第9話 旅立ち
「ところで」と、思い出したようにフードマンは小鶴に振り返った。「えのんの件はどうなったんや?」
フードマンに話しかけられることさえ気に障るようで、小鶴はついっとそっぽを向いて、面倒そうにため息ついた。
「電話で《京徒》の上の者に事情を説明したところ、あなたさんらの主張を認め、条件付きで魔女を天草に置いておくことに決まりました」
「ほんまか!」
嬉しそうに声を上げたフードマンを牽制でもするように一瞥し、九十九は「条件とは?」と小鶴に訊ねた。
「まず……」小鶴はパチンと扇子を畳むと、その先でフードマンを指した。「いくら『例外』といえど、魔女を吸血鬼と同じ屋根の下に暮らさせるわけにはいきまへん。さすがに示しがつきまへんわ」
「最もだと思います」
「とはいえ、八雲はんから聞いたところによると、魔女えのんはその吸血鬼にひどく懐いていて、姿が見えなくなるだけで泣き出す始末だとか……」
「死の恐怖に直面したとき、命を救ってくれたのがフードマンでしたから。父親を亡くした彼女にとって、唯一の心の拠り所となっているのだと思います」
「よりにもよって、吸血鬼に……」小鶴はしわを寄せた眉間に扇子の先をコツンと当てた。「あんたさんか八雲はんが、最初に駆けつけてくれればよかったのに」
「申し訳ありません」
小鶴のいちゃもんにも、九十九は殊勝に謝った。その横で、フードマンは何か言いたそうにもぞもぞとしていたが、ついさっき、九十九に『嫌味も快く受け止めろ』と釘を刺されたばかり。その唇はしっかりと引き結ばれて開く様子はなかった。
「とりあえず、一週間だけ、魔女えのんを益田家で預かることを許します。そのあとは、藤堂家に預けること。ええですね?」
「藤堂に?」
「すぐ近くに住んどると聞きました。万が一、吸血鬼が恋しい言うて泣いてもすぐに駆けつけられるやろ。そこの跡取り……伊織はんでしたか。あの子はあんたさんの許嫁や言うし、信用もできるはずですしな」
「お心遣い、感謝します」
「ほんで、魔女が中学を卒業したら京の都に連れて帰ります」
その『条件』に、それまで淡々と受け答えしていた九十九が、顔色を変えた。
「中学まで、ですか? なぜ……」
「魔女は今、十歳でしたな。あと五年もあれば充分だと思いましてね」
「充分、と言いますと?」
「十五にもなれば分別もついて、自分の置かれている状況というものも理解できているやろう、てことです。吸血鬼のそばから離れたくない、なんて阿呆なことは言わなくなっているはずや」
狐を思わせる小鶴のつり上がった目が、ジロリとフードマンをねめつけた。
「ほんまに皮肉と言わずになんと言いましょう。吸血鬼に父親を殺された魔女が、よりにもよって吸血鬼に懐くとは……」
その瞬間、フードマンの表情から動揺が見て取れた。それに気づいたのだろう、小鶴は満足げに冷笑を浮かべる。
「その矛盾に、彼女も成長すれば気づくやろ。もしかしたら、五年も経たずに、自分から京都に来るかもしれまへんな」
何を言われても飄々としていたフードマンから威勢が消えていた。沈んだ顔で黙り込み、力なく振られる白旗が見えるようだった。『言い返さない』のではなく、『言い返せない』のだということは一目瞭然。それに調子づいたのか、小鶴はフードマンの顔を覗き込んで、追い打ちでもかけるように畳み掛けた。
「その前に、あんたさんが魔女に手ぇ出さへんかったら、やけどな。ご馳走を前に獣がどれだけ我慢できるか見ものですわ。一度味わった甘い蜜の味はなかなか忘られへんもの。せやろ、益田の吸血鬼?」
逆鱗、というものがあれば、それだったのだろう。フードマンはかっと目を剥き、今にも小鶴に牙をむかん剣幕で口を開いた──と、そのときだった。
「私を京都に連れて行ってくださいませんか?」
突拍子もない問いがフードマンから怒号を上げるタイミングを奪った。
「九十九……?」
高ぶった感情の捌け口を失い、フードマンはきょとんとして九十九の横顔を見つめた。
「なにを突然、言い出しはるんです? 観光ですか? あんたさんは吸血鬼やないんです。京の都の結界に阻まれることもありまへん。勝手に来たらよろしいやないですか」
「観光じゃありません。修験に参加したいんです」
小鶴は目を見開き、「な……」と言葉を詰まらせた。
「毎年、《京徒》の若い陰陽師を対象に、聖護院で《修験の儀》が行われていると聞きました。確か、今月でしたね。私もそれに参加させていただきたいのです」
「なにを言うてはるんです!? 《修験の儀》は、《京徒》の陰陽師だけに許された修行です。《タンダルツ》にそれを受けさせるわけがないやろ!」
「でも、さきほど、天草に置いておくにはもったいない人材だ、とおっしゃいました」
涼しい顔で言葉を返す九十九の目は本気だった。ダメもとでも、一時の感情に流されているわけでもない。熱意で訴えかけようという必死さも意気込みも感じられない。まっすぐで実に冷静な眼差しだ。確実に起こりうる未来を見据えている目だった。彼女の中で、それはすでに決定したことで、今はそのために段階を踏んでいるにすぎない──そんな傲慢ともいえる絶対の自信を感じさせる。
「ちょう、待てや」すっかり話に置いて行かれた様子のフードマンが口を挟んで話を遮った。「なんなんや、その『しゅげんのぎ』てのは?」
「《京徒》の陰陽師に伝わる、神通力を高める修行です。毎年、一ヶ月間、京都の聖護院で新入りの陰陽師に対して行われます。一人前の《京徒》の陰陽師と認められるための通過儀礼のようなものと聞いています。その内容を外に漏らすのは御法度とされていて、《京徒》の陰陽師以外は誰もそれがどんな修行かは知りません。ただ、その修行により、短期間で神通力を格段に跳ね上げることができるそうです」
「部活の秘密合宿みたいなもんか」
的を射ているようで、しっくりこない。フードマンの惚けた喩えに、九十九は顔をしかめたが何も言わなかった。
「そこまで知ってはるんなら、その修行が《京徒》の陰陽師以外のモンに許されるはずもないことは分かるやろう!?」
「無理は承知でお願いしています」
何を言っても引く様子のない九十九に、小鶴は頭を抱えた。
「八雲はんはなんて言ってはるんです?」
「父にはまだなにも言ってません」
「せやろうな、と思いましたわ」はあ、と大仰に溜め息ついて、小鶴は諭すような落ち着いた口調で続ける。「今は《天草協定》があるから協力関係にあるってだけで、私ら《京徒》とあんたさんら《タンダルツ》は仲良しこよしゆうわけでもありまへん。《タンダルツ》が私ら《京徒》を目の上のたんこぶや思うてるのも、よう知ってます」
九十九は黙って聞いていた。そんなことはありません、なんて建前で時間を潰す気はないようだ。
「九十九はんは、その《タンダルツ》の元締めである益田家の跡取り。つまり、《タンダルツ》の代表のようなもんです。そんなあんたさんが《京徒》のもとで修行なんて、《タンダルツ》の沽券に関わる問題や。他の《タンダルツ》たちの反感も買うことやろう。益田家の信用も落ち、《タンダルツ》の統率が崩れてまうことだって考えられる。せやから、私をここで説得したところで無駄というもんです。八雲はんはきっと、許しはりませんよ」
「《タンダルツ》の沽券なんてどうでもいいです」九十九はひるむことなく、はっきりとそう言い切った。「私はただ、力がほしいんです」
少女のその願いは重々しく、そして不気味に響いた。
フードマンも小鶴も怪訝そうに九十九を見つめた。
「なぜ、そこまで力を欲するのです? あなたには、あの天草四郎の血が流れているんや。もう《タンダルツ》として充分なほどの神通力は持ち合わせているでしょう」
「強くなりたいからです。ヴァンパイアの力を借りなくてもいいほどに」
その瞬間、フードマンはハッと目を見開いた。
暗い廊下は静まり返り、ミシリと家のどこかで軋む音が聞こえた。
「なるほど」小鶴は扇子を開いて口許を隠し、ふふ、と笑い声を漏らした。「気に入りましたわ。ええでしょう、私が《御子》様に口添えして差し上げます。《御子》様が許可してくだされば、《修験の儀》にも参加できるでしょう」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる九十九の隣で、フードマンは「ちょい、待てや!」とあたふたとして声を荒らげた。
「急に、そないなこと……八雲のおっさんに相談もなしに決めてええんか!?」
「もう決めました。父に相談することはありません」
「お前は益田家の跡取り娘なんやぞ。俺には難しいことは分からんけど、この《京徒》のパシリの言う通り、立場とかいろいろあるんやないんか!?」
「パシリ、なんて言葉を使うのはやめなさい、フードマン」
「そんなこと言うてる場合やなくて……」
九十九の真っ直ぐで澄んだ瞳が、きっとフードマンに向けられた。まだ齢十三とは思えないほど、迷いのないしっかりとした眼差しだった。
「益田家の立場なんて、あなたをこちらに引き込んだときに無くなったも同然のものです。ヴァンパイアであるあなたの力を利用している私たちに、《タンダルツ》としての信用もなにもありません」
突き放すような冷たい声色だった。呆然として固まるフードマンをよそに、カラカラと小鶴は楽しそうに笑った。
窓の外で東の空が赤く染まり始めていた。小鳥の囀りが聞こえてきそうな夜明け、廊下には小鶴の甲高い笑い声が響いていた。
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