第10話 誓い

 淡い陽の光が注ぐ屋根の上で、あぐらをかいて街を見下ろす人影があった。真っ白な肌をした少年は、心地よい朝の日差しも厭うようにモッズコートのフードを深く被っていた。


 「自ら進んで太陽を拝むヴァンパイアは君くらいだろうね、フードマン」


 そんな暢気な声がして、フードマンは振り返った。そこには甚平姿で仁王立ちし、朝日を浴びる男の姿があった。長めの髪に無精ひげ、とだらしない出で立ちで、とてもヴァンパイアを狩る人間たちの頂点に立つ者には見えない。ほんの数時間前、修道着を身に纏い、《始祖》の血を引く一族討伐を指揮した益田八雲その人だとは、誰が想像できようか。


 「君は陽の光が怖くないのかい、フードマン?」三十半ばとは思えぬ若々しい顔に呆れた笑みを浮かべ、八雲はフードマンに訊ねる。「ヴァンパイアの唯一の弱点は陽の光、だったはずだけど。そのフードも、たいして日除けにならないでしょう。魔力を奪われてもいいのかい?」

 「少しの時間なら大丈夫や。そら、一日中、日光浴でもしよったら、干涸びてまうやろけどなぁ」


 物騒なことを、フードマンはカラカラと笑って言ってのける。八雲は「笑えないねぇ」と困ったように顔をしかめた。

 日光には浄化の作用がある。燦々と街に降り注ぐ光線には、悪しき魔力を消し去る神聖なる力が備わっている。魔力を生きる原動力とするヴァンパイアにとって、そんな日光は《タンダルツ》よりも恐ろしい敵。多少なら魔力が弱まるだけだが、あまりに長時間、陽の光を浴びれば、魔力を全て失い、命を落とす。そうして太陽に退治されてしまうことを、ヴァンパイアは『干涸びる』と皮肉をこめて言う。

 とはいえ、気をつけてさえいれば、干涸びることはまずない。なるべく日向を避け、不要な外出を控えていれば、人間と同じような日常生活を送れる。数時間ほど日光に当たったところで、夜に月の光を浴びれば、ヴァンパイアは失った魔力を回復させることができる。そうやって、昼間失った魔力を夜に蓄え、ヴァンパイアたちは人間に紛れて生活しているのだ。

 だが、いくら、短時間なら大丈夫といっても、フードマンのようにわざわざ陽の光を浴びようとするヴァンパイアはいない。


 「君の力を借りている身としては、魔力の無駄な消耗は避けてほしいんだけど……それは、勝手な言い分だよね」

 

 八雲はフードマンの隣に腰を下ろし、眩しそうに朝日を見つめた。


 「よくこうして、君は九十九と朝日を見ていたね」


 八雲のそれはたわいのない思い出話のようだったが、フードマンにとっては違うようだった。フードマンの表情は曇り、「せやな」と相槌を打つ声はぼんやりとして心ここにあらず。朝日を見つめる眼差しは、懐かしむというよりは寂しげだった。


 「一緒に朝日を見よう、て俺をここに連れてきてくれたんは九十九やった。それまで、日の出なんて見たことなかったし、見たいとも思わへんかった。でも、九十九がな、『そんなのもったいない!』言うてな、誘ってくれたんや」

 「ヴァンパイアが日の光が苦手なこと、あの子も知ってただろうにね」

 「『フードマンを人間にすることはできないけど、日の光からは守ってあげられるから』――そう言って、両手いっぱい広げて、影になってくれたんや。結局、そのおかげで、日の出はよく見れへんかったんやけどな、嬉しかったわ」

 「我が娘ながら、いい子じゃないか」と、八雲は感極まった様子で瞼を閉じた。

 「それから、俺が『お役目』から帰ってくると、日の出を見に誘ってくれるようになったんや。あの夜までは……やけど」

 「あの夜……か」


 フードマンが気まずそうに口にした言葉に、八雲の表情が強張った。ちらりと横目でフードマンを見やる目に、《タンダルツ》らしい鋭さが宿る。


 「やっぱり、アレがきっかけなのか。九十九が君への態度を豹変させたのは……」

 「しゃあないわ」フードマンは自嘲するようにくっと笑って、ギラリと尖った犬歯を見せた。「目の前で、見せてもうたんやからな。血を吸うとこ」

 「でも、あれは……」

 「理由はどうあれ、や。まだ十三の女の子に見せるもんやなかった。避けられるようになって当然や」


 哀れむように見つめてくる八雲の視線が居心地悪かったのか、『あの夜』の話をすること自体、気に障るのか、フードマンは「そんなことより、や!」とあからさまに話題を変えた。


 「京の《御子》はんは、許可すると思うか?」


 その問いだけで、フードマンが何を言わんとしているのか分かったようだ。八雲は急に猫背になって、しゅんとしてしまった。


 「するに決まってるでしょう。九十九ちゃんが《京徒》の修行に参加すれば、いい宣伝になる。《タンダルツ》を率いる益田家は、ヴァンパイアだけでなく、《京徒》にまで頼る有様だ、てね。これでとうとう益田家の威厳は無くなるよ」

 「なら、止めればええやないか」

 「嫌だよ」と、八雲は眉間に力を込めて、フードマンを睨みつけた。「そんなことしたら、九十九ちゃんに嫌われちゃうでしょうが!」

 「《タンダルツ》の威厳は知らんが、父親としての威厳は皆無やな」

 「出て行ったカミさんにも、そんなこと言われたなあ」


 急に真顔になってそうつぶやいた八雲に、フードマンはバツが悪そうに頬を引きつらせた。


 「まあ、その件は君には関係ないことだ。それよりも……」


 ふいに八雲は立ち上がってそう切り出すと、フードマンをギロリと射るような視線で睨みつけた。まるで、脅すように……。


 「分かってるね、フードマン? これは《京徒》の罠だ。彼らがえのんちゃんを我々に託したのは、君を信用していないからだ。《京徒》は、君が魔女であるえのんちゃんの血を吸うことを期待している」


 遠慮もなくそう言い切った八雲に、フードマンは呆れたようにため息つくと、「分かっとるわ」といつも通りの軽い調子で返した。


 「君が魔女の血を吸えば、君を信じた私の信用はガタ落ちだ。それ見たことか、と《京徒》のいいように天草協定が見直されることだろう。そうなればもう、私たち《タンダルツ》は君たちヴァンパイアを守れない」

 「分かっとる、て言うたやろ」


 静かに、だが重みを持った声でフードマンはそう言って、朝日を睨みつけた。その横顔は一見、涼しげだが、朝焼けが映り込んだその瞳は赤々と輝き、禍々しい眼光を放っていた。


 「俺は魔女の血は吸わん。もう、二度と……」

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