第六章 expire ――四月二十九日 3

僕たちはおじぎした状態から、からだを前に向けたままゆっくりと起こす。僕を含め、一年生四人は一旦、茶道部の畳のあたりまで下がる。ここからが僕の『作業』の大事なところだ。

先輩たちは一度お互いの顔を見合わせた後、蔵原先輩がからだをふと弛緩させて、おもむろに三人に話し始める。

「お客さん、来ないわねー」

「タカコ、アンタのせいじゃない? 顔キモいし」

「アタクシの顔がキモいわけないじゃない! どうよこの美貌?」

客席から「タカコちゃん、キモかわいいよー」という若い感じの男性――たぶん、蔵原先輩の、クラスメイトとかだと思う――の、ノリのよいかけ声が聞こえ、ささやかな笑い声がじんわりと広がってく。

「ほーらーぁ、『天の声』もこう言ってくれてるじゃない」

「あんなのただのお世辞よ、お世辞」

「なによ、嫉妬はみっともないわよー。そういう性根の悪さが顔に出てるのぞみのせいでお客さんが来ないんじゃないの?」

「あたしがアンタ以下のわけないでしょ」

「もー、二人とも」

石井先輩が二人の仲裁に回るが、それをスルーして蔵原先輩が新藤先輩に尋ねる。

「アタクシ可愛いはずよ? ね、果歩ちゃん?」

「うん、可愛いよ、二人とも」

「果歩まで! 新学期早々に目が腐ったの?!」

「やめときなってー」

「まあまあ。顔の話はさておき」

「お客さんが来ないとお店が潰れちゃうから……」

と、成瀬先輩が提案したところで、大林さんがチラシの束を持って前に進み出る。

「先輩っ、チラシの用意ができました!」

「テルミちゃん、アスカちゃんにココロちゃんっ」

「じゃ、アタシたちが配りに行ってきます」

「うん、お願いっ! ――じゃあ、私たちはお店をもっとキレイにして待ちましょ?」

「「さんせーい」」

と声をそろえたところで、放送部の音響担当のヒトが二曲目を流してくれる。今度の曲は、僕でもどこかで聞いたことのあるジャズの曲――題名とか演奏してるバンドの名前までは練習用のCDをもらうまで知らなかったけど。

僕以外の一年生の三人はチラシを二十枚ずつくらい分けて、アクティング・エリアの周りにいるお客さんに配り始めるので、その間に、先輩たちは茶道部の畳まで後退してくる。先輩たちは地面に置いたモップを手に取って、床を磨くようなフリをして――でも、モップの穂先が地面に着かないように少し浮かせた状態で、再びお客さんの前へ進み出ていく。

ドラムスの音にあわせて、地面が足に着くように、後ろ足を跳ねるように。


僕はそんな先輩たちに隠れるように、カップ・アンド・ソーサーとラップ、百円玉をお盆に載せて、食堂前の自販機へ歩み寄っていく。僕らが想定している《前側の観客席》ではないけど、アクティング・エリアを囲むようにダンスを観てくれてるヒトが結構いて、自販機の前だけで十数人はいると思う。「メイド服で女装した姿をあまり見られたくない」という僕に配慮して、ココロたちがやってるチラシ配り役からは外してもらったとはいえ、メイド服姿でヒト前に立つのはまだ、やっぱり恥ずかしい。お客さんの間を抜けて紙コップ式の自販機でコーヒーを一杯、入れる――他のよりちょっと高い、百円ジャストのコーヒーを選んで、砂糖もミルクも『多め』に設定して。コーヒーが出来上がるまで、あと一分余り。


木の棒に金属製の留め金が付いてるタイプのモップでお店の床を拭く振りをしながら、アクティング・エリアを駆け回る先輩たち。

突然、アクティング・エリアの真ん中で立ち止まって一息つく新藤先輩に、石井先輩と蔵原先輩が追突してしまう。

最後に、成瀬先輩が

三人を避けようとしてつんのめり、

モップを三人の後ろ側に投げつつ、

前へ飛び込むように――

でも同時に

踏み切った足を

さらに上に放り出して、

倒れる。

成瀬先輩はバレエをやってたって聞いたけど、バレエにこんなフリがあるのかはよく分からない。でも、ジェットコースターみたいなスピードで倒れ込んでるのとか、地面に手をつくのもからだが落ちきる直前――練習を初めて観たときは格闘マンガの一コマか、もしかして事故でケガしちゃうんじゃないかって思うくらい――なコトとか、それでいて転んだときの足先もホントのバレエみたいに伸びてるのとか。そういうのが自然なようにも、ダンスらしいようにも見えて、すごくキレイだ。

僕はというと、出来上がったコーヒーを紙コップからコーヒーカップに移し、上からラップをかけておく。すると、すぐにラップには白い、水蒸気の丸い膜が浮かび上がる。余ったコーヒーは紙コップを揺らして、ちょっと冷めたところで僕が一気に飲み干してしまう。予定通りの設定で僕が普段飲んでるインスタントコーヒーよりも甘いけど、緊張した僕のからだにはやさしく溶けてく。

地面へ倒れこんだ成瀬先輩のところへ、新藤先輩と石井先輩が心配そうに駆け寄りつつ、蔵原先輩だけ成瀬先輩を指差して、腹を抱えて大笑いする――実際には声を出してないけど、例えばそんな古いアニメーションのような――フリをする。

ゆっくりと成瀬先輩が起き上がると、「キレイにしてやるっ!」という雄叫びと共に、留め金でモップに留められてる白いフサフサとしたモノが、蔵原先輩の顔にこすり付けられる――ように見える。実際、強くは押し付けてないはずなんだけど、顔を――実際に新品だし、明らかに新品だと分かるくらいにキレイな状態だとはいえ――モップでこすり付けるように見えるのはすさまじい感じがするのか、観客から「おおう……」と呻くような声がする。

そういえば、練習のたびに「モップみたいな毛をした犬が近所にいたなー」って思い出してた。犬の名前はジョンだけど、その犬種が思い出せない。そのジョンみたいなモップで蔵原先輩の真っ白メイクはグチャグチャに乱れて、口紅は鼻の頭からアゴ辺りまで伸びてしまってる。

マンガみたいに「プンプンっ★」と口で言ってそうなくらい――練習のときには、「演技の一環」で実際に言ってたから、今も聞こえないだけでそう言ってるかもしれないけど――わざとらしくも怒った蔵原先輩はモップをおおきく振りかぶって……

深く一歩、前に踏み込んで、

タイミングを見計らっていながらも、

成瀬先輩の足元にめがけて、

モップの柄で、素早く

振り薙ぐのを

先輩はモップを持ったまま

飛び越える。

二人は両手で握りなおしたモップを

中空で激突させる。

そして、今度は成瀬先輩が音楽に合わせて

モップを低く一閃させ、

蔵原先輩が飛び越える。

次は、着地した蔵原先輩が

大きくモップを振り、

これを成瀬先輩が飛んでかわす。

そして、一度距離を取り、

二人の間に、一度は新藤先輩と石井先輩が入るものの、

新藤先輩と石井先輩を押しのけて、

再びモップの鍔迫り合い。

ココロたちが『お客さん』を連れてくるまで、先輩四人でこれ――お店の中でのモップ・チャンバラが繰り返されることになってる。

2曲目のボリュームがゆっくりと下がってく。

この間にココロたちは笑顔を振りまいてチラシを配りながら、演劇部の顧問の三池先生を探し出し、協力を仰ぐことになってる。先輩たちが先生に「観に来て欲しい」ってお願いしに行ったので来てくれてるはず……。先生がいなかったら別のヒト――たとえば溝口先生にお願いしなきゃいけない。

――いた、みたい。大林さんとココロが三池先生の両脇を抱え、北野さんは放送部の音響ブースから借りてきたワイヤレスマイクを手にして、後ろから先生の背を押すようにして観客のなかから連れ出してくるのが見える。

僕も焦る気持ちを抑えながら、コーヒーの入ったカップをスチール製のお盆に載せて、落とさないようゆっくりと、自販機の前からアクティング・エリアへ戻っていく。


 4

一年の女子三人が三池先生に一番前のテーブルの空いた席に座ってもらうように促す。先生が席に着くのに合わせて、僕ら全員で三池先生の座ったテーブルを囲み、一度、互いの顔を見合わせたあと、成瀬部長の「せーの……」を合図に、

「「ようこそっ! メイド喫茶『だんすぶ』へっ!」」

と声をそろえて挨拶する――音楽の切れた中庭にめいっぱい響くくらい。三池先生の顔を改めてじっくり見ると――まだ、巻き込まれた状況がはっきり分かってないんだと思うけど、照れと驚きが混じったような表情をしてる。

北野さんからワイヤレスマイクを受け取った石井先輩が「ご注文は?」と先生に尋ねると、ひょいと蔵原先輩にマイクを渡し、先輩は先生に答えさせる間もなく、

「ホットコーヒーですね、ご主人さま! ありがとうございます!――ご注文、『ラブラブミルクとスウィートシュガーの入ったホットコーヒー』!」

と大げさに言う――けど、観客からは残念ながらクスリと笑う気配もない。スベってしまった……僕は結構好きなシーンなんだけど。実際にメイド喫茶に行ったことがあったら笑えないのかな……なんて想像する。

それはさておき、僕は自販機でコーヒーを入れてきた――正確には「入れ替えてきた」――カップからラップを外し、ソーサーごと――カップの取っ手が三池先生の左側になるようにゆっくりとテーブルに置く。まだ、それほど時間は経ってないので冷めてはないはず……。

三池先生がコーヒーを口に運んだのを見て、蔵原先輩が先生にマイクを向け、みんなで息を呑んで感想を聞く。

「先生、お味はいかがですか?」

「……うん、美味しいよ」

みんなで大げさなくらい、跳ね上がって喜ぶ――演技をする。……いや、跳ね上がるのは演技や振り付けだとしても、コーヒーが自販機から入れ替えただけのものだとしても、「美味しい」と言わせるために僕らが雰囲気作りをしてたとしても――やっぱり嬉しい。「ダンス部の部員の数が少なくなったら廃部にしよう」と言ってたらしい三池先生に――それもアクティング・エリアの中で――そう言わせられたのだから。僕らは、先生がこの公演に協力してくれたことに――マイクを通さない、生の声でお礼を言う。


先生が感想を述べたタイミングで三曲目――今回の公演最後の曲が流れ始める。最近よくテレビに出ている女性アイドルグループの、幼い恋愛をかわいく唄ったポップなメロディ。

短い前奏の後、成瀬部長が一人、前へ出て踊り始める。バレエをベースにしたソロ・ダンス。バレエ用の靴を履いてるわけじゃないから踊りにくいだろうけど、足首を伸ばして爪先立ちして、観客を招くように右腕を開き、同じように左腕を開く。

今度は右足の甲が顔にあたるくらい右足を――膝が曲がることなく高く挙げ、すばやく下ろしたかと思うと、今度は同じように左足を高く上げる。

もう一度、右腕を肩から肘へ、そして手首から手のひら、手の指先まで順に、しかし、自然な速度で開き、同じように左手でお客さんをもてなすように滑らかにからだを開く。

一瞬、上体を反らせたかと思うと、左足で踏み切って、右足を水平に上げた状態で浮かぶ――ように飛ぶ。バレエなんてテレビの中ですらほとんど見たことがないのに、目の前でバレエを踊ってるのを見て、なぜだか美しいと思わされてしまう。

成瀬先輩は一度、小走り――フツウに走るんじゃなく、足首の曲げ伸ばしまでコントロールされた走り方で少し後ろに下がると、観客の前を通り過ぎるように幾度も回転して、回転して、回転して、元の位置辺りに戻ってきたところで手を上に掲げてポーズを決める。


そのポーズが決まった成瀬先輩の肩に、新藤先輩と石井先輩がそっと両手を置いて、三人が目で合図すると成瀬先輩がターンして後ろに歩いてくる。アクティング・エリアの真ん中に残された二人はその場で回れ右して、互いの背中を合わせ、ゆっくりと――でも、二人とも足を少し突っ張らせて、屈む。ふと、二人とも地べたに座り込むのか――と思った瞬間、新藤先輩が背をのけぞらせ、石井先輩にからだを預ける。二人とも相手に上半身を預け、あるいは支えることでバランスが取れていて、二人の背中が――鋏をゆっくりと動かすように――角度を絶えず変えながら動いてる。二人の背が再びぴったりと――今度は石井先輩が新藤先輩に体重をかけてる状態になったとき、片方の腕を絡ませて石井先輩が新藤先輩の上に乗り、石井先輩の足が中空に半円を描く。このデュエットは溝口先生がハゲワシズでもやったことのある振り付けの一つらしい。成瀬先輩のバレエとは全く違う、でも二人がからだを預け合って安定しているように見える動きの中に突然スピードが加わって驚かされる。


着地した石井先輩と、それを支えてた新藤先輩が絡めてた腕を解こうとすると、蔵原先輩が二人の間に強引に入るようにして前へ出て、ソロを踊ろうとする。アップテンポな曲の中で手を大きく伸ばしたかと思うと突如、深く腰を落として、手を超スローモーションでゆっくりと横一文字に切る。

成瀬先輩のソロとは対照的に、動きはすごくゆっくりで、後ろで見てる僕もストップしてしまってるかのように、先輩の動きに意識を集中してしまう。――腰や肘のあたりも曲がって、からだ全体が柔らかそうなのに、先輩の指先に僕の全神経が持っていかれて、

視界が、

校舎が、

光が、

音楽が、

空間が、

その指先にすべて断ち切られていくように錯覚する。

このときの先輩だけは、すごい――としか言いようがない。化け物じみてるとすら思う。たった二週間練習しただけの素人の僕にすら、先輩が作り出す、この永遠のような一瞬の連続に惹き込まれてしまう。

先輩の指に見入ってると――スマートフォンを操作してるとき、画面が横にスライドするようなスムーズさで――三池先生の傍らまで蔵原先輩が移動する。先輩が先生に妖艶にしな垂れかかろうとする……けど、先生は両手を――肘が伸び切ってロックされるくらいまで――突っ張って、先輩を突き放す。おしろいを厚く塗った男の顔――そのメイクすら崩れかけたモンスターが音もなく近づいてきたら、生徒とはいえ反射的に拒否してしまうんだろう。蔵原先輩が前に向かって、ゆっくりと首を傾げる様子は後ろから見てもなんだか残念そうに見える。客席から忍び笑いが漏れる。


今度は大林さんと北野さんのコンビネーション。二人はダンスクロックの中からシンプルな振りを選んで、さらに似たテイストの振りをオリジナルで作って混ぜたモノ。

蔵原先輩が身を翻し、手で顔を隠して後ろに下がっていくので、

二人は――先輩をスルーして――すれ違い、

前方に一度、両足でジャンプして、

着地したら、

足を直立させて、

二人のからだの外側に――二人でYの字を形作るように

上半身を45度に倒し、

肘から手首までをその上半身と平行になるように上げて、

前を向いたまま、後ろにいる蔵原先輩にさよならを言うかのように

手を振る。

今度は上半身を起こすと同時に

さっき振ったのとは逆の手を

真上にまっすぐ上げて、

次のタイミングで、反対の腕を水平にし、

二人が互いに内向きになるようにターンするとき、

その両腕を

客席から見ると二七〇度

すばやく回す。

二人はその両腕で自分を抱きしめたら

同時に後ろを見て、

次に、前を見て……今は二人のタイミングがズレたけど

向かい合って、

爪先で伸び上がったあと

――一気にからだを緩める。


次は、ついに僕とココロとの必殺技(コンビネーション)。

音楽のタイミングに合わせて僕らはアクティング・エリアの後ろからスキップして前に出る。

手を前に伸ばして、

僕は大林さんと、ココロは北野さんと

――すれ違う相手と手をゆるく触れ合わせ、

指先が届かなくなるまで

大林さんと顔を見合わせ続ける。

振り付けとしてかもしれないけど、上気した、明るく、突き抜けたような笑顔を浮かべてる。

僕らは大林さんと北野さんが下がるのを見届けた後、

スキップを続けて

アクティング・エリア前方の左右に一旦分かれる。

今度は真ん中へ駆け寄って、

ココロと三歩ほど離れたところで直立して向かい合う。

足は肩幅ほどに開き、肩や腕から力を抜いておく。

力を抜く、というのもなかなか難しくて、力を抜こうと力が入ってしまう。

だから、ココロと一度目を見合って、

息を一つゆっくりと吸い、素早く強めに吐き出す。

メロディが変わる最初の音と同時に

胸の前に両手をすばやく引き上げる。

柔らかい球体を想像して、

指先はそれを受け止めて包むようにして、

第一関節あたりで重ねる。

例えば、ダチョウの卵――とか?見たことも持ったこともないけど。あ、赤ちゃん用のボールとか。たまに公園に忘れたままになってる、赤くて柔らかいボール。片手でもつかめるけれど、そうするときっとひしゃげてしまうだろう。

と、同時に視線を落とす。親指の爪の先はエプロンに当たるかなというあたり。エプロンを縁取る真っ白いフリルが風でわずかに動き、僕はひとつ瞬きをする。

二拍目で手のひらをくるりと上へ向ける。

卵なら生まれるように、

ボールなら弾けるように。

そして、胸の前から互いの両手を僕らの間に差し出してゆく。両肘を肩幅よりも少し狭めて、二の腕は白い内側を上にして。指先をなるべく大きく開く。そうすると、指と手のひらを繋ぐ関節は反り上がってくる。

僕の気持ちをココロに預けるように、

ココロを僕が引き受けるように、

ゆっくりと六拍。

いつもは鏡のように見ているココロの顔がうっすらと赤く上気し、汗も滲み出している。でも、踊るためだけじゃない、心からの笑顔を浮かべている。僕にそう見えるってだけじゃなく、ココロは間違いなく嬉しい、っていう笑顔。『僕の表情はどうなんだろう?』と意識的に口角を上げてみると、ココロの瞳が少し深く明るくなる。

二小節の最後、八拍目にあわせて左足を前へ踏み出す。

そして、右腕を後ろに

大きく振り戻す。

からだは観客に向かって開かれる。けれど、目線だけはココロから外さない。これは新藤先輩の教え、だ。

僕が右手を振り出すと同時に

少し下げた僕の左手の上を、ココロの右手が暴風のように通り過ぎる。

そして、

すばやくココロと手をつなぐ。

卓球で言えばフォアハンド。ただ、右ひじを手先よりも先に前に動かすから、野球のサイドスローに似ている。

この振りは空振りしてしまうと次に続かない。だから最初はココロと近づき気味に練習してて、手首あたりが当たるようにしていて、今日のココロにも僕にも手首のあたりにちょっとしたアザができてる。

先週の、僕がわがままを言った週末以外、毎日のように家でこの振りを練習してた僕らは――今日の僕らだから、この距離を絶対に間違えない。

新たな一小節の一拍目、

二人の右手で拍手して、

空気を切り裂くような破裂音が中庭に響き、

からだにもそれが伝わってくみたいに、

手のひらが熱くなる。

そして、僕らは互いの右足を踏み出し

腕を引きながら

左脚で地面を

強く蹴り出す。

ココロと僕は互いのからだを支えにして、

宙へ蹴り上がる。

一瞬、音楽と

周囲の風景が

僕の意識から消失する。

つま先がなるべく上へ

体育館の屋上よりも

空に刺さるまで

僕のからだが

ココロと引き合いながら

離れてく。

そして、からだをひねり、

右脚もかかとから

背中側に跳ねさせる。

ココロとまた、目が合う。

離れていく手の先に

ココロがいる。

僕自身のからだと

重力加速度がひざにのしかかる。

膝を曲げて、

背中も猫みたいに曲がってしまったけど、

音楽のリズムに合ってるかどうかも分からないけど、

左足から着地する。

 呼吸することも忘れてたみたいで、肺にためてた息を吐き出して、空気を軽く吸うと、目の前が白んでいくようにも……ぼやけるようにも……暗くなるようにも感じる。

流れてる音楽が、ようやくもう一度聞こえてくる。うん、音楽を聞き逃してたけど、ほとんど振り付け通りのタイミング。

気を取り直して、次の――1つ目のユニゾンの位置へ移動しなきゃいけない。

2週間前、ダンス部の公演に参加するって決める前に練習した、あのユニゾン――といっても、練習を繰り返すうちに、最初に練習した振り付けから僕らのレベルにあわせて動きがいくつか変わったんだけど。


