彼の傍らへ視線をずらした。そこに控える、こざっぱりとした三十代半ばほどの痩身の男を見つめ、
「
「はい、九十九様」と久我はまるで分かっていたかのような控えめな笑みをその温和そうな顔立ちに浮かべ、頭を下げた。「この久我
あまりのことに、久我以外の誰もが言葉を失ったようだった。ぞっとするほどの静寂があってから、大塩は目を剥き、「九十九様!?」と怒号のような声をあげた。
「こんな……横暴な!? そもそも、雪奈は今夜が初陣だったのだ! 多少、怯えても仕方ないというもの。《タンダルツ》としての資格を取り上げられるようなことでは……」
「血を吸われてミイラにされた娘を前にしても、同じことが言えていたのか?」
容赦のない、氷柱のように冷たく突き刺すような九十九の言葉に、大塩はぐっと口を噤んだ。
「お前とはヴァンパイアへの考え方も違うようだしな。どちらにしろ、この地は任せられん」と九十九は鋭い眼光を放つ切れ長の目を細め、自分よりもずっと背も高く屈強な大塩を、まるで見下すような目つきで睨みつけた。「親子揃って、破門にされないだけよかったと思え」
破門――その言葉に、一瞬にして大塩の顔は凍りついた。
それは彼ら《タンダルツ》にとって、天草四郎の加護を失うことを意味した。
《タンダルツ》の犬歯には特殊な術が施されており、たとえヴァンパイアに噛まれようとヴァンパイアになることはない。その術は、犬歯の裏にとある
とはいえ、その仕組みは、ワクチンに近いもので、特殊な呪詛を常に
つまり、『破門』の言葉が意味すること――天草四郎の加護を失うとは、すなわち、その犬歯の呪詛を削り取ること。ヴァンパイアにひとたび噛まれれば、己もヴァンパイアと化し、陽の光に怯えながら、血に飢えて暮らすことを意味した。
恵比寿のようだった大塩の顔はすっかり絶望に打ち拉がれ、やつれたようにすら見えた。つらつらと媚び諂っていたときの勢いはどこへやら、口はしっかりと貝のように閉ざされ、しゅんと縮こまったその体から威厳と言えるものなど蝋燭の灯火ほどもない。
それを見届け、ふいっと九十九は修道服をなびかせ、身を翻した。
「九十九様、どちらへ……!?」
慌てたように放たれた久我の言葉に振り返ることもなく、
「天草に帰る」
それだけ言って、九十九はその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます