第13話 天草の魔王③

「すまないな、久我。車を出してもらうことになって」


 セダンの後部座席に座りながら、九十九は居心地悪そうにそう言った。そんな九十九の様子をバックミラー越しにちらりと見やり、久我は「とんでもない」と目を三日月型に細める。


「九十九様とは二人でお話がしたかったので。丁度よかった」


 暗い車内で、カーナビが駅までの道筋を映し出していた。それを一瞥し、「最終の新幹線には間に合いそうですね」と呟いて、久我は気を取り直すように咳払いをした。そして、ハンドルを握りながらも背筋を伸ばし、低い声で言う。


「このたびは、私の上申をお聞き届けいただき、こうしてはるばる薩摩まで足を運んでくださったこと、まことに感謝しております」

「いや。おかげで、この薩摩の現状が知れた。密告のようなことをさせてしまって、すまなかった」

「とんでもない! ご先祖様であられる天草四郎様が信頼してこの地を任せた大塩家。その子孫の任を解くことになって、どれほど心苦しかったことか。心中をお察しします」


 社交辞令とも、気遣いとも取れる久我の慰めに、九十九は愛想笑いのようなもので応え、窓の外へと視線を向けた。

 薩摩のヴァンパイアが、《タンダルツ》により心無い処遇を受けて苦しんでいる――そんな報告を九十九が受けたのは、数週間前のことだった。観光の体を装って天草にやってきた久我が、九十九のもとへ訪れてそうしたのだ。九十九は単身、お忍びで薩摩を視察することにして、討伐の現場にも紛れ込み、そうして目にしたのはなんとも堕落した薩摩の《タンダルツ》の現状だった。きわめつけは……大塩と、その娘の放った言葉。本来ならば、ヴァンパイアが人の世界で不便なく過ごせるようサポートする、相談役ともいえる《タンダルツ》。その《タンダルツ》の口から『人に仇なすヴァンパイア』という言葉が出てきたことは、明らかに、《タンダルツ》の統率に問題が生じてきていることの表れだった。

 九十九の表情が一向に晴れないことに、何かを悟ったのか、久我はきりっと表情を引き締め、「ご安心ください、九十九様」と力強い声で言う。


「今後は私が、薩摩の《タンダルツ》首長として、しっかりと目を光らせます。多少、時間はかかるでしょうが……薩摩の《タンダルツ》を正していきましょう。九十九様のご期待を裏切るようなことはいたしません」

「頼りにしている、久我」


 ふっと微笑を浮かべてそう言って、「しかし」と九十九はすぐに物憂げに視線を落とした。


「薩摩の《タンダルツ》だけ……というわけにはいかないんだろうな。ヴァンパイアを『狩るべき存在』と捉えている《タンダルツ》は他にもいる、と考えるべきか」

「はい、残念ながら。ヴァンパイアを一掃すべき、という考えをもつ勢力は《タンダルツ》の中に存在しています。大塩のような者はまだ、穏健派と言ってもいいくらいでしょう」

「一掃……か。まるで《京徒》だな」自嘲でもするように、九十九はふっと苦笑した。「なんのための天草協定か」


 もともと、天草協定は、ヴァンパイアを一掃すべきだと主張する《京徒》と、ヴァンパイアを救いたいと願う《タンダルツ》が和解するために結ばれたもの。それが今や、《タンダルツ》までもがヴァンパイアを一掃したいと主張しだしたとなれば、天草協定が根底から崩れることになる。九十九が憂いを抱くのも当然だった。


「ヴァンパイアも無垢な存在ではないですからね」ふいに、久我は重々しく切り出す。「ヴァンパイアに仲間や家族を奪われた《タンダルツ》もいます。恨むものがいてもおかしくはない。長い間そうして積もり積もった怨恨が、今、表出し始めたということでしょう」

「しかし」と、九十九はハンドルを握る久我の後頭部を睨みつけた。「人も人を殺す。それでも、人類を一掃しようは思わないだろう?」


 カチカチとウィンカーの鳴る音に久我が鼻で笑う声が混じる。


「九十九様はやはり心も清らかでお美しいようだ」

「それは、侮辱か?」

「いえ、とんでもない!」と慌てて久我は否定しながら、ハンドルを切った。「ただ、その考えは少々、極論といいますか……論点がズレているかと。そもそも――ヴァパイアは人ではありません。人を噛み殺すかもしれない猛獣がうろついているとすれば、それは狩るべきだと人が考えるのも当然でしょう」


 明らかに、九十九の表情が険しくなり、久我の後頭部を睨みつける目に鋭い眼光が煌めいた。


「生まれながらのヴァンパイアは《始祖》だけだ」と九十九ははっきりとした口調で言い切る。「あとは皆、ヴァンパイアに変えられた人間と、その子孫たち。皆、元は人間だ」

「フードマンのように……ですか」


 まるで待っていたかのような――すかさず返ってきた久我の言葉に、九十九はハッと顔色を変えた。警戒するように顔をしかめ、


「何が言いたい?」

「いえ、ただ彼のことが頭をよぎっただけですよ」


 ちょうど、赤信号に差し掛かったときだった。

 ブレーキを踏み、振り返った久我は、にこりと人の良さそうな笑みを浮かべて、「そういえば」と切り出した。


「フードマンによく懐いているという、例の魔女……えのんちゃん、でしたか。そろそろ、京へ引き渡す時期でしたね」

「ああ」とまだ疑るような表情で久我を見つめながらも、九十九は答えた。「来月には中学を卒業する。そうしたら、《京徒》の庇護のもとに置かれることになっている」

「年頃になれば、ヴァンパイアであるフードマンを憎むようになろう……というのが《京徒》の目論見だったようですが、結局、どうですか?」


 すると、九十九の表情が若干ながらも和らいだ。呆れたような苦笑を浮かべると、「まあ、ある意味、いつも恨み言を言ってはいるな」とつぶやいた。


「は?」


 きょとんとする久我に、九十九は「青だぞ」とくいっと顎で前を差した。


「確か、『学会』もそろそろでしたよね。魔女の引き渡しも重なって、八雲様も九十九様もお忙しいでしょう」慌てて前を向き、再び車を走らせながら、バックミラーに映る九十九に向かって久我はにこりと微笑んだ。「そこで、一つ、九十九様に折り入って提案があるのですが――」

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