他のみんなが前に出てくるので、ココロと僕はアクティング・エリアの後ろの方へ、外から小走りで回り込む。

僕も含めてみんな定位置に着いたところで、

両足を揃え、

音楽の、ユニゾンをはじめるタイミングに合わせるため、

腰に両手を置いて

肘を立てて

頷くように首を振り、

膝を軽く曲げて

何小節かの間、リズムに乗る。

音楽の、一回目のサビが始まるところが次の動き出し。……その数拍前、両手を上に肩あたりまで上げて、左足に重心をかける気持ちの準備をしておく。

最初の動きは

左足に体重をかけ、

右足を左足の後ろに引いて、

爪先を地面に立てる。

――お盆を両手に一枚ずつ持ってるかのように

手のひらを地面に対して水平を維持して

右手は肩より上にして

左手は肩より下にする。

上体は前を向いたまま

腰でひねって、

くびれを作ることを意識して

ついでに笑顔を保つことも思い出して、

口角を意識的に上げる。

今度は右足を右に振り戻し、

元の位置に戻った右脚にからだを乗せ、

左足をさらに右足の後ろへ回す。

――と同時に左手を上げて、右手を下げる。

今度は左足を元の位置へ戻すように

踏み出して、

右の爪先を左後ろに振り、

右手を上げて、左手を下げ、

――手のひらは水平に……

今度は右足を地面に置き、

左の爪先はさらに右へ、

右足の後ろへ振って、

中庭のタイルに付ける。

これを八度繰り返したら、

次の小節の頭、メロディの変わり目で

両足を揃えて、

右足に重心を置く。

手の動きは変えない。ただし、テンポを倍にして。

――そう。最初のユニゾンの練習で先に取り組んだ振りを倍速にして。

浮いた左足は、爪先が地面に垂直になるように。

左膝を緩め、

左手を上げて、右手を下げる。

それを次の拍で全部左右対称に入れ替える。

左脚が上体を支え、

右膝を緩めて

右の爪先を伸ばす。

その爪先から足裏を地面に貼り付けて

右脚に体重がかかる。

と左の膝が自然と曲がる。

足の甲を伸ばし、

足指の付け根からからだを預けていく。

手のひらは――まだお盆を持ったまま――上下させ、

足もリズムよく入れ替える。

今度は、それまで両手に持っていたお盆を

遠くへ放つように両腕を伸ばし、

体側に沿うように

四拍かけて、

肘からゆっくりと下ろしていく。

その手がおりきる前に

もう一度、ふんわりと上げ

今度は急速に

右腕をからだの前から左へ、

左腕を後ろから右へ

腰にくびれができるように

からだをひねり、

その勢いを反転させ――

両腕を右側へ回す。

両膝を曲げ、

腰を落とし、

左足に体重をかけて、

右足を踏み切るように伸ばして

一回転する。

そのとき、

周囲をなぞるように

両腕を伸ばす。

――いや、腕だけじゃない。

手のひらだけでも、指先だけでもない。

その全体。

腰のひねった力を解き放ち、

遠心力のかかる手首を

腕の力で引き戻しながら、

気持ちがからだに引っ張られてくみたい。

それでもどこかへ

全身で飛ばされてしまいそうなくらい。

両手の指がなるべく遠くへ

校舎よりも

どこか遠くの空へ手が刺さるまで

胸のあたりの筋肉がぐっと伸び、

スカートの裾が膨らむ。


僕は再びウッチーとのダブルスを思い出す。ボールをラケットで捉える感触が手に伝わってきて、打球音が聞こえるよりも前の、ウッチーの横を通りぬけて、相手コートの隅にスマッシュが決まることが分かる一瞬。

あるいは、ココロと目が合っただけで気持ちが分かるような気がする――双子であることが面白いと思える瞬間。

そんな瞬間と同じ感覚。

みんなの動きと

音楽と

からだの重みと

運動と

すべてがかみ合って

僕の視界を輝かせる。

今日の、一つ目のユニゾンは

ミスを一つもせずにできた。

完璧だと確信する。

それがなんだか嬉しくて叫びたくなって。

でも、次のアンサンブルに向けて移動しなくちゃ。

――そう、振り返ろうと思って、

左足をその場で

外に開き

一呼吸。

少し目線を

上に

校舎の屋上を

いや、もっと上の、

校舎と空の境目を目で追って

左膝を曲げて

体重をかけ、

右足をいつもより大きく

左前へ回したら

その足の先には

小さな男の子が

いた。

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